平山夢明「Yellow Trash」第8回 あんたは醜いけれどあたしには綺麗(8)
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平山夢明「Yellow Trash」第8回 あんたは醜いけれどあたしには綺麗(8)

平山夢明『Yellow Trash』シリーズ、完全リニューアルして再始動‼
毎週金曜日掲載!
illustration Rockin'Jelly Bean

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「ゲゲは父が拾った乞食の母子だった。顔と頭の可怪しな亭主にぶちのめされ、蹂躙された挙げ句に放り出され、彼方此方、放浪していたのを気の毒がって父が養いを始めたのだ。オレが十歳の時に現れ、それから八年近く居た。顔がズタボロで乞食袋の、とても良い親子だった。ふたりは庭の外れにあった豚小屋を改造した中に住み、オレの世話に明け暮れた。ゲゲの母は料理が巧くオレは毎回、飯時が楽しみで仕方がなかった。父はオレとゲゲ親子が一緒に飯を喰うのを決して許さなかったが、忙しくて家を空けた時など、オレは豚小屋に忍び込み、ゲゲ母の料理を食い、時には一緒に寝たりもした。ゲゲジョもゲゲ母も顔の醜さを随分と気にしていたが、オレには大好物だった。つまり奴らの何もかもが、どストライクだったというわけだ」
 カキタレは快調に『カキタレ回顧録』とでも云うべき昔語りを楽しんでいたが、どうにもこうにも奴は運転も勿論ながら地図が全く読めない女だった。否、正確には地図はおれが読むのだが、指示通りに車を転がせないのだ。
「おい!また行き過ぎちまったぜ!この調子じゃ、今世紀中には辿り着けねえかもしれねえぞ」
「何を慌てている。未だ八十年近く残っているじゃないか」
「然う云う話じゃねえよ」
 其内、どうにかこうにかカキタレと車の両方を脅したり賺(すか)したり、吠えたり褒めたりしているうちに地図のゴール地点の周囲をぐるぐるやるようになってきた。そして二度ほど同じ道を通ってるなと感じたので目を皿にしていると遂に地図にある〈家〉らしいものを見つけた。地図には〈板に囲まれた家〉とあったが灯りもなく、ベニヤで掛け回した〈野便所〉のようだったので裏手の小山の風景に紛れ、見落としていたのだ。
 おれ達の車が往復しているのに気づいたのか道端に白い服を着た女が現れた。髪は後ろに縛っていたが、なるほどカキタレとは似ても似つかず、完全におれサイドの女だった。
 SUVを降りたカキタレに女が駆け寄ってきた。女はカキタレの前に来ると膝を軽く曲げた。昔見た洋画で貴族の女がソレをやるのを思い出した。
「ひさしぶりだな」
 カキタレの声に女は深く頷いた。
「本当に……お久しぶりです。お嬢様、サファィア様」
「え?そんな名なのか?おまえ」
「今はカキタレだ」
「あ、失礼致しました」又、女は膝を曲げ、おれに視線を向けた。「此は下男ですか」
「此奴はオレの男だ。結婚するだろう、いずれ」
「け、けっこん……はあ……まあ……そうですか。未だ病がお治りになっていらっしゃらないと。否(いえ)、以前よりもお悪くなられているような気が致しますわ」
「あんたの意見に反対はしないが、余計なお世話だと、だけは云わせてくれ」
 それを聞くと女の顔から些か緊張が解れるのがわかった。
「あら、今晩わ。お口が利けるのね」
「あんたも相当病を抱え込んでいそうだな。口は利けるし、耳も達者だ。不治の病に罹(かか)ってるのは懐だけでね。が、取り敢えずカキタレ(こいつ)の話は、話半分以下に聞いておいてくれ。おれは此奴の親爺さんからとっとと去(ふ)けるよう命じられてるんだ」
「あらまあ。私は〈お〉に〈わん〉で、おわんです。相変わらず、カキタレ様は御趣味の宜しい事で」
「話は後回しだ。先に確認してしまおう」
「そうでした……此方で御座います」
 おわんは頷くとおれ達を林の中に連れて行った。道から少し登った所に小さな空き地があり、片隅に腰ほどの高さの祠(ほこら)があった。その周囲には沢山の花が咲き乱れていた。
 おわんは祠の前に跪(ひざまず)くと祈りを捧げていた。雲間が途切れ、月光が森の一角を舞台のように明るく照らしていた。
 祠には銘は無く、板囲いの中に子供をふたり抱いた母の石像が置かれている。
 やがておわんは振り返った。
「此の下に……」
 カキタレは黙っていた。
「まさか掘り返すなんて云わねえだろうな」
 カキタレはおわんを見詰めた。
「確かだな?」
「はい」
「いつだ」
「其れはお参りがお済みになってから御説明致します」
 カキタレが眉を顰(ひそ)めた。が、『わかった』と呟くと祠の前に跪き、短く祈りを捧げた。
 その後、おれ達はおわんの小屋に案内された。小屋は外見通り、肥壺(こえつぼ)こそないが剥き出しの土に板を巡らしただけの掘っ立てだった。隅に焚き口が煤で真っ黒になった土竈(かま)が在り、壁に取り付けた棚の上には陶器の入れ物が並んでいる。が、今は其れらを含め、小屋が使われていないのが積もった埃と雰囲気で判った。
「あんた、此処に住んでたのかい」
「はい……以前は」
 おれとカキタレは勝手に其処らに転がっているものを椅子代わりにした。おわんは立った儘だ。
「なぜ、父は母の墓を偽ったのだ」
 おわんは黙っていた。
「物心ついた時には既に母は死んでいた。父は母は脳の流行病で死んだと云った。が、母の墓には人形が入れてあった。何故、こんな侘しい場所に埋められているのだ。何故、父はそんな事をしたのだ」
 おわんは片隅に置かれた鞄のなかからアルバムを取り出し、カキタレに手渡した。其処にはセラノの邸で小さな赤ん坊を抱いた若い母の写真が並んでいた。笑窪(えくぼ)の美しいカキタレに良く似た女だったが、どこか哀しげでもあった。
「おかあさま……」カキタレが溜息と一緒に呟いた。「オレは母の写真は一枚しか見た事が無い。父が思い出すのが辛いと云って一枚を除き、全て焼いてしまったのだ。今、オレの部屋に飾ってある写真の母と同じだ。否、この写真の方が若々しく見える。そして其処に写っている母はひとりだ」
「其の写真はカキタレ様が産まれて直ぐの頃だそうです」
 カキタレがおわんを見、おわんが頷いた。カキタレの指が若い母に抱かれた幼子に触れた。「此がオレか……」
「はい」
 カキタレはアルバムを最後の頁(ぺーじ)まで繰ると再び始めに戻り、二度目はたっぷり時間を掛けた。
「どうぞ」
 おわんが魔法瓶に用意した珈琲をカップに注いでいた。
 おれは受け取り、カキタレが動くのを待った。
「おわん……」
 アルバムに目を落とした儘、カキタレが云った。
「はい」
「母は何故、父の怒りを買ったのだ。どうしてこんな場所に埋葬されている。母は一体、何をしたのだ」
 おわんがカキタレにカップを渡し、自身は少し離れた場所に立った。
「それは……奥様は旦那様以外の男性と恋に落ちたのです。同じ年頃の若い学校の英語教師だったそうです。ふたりは真剣に愛し合い、そして子供を身籠もった奥様は御主人様に離婚を願い出ましたが許されず。ふたりは引き裂かれ、酷い罰を受けたのです」
「母は自殺したのだな。それとも父が殺したのか」
 おわんは首を振った。
「そうではありません。奥様が亡くなられたのは御病気が原因です。それは事実です」
 するともう一度、アルバムに目を落としたカキタレの躯が電流に触れたようにブルッと震えた。顔を上げ、おわんを見詰めるカキタレの顔には怒りとも期待とも云えない緊張が浮かび、却って美貌が際立った。初めておれは奴の美しさに前腕が毛羽立った。
「此の写真のペンダント……見覚えがあるぞ……確か下女、おまえの母のもの……?!!」
 おわんは凍ったように立ち竦んでいた。
 カキタレはおわんに近づいた。
「いつだ……オレ(・・)の母(・・)が亡くなったのはいつだ」
 おわんがカキタレの視線に耐えきれず目を逸らした。
「云え!」
「三年前です」
「さ……?あのペンダントは何処だ!」
 おわんがポケットから贅沢な銀細工を施したカメオのペンダントを取り出した。
 受け取ったカキタレが其れを確認し、歯軋(はぎし)りしながら呻いた。
「此はおまえの母の下女の胸に在ったものだ」
「……はい」
「母だったのか……」
 おわんが口を真一文字に結んだ儘、はっきり頷いた。
「なんてことだ」
「下女として仕えていたのは、あなたの御母様です。そして私はあなたの異父の妹になります」
 口をぽかんと開けたカキタレの手からアルバムが落ちた。
「母はわたしの父との仲を引き裂かれた後、わたしを産んだのです」
「だが……顔は……顔はどうして……」
 おわんが唇を噛んだ。
「それが条件だったのです」
「条件……」
「二度と不倫が出来ぬよう顔を破壊する事、絶対に母だとあなたに気取られない事。もし発覚すれば二度と逢わせないと脅されていたのです。セラノは幼いわたしが既に醜い事が許せなかった。カキタレ様の美しさに比べ、醜いわたしが、しかも不義密通の末に産まれた醜さだということに虫唾が走ったそうです。母は殺すと嘯(うそぶ)くセラノに対し、わたしを生かし、あなた様を自らの手でお育てしたいとの一心で顔の魔改造を受けたのです」
「魔改造……」
「やっぱり、とんでもねえジジイだな」
「改造には数年の時間が必要でした。そして完了後、わたしたちは乞食の成れの果てとして、あなた様の御世話係と成ったので御座います」
 おわんは黄ばんだ封筒をカキタレに差し出した。
「母の手紙です」
 それを受け取ったカキタレは自分の箱(・)に戻ると封を切って読み始めた。途中、何度も髪を掻き上げ、目元を拭っていた。が、やがて不意に立ち上がると小屋の外に出た。
 アルバムを小脇に抱えた奴が母親の墓に額(ぬか)づき、啜り泣いていた。
 おれは戸口に立った儘、黙っておわんの珈琲を呑んだ。
 其れからカキタレが戻ってきた。其の顔には毛ほども泣いた痕が見られなかった。
 奴は妹(・)の手を取り、それから静かに抱き寄せた。
 おわんの口から『ねえさん』と云う呟きが漏れた。
「お前は此の先、如何するんだ」身を離したカキタレが訊いた。
「夫のもとに帰ります」
「結婚しているのか」
「はい。娘も」
 カキタレの顔に笑みが浮かんだ。「ほお。おまえも母に成ったのだな」
「御陰様で。母には報告が間に合いました」
「それは何よりだった……」
「夫は此の山の裏側で有志と共に牧場をしているのです。人が自分らしく自由に生きられる場所を目指して」
「そうか。良い旦那らしいな」
 ドンッドンッ!と板塀が殴られ、大きな音がした。振り返るとあのお巡りがのっそりと姿を現した。テンガロンハットに汗染みた縞のシャツ、ブーツを履いている。
「お楽しみの邪魔をしたようだな。どうも……お嬢さん」
 奴は帽子の庇(ひさし)を革手袋の指で軽く触れた。
 カキタレは動かなかった。
「能(よ)く判ったな。てっきり撒(ま)いたつもりになってたぜ」
「餅は餅屋って事だ。喰うか?」
 奴は駄菓子の紙袋から豆を摘まんで口に入れた。
「要らん。何の用だ」
「何の用とは御挨拶だな。カルドが聞いたら激怒するぞ。何しろ奴はおまえが消えるのを条件におふくろのバイクを譲ったんだからな」
「おれは其の気だったが、とっ捕まっちまったんだ。あんたの事だ、知ってんだろ」
「確かにあのバイクだった物の尻にはカマ掘り掘りカマな痕が残ってた。普通の車じゃ、ああはならない。バンパーの位置が高すぎる。カンガルーバンパーかもな。バイクから判るのはその程度のことだけだ」
「あんた、鳥目か?外にあるSUVが目に入らないのか」
「あんなもの入れたら目が車庫(ガレージ)になる。お前は入るのか、たまげたな。顔は其のせいなのか?」
「ヒユだよ比喩。顔は関係ねえ」
「兎に角、おまえが約束を屁とも思わない奴だという事は承知していた。だから俺様も様なりに網を張っていたのさ」
「正に番犬の鑑(かがみ)だな。貰い泣きしそうだ」
「一寸、外で話そう」
 奴は顎をしゃくった。
 おれが出ると奴は少し離れたパトカーに凭(もた)れていた。
「ほらよ」
 奴は近づいたおれに小袋を投げて寄越した。中には小銭交じりの札が納まっていた。
「セラノからだ」
「募金箱の中身を慌てて詰めたみたいな金種だ」
「あながち間違えちゃいない。そいつはセラノがやってるコンビニのだ。レジ脇にあるプラケース型貯金箱の中身さ」
「受け取るには気が引ける」
「気にするな。端銭(はせん)で財布が膨らむのが厭だって云う罰当たりな客の銭だ。其れに箱には虫眼鏡でもないと読めねえ小さな字で〈個人利用の場合もあります〉って但し書きが付いてる」
「CMや契約書の隅っこにある一番大事なやつだな」
「然う云う事だ」
 おれは袋を投げ返した。
 奴は受け取り、暫く袋に目を落としてから云った。
「セラノを甘く見るな。奴が本気を出しゃ、おまえは指パッチンする間に消しカスだ」
「確かにな。だが、おれの乏しい経験から言わせて貰うと、あんただってそうそう安泰って訳じゃない。ああいう男は尻にでもキスしない限り、自分の秘密を知った人間は煙たがるものだ。おれが先なのは間違いないが、あんただっていつか煮え湯を呑む」
 セラノはパトカーの窓から小袋を投げ入れた。
「確かにな。だが俺はおまえと違って慎重なんでね。そっちの方の手は打ってある。其れも急所中の急所をな」
「ふうむ。奴の金玉はあんたの手の中ってわけかい」
 お巡りはふんっと鼻を鳴らすと唾を吐いた。
「予定の銭が集まったら、俺はこんな糞みたいな街をおん出て店をやるんだ。それも店で女がゆったり飯を喰ったり、珈琲を呑みながら品定めができるような靴屋をな。そんな事よりも、おまえがあの下女と連れるつもりなら肛門(アナル)にハズレ馬券って事になる」
「どういうことだ」
「思わず唖然とした後でがっくり来るという事さ。気の毒に」
「云ってる意味がわからん。日本語なのか?」
 其の時、〈おい〉と声が掛かり、カキタレが姿を現した。
「まだか」
「否、こっちはもう終わりましたよ」お巡りは然う云ってパトカーに乗り込むとサイレンをひと鳴らしさせて去った。
「話がある」カキタレは中に戻った。

(つづく)

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平山夢明(ひらやま・ゆめあき)
小説家。映画監督。1961年神奈川県出身。94年『異常快楽殺人』刊行。2006年に短編「独白するユニバーサル横メルカトル」で日本推理作家協会賞短編賞受賞。翌年同短編集「このミステリーがすごい!」第1位。2010年『DINER』で第28回日本冒険小説協会大賞、11年に第13回大藪春彦賞受賞。

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HB[エイチ・ビー]は、集英社グループの出版社・ホーム社の文芸サイトです。2017年11月にウェブサイトを立ち上げ、2020年にnoteへ引っ越しました。小説やエッセイを中心に、毎日をより楽しく過ごすための、さまざまなコンテンツをお届けします。