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第十八話 白露 早川光「目で味わう二十四節気〜歴史的名器と至高の料理 奇跡の出会い〜」

器・料理に精通した早川光が蒐集した樂吉左衛門、尾形乾山、北大路魯山人などの歴史的名器に、茶懐石の最高峰「懐石辻留」が旬の料理を盛り込む。
「料理を盛ってこそ完成する食の器」
二十四節気を色鮮やかに映し出した“至高の一皿”が織りなす唯一無二の世界を、写真とともに早川光の文章で読み解くフォトエッセイ!
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Photo:岡田敬造、高野長英


第十八話「白露」

2024年9月7日〜2024年9月21日

  「はく」とは、つゆ(水滴)が白く輝いて見える時期のこと。秋を迎え、夜間の気温が下がって空気中の水蒸気が冷やされると、露になって草葉に宿ります。それが朝の光で輝くさまを「白露」と呼んだのです。
 
 昼夜の寒暖差が大きいこの頃は、秋の果実が育ち、収穫の時を迎えます。そのひとつがどうです。日本で葡萄の栽培が始まったのは鎌倉時代とされていますが、それ以前から、野山に自生する山葡萄を摘み、食用にしてきました。
 
 そんな「白露」の器は、再興さいこうたにの「あお 葡萄文皿」です。

 再興九谷とは文化年間(1804~1818)から明治時代にかけて、江戸時代前期の古九谷(古い九谷焼)の再興を期して、加賀かが地方(石川県)で焼かれた陶磁器のこと。
 そして「青手」とは、古九谷の色絵磁器の中で最も個性的な、緑色を多く使った器のことを言います。絵の輪郭を黒で線描きし、そこを緑や黄などの絵の具で塗り埋めるというのが特徴で、赤色を使わないという共通点があります。
 この器はその「青手」を再現したもの。赤色を使わず、紫、緑、こんじょうの三色で葡萄の葉とつる、実を描き、余白の部分を濃い黄色で塗り埋めています。全体に古九谷より明るい発色で、モダンな印象を与えます。
 
 器に盛る『懐石辻留』の「白露」の料理は『田楽でんがく いちじく 胡麻味噌』。

 完熟手前のいちじくの実を炭火で焼き、甘めに調味した「胡麻味噌」を添えた料理で、元々は愛知県の郷土料理だったものを、食通として知られる北大きたおおさんじんがアレンジし、懐石料理に取り入れたと伝えられています。
 
 『懐石辻留』では、香ばしく炒った黒胡麻を擂り、京都の白味噌と桜味噌(甘口の赤味噌)、蜂蜜を加えて火にかけ、こんがりと焼いたいちじくに、熱々のままかけて供します。
 
 焼いて甘みを増したいちじくと、コクのある胡麻味噌は相性ぴったり。いちじくのほのかな酸味が味に奥行きを与え、黒胡麻の香りが食欲をそそる、秋にふさわしい一品です。
 
 もうひとつの器は、高取たかとり焼の『糸瓜へちまもんつきばち』。

 高取は筑前ちくぜんのくに(現在の福岡県)で桃山時代に始まり、400年以上の歴史を持つとされる陶器の窯です。江戸時代には福岡藩のようがま(藩が援助する窯)として繁栄し、二代藩主の黒田忠之ただゆき(1602〜1654)が、茶人の小堀えんしゅう(1579〜1647)の勧めで、数多くの茶道具を焼かせたため、茶陶(茶の湯のための陶器)の産地として、その名を高めました。
 
 この器も、その茶陶のひとつ。「手付鉢」とは持ち手のついた鉢のことで、茶の湯では懐石の「焼物やきものばち」や、菓子を盛る「菓子かし」として用いられます。その持ち手の部分に、9月頃に実をつける糸瓜の装飾が施されているので、おそらく、秋の茶事のために作られたものでしょう。
 
 高取焼特有の細かく精製した生地と、ガラス質に変化する釉薬によって、陶器でありながら磁器のように薄くて軽く、優美な景色と光沢を持つ、格調高い器です。
 
 器に盛る料理は『口取くちとり いわしさかえ 貝柱いが揚げ きぬかつぎ 鮭の燻製くんせい蓮根はさみ さつま芋甘煮枝豆まぶし』。

 口取とは「口取りさかな」の略で、日本酒に合う小さな料理をひとつの器に盛り合わせた和食のオードブル。
 三枚におろした鰯を日本酒、濃口醬油、みりんに生姜の薄切りと梅干しを入れた鍋で煮て、けしの実を振った「鰯栄煮」。栗のいがに見立てた素麺をばしらにまぶして揚げた「貝柱いが揚げ」。小芋(小さい里芋)を皮つきのまま蒸した「衣かつぎ」。いずれも食材の持ち味を丁寧な仕事で引き出した、絶品の酒肴です。
 
 器の漆黒しっこくを背景に、蓮根の穴からのぞく鮭のだいだい色、いが揚げの山吹色、さつま芋のはだ色、けしの実のこう色が、美しく際立ちます。あたかも、秋に色づく野山をかんするかのような、趣のある盛りつけです。

 プロフィール

早川 光(はやかわ・ひかり)
著述家、マンガ原作者。『早川光の最高に旨い寿司』(BS12)の番組ナビゲーターを担当。『鮨水谷の悦楽』『新時代の江戸前鮨がわかる本』など寿司に関する著書多数。現在は『月刊オフィスユー』(集英社クリエイティブ)で『1,000円のしあわせ』を連載中。
 
ブログ:「早川光の旨い鮨」

懐石辻留料理長・藤本竜美
初代・辻留次郎が裏千家の家元から手ほどきを受け、1902年に京都で創業した『懐石辻留』。その後、現在に至るまでその名を輝かせ続け、懐石料理の“名門”と呼ぶに相応しい風格を纏う。北大路魯山人のもとで修業した3代目店主・辻義一氏から赤坂の暖簾を託されたのが、料理長の藤本竜美氏。「食は上薬」を肝に銘じて、名門の味をさらなる高みへと導いていく。
 
HP:http://www.tsujitome.com


注釈/北大路魯山人

 書家、篆刻てんこく家であり、本来は陶芸家でなかった北大路魯山人(1883〜1959)が作陶を始めたのは、主宰する会員制料亭『星岡茶寮ほしがおかさりょう』で使う食器を自作するためである。
「器は料理の着物」と考えた魯山人は、中国明時代の天啓赤絵や古染付、桃山時代の織部や志野、江戸前期の古九谷などの古陶磁をその作陶の手本とした。
 そのため初期の作品には古染付や織部に倣ったものが多いが、やがてそこに芸術家としての創意を加えることで「色絵金彩椿文鉢」や「糸巻平向」、「銀彩葉皿」といった、用の美に溢れるオリジナルの名品を生み出した。
 魯山人の皿や鉢、そして向付は、すべて料理を盛った姿をイメージして作られている。ゆえに料理人にとっては、盛りつけのセンスや力量が問われる、難易度の高い器だと言えるだろう。

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