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ウミガメって、食べたことある? カリブ海のフィールドから|湯澤規子「食べる歴史地理学」第5話

食べながら歩く歴史地理学者・湯澤先生の連載、前回の大航海時代に続いて舞台は大海原。ただし今回のフィールドは、現代のカリブ海、ニカラグア共和国です。「ウミガメって、食べたことある?」と先輩地理学者から話しかけられた湯澤先生、今回も壮大な地理と歴史の旅に出発します。

「ウミガメって、食べたことある? 甲羅が結構おいしいのよ」

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 文字に残らない世界は、時間がたつと見えなくなってしまうことが多い。

 本郷で学会の仕事を終えた打ち上げに、近くの中華料理屋に入った。あれこれと食べて飲んだ後、デザートを注文しようということになりメニューを見ると、「亀ゼリー」という珍しい一品がある。酔いが回っていた勢いもあり、迷わず注文し、食べてみた。
 見た感じは黒蜜で作ったゼリーといったところか。少し生薬(しょうやく)のような不思議な味がした。「まさか、本物の亀ではないだろう、おもしろいネーミングだなぁ」と思いながら、もぐもぐとそれを味わっていると、となりに座っていた、同じく地理学者の先輩から話しかけられた。

「ねえ、ウミガメって、食べたことある?」
 一瞬酔いがさめて、聞き返す。「ウミガメって、あのウミガメですか?」「そう。ウミガメ。あのね、甲羅が結構おいしいのよ」
「!!!」完全に酔いがさめて、姿勢を正し、彼女の話に聞き入った。

 こういう話を聞くと、地理学者はやっぱり面白いなぁ、と思う。
 彼女の最近のフィールドは、西カリブ海に面した「ニカラグア共和国」という小さな国の、モスキート平野と呼ばれる沿岸低湿地である。サバティカル(大学の職務を離れた長期休暇)制度を利用して、9ヶ月間、彼女はニカラグアの小さな村に住み込んで調査をしていた。その村には今でも車が1台しかなく、主な移動手段は馬とカヌー、そして徒歩。彼女はそれを駆使してニカラグアの植生、農業と漁業、人びとの暮らしを調査している。文字に残らない彼らの暮らしや食は時間がたつと見えなくなってしまうが、実際に自分が経験することで見えてくることがある。フィールドに住み込んで調査することを、地理学や人類学では「参与観察」という。彼女の参与観察の話はいつもとびきり面白い。

 ニカラグア東海岸には先住民の自治州があり、複数の言語グループが暮らしている。歴史的には米国資本の参入や内戦の影響を受けつつ、この地の人びとは生業(なりわい)を変化させながら暮らしてきた。現在はロブスター漁が重要な現金収入源であるということで、彼女はその漁にも同行したらしい。

「カリブ海って激しい海で、波が驚くほど高い。その波に向かって垂直に登っていくように小さな船を操るんだから、それはもう大変よ。しっかり両手でどこかにつかまっていないとあっという間にカリブ海に振り落とされてしまうから、頭に装着するカメラを買って記録したんだ」

 そんな話を聞くと、なるほどカリブ海って、そんなに荒々しい海なのかと、目の前に未知の世界が広がっていくのを感じる。ダンピアの『最新世界周航記』でイメージしたよりも、さらにリアルなカリブ海の波音がざぶん、どどーんと聞こえてくるようだ。

ニカラグアのフィールドで9ヶ月。地理学者は何を食べていた?

 地理学者はだいたい調査先で、その土地の食べものを食べることを嫌がらず、むしろ喜んで食べることが多い。彼女もそういうフィールドワーカーなので、現地で食べていたものを教えてくれた。

「いつでもどこでも食べものがあるということはないから、だいたいお腹を空かせていて、飢餓状態にならないように気をつけていたな。これがあればまず安心、という食べものがいくつかあって、それはプランテインって呼ばれる調理用バナナ。これを塩で煮て食べる。ユカと呼ばれるキャッサバイモも頼りになる。それから、これがあると嬉しい、という食べものは、肉とチーズ。でも最近はハンターが減少していて狩猟は難しくなっているんだ。乾季にはウミガメの肉を購入することが多い」

 なるほど、ここでウミガメの肉を味わったのだとわかった。ウミガメだけでなく、陸を歩いているカメも、ニカラグアの人びとにとっては貴重なたんぱく源であるのだという。

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プランテインと魚を塩で煮た一皿。先輩が「これがあれば安心!」と言っていたプランテイン。甘いばかりでなく、塩で煮たり、焼いたり、主食として重宝する(池口明子さん提供)


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焼いたウミガメの甲羅とプランテインとユカ。こうして一緒に味わう(池口明子さん提供)

プランテイン、ウミガメ、モスキート・インディアン――ダンピアの時代に共通するもの

 ところでこの話、じつは前回紹介したダンピアの航海記録と大いに関係しているのである。プランテインが頼りになる食べものであることは、350年もの時空を超えて、海賊たちの胃袋と共鳴し合っている。驚きとしか言いようがない。すでに述べたように、ダンピアは船に乗る100名以上の船乗りたちの胃袋を満たす食料の確保にいつも気を配っていた。とりわけ、しばしば記述される狩猟の記述は興味深い。そこに、ニカラグアの先住民とウミガメの話が頻繁に登場するのである。

 ダンピアはいつでも「ストライカー」と呼ばれるモスキート・インディアン(※注1)の食料調達係を乗船させ、特に洋上では彼らの手腕を大いに頼りにしていた。彼らこそ、現在でもニカラグアのモスキート平野に暮らすモスキート・インディアンの祖先と考えられる。それを先輩に確かめてみると、こんなことを教えてくれた。現在のニカラグアには、ウルワとモスキート・インディアン(ミスキートMiskito)が暮らしている。彼らは同じモンゴロイド系だが、お互いに違う言語グループと認識している。ざっくりいうと、モスキートは海の民、ウルワは山の民。もともとモスキートはウミガメ猟が得意で、ウルワはシカやアルマジロの狩猟が得意だったという。
 両者は昔から物々交換をやっていたことも知られている。モスキートはイギリスとうまく交渉して、木材や金、食料を売る代わりに武器を入手して、ウルワを含む周辺グループを支配したという歴史もあるらしい。古い民族誌では、モスキートは体格が大きくマッチョ、ウルワは小さく描かれているというのも興味深かった。
 ダンピアの記録したモスキート・インディアンとウミガメについての記述を見てみよう。

「彼らは背が高く、均斉のとれた体格をしており、贅肉がなく、健康で、体力があり、足も速い。(中略)彼らは槍(やり)、銛(もり)、その他投げ矢の類を、実に巧みに使う。とにかく子供のときから使い慣れているのである。(中略)彼らはまた、並外れた視力を有し、洋上の帆が、まだ我々の視界に入らないうちに、認知するし、どんなものでも、我々よりはっきり見えるのである。彼らは自分の国もとでは、魚、カメ、あるいはマナティー〔海牛〕を突き刺して捕らえるのを主要な仕事としている(中略)。こういう特異な技能の持主だから、彼らはすべての私掠船から重宝がられ、引っぱりだこになっている」(『最新世界周航記』上・34-35頁)

「彼らの機嫌を損ねたりすると、彼らは魚やカメ、その他の獲物の群をみつけても、わざと命中しないように銛を使ったり、当たっても、せいぜい獲物をかする程度に、とめておいたりするからである」(上・39頁)

「モスキート・インディアンは、魚、カメ、あるいはマナティーを捕るための専用の小型カノアを持っているのが常で、他人には、まず、貸さず、実に清潔にきれいに保っている。漕ぐのに櫓(オール)を使わず、櫂(パドル)を使う。(中略)彼らは二人で組んでカノアに乗り込む。一人はともに座し、もう一人は舳(へさき)で膝をつき、獲物のいそうなところまで、二人でカノアを漕いでいく」(77-78頁)

 そして、ダンピアは次のように断言する。

「船にモスキート・インディアンを一、二名乗せておけば、百名分の食糧は保証されたも同然である」(上・35頁)

同じアオウミガメでも地域で味がちがう? 庶民の日常食としてのウミガメ

 さて、ウミガメの話である。
 世界周航をする中で、ダンピアは世界中のウミガメとその味について克明に記録している。それによれば、ウミガメには4種類ある。すなわち、オサガメ、アカウミガメ、タイマイ、アオウミガメであり、特徴も用途も味もそれぞれ異なっている。
 オサガメは一番大型で、背中は高く隆起し、丸みをおびている。肉は臭くてあまり滋養がない。アカウミガメは頭が大きく、別名をロッガーヘッド(頭でっかちという意味)という。肉はオサガメと同様臭みが強く、よほどのことがない限り、食卓にはのぼらない。タイマイは一番小型である。その背には飾り棚、櫛(くし)などを作るのに重宝がられる「鼈甲(べっこう)」が形成される。食用としてはまあまあで、アカウミガメよりも甘味がある。タイマイは西インディーズだけでなく、ギニア海岸や東インディーズにも生息し、産地によっては有毒で、うっかり食べるとひどい吐き気と下痢を催すことになる。アオウミガメは、他のどの種類のウミガメよりも青い色の甲羅を有していることからこの名がついた。甲羅は非常に薄くて澄んでおり、タイマイの甲羅より雲模様がきれいである。甲羅は平たく、頭部は丸くて小さい。アオウミガメはウミガメの中では飛び切り美味である(上・182-187頁)。

 地理学的に興味深いのは、同じアオウミガメでも生息地域によって特徴と味が違うということである。西インディーズのブランコ島のアオウミガメは、カリブ海で最大であり、肉は脂肪分のところは黄色で、脂肪が少ないところは白色をしていて、並外れて美味しい。ポルトベルの西方のボカ・デル・トロのアオウミガメはそれほど大きくない。ホンジュラス湾やカンペチェ湾のアオウミガメはそれよりも一回り小さい。脂身は緑色、赤身はやや黒い。
 そして、ジャマイカではウミガメが常食で、市場にいつ行ってみても、ウミガメはふんだんに出回っているとある。17世紀のアメリカ合衆国のロブスターと同じく、ジャマイカのウミガメは、主に下層の人びとにとっての常食だったという。

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村の肉屋でウミガメの肉を売る風景(池口明子さん提供)

ウミガメから見える先住民のパワーバランスと、内戦、米国資本の関係

 さて、話を現代に戻そう。
 先輩の話では、今日のニカラグアでモスキートのハンターはまだ活躍中だという(高木仁『人とウミガメの民族誌』明石書店、2019年)。一方、ウルワはもともと自らウミガメを捕るよりも、モスキートから買う、物々交換する、といった方法でウミガメを入手していた。市場に出回っているウミガメは、こうした彼らの経済関係を表している。
 米国資本の参入や内戦の影響も、彼らの暮らしに深い影を落としている。米国の参入や内戦は、山の民ウルワの狩猟技術をかなり弱体化させた。その一方、モスキートはもともと海産物の国際流通を展開していたので、米国との関係が強まると漁が活発化し、乱獲になったという説もあるという。ウルワとモスキート、この地に暮らす彼らの力関係も、こうした外部からの影響によってますます変化を余儀なくされてきたのだろう。

 最後に、そうだ、と思い出し、あの日に中華料理屋で食べた「亀ゼリー」についても調べてみた。これは正式には「亀苓膏(きれいこう)」と表記し、中国語では「グイリンガオ」というらしい。材料にカメの腹甲などの生薬が含まれているため、薬膳デザートとして、主に中国南部の香港、広東省、広西チワン族自治区などで食べられている伝統的な食品とある。腹甲だけでなく、背の甲羅を使うこともあり、それを干して粉末にしたものを使っているという。
 つまり、私があの夜食べたのは、じつは本当の「亀」ゼリーだったということになる。だから、先輩に「ウミガメ食べたことある?」と聞かれた時、「亀なら今食べていますよ」、「先輩が食べた美味しいウミガメというのは、きっとアオウミガメですね」と、すまし顔で答えればよかったのだと、ようやく今、思い至ったのである。

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これが亀ゼリー。黒糖のような味で、意外と食べやすい食後の一品だった。

※注1:引用文献中の固有名詞として用いており、差別的意図はない。

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第3火曜日更新予定
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湯澤規子(ゆざわ・のりこ)
食べながら歩く歴史地理学者。1974年大阪府生まれ。筑波大学歴史・人類学研究科満期退学。博士(文学)。法政大学人間環境学部教授。著書に『7袋のポテトチップス―食べるを語る、胃袋の戦後史』(晶文社)、『胃袋の近代―食と人びとの日常史』(名古屋大学出版会)、『在来産業と家族の地域史―ライフヒストリーからみた小規模家族経営と結城紬生産』(古今書院)、『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか ──人糞地理学ことはじめ』(ちくま新書)など。

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