書いて書いて書きまくる 中野翠
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書いて書いて書きまくる 中野翠

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橋本治さんの遺作にして超大作『人工島戦記 あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科』の刊行と、耽美小説の傑作『マルメロ草紙 -éditionエディシオン couranteクーラント-』の刊行にあたって、橋本さんと親交の深かった中野翠さんに氏の思い出を綴っていただきました。

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 橋本治さんと初めて会ったのは、一九七七年か七八年のことだったと思う。デビュー作『桃尻娘』を読んで、ヒロインの内心の呟きに、おおいに共感。ある少女雑誌のライターとしてインタビュー取材させてもらったのだった。
 当時、橋本さんは練馬の古い一軒家に住んでいた。ひとことふたこと言葉を交わした時点で、(ずうずうしいようですが)学生時代の男友だちと、部室か、なじみの喫茶店で話している気分に。ちょっとしたインタビューのつもりが、ついつい長居してしまった。部屋の床には百ピースだったかジグソーパズル制作中の形跡があり、「こんなに話が合うのに、この人、ジグソーなんて面倒くさいことが好きなんだ……そこは私とは大違い」と苦笑。
 80年代に入って、橋本さんは「猛然と」というイキオイで、次々と新作を手がけていた。橋本さんの名は多くの人たちに知られるようになった(紅白歌合戦の審査員にまで選ばれたりして)。同世代として誇らしく、頼もしく思った。体のことだけが心配だった。
 長い昭和が終わり、平成に入った頃、主婦の友社の編集者・松川邦生さんが橋本さんと私の対談集を企画してくれた。
 久しぶりに橋本さんとジックリとシャベリ合えるのが嬉しかった。何度かの対談を経て、それは『ふたりの平成』というタイトルで出版された(現在は、ちくま文庫)。一冊の本になって、読み直して、私は赤面。考えなしの思いつきだけで、パアパアしゃべっている私。それをゆったりと構えて受けとめ、話に焦点をもたらしたり深度を与えたりしてくれた橋本さん。まったくもって横綱相撲のようだった……。今さらながら恥ずかしい。
 橋本さんと最後に会ったのは、亡くなる二、 三年前だったろうか。当時、橋本さんは新宿近くのマンションに越していた。編集者と共に、そのマンションを訪ねると、多くの仕事をかかえているようだった。体の不調も自覚している様子……。橋本さんは「書いて書いて書きまくるだけだよ」と言っていた。笑いながら──。

なかの・みどり●コラムニスト

初出:集英社「青春と読書」2022年1月号

橋本治『人工島戦記』&『マルメロ草紙』発売中

【書いて書いて書きまくる 中野翠】

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