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平山夢明「Yellow Trash」第13回 あんたは醜いけれどあたしには綺麗(13)

平山夢明『Yellow Trash』シリーズ、完全リニューアルして再始動‼
「あんたは醜いけれどあたしには綺麗」は今回で最終回になりますが、シリーズは続きます。
illustration Rockin'Jelly Bean

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 セラノ邸の門前には守衛が三人残っていた。おれは奴らの目に付かない所で自分だけ下りると手綱を掴んで馬を門(ゲート)の見渡せる位置まで移動させた。酒瓶を片手に門番の奴らはすっかりだらけきっていて、此方に気づく様子はない。
「ど、どうするんですか?」
「思いっきり門番を引っかき回せ。荒れ地の果てでスータカが大変だ、と喚きまくるんだ。おれは其の間に忍び込む」
「え?で、でもどうやって?」
「馬の首っ玉に齧り付いてるだけでいい」
 然う云うと同時に、おれは馬の尻っぺたを思い切りどやしつけた。
『ごひぃぃっ!』
 聞いた事のない声で嘶(いなな)くと栗毛の馬が矢のように門に向かって突進した。三人の門番が目を丸くして右往左往し、馬が暴れまくるのに目を白黒させている。窓際がしっかり掴まってい振り落とされないのを見届けてから、おれは邸をぐるりと囲む刑務所並みの莫迦高い煉瓦塀によじ登った。外側にひん曲げられた柵に注意しながら上に立ち、植え回された椰子の間から様子を窺(うかが)うと庭にも邸内にも警備やその他の人影がない。
 不審に思いながら飛び降り、着地した途端、りんご~んりんご~んと教会の鐘の音が響き渡った。屋根の向こうに十字架を模した槍の先端が見える。おれは其方に向かった。教会の前には警備が突っ立っていた。すると横付けされたトラックから地下へと通じる階段が在り、仕事を終えたらしい作業員が出入りしていた。おれは奴らの合間を縫って地下に入ると階段を駆け上がった。
 途端、パイプオルガンの音がした。メインロビーは無人で式場の扉は内側から鍵が掛けられているらしく開かなかった。おれは脇に在る階段を更に駆け上がった。其処は教会の丸窓から日の差し込む小ホールだった。座席は片付けられて、無人だったが下の式場がまるまる見下ろせた。が、式場とホールの間は水槽のように巨大な透明硝子(ガラス)で仕切られている。式場は丸っきり教会になっていて真ん中の通路を挟んで左右にずらりと並べられた木のベンチには参列者が座って居、セラノと野医者イエス、その横に警察官、またワラビを抱いたおわんとシナチ君が居た。
 正面にステンドグラスで描かれた聖母子像が、中央の祭壇には瀟洒な飾りと共に神父と白いスーツ姿のカルド。其の脇にはウェディングドレスのカキタレが居た。
 既に神父のごにょごにょが始まっており、カルドとカキタレは神妙な顔でその前に立っていた。するとカルドが指輪を取り出し、カキタレの指に嵌(は)め、次にカキタレがカルドの指に嵌めた。また神父が其処でふたりに何事かを呟き、奴らは頷いた。
 次に皆がシーンと見つめるなか、カルドがカキタレの顔を覆っているレースのベールを捲(めく)り上げ、顔を近づけた。
 おれは硝子を拳で思いっきり殴りつけ、叫んだ。
「カキタレ!よせ!」
 振り返った出席者全員がおれを見上げていた。
 セラノの唇が醜くねじ曲がり、歯を剥き出してお巡りの腕を殴り付けるのがわかった。
「カキタレ!おまえは騙されてるんだ!カキタレ!やめろ!」
 目を丸くしたおわんがおれとカキタレを交互に見、シナチ君に何事かを叫んだ。
「カキタレ!やめろ!御願いだ!カキタレ!」
 其の瞬間、ぼうっとおれを見ていたカキタレの目がぶるんっと振動した。唇が震え、其れから全身から絞り出す様な絶叫がした。
『おまえぇぇぇぇぇ!』
 祭壇から駆け下りようとしたカキタレの腕をカルドとセラノが掴んだ。
 おれは隅っこに在ったイエスの十字架を持ち上げると力一杯、硝子に叩き付けた。空が破裂したような大音声(だいおんじょう)と共に硝子の花火が爆発した。おれはホールの手擦りに巻き付けてあった検査用ロープを掴むと其の儘、式場に飛び降り、祭壇に駆け寄った。
 カキタレがおれに抱きついてきた。
「おまえ!」
「カキタレ!おまえは薬でぼやかされていたんだぞ!」
 するとカキタレは返事の代わりにおれにチューをしてきた。
「チューは後だ!莫迦!」
「よかったなあ、おまえ!」
「後だ後!」
「貴様!」
 顔面を真っ赤にしたカルドが殴りかかってき、そいつを躱(かわ)すとおれの背後から飛び掛かったセラノの顔面にヒットした。セラノは吹っ飛び、唖然としたカルドはカキタレの回し蹴りを横っ面に喰らい祭壇から転がり落ちた。
 セラノは自分を起こそうとしたイエスを怒鳴りつけた。
「どうなってるんだ?!あれは!?全然、効かないじゃないか!」
「未だ開発途中だと云ったじゃないですか!」
「莫迦!もう良い!おまえは死ね!」
 セラノはイエスの尻を尖った爪先で蹴り抉った。
「ぎぃぇっす!痔ぃ!イエス痔!イエス痔ぃ!イエ~ス!」
 イエスは尻を押さえながら足を引きずり、助けに来た手下と共に逃げ回りだした。
「父さん!何と云う事を!イエスさんは大痔主なんですよ」
 カルドが目を丸くする。
「莫迦!おまえが父親呼ばわりするのは未だ早い!」
 セラノはカルドにショットガンを渡すと「殺せ!」と云った。
「奴を撃ち殺せば、おまえは正式にカキタレの亭主だ。殺(や)れ!」
 カキタレがおれの前に立ちはだかった。
「此奴を殺るなら、オレを殺れ。オレはおまえなんかの女房になるぐらいなら死んだ方がマシだ」
 その言葉にカルドの顎が落ちた。
「ほ、本気で云ってるのか?カキタレ。そんな踏んだ温泉饅頭のような男のほうが良いって云うのかい?」
「当たり前だ。貴様は反吐が出る程、醜い!」
 カキタレがカルドに向かって唾を吐き、其れが頬に当たった。
「畜生!」
 そう叫んだ途端、カルドが銃口を自分自身に向けた。
「よせ!」おれは叫んだが遅かった。
 轟音がするとカルドの躯が吹っ飛んだ。顔を真っ赤に染めたカルドの純白のスーツがみるみる血で染まっていく。
 おわんを含めた女の悲鳴がした。
 ショックを受けたのかカキタレがカルドを凍ったように見つめていた。
 セラノがカルドの落としたショットガンを拾い上げるとおれとカキタレに向けた。
「儂は此の男のように迷いはせんぞ。貴様、カキタレから離れるか一緒に死ぬか……選べ」
 カキタレが手をぎゅっと握ってきたが、おれは奴の背中を突き飛ばした。
「おい!」
 カキタレは抗議の叫びを挙げたが、おれは無視した。
「おまえまで巻き添えを食う事はない。其れよりカルドを医者に診せてやれ。おい!お巡り!此処はあんたの出番じゃないのか!ひとり瀕死の重傷、もうひとりも死ぬ予定だぜ」
 参列席の真ん中で腕を組んでいるお巡りは頷いた。
「確かにな。だがカルドは自殺未遂だし、おまえは歴(れっき)とした不法侵入と傷害罪だ。俺の目には此の家の主人が侵入者を捕まえようとしたアクシデントにも見える」
「法の解釈は色々だろうが。損するのはあんただ!」
「確かに然うかもしれんが、俺にも俺の考えが有って此処に居るんだ」
 それを聞いたセラノがニヤリとする。
「良い判断だ。また金をやろう」
「それはどうも」
 セラノがおれに銃口を向けた。
 衆人環視のなか、銃殺されるという厭な確信が湧いていた。
「そうか……なるほど。こっちの方が筋道が立つ」
 突然、不敵な笑みを浮かべたセラノが持っていた銃をおれに押しつけた。
「どういうことだ……」
「慌てて我を忘れる所だった。冷静さを欠いちゃいかんな、ははは」然う云うとセラノは警官に怒鳴った。「おい。奴は銃を儂に向けている。撃て!撃たんか!」
「何を莫迦……」おれはショットガンを床に落とした。
「ふん。既に指紋はたっぷり付いておる。さあ、早く撃て!罪状は充分だろう」
「まあ確かにあんたの云い分は検事には効果がありそうだ」
 カキタレが銃を拾おうとするとセラノが腹の拳銃を抜いておれに向けた。
「おまえが銃に触れればこいつは死ぬ」
「どっちにしろ死ぬんじゃないか。早く撃てよ」
「警官が撃った方が話が早い。危ない橋を渡るのは最終手段だ」
 顔を怒りで真っ赤にしたカキタレがセラノに叫んだ。
「あんたはオレに何もかも出鱈目を吹きこんでいたんだ!あんたは自分の妻とその娘を下女にしてオレを欺(だま)していた!幼い頃、オレがお化けが出ると怖がった時もあんたは何故か本気で心配しようともせずニヤニヤしていたな。自分で作り上げたグロテスクな状況を楽しんでいたんだ!あんたは最低だ!」
「あの女は不倫をしたんだ。其の挙げ句に化け物の様な醜い餓鬼を孕(はらみ)やがった。何故、被害者である儂がそんな恥辱を押しつけられなければならない!おわんが化け物なのは、あの女の腐った性根のせいだ。不誠実で悪徳で淫乱な血の御陰で儂が夢見た幸せな家庭が全て台無しになってしまった。残ったのはあの化け物の様な顔の雌犬だけだ!そんな生き物をおまえの母親だと認められるか!」
「オレは寂しかったんだぞ!」
 カキタレが絶叫した。
 俯いて啜り泣いていたおわんがハッと顔を上げた。
「オレは……オレは本当に欲しいものは何一つ受け取れなかったんだ!」
「黙れ!父親が娘を幸せにする為に考えた事だ!誰にも文句は云わせん!此が絶対に幸せになれる道だ。他にはない!おまえのような世間知らずで甘ったれの箱入り娘に人並みの苦労なんぞできるはずがない!だからおまえは儂が決めた男と結婚する!其れ以外に絶対におまえは幸せにはなれん!」
「うわっははははは!あっははは~い!」
 おれは床を蹴りつけて叫んだ。
「なんだ。負け犬の遠吠えなら聴く耳は持たんぞ!」
「あんたは耳があっても聞こえず、目があっても見えず、口があっても話せずって手合いだな!」
「ふっ。何を莫迦な……」
「耳の穴かっぽじって能く聴きやがれ!このゴキ糞野郎!いいか!人間って容(い)れ物(もの)には、どんな形(なり)でも魂ってものが詰まっていてな。そいつは親でも触っちゃいけねえんだ!自分がどうしたいかは自分で決めるんだ!其れならたとえ崖から落っこって不虞になろうが戦えるんだ。ところがな無理矢理、親や他人に押しつけられた道で突っ転んだらそれまでよ。もう二度と立ち上がる事はできねえんだ!あの野医者の糞どもがしているお節介も同じさ!人には楽も苦労も、失敗も成功も自分で決める自由ってもんがあるんだ!目隠しされて連れ回されちまったら、もう一生その目隠しを外すことはできねえ。自分の人生にはならねえんだ!!この糞お節介爺!地獄で悪魔の尻(ケツ)でも拭いてやがれ!」
 セラノの手が素早く動き、おれは顔面が割れた様な痛みを感じた。奴が拳銃で殴りつけたのだ。
「おい!早くしろ!早く撃て!」
 すると落ちていたショットガンをカキタレが拾い上げた。
「何をする」娘から向けられた銃口にセラノが泡を食った。
「オレは此の男と出て行く。こんな家もおまえも二度と見たくない」
「おい!早く撃て!おまえら、おまわりに撃たせろ!」
 その言葉に手下が警官の背後に回り、小突いた。
「セラノさん、こいつはちとやり過ぎでしょう」
「ふん。貴様がぐずぐずしてるからだ。云う通りにすれば後で口が閉まらなくなるほど金をやる。金さえ貰えば、こんな消し屑の様な男の一件など日向のアイスのように跡形も無くなるさ」
「確かにそうですがね」
 セラノに向けられたカキタレの銃口が震えていた――奴は銃の素人だ――素人は怖い。
 おれは溜息を吐いて云った。
「わかったわかった。お巡りさん、あんた、おれを撃ってくれ」
 カキタレがおれをマジマジと見た。「何を云うんだ……おまえ」
「仕方ねえだろ。そうじゃねえと、おまえが父親殺しになっちまう……大丈夫だ。奴は傷つけるだけ、殺しゃしないよ」
「厭だ……」
 カキタレは口を開けたまま泪を零した。
 すると警官が背後にいた手下を振り向きざま、見事な裏拳でぶん殴った。
「貴様!何をする!」
 セラノが銃を向けると警官は〈待て〉というように手を上げ、それからゆっくりと顔を上げた、何か憑き物が落ちた様な寂しくもさっぱりした表情に変わっていた。
 奴は警棒の鍔を掴んで後ろに向けると両肩を竦めてポキリと鳴らした。
 全員が奴の突然の変貌を見つめていた。
「あ~あ。もう少し……時間を掛けてゆっくりと甘い汁を吸わせて貰うつもりだったがなあ。こうなったらしょうがねえ、此処らが潮時かもしれねえや。おい、カキタレ、もうそんなに鯱張(しゃちほこば)ってないで銃を下ろせ。もう良いんだよ」
「何が良いんだ」
「良いんだよ。そんなことしなくたって……セラノ(こいつ)は終わりだ」
「何のつもりだ!貴様!」セラノが叫んだ。
「まあ、御聴きなさいよ。カキタレ、あんた実の妹であるおわんから、おっかさんが不倫したせいで離れ離れにされたと云ったな」
「そうだ!」
「セラノは不倫のみならず、その結果生まれたおわんの顔が不出来なのを見て更に激高し、ふたりを隔離した。そうだな?」
「そうだ!」
 すると警官は苦笑しながら首を振った。
「くくくく。違うんだな……それは違うんだよ、カキタレ」
「なんだと?」
「へるたあすけるたあ」
 警官がぽんっと口から放り出すように云った。
「説明しろ」カキタレが唸る。
「あんたとおわんさん……つまり、全ては彼辺此辺(アベコベ)ってことよ」
 カキタレとおわんが顔を見合わせた。
 いつの間にかセラノの顔面が蒼白になっていた。
 警官がカキタレを指差した。
「あんたなんだよ……不倫相手の子供だったのは……カキタレ。逆におわんさんがセラノの実子なんだ。要はな、セラノは実の子より不倫で出来た子のほうが別嬪だったんで逆上したんだ。そりゃそうだよな、手前天下で逆上(のぼ)せ上がってた頭にいきなり冷や水ぶっかけられたも同然なんだ。しかも最も認めたくない方法でな。いいか、カキタレ。奴が怒り狂ったのは女房の不倫云々よりも不義の餓鬼より実子がブスって事実になんだよ!」
「嘘だろ……」
 おれはカキタレを見た、奴の目も〈真逆〉と告げていた。
「ひどい!」おわんが絶叫した。
 と、セラノが笑い出した。
「わっははは。な、何を根拠にそんな出鱈目を云っておる!莫迦莫迦しい。苦し紛れの茶番はたくさんだ!」
「カキタレ、あんたのおふくろさんは釣った魚に餌はやらねえが口癖のセラノから受ける日々の虐待や女狂いで疲弊しきっていたんだ。そんな時、ひとりの若い英語教師と知り合い、恋に落ちたのさ。そして生まれたのがあんただ。子が宿ったと知った時、彼女は冷め切っている夫婦関係を解消しようと何度もセラノに離婚を求めたんだが自分の態度は棚に上げ、此奴は嫉妬に狂って頑(がん)として撥(は)ね付けた。其れ許(ばか)りか、ふたりを引き裂くとおふくろさんを生まれたあんたから引き離し、強姦同然に再び妊娠させた。そして生まれた我が子の御面相が気に入らないと錯乱した奴はおふくろさんを魔改造すると実子と共に監禁し、後に下女に仕立て上げたわけだ」
 カキタレの目が大きく見開かれた。
「黙れ!黙れ!何処にそんな証拠があるんだ!」セラノが拳銃を握った手を振り回した。
 警官が一枚の紙きれをカキタレに放った。
 それは緊張した面持をした若い青年の身分証明書のコピーだった。
「あんたの本当の父親、つまり俺の兄貴(・・)だ」
「え?」カキタレが喉を詰まらせた。
 警官は頷いた。
 するとセラノが爺(じじい)とは思えない猛烈な体当たりをおれに喰らわせてきた。
 尻餅をつくと奴はカキタレを羽交い締めにし、その喉元に銃を突きつけた。
「おい!儂は今から、此奴と此所を出る!おまえら用意をしろ!車を回せ!」
「は?何を云ってる?狂ったのか?何をするんだ?」
「儂は此奴と結婚する!」
「はあ?」
「ふん。そいつの云ったことは本当だ!つまり儂と此の娘には生物学上の血縁関係は存在せん!」
「離せ!」
 カキタレが身を捩(よじ)ったが爺さんも火事場の莫迦力なのかびくともしなかった。やがて首の圧迫がきついのか奴はショットガンを手から放した。
「よせ!」
「セラノさん……あんた狂ってるよ」
 警官が云った。
「はははは!なんとでも云え!儂は醜いものが嫌いなんだ!おまえらが胸を張って吠えられるのは此の場だけだ!後は金でどうにでもなる!此奴にもなんくるないさー座剤をブチ込めば、また何とでもなるんだ!あははははは」
 其の瞬間、轟音と共に祭壇背後のステンドグラスが木っ端(ぱ)微塵(みじん)に爆発し、数頭の馬が飛び込んできた。
「うわああ!」
 泡を食ったセラノにカキタレが強烈なフックを見舞うと奴は蹈鞴(たたら)を踏んで、愚かにも馬前に転がり出た。
「うぎゃあぁぐっ!」
 馬はセラノの上で一度タップし、其の儘、遥か後方に蹴り飛ばした。
「間に合うたかの~」
 馬上でパチヤーゴンが笑っていた。
「とっつあん!」
 すると教会の扉がぶち破られ、一斉に約束牧場の奴らが飛び込み、野医者を叩きのめし始めた。見ればあの馬車にいた若い奴らも拳を振り上げイエスを追い回し、尻を蹴り上げている。辺りは怒りに燃える曲馬団〈サーカス〉の様相と化していて、おれも適当に近場の野医者を手頃な棒っ切れで殴り付けた。顔を殴り付けられると奴らはあっという間にピカソが描いたような面相に変わり、よろよろと崩れ落ちた。
 カキタレとおわんがセラノを蹴りまくっている。
「おい、それ以上やると糸屑以下になっちまうぞ」
「望むところだ!」
 おわんが花瓶を腹の辺りに叩き付け、唾を吐く。
「ぐびぃ!」セラノは完全に失神した。
「あんた、案外すげぇんだな……」
 見ると場内は阿鼻叫喚となり、形勢は圧倒的に約束チームのほうが有利だった。
 どうやらあの顔の中身はスカスカのユルユルらしく、ちょっとしたパンチで中身が右往左往して元に戻らなくなる。
 と、遠くからサイレンの音が近づいてくるのが聞こえてきた。
「おい!手を貸せ!」
 警官の声がした。見ればカルドを抱えている。
 奴は上半身を血で真っ赤に染めたままピクリとも動かない。それよりも顔が大きく抉れて使用済みのクラッカーのようになっていた。
「未だ息がある!弾は顔をやったが致命傷じゃない!」
 警官はハンカチでカルドの首の辺りを懸命に押さえていたが、おれは実の処、怖くて躯が動かなかった。おわんも脇に突っ立った儘、震えているのがわかった。
「ちっ。呼吸が……ええい!おまえ人工呼吸しろ!」
 警官がおれに怒鳴った。
「え?」
「血の塊が気管を塞ぎそうだ!吸い出してくれ!」
「否……もうそろそろパトカーが着くぜ」
「莫迦!待ってられるか!早くしろ!」
 おれはそれを耳にしながら無意識のうちに何度も唇を舐め、躯に動け動けと命令を出していた。実際の処、カルドはもう真っ青で死んでいるように見えた。
 と、いきなりカルドに飛びつくと顔に吸い付いた奴が居た――カキタレだった。
 カキタレはカルドの傷というか口の辺りに顔を寄せると次々に血を吸い出しては床に吐き出した。
「叔父さん!早く!」
 カキタレの言葉に我に返った警官がおれに叫んだ。
「心臓マッサージをする。血管を押さえてくれ」
 おれは警官の代わりに傷口を押さえた。態勢を整えると警官がマッサージを続ける。
 カキタレの顔はカルドの血で真っ赤だった。気管に詰まっていそうな血を水呑み鳥のように吸っては吐き出している。
 警官と救急隊が登場すると殴り合いは途絶し、壇上にやってきた隊員におれ達は馬を譲った――が、カキタレだけはカルドから離れようとはしなかった。
「あなた御身内ですか?」
 そう尋ねられたカキタレはカルドの滅茶苦茶になった顔とおれを交互に見てから決意したように「そうだ」と答え、担架と共に駆け出して行く。そして出入り口で一度、立ち止まるとおれを振り返った――今にも泣き出しそうな顔をしていた。それからカキタレはウェディングドレスの端を摘まむと小腰を屈め、一礼した。
 おれが思わず拍手すると奴は顔を上げた。血にまみれた顔は壮絶な美しさだった。
「行け!行っちまえ!」
 おれは手を振った。
 奴は何かを振り払うように担架の後を追いかけて行った。
「いいのか?」
 警官が手を拭いた布切れをおれに渡しながら云った。
「ああ、一生ニヤついていられるだけの夢は見させて貰ったからな」
 野医者らが次々と引っ立てられていく。喚き立てるセラノが押さえようとした警官に手を挙げようとして逆に袋叩きに遭っていた。
「あららら」
「奴は終いだ。次はカキタレとおわんの時代になる」
「叔父さん(・・・・)は、どうなさるんだよ」
「俺は今迄と変わりなく市民の平和と安全に献身させて貰うさ」
「ふふふ」
「送るぜ」
「頼む、と云いたいところだが」
 警官が顔を上げると爺さんが馬の上から手招きしていた。
「おれは車より馬の方が好きなんだ」
 警官に手を振り離れると別れ際、奴はおれの尻をパスンと一発叩いた。
「勝手にしろ、ふふふ」
 馬はおれの好きなアラブ種だった。
「こんな良い馬、何処に隠してたんだよ」
「セラノの厩舎じゃ。まだたくさんおる。全部、かっ攫(さら)うつもりで若者が柵を外しとる」
 おれが乗ると馬は門の辺りまで進んだ。爺さんの言葉通り、背中に牧場の若い衆を乗せた馬が駆け出していく、その中にはシナチ君や、あの少年らの姿もあった。
「珍しいの~あのお巡りが手を振っとる」
 振り返ると警官がニヤつきながら、尻を触れという仕草をした。
 触れてみると奴が叩いた側のポケットに丸められた万札が二枚詰められていた。
「あの野郎……」
 おれの苦笑いがわかったのか、警官が大きく頷いた。
「牧場へ来んか?あんたの御陰で此の辺りも大分、風通しが良くなった。のんびり暮らすには最高じゃぞ」
 おれは目の前に広がる道の左右を眺めた。
「否。おれは転がってたいんだ……莫迦じゃないが愚かでいたいからな」
 爺さんは苦笑すると馬に合図し、次いで拍車を掛けた。
 ジェット機のような勢いでカッ飛んでいく馬の背で、ようやくおれは何か〈良かったんだ〉という気持ちが湧き出してくるのを感じていた。

 (了)

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連載【Yellow Trash】

平山夢明(ひらやま・ゆめあき)
小説家。映画監督。1961年神奈川県出身。94年『異常快楽殺人』刊行。2006年に短編「独白するユニバーサル横メルカトル」で日本推理作家協会賞短編賞受賞。翌年同短編集「このミステリーがすごい!」第1位。2010年『DINER』で第28回日本冒険小説協会大賞、11年に第13回大藪春彦賞受賞。

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