平山夢明「Yellow Trash」第12回 あんたは醜いけれどあたしには綺麗(12)
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平山夢明「Yellow Trash」第12回 あんたは醜いけれどあたしには綺麗(12)

平山夢明『Yellow Trash』シリーズ、完全リニューアルして再始動‼
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illustration Rockin'Jelly Bean

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 目覚めると周囲は明るくなっており、おわんが立っていた。
「よう」おれは然う云いながら、いつにない頭のふらつきを感じた。
 おわんは黙って紙切れを差し出した。
 カキタレの走り書きだった。
『寝顔も良かったぜ。セラノへ直談判に行く。戻ったら教会へ』
 隅にはキスマークがあり、其処から又、あの〈良い匂い〉がした。
 おれは立ち上がると両手を突き出し大欠伸をした。
「あんた、幾ら持ってる?」
「え?」
「銭だよ」
 おわんは汚れたエプロンのポケットを裏返した。
「二百円」
「けっ」
 おれは首をパキパキしながら入口へ向かった。
「何処へ行くんですか?」
「此所じゃねえ何処かさ」
「え?姉は父の所に行ってるんですよ」
「だから去(ふ)けるんだ」
「どうして!」
 おわんは珍しく顔を紅潮させていた。
「姉は……あなたと結婚するつもりなんですよ」
 おれは溜息を吐いた。
「莫迦こけ」
「なんですか?」
「あのなあ、できるわけねえだろ?おれと奴とじゃ、月と鼈(すっぽん)だ。面だけじゃない。生活も考え方も何もかも違う。そんなの同士がくっついたら先は地獄だぜ」
「でも、姉はあなたを愛してます」
「違う!」
 思わず声がデカくなった。
「あれは病(やまい)だ。いつかは治るか寛解(かんかい)する。目ん玉が真面(まとも)になるんだよ!そしたらどうなる?自分が何年も旨い旨いと喰ってた饅頭が馬糞だったと判ったら」
「そんなことありません!姉は人を外見だけで判断するような人じゃありません」
 おれはおわんに抗弁をしなかった。確かにそうかもしれない……だが……もしそうでなかったら……一気に耐えられない地獄の釜が開いちまう。おれは互いに腹の底では軽蔑し、憎み合いながらも惰性と経済の為、暮らし合う奴らを厭と云うほど見てきた……。
「けっ。乱暴な口を利いて悪かったな。戻ってきたら〈ありがとよ〉と伝えてくれ。一生分の良い夢を見させて貰ったぜ。じゃあな。爺さんに人を誑(たぶら)かすのも大概にしとけと云っといてくれ」
「ちょっと……」
 然う云ったが、おわんは軽く右手を差し掛けただけで追ってこようとはしなかった。
 頭の良い女だ。
 牧場のゲートを潜ると又、あの馬引の爺さんでも居ないかと道に沿ってトボ付いたが、やってくるのは土埃をブッ掛けていく乗用車ばかり。もう少し粘って喰いものでもくすねてくりゃ良かったと後悔した。仕方無くおれは浮いてる雲の中でクロワッサンや大福に似ているものを指で摘まんで口に入れる真似をして腹を膨らませようとした。四つ目のおっぱいパンを摘まもうとしていると急ブレーキの音が破裂し、身を投げ出すとさっきまで立っていたところへホンダのリッジラインが突っ込んで停まっていた。
 土煙が収まる前に飛び降りてきたおわんがおれを睨んだ。
「どういうつもりですか?」
「それはコッチの台詞だろ。おれを道路の染みにするつもりか」
 彼女(やつ)は唇をブンッと突き出すとそっぽを向いた。〈わかっちゃいるけど、謝りたくない〉という女の典型的態度だ。
『ごめん。あんたに云い残した事があるっていうんだよ』
 リッジラインの窓からワラビを抱いたシナチ君が顔を出した。
「聴く前に壊(めが)されてりゃ、御託(ごたく)も耳に入らねえだろ」
 おわんは睨みつつ唸った。
「どうするんですか?」
「云っただろ」
「ダメです!ダメ!ダメ!」
「わかんねえ人だね。おれとあんたのネーちゃんと連(つる)んだって幸せにゃなれっこねえんだ。少しは冷静になれ」
「冷静です!あなたが思ってるよりわたし、すっごく冷静に考えてます」
 おわんはおれを指さし、大声を上げた。
「卑怯者!あなたは卑怯です!醜いのは顔じゃ有りません、心です!魂です!」
「ほっとけ」
 おれは歩き出した。すると背中に何かが叩きつけられた――ワラビのお襁褓(むつ)だった。
「おいおい」
「姉はあなたが好きなんです!おかしいかもしれないし、間違っているかもしれないけれど!でも本気で!一途なんです!」
 おわんの目には泪が一杯溜まっていた。其れは世の中でおれが一番苦手なものだった。
「姉は気づかなかったにせよ、自分の行いに衝撃を受けていました。其れを加担させた父にも怒っていますが、本当に怒っているのは自分自身になんです。姉はもう一度生き直そうと今、戦ってるんです。あなたはそんな姉の前から黙って逃げ出そうと云うんですか!あなたに無理に姉を好きになれとは云えません。でも去るならせめて姉に逢って直接、云ってあげて。それだけ……御願いします。黙っていなくなるような事はしないで……それでは余りにも姉が可哀想……」
「……可哀想」
「そうです。可哀想です」
 おわんは正しいとおれの何処かが告げていた。おれはお襁褓を拾うとおわんに渡した。
「ポイ捨ては良くない」
「はい。気を付けます」
 おれは溜息を吐いた。
「奴はどこだ?」
「父の家です」
「単身乗り込むとはイイ玉だぜ」
 リッジラインの後部座席に乗り込むと大量のお襁褓がおれを迎えた。
走り出して暫くするとハンドルを握っているおわんがバックミラーを頻(しき)りに気にし出した。振り返ると一台のパトカーが貼り付いてる。運転席にはあの警官が居て、目が合うと片手でシュッと軽い敬礼を投げて寄越した。
 と、サイレンが口笛のように鳴り、続いて回転灯が灯った。
「何だ」シナチ君が呟いた。
「セラノの番犬だ」
「停めます」
 おわんが脇に寄せるとパトカーから警官(奴)が降りてきて、開いてるおわん側の窓に腕を乗せ、車内を覗き込んだ。
「御一党さん相揃って何処へ行くんだね?」
「父の所よ。問題無いでしょ」
「確かに……あんたとあんたはな」
 奴はおわんと其の亭主をぽんぽんと指差し、おれで停めた。
「が、其奴は連れて行かない方が良くは無いかな?あんたらがカキタレのお零(こぼ)れを狙ってるなら利口なやり方じゃない」
「別に誰を連れて行こうと法に触れる筈はありません」
「セラノは二度とカキタレに近づかんと誓わせている。行けばそれを破ることになる」
「約束した時、此の人は真実を知らなかった。故に其の約束は無効です」
 警官は、おれを見た。
「良いのか?おまえが思いもしない悲惨な展開になるぞ。俺はもう助けてやらん」
「おれもそろそろ自分の足で立って歩くことにしたのさ」
「莫迦に付ける薬はねえな」警官は然う云うと窓枠を馬の背にするようにぽんぽんと叩いてパトカーに戻って行った。
 おわんはアクセルを踏んだ。
 セラノの家に近づくと祝い事でもあるのか、なんだか賑やかな様子だった。おわんは其の儘、前庭へ車を乗り入れた。が、野医者の一部が気づいた途端、車が取り囲まれてしまった。ロックしたドアがガチャされ、窓を叩く汚い手痕が残った。車内からおわんとシナチ君が抗議し、クラクションを鳴らし続けた。
 すると中ボスらしいのが現れ、用件を尋ねてきた。おわんがカキタレに呼ばれたと応えると無線でお伺いを立て、ノイズがワシワシ返ってくると奴は〈降りろ〉と首を傾げた。
「連絡は付いてるんだぜ」
 シナチ君が不満そうに中ボスに云った。
 奴は其れを無視して「付いてこい」と先に立ち、不安気なおわんに「安心しろ。旦那様はお嬢さんをおまえたちに逢わせろと仰ってる。誰も手は出さん」
 予想外の返事におれたちは互いに顔を見合わせ、其れから後に続いた。
 豪奢な邸内に入り、中庭を巡る回廊の先に真っ直ぐな廊下が延びていた。何人か見知った野医者が居たが、なかでも大きなスカートを穿(は)いたスータカを見つけた時はおれの胸に灯りがポッと点いた。屹度、火傷の股座(またぐら)に回した包帯が軍袴(ズボン)では収まりきらないのだろう。
 おれに気づいた奴は黙って灼けたタールのような視線をべったりと向けてきた。
「素敵なスカートじゃ無いか。バグパイプは忘れたのか?」
 奴は殴りかかる素振りを見せた。火傷させた分、おれは受けるつもりで動かなかったが、奴の拳は途中で震えたまま停止した。
「済んだのか?」其れを眺めていた中ボスが訊いた。
 俯(うつむ)くスータカの顔の真ん中から液体が滴った――洟(はな)だった。
「らしいな」
「じゃあ、行くぞ」
 おれたちはスータカを残したまま先へ向かった。
 角を回った時、背後からスータカの『おまえ、絶対ぶっとばしてやるる!』という悲鳴じみた声が聞こえた。白い壁の先に腰板にも細かな細工がされた白い扉が在り、中ボスは其処でノックをした。くぐもった返事があると『失礼します』と声を掛けてから扉を開け、おれたちに入る様、促(うなが)した。
 なかは舞台の楽屋の様で壁に鏡が並び、端には衣装がずらりと下げてあった。真ん中の鏡の前でカキタレは肘掛けの有る真っ赤な椅子に座っていた。カキタレはおれたちを見ても何も云わなかった。何か表情が変だった。点いてない電球の様で、カキタレなのだがカキタレじゃあない。
「さっさと用件を済ませろ」
 中ボスの顔に皮肉な笑みが浮かんでいた。
「お姉さん……」おわんが一歩前に出た。
 カキタレは黙って其れを見ていた。
「此の人が街から出て行くそうです」
 おわんはおれを見て云った。
「行く……街を?」
「嗚呼、悪いがおれは去(ふ)けるぜ。黙って行くつもりが、あんたの妹さんに説教されてな。それで別れだけ云いに寄ったんだ」
 カキタレは顔色を変えずに黙って聞き「そうか。わかった。行け」とドライブスルーの注文みたいに云った。
 おれは不意を突かれ、胃の辺りに憶えのある厭な痛みが広がった。
 が、おわんの方が強烈だったようだ。「お姉さん!良いの?此の人、居なくなってしまうのよ!」
 カキタレはおわんとおれを交互に見た。
「此奴(こいつ)が出て行きたいというのなら仕方あるまい。どうでもいい」
「どうでも……お姉さん!どうしたの?お父さんと話はしたの?できたの?」
「ああ。全部済んだ。全部巧くいく。なんとかなる」
「おまえ、何かされたのか?」
 カキタレの目はある様で、ない目だった。
 おれは奴の前に進んだ。
「おれは行くぞ。良いんだな?おまえは幸せになれるんだな」
 すると黙っていた中ボスが鼻先で嗤った。
「当たり前だ。此から結婚式なんだからな」
「なんだと?」
「嘘です!そんなの!」おわんが叫んだ。
「本人に訊いてみろ」
 カキタレはおれをぼんやりと見ている。
「本当なのか?」
「ああ。本当だ。オレは此から結婚する」
「相手は誰だ」
「……カルドだ。彼奴(あいつ)は良い奴だ。問題ない」
 おれはおわんと顔を見合わせた。が、カキタレが嘘を云っている様には思えなかった。
「おまえは奴が醜いと云ってたぞ。良いのか」
「ああ、関係ない。そんな事はもう如何(どう)でも良いのだ。おまえが云った通りだ」
「こんなの変だわ!姉さんじゃない!何かされたに違いない!」
「莫迦を云うな。カキタレさんが何かをされてこんなに温和しくしてると思うのか?鎖が在るか?催眠術だとでも云うのか?莫迦莫迦しい。此は全てお嬢さんと旦那さんがじっくり話し合って決めた末の結論さ。第一、あの聡明で美男のカルドと一緒になる事の何処が悪い。此奴みたいな何処の馬の糞とも判らん人間と連(つる)むより十兆倍は幸せになれるさ」
「確かにな。だが此奴はおれの知ってるカキタレじゃないぜ」
「絶対に何か変!私は信じません!」
「ちっ。お嬢さん、あんたがハッキリ云ってやんな。こいつは自分が決めたことだってな」
 カキタレは頷いた。
「おわん。此はオレが決めた。自分の意志だ」
「否ーっ」おわんが頽(くずお)れ、顔を覆って泣き出した。
 おれはもう一度、カキタレに向かい合った。鏡を向いていた奴が顔を上げた。おれは奴の手を取った。柔らかいが筋肉を感じさせる良い手だ。
「カキタレ……おまえは本当にカルドと結婚すると自分で決めたんだな」
「そうだ」
「後悔はしないんだな」
「ああ」
「本当だな」
「無論だ」
 おれは溜息を吐くと手を離した。
「おわん、おれの仕事は終わった。行くぜ」
「そんな!姉は屹度、混乱してるだけなんです!」
「あの様子を見てみろ。混乱してるように見えるか?」
 カキタレは、おれたちを見ていた。
「奴は混乱してるんじゃない。賢くなったのさ」
「おわんさんと旦那さんは参列する様にとの事です。お部屋を用意してありますので其処でご準備を」
 中ボスは然う云ってから、おれを指差した。
「おまえは別だ。道化(ピエロ)野郎は、とっとと失(う)せろとよ」
 おわんとシナチ君がハッと息を呑んで、おれを見つめた。
「其程(それほど)、厚かましくはないんでね。自分の立ち位置は判ってる」
 おれは先に外に出ることにし、最後にカキタレを振り返った。
「お幸せに。元々、おれとあんたじゃ火星と練馬だ。ふん、全く世の中ってのは、何時も面白くもねえ妥当(だとう)な処で落ち着きやがる。あばよ」
 其の瞬間、カキタレの躯がビクッと震えた。口が戦(おのの)く様に震えたが何も言葉は出てこなかった。只、瞳だけが何かを云いたげに思えた。
 中ボスが短い口笛を吹くと部下が入ってき、おれとおわん達を別々に移動させた。彼らは案内され、おれは引っ立てられる格好で門の外に蹴り出された。
 それをぼんやり眺めている門番が居たので『街まで送れよ』と云うと『突き殺すぞ』と歯を剥き出した。
 仕方無いのでおれは壁に沿って歩き出す事にした。なんだか一生懸命、抱えてきた大荷物を不意に取り上げられた様な気分だった。適当に歩いて、またぞろやってくる車に親指を突き立てて〈ヒッチ〉を狙うつもりで、やってもみたのだが来るのは家族連れかアベック車(の)ばかり、どれもおれの顔を見るとスピードを上げて逃げ去った。只管(ひたすら)、歩いていると此の街での事ばかりが思い出されて、うんざりした。自分で意識している訳ではないがカキタレの事が多かった。向こうからキスされた事や汗の浮いた日焼けした胸の事、おれは何故自分がカキタレに欲情しなかったのか今更のように不思議でならなかった。何時(いつ)もなら生肉を前にした犬のようにおっ立った尻尾を振り回していた筈だった。
「ちっ。おれも焼きが回ったぜ」
 そう独り言(ご)ちた時、脇を掠める馬の蹄と同時に柔らかい石のような輪っかが首に掛かるのを感じた。縄を掴むのが精一杯で息をする間も無かった。勢い良く引き摺られ、洗濯板で扱(しご)かれる雑巾のように乾いた道を土埃を上げて跳ね上がり、削られまくった。絶息し、耳鳴りが始まった。視界が暗くなり、手の力が抜けていく。此の儘、何だか判らないうちに縛り首になるのか……と思い始めた頃、躯が停まった。薄惚けた視界の中に帽子を被ったシルエットが浮かんだ。
『あはは。莫迦だな、こいつ。フラフラ淋病になっちゃってるす』
 其の声で影の主がスータカだと判った。
 奴は乱暴に首の縄を引っ張るとおれを無理矢理立たせ、其れから殴り付けてきた。
「おまえの御陰でちんちんの皮が取れて剥けちゃったんだぞ!どうしてくれるんだよ!」
「へん。おまえのパパは息子の顔の面倒はみても、息子のムスコはほったらかしなのかよ」
 奴はまた殴ってきた。
「一皮剥いてやっと男にしてやったんだ。礼を云って貰いたいね」
 奴はまた殴った。
 おれは膝が抜け、尻餅をついた。
「ふらふらな相手じゃないと殴れないのか」
「ふん。おめえは地獄さ、行ぐんだでぇ!」
 奴は然う云うとおれを引っ立て、傍らに停めてある二頭立ての馬車におれを放り込んだ。なかには十代後半らしい、髭もまばらな若いのが三人ちょんぼり座っていた。奴らはおれの顔を見ると目を伏せた。
「なんだ?おまえらも人質か?」
「ふん。其奴らは此から伊達になるんだよ。羨ましいだろ!」
 おれが訊くと馬車の扉に南京錠を掛けたスータカが外から叫んだ。
「おまえら牧場の人間か?」
 窓辺に居たのが首を振った。
「街の人間。でも親は昔、どっかの牧場に居た」
 馬車は大きく道を外れ、荒野(あれの)へと進み出した。
 ガタゴトする揺れに身を任せながら、おれは何度も咳き込み、首の痛みに呻いた。真ん中の奴が水筒を差し出した。
「悪いな」
「いいえ」
 水で喉を慰めたおれは馬車の屋根を叩いた。スータカと御者の喚き声が返ってきた。
『静かにしろ!』
「スータカ!何処へ連れて行く気だ!」
『此の先に俺だけが知ってる沼が在る!其処におまえを放り込んで沈むまで俺は〈昴(すばる)〉を唄うんだ!』
『え?スータカ、おまえっち〈マイ・ウェイ〉を唄うんじゃねえのか?』御者の爺さんが頓狂な声を上げた。
『あんなもん、成り上がりっぽくって唄えねえよ!』
『とにかく、おまえは沼の水苔をたっぷり喰って腐り果てるんだ!あっははは』
 少年達が暗い顔で互いに見合った。
「此奴らは如何するんだ!」
『おまえが沈んだら野病院へ連れて行く!其処で魔改造だ!パパは今度は初めて俺にもやらせてくれるって云うんだ!初めてだ!切ったり貼ったり切ったり貼ったり!』
『貼ったりべったりべったり貼ったり!ふぉふぉふぉ』
 おれは溜息を吐き、子供達を見た。
「おまえら伊達になりたいのか?」
 奴らは頷いた。
「そうかい。なら云う事はねえや」
 おれがそっぽを向くと水筒をくれたのが呟いた。
「親が其の方が良いって云うんだ」
「そうかい」
「もっといい男になれば金も自由も手に入るし、街からも出て行ける」
 すると横にいた雀斑(そばかす)が強く頷いた。
「俺達、頭悪いし、親も貧乏で塾も家庭教師もないし。だから成功するには顔が良くないとダメなんだって」
「で、パパやママに泣きついて魔改造して貰う事にしたってわけか。ご苦労なこった」
「だって、おじさんだってそんな顔だから浮浪者やってるんでしょ。ちゃんとした仕事に就けない社会的不適合者で負け犬なんでしょ」
 其奴は俯いた儘、そんな事を云った。
「まあ、全く的外れとは云わねえけどな」
「就職だって、全く同じ能力の人間が来て、どっちか選ばなくちゃと云ったら絶対に顔の良い方を選ぶもんね。おじさんみたいな顔のとブラピなら絶対にブラピだよ」
「だろうな」
「だから俺達、魔改造して貰うんです」水筒が云った。「然うすれば、お金をたくさん儲けて親や兄弟を楽にしてやれるんだ!」
「そうだよ!然うすれば有名にもなれるし、社会的成功者になれる!」
 雀斑が水筒に頷いた。
 が、窓際の奴は外を眺めたまま話の輪に加わろうとはしない。
「確かに。おまえら口で云うほど頭(オツム)も悪くなさそうだ。が、ひとつだけ訊きたい。他に色々と試したのか?自分の足りねえ処を面相のせいにする前にジタバタしたのか?詰まりに詰まった不平不満をぶっ飛ばす為に悪足掻(わるあが)きしたのか?」
「そんな……俺達まだそんなに生きてないし……色々な経験もしてないし」
「なのに魔改造に飛びつくのか?顔で宝くじ引くような真似して情けなくはねえのか?」
「だって……」雀斑と水筒が口を揃えた。「親が其の方が絶対に良いって……」
「おまえらは此の先、何十年と付き合っていく面にそんなに簡単におさらばして良いのか?面なんてのは昆布と一緒で丁寧に寒晒(かんざら)しして味を出していけば、信じられないぐらい旨味が出るんだぜ。現におれはカキタレに惚れられたんだ」
 すると三人が息をスッと吸い込んだ。信じられないと云った顔でおれを見た。
「え?カキタレさんって……あのお嬢さん?」水筒があんぐりと口を開けた。
「ああ。セラノの娘だ」
「なんで?なんでそんな顔なのに?莫迦じゃない!?」雀斑が悲鳴を上げた。
「そうだよ、そんな犬の糞を豚の鼻面で掻き回したような顔なのに!」
「おれにも判らんがね。感謝はしている、御陰でおれは自分の面が前よりもずっと好きになれてきた」
「で、でもカキタレさんは醜い者が好きなんだって聞いた事があるよ」水筒が呟いた。
「あ、そうだそうだ!あの人は頭が温かいって父さんが云ってた。化け物みたいな顔が綺麗に見える頭の病だって!」雀斑が手を打った。
 ふたりがおれを見つめて来たのでおれは答えに窮した。
 すると突然、窓辺のが叫んだ。
「矢っ張り厭だ!僕は魔改造なんかしたくない!でも……でも父さんがセラノさんに借金があって……返す代わりに僕を伊達にして部屋住みのボディガードにするって事になってるんだ。でも僕はまだ顔を弄(いじ)りたくない。ダサくて格好悪いけど、此が僕だ。変えるなら自分で決める。今はしたくない!したくないんだ!」
 然う云うと奴は腕に顔を突っ伏した。
 ふたりは黙って其れを聴いていた。
「おまえらはどうなんだ?」
「お……俺も然うかも」
「僕も……」
 其れを聴いておれは又、天井をぶっ叩いた。
 スータカの怒鳴り声が直ぐに降ってきたので、おれはチビ達が魔改造は厭だと云ってるぞと伝えてやった。
『莫迦!そんなのはどうでも良いんだよ!』
 スータカの声が返ってきた。
「如何云う事だ?本人の意思を無視したら医者だろうが何だろうが傷害罪だぞ!」
 すると莫迦デカイ笑い声がした、スータカと御者でゲラゲラとがなりながら嗤っている。
「なんだ?どうした?気が狂ったか?」
 窓の隙間から細長いものが投げ入れられた。なにやら薬のチューブで――『なんくるないさー〈座剤(ざざい)〉』とあった。
『其奴はパパの研究開発チームが開発したんだ。其れをひと塗りすれば、いろいろなことが、どうでも良くなって考えるのが億劫(おっくう)になるんだ。其の合間に同意書を書かせて、ちゃっちゃと、こっちのしたいことを済ませてしまえば、後は全てがエニシングゴーズよ!』
 其の瞬間、カキタレの顔を思い出した。
「おい!まさか……」
『当たり前だ!セラノに早く早くとせっつかれてパパは半狂乱の大パニックになって拵(こしら)えたんだ!カキのタレ蔵にも、尻がゲロ吐くほど塗りたくったに決まってる!ざまあみろ!げっははは。だから其の餓鬼どもが何を云ってたって関係ねえんだ。なんくるないさーを塗って改造しちまえば全てはなんくるないさーになっちまうんだからなあ、ひゃあっははは』
 おれは餓鬼どもに怒鳴った。
「おまえら!良いのか此の儘で!」
 全員が頭を振った。
「よし!手伝え!」
 おれは然う云うと全力疾走する馬車の壁へ手当たり次第に躯をぶちかました。餓鬼どももおれに倣(なら)い、右へ左へと躯をぶつけだした。客車が大きく弾み、とんでもない動きを始めた。御者台からスータカと爺さんの怒声が聞こえた。
「もっとやれ!ぶちかますんだ!世の中をひっくり返せ!」
「畜生!」
「親爺の莫迦野郎!」
「死んじまえ~」
 奴らは真っ赤になってぶちかました。と、馬車は物凄いスピードの儘、大きく傾くと滑空し、悲鳴と共に盛大に引っ繰り返り。おれたちは団子の様にぺっしゃんこに叩き付けられた。気づくと土埃の中、天井がバラバラに砕け、青空が覗いていた。馬車から出るとスータカと御者は遠くに投げ出されて、白目を剥いていた。側に壊れた軸受けを付けた馬が二頭ぼんやりと立っている。おれはそれらを馬車から外してやった。二頭とも素晴らしい馬だった。有り難い事に馬車の荷室に鞍(サドル)が仕舞ってあったので、おれは其れを馬具(ハーネス)と共に装着し直した。
「馬は乗(や)ったことあるか?」
 三人は顔を見合わせ、雀斑が手を挙げた。
「昔、動物園で能(よ)く……」
 おれは雀斑を先(ま)ず乗せ、其れから水筒を二人乗り(ニケツ)させた。
「おまえら、牧場へ行って大急ぎでセラノ邸に繰り出すように伝えてくれ。おわんとカキタレを奪還すると云うんだ。パチヤーゴンってのが長老(おさ)だ」
「ぱちやーごん?」
「ああ、偽(パチ)もんのアレッてことだ。行け!」
 おれが尻を叩くと馬は駆け出した。
「僕は……」残った窓際が呟く。
「おまえには手伝って欲しい事がある。一緒に来い」
「ば……ばかたれ~うえぇぇ~ん」
 呻き声がし、ペンダントみたいな手鏡を見てスータカが泣いていた。鼻と頬と唇と瞼があべこべの火男(ひょっとこ)になっている。
「あっははは!なんだその面ぁ!」
 おれが嗤うと奴は曲がった唇から『ふしゅーふしゅー』と息を吐きながら怒った。
「ああ~は、鼻がぁ~目が~くちぶるがぁ~ふひぃぃぃ」
「心配するな。またパパに魔改造して貰え」
「そ、そんなに何度もしてたら顔が土砂崩れしちゃう!ふわあああ」
 窓際チビが恐ろしい物でも見るように顔を顰(しか)めた。
「僕も斯う成る処だったんですね」
「然う云う事だ。手っ取り早く作った物は簡単に壊れる。本物は手間暇掛けなくっちゃな」
 するとスータカが、ぴーひゃら声で喚きだした。
「わかったろ!ほまえはカキタレらカルろに盗られらのら気にひらないんりゃ!自分らるスでらろで無能な無職のこりきの癖り!ほまえなんかりょり、れったいにカルろの方らカキタレは幸せになれるんりゃ!其れはれっ対のれっ対!ほまえの怒りは間りらってる!」
 おれはスータカの側に近づいた。
 奴は足も変な形にひん曲げていた。
 御者の爺さんは未だ鰺(あじ)の開きのように両手を拡げた儘、鼾を掻いていた。
「らまあみろ!る星らろう!文句りれるもんらら、りってみろ!」
 スータカは勝ち誇ったかのように叫んだ。
「確かにおまえの云う事はみんな図星だ。おれだって其れに関しちゃ怒る気にはなれん」
「りゃっ!りゃあ、なんれこんらひろい事をするんら!」
 おれは〈なんくるないさ〉を取り出した。
「理由はこいつよ」
「あ?へ?そ、それらなんらよ!」
 おれは奴の鼻先にチューブを突きつけ、名前の尻っぺたの所を指差した。
「ざざいってのは何だ?あ?おれだってチューしかしてない女に『座剤』なんか使いやがって!」
「らっ!らって其れはお薬の手(て)りゅんら……」
「錠剤なら、良かったのにな。おやすみ」
 其処迄、云いかけたスータカの顔にもう一発、御見舞いするとおれは餓鬼を乗せて馬を走らせた。

(つづく)

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連載【Yellow Trash】
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平山夢明(ひらやま・ゆめあき)
小説家。映画監督。1961年神奈川県出身。94年『異常快楽殺人』刊行。2006年に短編「独白するユニバーサル横メルカトル」で日本推理作家協会賞短編賞受賞。翌年同短編集「このミステリーがすごい!」第1位。2010年『DINER』で第28回日本冒険小説協会大賞、11年に第13回大藪春彦賞受賞。

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