第十七話 処暑 早川光「目で味わう二十四節気〜歴史的名器と至高の料理 奇跡の出会い〜」
器・料理に精通した早川光が蒐集した樂吉左衛門、尾形乾山、北大路魯山人などの歴史的名器に、茶懐石の最高峰「懐石辻留」が旬の料理を盛り込む。
「料理を盛ってこそ完成する食の器」
二十四節気を色鮮やかに映し出した“至高の一皿”が織りなす唯一無二の世界を、写真とともに早川光の文章で読み解くフォトエッセイ!
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Photo:岡田敬造、高野長英
第十七話「処暑」
2024年8月22日〜2024年9月6日
「処暑」とは「暑さが落ち着く」頃のこと。「処」という文字には「とどまる」という意味があり、この時期から次第に暑さがおさまり、季節が移り変わるとされています。
厳しい残暑も少し和らぎ、夕方になると、昼間の熱気を含んだ空気とは違う、秋の兆しを思わせる涼しい風が吹く日が、だんだんと増えていきます。
この頃になると、水辺や田んぼの上を軽やかに飛ぶ、トンボの姿をよく見かけるようになります。トンボは稲の害虫を捕食することで、古くから益虫として親しまれ、「赤とんぼ」や「とんぼのめがね」といった童謡にも歌われてきました。
そんな「処暑」の器は、永樂妙全(永樂善五郎家十四代・得全の妻 1852~1927)の『安南染付写 蜻蛉文皿』。
安南染付とは、中国とベトナムの国境付近の、かつて「安南」と呼ばれた地域で焼かれた染付の器のこと。室町時代末期から江戸時代初期にかけて日本に数多く輸入され、その素朴な風合いが茶人たちに好まれました。
中でも、トンボを意匠化した「蜻蛉文」は人気が高く、皿や鉢だけではなく、茶碗や水指、香炉、香合といった茶道具にも使われています。
この器は永樂妙全による写しで、オリジナルの安南染付に似せるため、墨色に発色する呉須(染付の顔料)を使い、柔らかな筆遣いでトンボを描いています。
器に盛る『懐石辻留』の「処暑」の料理は『鮑の鍬焼き 万願寺とうがらし』。
「鍬焼き」とは、和食で、食材にたれをつけ、鉄板(またはフライパン)で焼いた料理のこと。かつて農民が農具の鍬の上で野鳥の肉を焼いていたのが、その語源とされています。
そして「万願寺とうがらし」は、京都府舞鶴市万願寺地区を発祥とする京野菜。唐辛子の仲間ですが、肉厚で柔らかく甘味があることから、煮物や炒め物に用いられます。
『懐石辻留』では、切り身にしたアワビをフライパンで焼き、そこに「肝醬油」(裏ごししたアワビの肝を日本酒、濃口醬油、少しの塩で調味したもの)をからめながら炒め、最後に粉山椒を振って仕上げます。
濃厚な肝醬油を加えることで、アワビの風味がさらに引き立ち、嚙むほどに旨みが舌に広がり、潮の香りが鼻へ抜ける極上の一品。酒肴としても、冷えた日本酒によく合います。
もうひとつの器は、鍋島焼の『色絵 藤豆文 葉形皿』。
鍋島焼とは、17世紀から19世紀にかけて、肥前国(現在の佐賀県および長崎県)佐賀藩直営の窯で、将軍家や諸大名への献上品として作られた高級磁器のこと。「鍋島」の名は、藩主であった「鍋島家」に由来しています。
献上を目的としていたため、採算を度外視して、厳選した材料と当時先端の技術が惜しみなく投入されており、今なお「国産磁器の最高峰」と称される、完成度の高い器です。
この葉形皿は、おそらく18世紀後半に作られたもの。色絵で藤豆の花と葉、そして鎌形の莢が描かれていますが、その洗練されたデザインと鮮やかな発色には、目を瞠るものがあります。
藤豆はマメ亜科フジマメ属のつる性の植物で、初秋に可憐な花を咲かせることから、俳句では秋の季語になっています。
器に盛る『懐石辻留』の料理は『和物 ずいき 枝豆 胡麻和え』。
「ずいき」とは、八つ頭や唐芋(エビ芋)など、さまざまな里芋の葉柄(植物の葉と茎をつなぐ柄の部分)のこと。シャキシャキとした食感の良さが特徴です。
『懐石辻留』では、茹でてから水にさらしたずいきを、だしと薄口醬油で柔らかく炊き上げ、和え衣(炒った胡麻とねり胡麻をだしと薄口醬油でといたもの)と、茹でて薄皮をむいた枝豆を合わせて、胡麻和えにします。
器の碧色を背景にして、小高く盛られた丁子色のずいきがくっきりと浮かび上がります。そして、見え隠れする薄青色の枝豆が、実りの秋が近くに来ていることを感じさせます。
プロフィール
早川 光(はやかわ・ひかり)
著述家、マンガ原作者。『早川光の最高に旨い寿司』(BS12)の番組ナビゲーターを担当。『鮨水谷の悦楽』『新時代の江戸前鮨がわかる本』など寿司に関する著書多数。現在は『月刊オフィスユー』(集英社クリエイティブ)で『1,000円のしあわせ』を連載中。
ブログ:「早川光の旨い鮨」
懐石辻留料理長・藤本竜美
初代・辻留次郎が裏千家の家元から手ほどきを受け、1902年に京都で創業した『懐石辻留』。その後、現在に至るまでその名を輝かせ続け、懐石料理の“名門”と呼ぶに相応しい風格を纏う。北大路魯山人のもとで修業した3代目店主・辻義一氏から赤坂の暖簾を託されたのが、料理長の藤本竜美氏。「食は上薬」を肝に銘じて、名門の味をさらなる高みへと導いていく。
HP:http://www.tsujitome.com
注釈/永樂善五郎
室町時代から土風炉(土器の風炉)を制作してきた善五郎家が、向付や皿などの食器を焼くようになったのは、十代了全(1770〜1841)以降のこと。
その了全と十一代保全(1795〜1855)の陶技を高く評価した紀州藩主の徳川治寳(1771〜1853)から「永樂」の銀印を拝領したことを機に、善五郎家は「永樂」を陶号として使うようになった。
十一代保全は歴代の中でも名人として知られ、交趾焼、古染付、祥瑞、金襴手といった中国陶磁の写しを得意とした。
中でも緑、黄、紫など色鮮やかな釉薬を使った交趾写しと、質の高い呉須(顔料)を用いた古染付写しの美しさは、本歌(オリジナルの器)に勝るとも劣らない。
保全の高い技術と美的センスは十二代和全(1822〜1896)以降も脈々と受け継がれ、今も京焼を代表する窯元として、端正にして華やかな器を作り続けている。
【エッセイ・目で味わう二十四節気】
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