長谷川敏彦/鎌田東二「超少子・超高齢社会の日本が未来を開く 医療と宗教のパラダイムシフト」試し読み
公衆衛生や医療人類学を専門とする長谷川敏彦さんと、宗教学や哲学を専門とする鎌田東二さんが、それぞれ異なる分野から医療と宗教の新しい関係性を模索するために語り合う『超少子・超高齢社会の日本が未来を開く 医療と宗教のパラダイムシフト』を、2024年12月13日(金)に刊行します。
現代日本が直面する超少子・超高齢社会という課題や、繰り返し発生する大規模自然災害時の心のケアの問題など、医療システムの改革や福祉の新しいあり方、地域社会の再生をさぐり、持続可能な発展を目指す、未来に向けて新しい社会モデルを展望する一冊です。
今回はその冒頭をここに公開します。
まえがき──「異聞ミロク伝」
本書は大上段のタイトルを持つ。『超少子・超高齢社会の日本が未来を開く』。
たしかに、大上段で、大きなスローガンのようなタイトルである。
が、それは、それだけのポテンシャルパワーが日本社会にあるという確信的認識と未来を切り拓いていく創造営為に対する期待と祈りとエールを込めたタイトリングでもある。
私は主に神道を始めとする日本の宗教文化を比較宗教学や比較文明学的観点を交えて六十年にわたって関心を持ちつづけ、いくらか研究もしてきた者で、本書の第二章で話したように、否応なく子どものころから老人に関心を持ってきた。祖父母と三人で暮らした数年間は今の私にはかけがえのない財産になっていると思える。彼らが私に伝えてくれたメッセージを活かす道、それを一九八八年に書いた『翁童論――子どもと老人の精神誌』(新曜社)として世に問い、少しばかり評判にもなった。そこで、子どもと老人との協働・共創関係について、いろいろな角度から論じ、老幼施設(保育園・幼稚園と老人ホームなどとの複合施設)の必要性についても述べた。それを皮切りに、『老いと死のフォークロア――翁童論Ⅱ』(新曜社、一九九〇年)、『エッジの思想――翁童論Ⅲ』『翁童のコスモロジー――翁童論Ⅳ』(新曜社、二〇〇〇年)と題して、子どもと老人の問題の相関性・相互性を問いつづけてきた。
私にとって、本書は、そうした「翁童論」の問いの延長線上に生まれてきた必然の対談集である。
第一部の冒頭で話し合っているように、私たちは一九七〇年五月に出会った。当時、長谷川敏彦さんは大阪大学医学部の四回生で、私は「ロックンロール神話考」と題するアングラミュージカルを作・演出上演しているフーテン演劇青年であった。
そんな私の奇想天外な試みを長谷川さんは「おもろい!」と思ってくれたようだ。それがきっかけになって、急速に親しくなり、親交を重ねて五十五年。不思議な縁で本書が仕上がった。
大阪大学医学部を卒業したあと、長谷川さんが米国に渡ってからのレジデントとしての五年間の修業生活や一九八〇年からのハーバード大学での大学院・聴講生生活は、目を見張るようなスペクタクルな出会いと高揚に満ちている。そして、そのことが長谷川さんのその後の医務官僚としての役人・研究者生活の基盤となっていることもきわめて貴重な時代の証言であり、記録である。
そのような長谷川敏彦という壮大な遍歴者を生み出した基は、祖父・父・子にわたる長谷川家三代の医業の継承と発展にあると思う。三重県出身の祖父長谷川卯三郎氏(一八九〇‐一九六九)は先駆者的な医者であり、医学・医療研究者の医学博士だった。父長谷川茂太氏(一九一五‐九六)も大阪市立大学医学部助教授や大阪市立大学桃山市民病院院長や城北市立病院院長を務めた大変人望のある優れた医者であった。
こうして、三代つづいての「医学博士」となる長谷川敏彦さんは、大阪府立天王寺高校時代の文芸部同人誌『葦人』にユニークな才能の片鱗を現わしている。「OKIHI HSOT AHAGESAH 作」(「長谷川敏彦」のローマ字逆さ読み)として発表した短編小説「Maitreya 弥勒」がそれである。
実際のMaitreya、すなわち弥勒菩薩は、五十六億七千万年後に兜率天からこの世に現われて二百八十二億人の衆生済度すると信ぜられ予告されていた人類希望の星の未来仏である。
一九六五年、高校一年生の文芸部員の一員長谷川少年が描く弥勒再臨小説は、核戦争後の高層建築群の向こうの荒野となり果てた「果林園」に再来し、そこで「一人の男」と出会い問答する。この小説はこの世に再来した弥勒仏とこの世のたった一人の住民の「一人の男」との問答である。だが、救済力を発揮しようにも男とのコミュニケーションは成り立たず、男は弥勒仏が何を問いかけても「解りません」というのみ。弥勒仏はあなたは何を求めているのか? 快楽を、真理(科学)を、美を、永遠の生命を、本当の愛を、絶対の救いを、普遍を求めているのかと問いかけるがことごとく否定される。
問題は、ここには「絶対の救い」はない、成立しない、という仏教や宗教による救いの不可能性の認識があることだ。
長谷川敏彦の探究は、この弥勒の救いの不可能性の認識から始まっている。私はそこに時代精神の刻印と長谷川氏の個性とのダイナミックな緊張関係を見る。そしてそれがその後の長谷川敏彦の好奇心の無限定の増殖と探究にストレートにつながっていると思う。
小説「Maitreya 弥勒」が告げた「新しい物語」を、その後六十年もの間長谷川敏彦は求めつづけた。その軌跡が長谷川敏彦の医者としての、医療人類学者としての、公衆衛生学者としての、メタメディカ的未来医療探究者としての人生であり道であった。
最後に、私自身の宗教研究者としての思いを記したい。長谷川敏彦の「弥勒の道」は今なおつづき終わることはないが、私たちが互いの思いと経験をぶつけ合った本書が出版されるこの「令和六年(二〇二四)」は、「ミロクど真ん中年」であるということ。神道系新宗教教団「大本」の教祖であった出口王仁三郎は、ミロクを「五六七」と記し、特に五、六、七の年を「ミロク」年として大きな変化が起こると注視した。「昭和六年」は「西暦一九三一年」に当たり、出口王仁三郎はそれを「いくさのはじめ」と読んで警鐘を鳴らした(詳しくは、拙著『予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学――大正十年の言語革命と世直し運動』平凡社、二〇二四年)。
私たちはこの「ミロクど真ん中」年に、『超少子・超高齢社会の日本が未来を開く──医療と宗教のパラダイムシフト』と題する本をこれまでの経験と祈りを込めて世に問う。それは、長谷川敏彦と鎌田東二がつむぐ「新ミロク」物語である。
ぜひ本書を最後まで読み通していただきたい。一九七〇年からの五十五年間の「異聞ミロク」の道行きを。おもろく、奇想天外なその道を。
二〇二四年八月九日 鎌田東二拝
(続きは本書でお楽しみください)
著者プロフィール
長谷川敏彦(はせがわ・としひこ)
大阪大学医学部医学進学課程卒業、米国で外科専門医の研修を受ける。ハーバード大学公衆衛生大学院修士課程卒業。アメリカのニューエイジ・サイエンスを日本に紹介する。1986年に旧厚生省に入省し「がん政策」「寝たきり老人ゼロ作戦」を立案。国立医療・病院管理研究所医療政策研究部長、国立保健医療科学院政策科学部長として「健康日本21」「医療計画」「医療安全」等に関与。日本医科大学医療管理学主任教授を経て、2014年に未来医療研究機構を設立。その後、過去40年間の日本の医療制度改革の歴史分析を英語で出版、日本医師会公衆衛生委員会にて健康の新定義(2018年)、健康格差の答申(2020年)に参与。
鎌田東二(かまた・とうじ)
1951年、徳島県生まれ。専門は宗教学・哲学。上智大学大学院実践宗教学研究科・グリーフケア研究所特任教授等を経て、京都大学名誉教授。天理大学客員教授。京都伝統文化の森推進協議会会長。主著に『神界のフィールドワーク』『翁童論』『南方熊楠と宮沢賢治』『悲嘆とケアの神話論』ほか。神道ソングライターとして、『この星の光に魅かれて』(2001)、『なんまいだー節』(2003)、『絶体絶命』(2022)等をリリース。石笛・横笛・横笛・法螺貝などの演奏についてはCDブック『元始音霊 縄文の響き』(2001)などがある。