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〈記憶の保管庫〉としての日記 沼野恭子──クルコフ『侵略日記』解説全文公開

10月26日、ウクライナの作家アンドレイ・クルコフさんのノンフィクション『侵略日記』の日本語版(福間恵訳)が発売されました。巻末には、20年前にクルコフ作品を日本に紹介した、ロシア文学者の沼野恭子さんによる解説が収められています。作家自身のことが、本書の位置づけや意義が、非常にわかりやすく説かれた、またとないテキストです。

▼『ペンギンの憂鬱』の著者による戦時下のウクライナの記録。アンドレイ・クルコフ『侵略日記』10月26日(木)発売

沼野さんのご厚意により、その解説全文を公開します。

〈記憶の保管庫アーカイブ〉としての日記 沼野恭子

 本書『侵略日記』は、キーウ在住のウクライナの作家アンドレイ・クルコフが、二〇二一年一二月二九日から翌二〇二二年七月一一日までの半年あまりの出来事を英語で記した日記の全訳である(原書はAndrey Kurkov, Diary of an Invasion, London: Mountain Leopard Press, 2022)。

 ロシアがウクライナに侵攻して戦争を始めたのが二〇二二年二月二四日だから、この日記の前半約二ヵ月分は、きな臭い予兆の雰囲気が漂ってはいるものの、ウクライナのいつもながらのクリスマスや村の別荘ダーチャなどの平穏な日常が描かれている。ところが、戦争勃発とともに様相が一転し、作家は家族や友人らと西ウクライナのリヴィウに避難することになる。人々は気遣い助け合いながら、何とか現状を把握して生き延びようとする。

 もちろん本書は、「日記」と言っても、暮らしぶりや作家がみずから経験したことを綴っただけの単なる「身辺雑記」ではなく、戦況の他、ロシアとウクライナの関係、文化人の役割、歴史的背景、言語の現状など多岐にわたる政治・社会・文化の問題について思索をめぐらし、社会情勢の分析を試みて、読者に文明批評的な視座を提供している。著者は最初から各国語に翻訳されることを想定していたにちがいなく、ウクライナの状況をよく知らない読者にも理解しやすいよう配慮されていて読みやすい。全体として、作家自身が実際に見聞した具体的な出来事と、その背景説明や思索にあてられた部分がほどよいバランスで融合した、非常に優れたルポルタージュになっている。

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 今回の戦争は、突然起こったものではない。二〇一三年一一月、ウクライナとEUの協定を締結しようとせずロシアにすり寄ろうとしたヤヌコーヴィチ大統領に反発した市民たちが、キーウの独立広場でデモをおこなったことがきっかけで「マイダン革命」へと拡大(ウクライナ語で「マイダン」は「広場」を意味する)。翌二〇一四年二月には、一〇〇人近い死者を出す流血の惨事に至り、同じ月に当時のヤヌコーヴィチ大統領がロシアに亡命して政権が崩壊した。これを受けて三月に、電光石火、まるで報復するかのようにロシアがウクライナ領内のクリミアを強引に併合してしまう。並行して、東ウクライナのドンバス地域(ドネーツィク州とルハーンシク州)で、親ロシア勢力が武力による反ウクライナ暴動を起こし、ウクライナ支持派と親ロシア派の衝突に発展。それ以来、この地域では八年もの間ずっと戦争状態が続いてきたのである。

 だから、今から八年前に刊行されたクルコフのもうひとつのドキュメンタリー作品である『ウクライナ日記』(吉岡ゆき訳、ホーム社、二〇一五年。原題は「マイダン日記」。ロシア語原書はАндрей Курков. Дневник  Майдана. Харьков: фолио, 2015)は、まさに本書の姉妹編であり、両者の背景は地続きだといえる。『ウクライナ日記』のほうは、二〇一三年一一月二一日から二〇一四年四月二四日までの約五ヵ月間に及ぶ抗議運動の推移を生々しく綴ったものである。クルコフは、この出来事の舞台である、キーウ中心に位置する独立広場の近くに住んでいたため、マイダン革命の様子を毎日つぶさに観察しては、日々の思いを織り交ぜながら記録に残した。こうして『ウクライナ日記』も本書『侵略日記』も、作家の目を通して刻々と変わりゆく情勢を描き〈記憶の保管庫アーカイブ〉に留めておく、現代ウクライナ史についてのきわめて貴重な証言となった。

 本書は、二〇二二年度のドイツの「ゲシュヴィスター・ショル賞」を受賞した。奇しくも二〇〇七年度に、ロシアのジャーナリスト、故アンナ・ポリトコフスカヤ(一九五八─二〇〇六)が『ロシアン・ダイアリー』(鍛原多惠子訳、日本放送出版協会、二〇〇七年)で同賞を受賞している。ポリトコフスカヤは、身の危険も顧みずにチェチェン紛争の真相を伝え、プーチン政権を批判し続けた反骨のジャーナリストだ。殺害された後、彼女の日記やメモをまとめた遺作が『ロシア日記(ロシアン・ダイアリー)』である。クルコフの『ウクライナ日記』と『侵略日記』は、〈日記〉というその形式においても、またプーチン独裁体制に抗する姿勢においても、ポリトコフスカヤの衣鉢を継ぐものといえるのではなかろうか。

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 アンドレイ・クルコフは、一九六一年ソ連のレニングラード州ブードゴシチという小さな町で生まれた。三歳のときに家族とともにキーウに移り、一九八三年にキーウ国立外国語教育大学を卒業。日本語を学んだこともあるといい、卒業後は、新聞社や出版社で編集の仕事に携わった。八五年から八七年までオデーサで警備兵として軍務に服している。

 早くから母語のロシア語で創作活動を始めていたが、国際的な名声を得たのは、『ペンギンの憂鬱』(沼野恭子訳、新潮社、二〇〇四年。ロシア語原書は、一九九六年の初版では「局外者の死」というタイトルだったが、その後「氷上のピクニック」に変更された)という長編がヨーロッパのいくつもの言語に翻訳され人気を博してからである。これは、ソ連が崩壊しウクライナが独立してまもない頃のキーウを舞台に、ペンギンと暮らす売れない物書きの主人公が、謎めいた事件に巻き込まれていくというサスペンス・タッチの物語である。新聞社の依頼であらかじめ追悼記事を書いておくという仕事を引き受けたところ、記事を書かれた人たちが次々に亡くなっていく。プロット展開の巧みさ、偶然預かることになった女の子やペンギンの可愛らしさ、独特のユーモアやペーソスが加わって、読者を飽きさせることのない魅力的な小説としてベストセラーとなった。日本でも二〇二三年現在、一七回、版を重ねている。

 他にも、『大統領の最後の恋』(前田和泉訳、新潮社、二〇〇六年)、『ビックフォードの世界』、『ジミ・ヘンドリックスのリヴィウ公演』、本書でも何度か言及されている『灰色のミツバチ』などの長編小説があり、三〇以上の外国語に訳されているという。また、映画のシナリオや児童向けの童話も数多く手がけている。

 執筆年代からして『ウクライナ日記』と本書という二つのドキュメンタリー作品の間に書かれた小説『灰色のミツバチ』(二〇一八年)は、とくに重要な作品だ。ドンバス地域の「グレイゾーン」の村に住む養蜂家が主人公なのだが、ここは、ウクライナ側もロシア側も制圧できない、つまり白でも黒でもない「灰色(グレイ)」の一帯なのでこう呼ばれている。どっちつかずの主人公セルゲーイチのあだ名も「グレイ」をあらわすロシア語「セールィ」なのは偶然ではあるまい。ときおり銃撃音が聞こえ、村にはたったふたりしか住民が残っていない。小説の前半は、電気も止まり食糧の調達もままならない日々が淡々と描かれ、孤独な主人公の寂寥感が『ペンギンの憂鬱』に似た雰囲気を醸しだしている。後半になると、ミツバチとともに戦禍を逃れてクリミアまで旅するロードムービー的な展開となり、『ペンギンの憂鬱』の続編として書かれた『カタツムリの法則』を思わせる。両者を合わせたような構成から成るこの作品は、クルコフの面目躍如といったところでじつに面白く、完成度も高い。『灰色のミツバチ』で作家は、フランスのメディシス賞(外国小説部門)とアメリカの全米図書批評家協会賞その他を受賞し、国際的に非常に高い評価を受けている。

 クルコフは、二〇一八年から二〇二二年までの四年間、二期にわたって「ウクライナ・ペン」(ペンクラブにあたる組織)の会長を務めた。それまでも世界中を飛び回って講演をしたりさまざまなイベントに出席したりしていたが(二〇一五年には国際シンポジウム「スラヴ文学は国境を越えて──ロシア・ウクライナ・ヨーロッパと日本」に参加するため来日している)、今回の戦争が始まってからは、ウクライナを代表する作家としてウクライナの現状を世界の人々に知らせることを「使命」であると強く自覚し、ますます積極的に活動している。

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 本書ではどのようなことが論じられているのか。とくに大事だと思われる論点をいくつか取りだしてみよう。

 まず、目を引くのがウクライナの人々の結束である。革命前のロシア帝国の時代からソ連時代の終焉まで、長きにわたりさまざまな形でロシアの弾圧や抑圧を受けてきたウクライナが、悲願の独立を果たしてから約三〇年。当然のことながら、ウクライナ人としては独立と領土の保全をやすやすと手放すわけにはいかない。ゼレンスキー大統領のリーダーシップを支持して、かつてないほど団結しているように見える。ロシアの攻撃により住み慣れた家から逃げ出さなければならなくなった人々は互いに助けあい、慰めあい、困っている人に手を差しのべあう。クルコフ夫妻も、西ウクライナに逃れ、見ず知らずの人にアパートを貸してもらい、何でも使っていいと親切にされるし、キーウの地下鉄駅は住居を兼ねた防空壕となり、プラットフォームが無料映画館に変貌する。そんな状況の中で、しだいにウクライナ人としての自覚が強まっていく。

 だから本書は、クルコフ自身が「前書き」で記しているとおり「ロシアがウクライナを侵略した記録であるだけでなく、ロシアから押しつけられたこの戦争(…)が、いかにウクライナのナショナル・アイデンティティ強化に寄与したかという記録でもある」(12ページ)のだ。

 このことと深く関係しているが、第二に、ウクライナの人たちはみずからのアイデンティティを形成していくにあたり、「侵略国ロシア」との相違を強調する。プーチン大統領がロシア・ウクライナ・ベラルーシの「一体性」を主軸とする〈ロシア世界ルースキー・ミール〉のイデオロギーを振りかざしている以上、それに対抗するためには、ウクライナがどれほどロシアと異なっているかを際立たせる必要があるのだろう。クルコフも、「ウクライナ人は自由と個人主義を志向し、ロシア人は権力に隷従し集団主義を志向する」というようにウクライナとロシアの国民性を対比的に捉えている。しかし、これは、反体制のロシア人が一定数いることや、ロシアとウクライナの両方にルーツを持つ人も多いことなどを考えると、やや単純な二分法であるように思えないでもない。現在は戦時下でもあり、またEUなどヨーロッパの代表が戦争の構図を〈自由と民主主義のウクライナ〉対〈強権と全体主義のロシア〉と見定めている影響が大きいのだろうが、本来ウクライナのナショナル・アイデンティティは多様性を認めることにあったのではなかったか。

 第三に、ロシア語・ロシア文化の排斥問題も重要である。ウクライナの人々が侵略国の言葉を忌み嫌い、ロシア文化を憎むのはもちろん理解できる。しかもロシア語話者がいるところはすべて「ロシア」であるという上述の〈ロシア世界ルースキー・ミール〉のイデオロギーがウクライナ人のロシア語離れを加速させているのだから、責められるべきはプーチン政権であることは言うまでもないのだが、世界中で(ウクライナに肩入れするあまり)ロシアに由来する文化を一から十まで否定しようとする現象が見られるのは行き過ぎではないのか。

 じつは、こうした状況は、ロシア語を母語とし、民族的にはロシア人だが「ウクライナ作家」を自認しているクルコフにとって、非常にデリケートで辛く複雑なものとなっている。彼は、二〇二二年三月一六日付『朝日新聞』に寄稿した記事に、「私はもうロシアの文化や歴史にも興味は持てない。ロシアには二度と行かないし、本も出版しない」と綴っていた。そしてエッセイやFace Bookへの投稿をロシア語からウクライナ語に切り替えた(ゼレンスキーも母語はロシア語だが、戦争開始以後はウクライナ語を使用している)。本書の執筆も英語である。

 しかし本書に、「私も憎しみでいっぱいだ。けれども、私が読んで育った大好きなソヴィエトの作家の作品を読むのをやめることはしない。オーシプ・マンデリシュタームやアンドレイ・プラトーノフ、ボリス・ピリニャーク、ニコライ・グミリョフを避けたりはしない」(158ページ)という一節があり、彼が、抑圧されたロシアの作家たちまでも否定しているわけではないことが知れる。この件について作家本人に問い合わせたところ、「今は生理的にロシアのものを読むことができないが、ロシア文化への(人々の)態度は、戦争が終わって二〇年、四〇年したら変わるかもしれない。一九四五年以後二〇年間ほど、全ヨーロッパがドイツ文化を拒否した歴史が繰り返されるだろう」との返信があった。二〇一五年に来日したときには、「ロシア語がかならずしも支配者の言葉というわけではないことを示すためにも私はロシア語で小説を書く」と語っていたのだが、侵略戦争はそうした良心的な思いをもかき消してしまったようだ。今は、「(ロシア語話者の作家や知識人は)ウクライナ語話者の同業者の三倍も愛国的であることを示さなくてはならない」(281ページ)状況なのである。

 第四に、ロシア人のアイデンティティについて、グラーグ(強制収容所)の記憶が軽んじられ、「グラーグとスターリンの弾圧がロシア人の歴史的トラウマにはならなかった」(108ページ)こと、つまり、ロシア人が自分自身の暗黒の過去をきちんと清算し、記憶に留めようとしなかったことが指摘されているが、これは非常に大事な論点だと思う。ロシアでは、一九八〇年代半ばより「メモリアル」という人権団体がスターリン時代の粛清や弾圧に関する史実を調べあげて記録・公開する活動を熱心におこなっていたのだが、戦争開始の直前に最高裁により解散が命じられてしまった(二〇二二年「メモリアル」はノーベル平和賞を受賞)。権力者はえてして自分にとって都合の悪い真実をもみ消し「エセ歴史」を仕立てあげるものである。だからこそ、本来の歴史研究やジャーナリズムと並んで、私的な日記や手記や証言が〈記憶の保管庫アーカイブ〉として貴重なのである。

 最後に第五として、本書で述べられているもうひとつの論点である文化の意義に触れておく。著者は、「人は水や空気がなくては生きられないし、文化がなくても生きられない。文化は人生に意味を与える。ゆえに大災害や戦争の時期にはことのほか重要になる」(228ページ)としている。そして、ウクライナ文化こそ、ウクライナ人の「尊厳=魂」を守る「目に見えない鎧」であると力強い比喩であらわしているのが印象的であり、感動的でもある。

 クルコフは、二〇二三年の前半、アメリカのスタンフォード大学に招聘され、ポスト・ソヴィエト文学やクリエイティヴ・ライティングを講じた。この間も戦争はずっと続き、今なお停戦の糸口すら見えない。なお、ロシアの侵略開始からちょうど一年目の二〇二三年二月二四日から三月二日までの一週間分の彼の日記が、『新潮』二〇二三年九月号の特集「テロと戦時下の2022―2023日記リレー」に掲載されている。あわせてお読みいただければ幸いである。作家は今後、ノンフィクションはウクライナ語・ロシア語・英語で、小説はロシア語で書いていくつもりだという。

二〇二三年七月二〇日
ぬまの・きょうこ 東京外国語大学名誉教授

【〈記憶の保管庫アーカイブ〉としての日記 沼野恭子】

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