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平山夢明「Yellow Trash」第3回 あんたは醜いけれどあたしには綺麗(3)

平山夢明『Yellow Trash』シリーズ、完全リニューアルして再始動‼
毎週金曜日掲載!
illustration Rockin'Jelly Bean

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 訊いたら爺さんは〈街〉と云っていたが、実際は舗装も曖昧(あいまい)な凸凹が朦朧(もうろう)と三筋ほど縦横に交差している薄ら寒い所(ゾーン)だった。中央では起きてるのか寝てるのかわからない赤と青の明滅を信号は繰り返し、営業中の気配があるのは『がらくた』という雑貨屋と『まるがり』という床屋、後はシャッターを下ろしていて、後は呑み屋がくしゃくしゃと丸められて固まっているような塩梅(あんばい)だった。
 二台ほど、ぼんやりしているおれの脇で急に速度を落として車が通り過ぎた。目を丸くしたリーゼントの若者(莫迦)が助手席の女に〈なんだあの面ぁ!〉と叫ぶのが聞こえた。多分、おれにも聞かせたかったのだろう。
 もう一台来たが、その車は映画で観たことがある赤のプリムス・フューリーだった。綿菓子のような髪に赤い縁のサングラスを掛けた女がハート型の棒キャンディを桃(ピーチ)色の舌を伸ばして舐めていたのだが、其奴(そいつ)はおれを見た途端、金切り声を上げ、キャンディーの棒をハンドルを握っていたマスチフそっくりのデブの顔へ突き刺した。我慢し損なった屁のような短いクラクションが鳴り、車は道を大きく逸(そ)れ、青と赤と黄の新聞スタンドを薙(な)ぎ倒して去った。騒ぎを聞きつけた『まるがり』の親父が飛び出して来、倒れたスタンドを片付けかけ、おれを見て止まった。
「プリムスだよ」
「んが?」
「其奴を倒してった車(やつ)だよ」
 床屋の親父は何も云わなかった。否、云わないだけじゃない。おれを見たまま動きを停めていた。
「魂消(たまげ)たな。それホンモノなのか?あんた人間か?」
「あんたが人間ならおれもということになるね」
「そんなに醜いのに自殺したり、人を殺したりしないのか?俺なら耐えられないな」
「幸いなことにおれはあんたじゃないんでね。どっちみち死ぬのに、慌てることはない」
「信じられんな。そんなに醜いのに生きているなんて……人も殺さないで……」
「其れについてあんたと今、此所(ここ)で話し合う気は無いんだ」
 おれは呆然としている親父を残したままペダルをこぎ始めた。どちらにせよ、此の街も早めにおさらばした方が良さそうだった。
 が、其処から数メートルも離れないうちに〈ふぉん〉と電子音がし、パトカーがライトを回転させていた。
『トメル。オマエハキット、トメタホウガ、イイナ』
 スピーカーがそう、がなったのでおれは云われたとおりにした。
 自転車を停めるとパトカーから降りたお巡りが近づいてきた。能(よ)く居る日本っぽい奴じゃなく、西部劇の保安官みたいな帽子を乗っけた格好をしている。
「やあ。この辺りじゃまだシェリフってやつが残ってたんだな。初めて見たよ」
 お巡りが自転車をしげしげと眺め、其れから溜息交じりに腕を組んだ。
 おれは自分から白状しちまうことにした。
「おまわりさん……実は此の自転車はおれのじゃないんだ。借り物でね……」
 お巡りの手が腰の拳銃に当てられた。
「……貴様、目が見えないのか」
「え?」
「よく、そんな顔でお天道様の下を歩けるもんだな……他の人の気持ちを考えたことがないのか?それとも薄グソか?」
「どういうことだい」
 お巡りは棍棒で自転車の横っ面を殴った。こいつは、おれよりも頭ひとつデカイ。そして金壺眼(かなつぼまなこ)を燃やすように睨(にら)んでいた。
「跪(ひざまず)け」
「何故」
「それはな、おまえの面がひりたての糞(くそ)のように俺と俺の良心を攻撃しやがるからだ」
 そうこうするうちに今までどこに隠れていやがったんだ(ウォーキング・デッドか?)ってほど人が集まってきた。
 全員が全員、おれを睨み、轢(ひ)かれたての野良犬を見るような顔をしている。
〈事故だ〉〈病気だな〉〈否、あんな顔は性癖だ。わざと作ったんだ〉〈人でなしの親が顔(つら)の皮を胞衣(プラセンタ)屋に売ったんだ〉と、聞こえよがしが耳に届く。
「早くしろ。跪かなけりゃ、代わりに俺がおまえを殴りつけ、踏んだ饅頭のように中身を地面に広げることもできる。選択は自由だ。民主主義だからな」
『おまわりさん』不意に野次馬のひとりが手を上げた。五十はたっぷり越えていそうな其奴は出っ歯で瓶底眼鏡(びんぞこめがね)をしていた。「此奴は尼さん殺しや幼女姦も瞬きひとつで済ませるような顔です。どっかの子供や可哀想な娘さんが被害を受ける前に殺したり、死刑にはできませんか?」
 瓶底の言葉に他の野次馬が『ありだな』と頷いている。
「ジュテームスよ、確かにそうしたいのは山々だが、殺すには殺すなりの手順やお題目ってのが必要なんだ。それにハーグだかバークだかで人気の人権って問題もある……」
「冗談じゃない!こんな顔に人権があるはずがない!」
「ところが、ちょっぷりあるのさジュテームス。ほんのちょぴっとだがな」
「納得困難!そもそも人権なんてのはドラマやニュースの中のもので現実の我々とは何の関係もないはずだ!」
 そうだそうだと野次馬が囃(はや)した。
「確かにおまえの仰(おっしゃ)る通りだが、こういう場合にはこう云えというマニュアルがあるのさ」
「その野郎を吊すか、牢屋にブチ込んで貰いたい」薄汚れたエプロンをしたコック帽の男が叫んだ。「俺は朝から晩まで肉を捏(こ)ねたり、腐りかけの魚を揚げたりしてる。此の手を見てくれ!火傷(やけど)と切り傷で襤褸布(ぼろきれ)だ。しかも、一日十六時間も立ちっぱなしで膝も腰もボロボロ。医者からは引退して年金で暮らせと勧められているんだ。だが税金を払うのを止(や)めては国が困る。だから俺は死ぬ気で働いている。其れは、こんなバケモノの人権に使うためじゃない!可愛い子供や孫のため、ご近所さんのためだ!」
 野次馬が〈人権の無駄遣い反対!〉〈人権は限りある資源だ!〉と更に喚いた。
 次に、躯中に白いタイヤのような肉を巻き付けた四十がらみの女が前に出た。
「あたしだって朝、昏(くら)いうちから夜が更けるまで市場や店先で野菜を売ってるのは、こんな醜い男の人権のためじゃないんです。可愛い子供やお友達のためなんですから。もう死にたい。死ぬしかないわ」
 女はワッと泣き出し、隣にいた男が肩を抱き〈恥を知れ!〉と唾(つば)を吐く。
 警官が勝ち誇ったようにふんぞり返り、こっちを見た。
「全て、おまえさんのせいだ」
「おれはただ自転車に乗ってただけだ」
「盗んだ自転車だろ?」
 警官の〈盗んだ〉という言葉に野次馬が激しく興奮した。
『なんてことだ!人間じゃねえ!』『人殺し!』『ヤキソバにしろ!』
 野次馬の声に先程まではない尖ったものが濃くなった。見れば前方の野次馬に後ろの奴が釘抜きだの、金槌だのを手渡しているのが見えた。
「おまえ仕事は?何をしている?何をして暮らしている?」
「否、別におれはあっちへ行ったり、こっちへ行ったりしてるだけだ……」
「あっち……こっち?おまえは配送業者か?」
「そういうんじゃない。仕事はしてないんだ」
「なるほどな……」警官は頷きながら、手錠を取り出した。
「なんだよ」
「逮捕する」
「何故?」
「刑法軽犯罪法第一条第四項違反。働く能力がありながら職業に就く意思を有せず、諸方をうろついた者は……逮捕だ」
『役立たず!死刑にしろ!』野次馬が元気を取り戻す。
「俺が捕まえなくても、奴らが放ってはおかんだろう。現行犯逮捕となれば警官でなくとも私人逮捕ってやつができる。曰く、刑事訴訟法第二百十三条、現行犯人は、何人でも、逮捕状なくしてこれを逮捕することができる、とある。つまり俺がおまえを捕まえなくとも、あそこにずらりと並んでいる奴らが、おまえを糸屑にできるって寸法だ。ひとりひとりがたっぷり時間を掛けておまえを可愛がってやることができる」
「そんな莫迦な」
「厭か?」
「当たり前だ」
 警官は野次馬を振り返った。
「あんたら、此の男は現時点で犯罪者なんだが黙って見逃してやるつもりか?」
 忽(たちま)ち、蜂の巣を突(つつ)いたような騒ぎになった。細かな言葉は分からないが、ほぼ全員が『殺せ!』と叫んでいるのは確かだった。
「おまわりさん、あいつらおれを殺すって叫んでるように聞こえるんだが」
「ああ。そのようだな」
「立派な脅迫じゃないか」
「もしも助かりたかったら職につくしかない。奴らが納得する職に一時(いっとき)でも就(つ)けたら、あんたはその瞬間から自由なんだが」
「汚(きたね)えぜ。突然、そんなことできるわけが……」
「なら、万事休すだな」
 警官は余裕たっぷりに煙草を取り出すと火を点(つ)け、おれに向かって煙を吹きかけた。
「あばよ、怪物(アディオス・モンストルオ)」
 その声を待ってましたとばかりに野次馬の壁が崩れかけた――と。
 突然、鼓膜に釘をブチ込まれたような凄まじい轟音(ごうおん)が鳴り響き、その衝撃に全員が耳を塞(ふさ)ぎ、おれは尻餅をついた。
『落ち着きなさい』
 野次馬の群れを割って現れたのは、手に熊除(よ)けの警戒サイレンを持ったボディガードと、其奴らを引き連れたテンガロンハットの男だった。背はおれより低いが目付きが鋭い。麻のスーツに白髪(はくはつ)、白い口髭(くちひげ)が顎まで伸びている。
「仕事はある」其奴は云った。
「……世羅野(せらの)さん」小腰を屈めていた警官が躯を起こし、呟いた。
 おれは黙っていた。災厄に猶予が与えられたからと云って、天使がやってくるとは限らないからだ。
「なるほど……醜いな。充分に醜い」
 男が目と鼻の先に顔を近づけてきた。
「儂が父親なら娘には絶対に見せん。死んだことにし医者に処置を任せる」
 セラノという此の男からは嗅いだことのない良いコロンの匂いがした。ケーキなら極上ってやつだ。
「ふん。おれが魚や果物なら味は格別だ。不細工なほど旨いって云うだろ」
 ボディガードのひとりがブーツを上げ、おれを蹴ろうとしたがセラノが手で制した。
「確かにな。だが、おまえを喰うわけにはいかん」セラノはポケットから銀色に光る外国の硬貨(コイン)を取り出すと、其れを自分の舌で舐め、おれの額に押しつけた。硬貨は貼り付いた。
「儂の仕事を受けるか?其れとも刻まれて荒野に撒(ま)かれるか?」
 野次馬の隙間から見えるセラノの黒い車には飛ぶ女(フライング・レディ)のエンブレムがあった。
「其奴は選択肢とは云えないぜ……が、やるよ」
 セラノは微笑(ほほえ)み、立ち上がった。
「此奴は儂の仕事をする。みな、帰れ」
 警官が頷いた。野次馬も潮が退(ひ)くように何処かに消えていった。さっきまでの騒動が嘘のように辺りはまた閑散とした。
 おれは立ち上がり、手で埃を叩(はた)いた。
「自転車は後で運ばせよう。乗り心地はロールス(こっち)のほうがマシなはずだ。其の為の七千万だしな」
「肛門(かま)を掘られたり、魔羅(まら)を犬の餌にされたりするのは御免だぜ」
 おれの言葉にセラノは苦笑した。
「そんな誰にでもできるような仕事なら、わざわざおまえさんに頼む必要はない。儂が頼みたいのはあんたにしかできんことだ。正にあんたにしかな」
 ボディガードがおれの為にドアを開けた。
「幽幻(ファントム)に乗るのは初めてだ」
 香腸(サラミ)のような葉巻を咥(くわ)えたセラノは葉巻切り(シガー・カッター)で先端を裁(た)ち落とした。
「精々(せいぜい)、最初で最期にならんよう頑張ることだ」

(つづく)

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平山夢明(ひらやま・ゆめあき)
小説家。映画監督。1961年神奈川県出身。94年『異常快楽殺人』刊行。2006年に短編「独白するユニバーサル横メルカトル」で日本推理作家協会賞短編賞受賞。翌年同短編集「このミステリーがすごい!」第1位。2010年『DINER』で第28回日本冒険小説協会大賞、11年に第13回大藪春彦賞受賞。

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