平山夢明「Yellow Trash」第11回 あんたは醜いけれどあたしには綺麗(11)
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平山夢明「Yellow Trash」第11回 あんたは醜いけれどあたしには綺麗(11)

平山夢明『Yellow Trash』シリーズ、完全リニューアルして再始動‼
毎週金曜日掲載!
illustration Rockin'Jelly Bean

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 リーダーの小屋はおわんのより百倍見窄(みすぼ)らしく且(か)つ、狭かった。
「此処が約束牧場で初めに建てられた小屋なんです。リーダー自らたった一人で作り上げたんですよ。素晴らしいでしょう」
「犬小屋の親分みたいだけどな」
 おわんが食卓(テーブル)に珈琲を入れたマグカップを置いた。食卓は酷く傾いていて手を離すと横滑りするので常にカップを掴んでいなければならない。
「此の食卓もリーダーさんの手作りかい」
「ええ。とても器用な方なんです」
「なるほど多才な男のようだ……」
「そうかねえ、おれなら、只の〈やった者(もん)勝ち主義〉と云うがね」
 すると外からシナチ君が笑いながらやってくる気配がした。
 背後の扉が開き、シナチ君の声がした。
『おふたりさん紹介しよう。此方(こちら)が我が約束牧場のリーダー、パチヤーゴン様だ』
 カキタレとおわんが立ち上がり、おれは振り返った。途端、おれの顎が落下し――。
「おお!あんた!元気じゃったか!」
 リーダーのパチヤーゴンは、あのお目がご不自由な爺さんだった。
「元気じゃったかじゃねえだろ……なんなんだよ、おまえ」
「あんた、見えんのかよ」
「偽(パチモン)目不自由じゃでの。偶然じゃ、此は本名での。つまりは名前の成せる技じゃ」
「何が成せる技じゃだ……おまえの御陰でこっちは死ぬ様な目に遭ってんだぜ」
「そうかそうか。もしやとは思うとったが……そうか。来たか。成る程成る程」
 爺さんは勝手に独りごち、うんうん頷いて、座った。
「カマしやがって質(タチ)の悪い爺だね。人の親切を虚仮(こけ)にしやがって」
「まあ許せ(かあむ・だーん)。あれもスカウト活動の一環なんじゃ。大事の前の小事じゃ。ところで、あんたがおわんの姉か。おわんとシナチ君を一緒にさせたのは此の儂じゃ。ワラビの父、つまりおわんの前夫は乳搾り中に牛に蹴ら(かまさ)れてのぅ。首がZになってしまったんじゃ。のう……おわん」
「ええ……Zでした」
「必死の介抱虚しく……三日三晩、牛を呪うて果てた。儂は今迄、長い事生きてきたが、あんなに牛を呪うた男を見るのは初めてでのぅ」
「あの老人は何の話をしているのだ」カキタレがおれに囁いた。
「あんたの妹と新しい旦那との馴(な)れ初(そ)めらしい」
「話が見えんな」
「おれもだ」
 爺さんはおわんに酒を注がせると一気に飲み干し、おれを指差した。
「浪人さん!此所はあんたのような捨て鉢な人間でも人生的ホームランがカッ飛ばせるようにと拵(こしら)えた場所。男は何と云ってもホームラン。じゃろ?」
「どうかね」
 爺さんは立ち上がると股間をマイケル揉みし出した。
「如何した?サカるのか?」
「男(ぼーいずん)は生涯球(ボール)と竿(バッツ)!故にホームランが必須(マスト)。おまえさんの人生は此迄、偶(たま)さかでツーベース。普段は出塁(ヒッツ)も儘ならん。ホームラン(ムーランホ)なんてとんでもない。死球(フォア・ボール)かポテチンで相手のミスを誘うか、死球(デッドボール)でなけりゃ二進(にっち)モ三進(さっち)モ、わんだふるわーるどじゃったろう。実(げ)に気の毒な男よ~ぐっすん大黒」
 と、爺さんは目元を拭いた。
「今は何の話だ」またカキタレ(奴)が呟いた。
「牧場の成り立ちと爺さんの精神性(ドグマ)についてだろう」
 爺さんはもう一杯注がせて呑み干すと演説口調を強めながら云った。
「其は何故(なにゆえ)?答(アンサー)は世間から何時の間にか押しつけられた容貌への要望のせい。あんたの中に在る自信のなさや意味の無い自己内省、批判が相手の無意識に作用するのじゃ。つまり、自分の引け目、割れ目が相手のどす黒さを目覚めさせる!つまり自分自身がそんな物を投げ捨ててしまい完全人間体として自由且つ自信に満ち溢れ、塗(まみ)れ果てる事が重要なんじゃ。外見なんか関係ない!要は中身よ!犬を見ろ!パグが醜いと云って首を括るか?ウアカリがAGAに通うか?ワラスボがリエ・シバタに似ていると嘆くか?んにゃんにゃ!そんな事は無い。奴らは全員、生き生きとしておる!其の命の原点の自信を世間の目から取り戻そうというのが此の約束牧場の狙いなんじゃ!」
「まだ続くのか」
「否、肩が上がってきている。そろそろ終わるだろう」
「此で判ったじゃろ」
 爺さんは何度も深呼吸しながら、おれとカキタレへ何度も頷いた。何故か自分の演説がおれたちの心を捕まえたという手応えを感じているのだ。
 と、ドアが開き、先程、野医者に解放されてきた男女が入ってきた。
 パチヤーゴンの目が見開かれた。
「き!貴様らっ!な、何の用じゃ!」
 こざっぱりした服に着替えた奴らは斯(こ)うして見ても何やら緊張(ゾクゾク)するほどの美貌(なり)だった。
 すると男が軽く腰を折り、頭を下げた。
「おやっさん、お帰りなさい」
「おかえりなさいまし」女も膝を軽く曲げ、スカートを摘まんだ。
 爺さんの顎がガクンッと落ちた。
「う……あ……おまえたち、ゴミ猿……こっちは……後家猿か?!……まさか……」
 パチヤーゴンの顎が更に倍落ちた。
「そうなんっす。おとつい夜中に偶(たま)には此と庭でゴソゴソするかっちゅうて、後ろからカイ掘りしとる処、野医者の外道らに遣られまして。ふたりともそのまんま……気づいたら此の様(さま)くれで……すんません」
「莫迦垂れ!だから儂はあれほど、外ではボボするなと云うたじゃないか!」
「へえ」
「親爺さん、すみません!あたしが悪いんです。あたしが偶には星の見える広いとこでしたいしたい云うたからなんです!この人は悪う無いんです!」
 爺さんが苦虫を噛み潰した様な顔になった。
「リーダー、もう先月今月で六人からのメンバーが拉致され、魔改造されてるんです。此の儘、野医者の奴らに好き勝手やらせてたら牧場は……」
 シナチ君が詰め寄った。
「如何しろと云うんだ」
「野医者と一度話しあったらどうでしょうか?互いに意見をぶつけあい落ち着き所を見つけるんです」
「それでどうすると?」
「共存共栄の道を……」
「莫迦もの!!野医者にそんな道理が通ずる筈が無い!奴らは自分の正義を下痢をするまで無理矢理、人の口に詰め込んでくる奴らじゃ」
「でも」
「儂の目が見える内は、そんな事はさせん。もし、如何あってもと云うのなら出て行け」
「リーダー、あなたは現実が見えていない……」
 シナチ君が目を背けた。
「シナチ……悪いが。儂もおまんの云う事は間違ぅちょる思う……」ゴミ猿が呟いた。「そがぁな事したら此所は終いで。其れこそ世間の奴らん、思う壺じゃ」
「おまえにそんな事を云う資格はない!自分だけ伊達に仕上げて貰って良い格好するな!」
「顔で云うてるんじゃないわい!わしゃ此所で云うとるんぞ!此所でのぅ!」
「黙れ!貴様!」
 胸を叩いて叫んだゴミ猿にシナチ君が掴み掛かり、暫く揉み合った所で爺さんの『やめんか!』と云う一喝が互いを押し戻した。
 爺さんが云い放つ。
「敵が切り崩しに掛かって来とるのに仲間割れして如何する。おまえら、仲直りせえ」
 するとゴミ猿がいきなり土下座を始めた。
「どうしたんじゃ」
「おやっさん、堪えてつかい!儂らぁ、此所を去(い)ぬりますけぇ!」
「なんじゃと?」
 爺さんの声にシナチ君とおわんも『えっ』と短く叫んだ。
「すみません!」
 ゴミ猿に並んで後家猿も膝を突いた。
 爺さんは暫くふたりを睨み付けていたが、やがて椅子にがっくりと腰を落とした。
「訳を聞こう。魔改造されたおまえたちが其れでも此所に踏み留まるというのが何よりもみんなの勇気になると思うんじゃがのぅ」
「そうです……そうです!」ゴミ猿が強く何度も頷いた。が、顔を上げると喰って掛かる様に叫んだ。「じゃが幾ら儂らがそう思っていても、仲間は違うんです!現に戻った儂らぁ、見るあれらの目云うたら。それはもう……生き恥晒されとぅような目付きですけぇ。とてもじゃないが此所では生きて行かれません」
 気づくと小屋の窓に幾つも顔がへばりついていた。其れらの眼差しはゴミ猿の言葉を充分に裏付けるほど厳しく、鋭いものだった。
「牧場(ここ)じゃあ、真面(まとも)な面(つら)の者(もん)は生きていかれんです。儂も油断した自分が莫迦じゃったんじゃが、こげぇな伊達に成ってしもうては、最早奴らは儂を仲間だとは絶対に思わんです。其れ所か、儂を野医者の分身じゃ云うてしばき倒そう云うて狙ってますけんのぅ」
 爺さんが〈いやいや〉とゴミ猿達を諭そうとした途端、窓が激しく叩かれた。
『やい!夫婦揃って伊達になってよかったなあ!』
『結局、あんたらは野医者と同じ穴の狢(むじな)だったんだ!けっ!裏切り者!今迄散々、親切にしてやったのが莫迦みたいだったよぅ』
「みんな、よさんか!」爺さんが叫び、おわんとシナチ君が窓を開けて「落ち着いて!」と声を掛けた。が、当然そんなものは効果のある筈もなく窓辺に集まった奴らは口を揃えて『裏切り者』『偽善者』『卑怯者』と罵り、嘲り、嗤った。
 小屋は窓を挟んで騒然とした。するとゴミ猿が突然、流しにあった包丁を手にすると自分の顔に突き立てようとした。
 小屋内に戦慄が走り。おわんと後家猿が悲鳴を上げた。
「よさんか!」爺さんが叫んだ。
 包丁は振り上げられた、が、それは振り下ろされる事はなく宙で止まった儘になった。
「……あんたぁ」涙を頬に伝わらせた後家猿が亭主を見た。
 ゴミ猿の唇が戦慄(わなな)き、カミさんに何事かを告げようとした。
 と、パシャッという音とともに胸に馬糞がぶつけられた。
 外から投げたらしい青白い男が『へへっ!』と頓狂な声を上げたが、直ぐゴミ猿の憤怒に駆られた表情にこそこそと仲間内へ隠れた。
『ちくしょ……』
 ゴミ猿が窓へと足を踏み出そうとした時、ふらりとカキタレが近づき、ハンカチでも受け取る様に包丁を取り上げた。
 全員が呆気に取られる中、カキタレの声が続いた。
「醜い顔にされたからと云って、そう絶望することはない。TVや映画、雑誌を見てみろ、人三化七(にんさんばけしち)、のけ者ばかりじゃないか。しっかりしろ、人間は顔だけではない」
 カキタレは然う云うと流しに包丁を戻した。
 ゴミ猿は窓辺に向かった。馬糞に汚れたイケメンの顔がヌッと暗がりから現れると気圧されたのか集団が少し退(の)いた。
 ゴミ猿は彼らを睨め付けながら、やがて押し殺す様に始めた笑いを馬鹿笑いに変えた。
「あ、あんた……もうよそうよ!」
 腕にしがみついた後家猿の言葉を無視してゴミ猿は叫んだ。
「おい!儂はわかっちょるぞ!貴様らが腹の底でほんまはどう思っちょるか。あはは!はー!」ゴミ猿は馬糞を投げた男を指差した。「やい!口鯨(くちくじら)!貴様、こそっと陰で野医者にほんまは牧場を去(い)ぬりたい。自分はもっと野医者に協力したいんじゃが周りが頑固でどうしようもない云うたらしいの!」
 すると男が飛び上がる様にして『違う違う』と周りの者に手を振った。
「おい!按摩(あんま)猫!おまえも家族一緒に魔改造してくれるんなら牧場の牛をみんな手放しても良いと云うたげなそうじゃの」
 一際でっぷりと太った男がぶるぶると全身を震わせた。
「奴らだけじゃない!おまえらみーんな腹の底では伊達にしてほしいんとちゃうんか?口では顔より心じゃ云うて旗振りよろうがよ。ほんまは今の顔を捨てて只で伊達にして貰うたらめっけもんじゃと云うのが、此処らには、えっと居るがよ!あっははは!はー!貴様らに比べりゃ儂ら夫婦は今迄、表も裏もなく真っ正直にやってきたんじゃ。おまえらみたいな腐れ外道らにはほとほと愛想が尽きたわい!」
 ゴミ猿は然う云うと爺さんの前で一礼し、後家猿の腕を取って小屋を後にした。
「希望を失うてはいかんのじゃ。負け犬にも乞食にも五分の魂よ……のぅ」
 悄気(しょげ)た爺さんをおれはおわん達に預け、おわんのコテージに戻った。

***************

部屋にあった酒に口を付けていると、暫くしてシナチ君とおわんが戻ってきた。
「リーダーはもう求心力を失ってる。ゴミ猿だけじゃない。集まってた奴らもそうさ。結局、誰だって顔さえ治りゃ態度が変わる。みんな腹の底じゃ良い暮らしがしたい。それには一番手っ取り早いのが魔改造して貰う事なんだ。みんな判ってるのさ……もう此所はオシマイだよ」
 その台詞(せりふ)におわんが旦那の頬を張った。
「なにすっ……」
 返事をせずに、おわんは黙って流しで洗い物を始めた。
「ふん」
 鼻を鳴らしたシナチ君は、寝そべっているおれに近寄るとしげしげと睨め回した。
「あんたら仲が良いのか悪いのか判らんな」
「ふん。あんたみたいな流れ者とこっちじゃ事情が違うんだ。世間を逃げ回ったり、簡単に捨てるようなあんたとはな。高みの見物はよしてくれ」
「したかねえけど、ビンタされたあんたが泣きだしそうだったからハンカチが要るんじゃねえかと思ってさ」
「黙れ!」
「へん。俺からすりゃ、野医者も此処らの連中も一緒よ。面のことばかり考えてやがる。目くそ鼻くそ、味噌と糞だ」
「ふん」
 すると又、外が騒がしくなった。
『野医者だぞ!』
 誰かがそう叫ぶ声が聞こえ、シナチ君が飛び出して行った。
 おれが柵の辺りまで行くと出っ歯のイケメンデブが拡声器を持って馬車の周りを走っていた。
『おーい!莫迦の腑抜け~今ならパパが顔を治してやるっつってんぞ~』
「顔は伊達だが随分、頭(オツム)の緩げな御仁だな」
 おれがそう呟くと側に居た女が忌々しそうに吐き捨てる。
「ありゃ、イエスの息子だよ。スータカって云うんだ。あのとおりの盆暗(ぼんくら)で親がああでなけりゃ瓶(ボトル)の蓋(キャップ)も外せない薄莫迦〈ウスバカ〉さ」
「成る程、典型的な面(つら)でっかちってわけだな」
「なんだいそれ?」
「頭でっかち、躯でっかち、面でっかち。豪華一点主義の碌(ろく)でなし野郎って事だ」
 おれは爺さんの小屋へ行き、瓶と襤褸(ぼろ)布。裏の作業小屋から揮発油(ガソリン)を少々拝借した。
 戻ると丁度、馬車の荷台に乗ったスータカが段袋(ズボン)を下ろす所だった。有ろう事か奴は周囲で喚き立てている女達に向かって放尿を始めた。
『うぎゃー』飛沫を浴びた女達が悲鳴を上げて逃げ回る。
「げっししし!ぶす!ぶす!御徒町の面子(めんこ)!」
 おれはスータカと御者に気づかれない様、成る可く近く迄、寄った。
 するとカキタレが難しい顔で馬車を眺めていた。
「わからんな」
「何がだ」
「奴の父親は整形を無料で施すのに、倅(せがれ)は包茎の儘だ」
 おれはスータカの茄子色した柔(やわ)な筒状の其れを見た。
「ああ、確かにそうだな」
「宗教的信条か……」
「知らん」
 カキタレはおれが手にした物(・)を一瞥した。
「何だ其れは」
「さっきから奴は喚き続け、そろそろ喉が渇く筈だろう。酒を奢ってやるのさ」
 おれは襤褸切れに点火するとスータカの荷台へ火炎瓶(モロトフ・カクテル)を放った。
 瓶が割れると同時にボンッと小気味の良い音で炎が立ち上がる。
 スータカは剥き出しの尻が南瓜に変わったように目を見張り、竿先を火炎に向けた。
「巧いじゃないか」カキタレがニヤリとした。
「まあな、これでもF4のエースだったんだ」
「なんだそれは」
「F4(フジサキ4丁目児童公園)の略だ」
 スータカは消火隊宜(よろ)しく包装(ラップ)されたデチ棒を左右に振っていたが、消火水が涸れると折からの突風で火勢が一気に強まった。慌てた奴は開閉鉄(ジッパー)を一気に引き上げる。が、デチ棒の収納を疎(おろそ)かにしたので皮(ラップ)と実を思い切り挟んでしまった。奴は肛門に電極棒(スタンガン)を突っ込まれた豚的悲鳴を上げ、荷台から転落した。其の衝撃でさらに開閉鉄が皮と身を喰い破ったのだろう。這うことも出来ず転がったまま奴は血の混じった小便を撒き散らし〈ママの夫~ママの夫~〉と泣いた。
 上着で火を消した御者(こぶん)が転がっているスータカを拾って馬車の客室(キャビン)に押し込もうとすると奴は放屁し、真面に御者の顔に喰らわせた。余程、酷い臭いだったらしく御者は束の間、記憶が飛んだような表情(アパシー)になったが決死の覚悟で我に返ると御者台に戻り、俺達に中指を突き立てるのを忘れず、去って行った。
 俺が牛小屋で手を洗っているとシナチ君がやって来た。
「あんた、なかなかやるな。火炎瓶っつうんだろ、アレ」
「攻撃は最大の防御なりってな」
「さっきは済まなかった。みっともない所を見られちまったんで、つい」
「〈つい、何かしでかす〉ってのは男にゃ誰でも覚えの有る事だ。水にするぜ」
 おれが手を差し出すと奴は握った。
「あんたなら充分、此所でもやってけそうだ」
「誘いは嬉しいが、おれはあんたも知っての通り、川面(かわも)の葉っぱでね。ひと所には落ち着けねえんだ」
 シナチ君がおれを凝っと見つめた。
「よせ!愛の告白か?」
「……違う。頼みがあるんだ」
「なんだ?ホモはダメだぞ」
「チガウ。カキタレと協力して、おれとおわんを外に連れ出してくれないか」
「なぜだ?買い物に行きたけりゃ、好きにすりゃ良いじゃないか」
「然う云うんじゃないんだ……あんたの彼女だが、あれはおわんの姉だろ」
「らしいな」
「セラノの娘だろ?」
「らしいぜ」
「つまりは俺の義理の姉だ。だったら、此所よりもっと巧い展開が望めそうだ」
「へえ、どんな」
 シナチ君は、ヘッと勿体付ける様な笑いを浮かべた。
「カキタレと一緒になるのか?」
「まさか」
「あっちはそのつもりなんだろう」
「知らんね。女心はハヒフヘホって云うだろ」
「俺達、組んだ方が良いぜ。女どもを巧く乗せてセラノに金を出させ……」
 おれは奴の言葉を遮り『ふわぁ~あ』と大欠伸(おおあくび)をした、真似のつもりだったが途中からは本当になった、欠伸ってやつはつくづく偉大だ。
 シナチ君は目を丸くしていた。
「なんだ?」
「おちょくってんのか?」
「なぜ」
「こっちは真面目に提案(プレゼン)してんだぞ」
 おれは黙って歩き出した。
「待てよ」
 シナチ君が肩を掴んだので振り向いた。
「此所に居る奴はみんな面は拙(まず)いが心は錦(にしき)って聞いたがな。そうじゃねえ、面も中身も一緒って奴もいるようだな」
 おれは奴の手を払うと小屋に戻る事にした。

 其の夜、おれは掻っ込む様に麺麭(ぱん)と燻牛肉(コンビーフ)で腹を塞ぎ、酒を呷(あお)っている爺さん相手に又、欺(だま)しただの、とんでもないだのと文句を垂れて憂さ晴らししてみた。
 愚痴が出尽くした頃、爺さんが口を開いた。
「其処で相談なんじゃが、あんた一層のことカキタレと一緒に此所で暮らしたらどうじゃ」
「どうじゃって、こんなとこで如何すんだよ」
「実は、儂はあんたの顔に似合わぬ優しい心根と勇気に感心しとる。最近では此処らの若い者(もん)では牧場を纏めていくだけの力がない。あんたがカキタレと共に入ってくれると助かるんじゃがなあ」
「冗談じゃねえ。おれはセラノにカキタレと切れねえと首を落とすと云われてるんだぜ」
「ほお、あんたはあんな別嬪(べっぴん)を袖にして遁走するつもりか?」
「釣り合わねえからだろ。プー太郎に毛が生えたおれとくっついて何が楽しいもんかよ。生まれも育ちも練馬と火星だぜ」
「あの子は肝は据わっとるし、見所は大いにある」
「こんな御面相にゃ家賃が高すぎるだろ」
「そうかのう。暫く此所でセラノとの熱(ほとぼり)を冷ませばええのに」
「ふん。そうは産婆が堕ろさないってね」
『オレもパチヤーゴンの意見に反対の反対。つまり賛成だ』
 振り返るとカキタレが居た。
「説明したとおりオレは父の妹と母に対する行為に対し、償いをさせる。其れには少々時間が掛かる。オレが戻る迄、おまえは此所で匿(かくま)って貰え」
「莫迦放(こ)け。裸出歯鼠(ねずみ)じゃあるまいし、大の男がこんな野壺でコソ付いてられるか」
「じゃが、おまえが乗り込んでも何にもならんぞい」
「ぬわぁ?」
「じゃろがい」
 確かに爺さんの云う通りだった。カキタレが単身乗り込んだ方がセラノが折れる確率は高い。
「おまえは足手纏(まと)いだ。勿論、此は良い意味でだ」
「ちっ」
 おれは棚に在った玉蜀黍酒(バーボン)の瓶を引っ掴んで外に出た。
 ずんずん歩くうちに夜気が牧草の懐かしくなるような匂いを運んでき、おれは腹の中のムカムカが治まるのを感じた。昨日、寝床にした樫の木辺りで座り込むと酒で喉を灼き始めた。酔いが回り、口の周りが酒精(アルコール)臭くなってきた処で横にドスンと重みのあるものが落ちてきた――カキタレだった。
 何か云うかと思ったら、奴は無言でおれの腕を引き其の儘、倒した。
「おい。酒が零(こぼ)れっ……」
 寝転がった儘、奴はおれの腕を自分の首に回すと〈腕枕〉にした。おれとカキタレは星を見上げる格好に成っていた。虫の音と時折、牛舎から牛の鳴き声がした。満天の星が広がっている。
「ひとつ教えろ」
 カキタレが空を見上げて呟いた。
「なんだ」
「おまえはオレが嫌いなのか」
「正直に云って良いか?」
「無論だ」
「嫌いだね」
 カキタレが太い溜息を吐いた。
「何故だ?オレが醜いからか?おまえの様に伊達女(イケジョ)じゃないからか」
「あんたの目玉の偏食は理解できなくもないが、其れ以前の問題だ。あんたは好きだの嫌いだのを飯屋の注文みてえに決めちまう。其れ自体がおれには理解の外なのさ。人を好きだのなんだのってのは、もっと複雑で悩ましいものだ」
「それは楊枝で飯を喰うみたいにか?」
「嗚呼。其れでも良い。兎に角、あんたとおれじゃ何もかもが桁外れに違いすぎる」
「火星と練馬ぐらいか?」
「あ??知ってるのか……それ」
「否、たまたま思いついた」
 カキタレは押し黙った、おれはまた奴が出逢った時のような莫迦をするんじゃないかとドキドキしたが其れ(・・)は起きなかった。
 あいつはまた話し出した。
「オレも自分は可怪(おか)しいと気づいてはいた。だが其れは持って生まれたモノで自分ではどうしようもない、またどうもしなくて良いと高をくくってきた。そもそも人間の好き嫌いに厳密な理由も論理的な説明も存在しないからな。其れは此所か此所が決める事だ」
 奴は自分の胸と額(デコ)に触れた。
「誰にも文句は云わせないし、間違っているとも思っちゃいなかった……が、大間違いだったんだ。オレは莫迦だった。妹に逢って其れがわかった」
「おふくろさんか」
「ああ」
 カキタレが大きく息を吸い込むのが聞こえた。
「おわんは母が下女となってから逢いに来たと云ったが、実は其れより以前、母はオレに逢いに来ていたんだと思う」
「本当か?」
「オレは小さい頃、夜中に能く〈お化けが来る〉と癇(ひきつ)けを起こしたらしい。真夜中に女の啜り泣きがし、見ると部屋の隅に人が居る。息を殺していると其れが暗がりからヌッと出てくる。ぐちゃぐちゃに潰れた顔でな。又、時には気づくと頬に触れていたり、目の前に顔を寄せていたりした。オレは其の度に恐慌(パニック)を起こし、叫び狂った……今から思えば、あれはセラノの目を盗んで忍んで来た母だったに違いない……其の時の母の気持ちを思うと……なんと哀れな、自分の不手際から子供と離ればなれになった母が我が子から化け物扱いされ、金切り声で嫌悪する様を目撃するのだ」
 カキタレが洟を啜るのが聞こえた。
 おれは奴の頬に涙が零れているのを見てはいけない気がして顔を反対側に向けた。
 カキタレが頭を退(ど)かし、背中を向けた。
 月の端っこ、夜天の縁を白い粗目糖(ザラメ)のような星がカッ飛んで行った。
「カキタレ、あんた、さっき自分は間違っていたと云ったな」
「そうだ。オレの美醜逆転は自然由来だから自分に責任はないと思っていた。が、其れは間違いだ」
「聴こう」
「オレは母を幽霊だ、化け物だと騒ぎ立てていた。だが恐れたのは意識の上辺(うわべ)だけだったんだ。内なる精神は其れが我が母だと感知していたのだろう。此の怖れつつも求めるという強烈な自己矛盾に対し、未熟な脳が適応させた答えが……」
「好きなのに醜い、醜いから嫌い。怖くなくなるには……」
「美醜の逆転」カキタレは頷いた。
「そんな事が起こり得るのか」
「学者が何というかは知らん。だが、オレが証拠だ。此の現象を作ったのは母を魔改造させたセラノとオレ自身」
 沈黙が続いた、おれは酒を呷った。
「呑むか?」
「いらん」
 虫の音が静かに聞こえ、小屋ごとに温かな橙(オレンジ)の光が灯り、時折、笑い声がした。
 おれは自分の財布から名刺大の紙切れを出して奴に渡した。受け取ったカキタレは背を向けたまま眺めた。
「なんだ結婚してたのか……」
 奴は暫く眺めてから云った。
 紙は写真で、まだ娘のように若い母親がお包(くる)みを着た赤ん坊を抱いている。
「そのチビはおれだ」
 カキタレは反転し、月明かりを使い、おれと写真をしげしげしく眺めた。
「全然、違う。月とポン酢だ」
「其奴がおれの本当の顔なのさ。其の儘なら今頃、ちったあマシに暮らしてたかもな」
 カキタレの顔が〈どうして〉と訊いていた。
「それはおれが地球にやって来て十日目ほどの写真でね。親父が撮ったらしい。おふくろの不倫を知っていた親父は写真機(カメラ)を置くと、おふくろを殴り始めたんだ。おれをバットに使って(・・・)な」
 カキタレが大きく息を吸うのが判った。
「警官が到着した時にはおれは虫の息で親父は息絶えていた。背中におふくろの包丁がトーテムポールのように突っ立ってたそうだ。その後、おふくろは刑務所に行ったっきり音信不通。おれは追加の整形手術で病院と施設を盥(たらい)回し。つまり、おれの家族体験は十日で終わりってわけだ」
 カキタレが写真を返してきたので、おれは紙入れにしまった。
「オレは今のおまえが良いな」
「然う云ってくれるのは此の惑星じゃ、あんただけだろう」
 カキタレがおれを振り返った。
「おまえはどうなんだ?」
「何がだ?」
「顔のことだ。そんなにブスが良いのか?おまえが本気でブスを望むならセラノに口添えして魔改造してやるが……」
 おれはまた仰向けに転がった。
「どうかね……。今更、改造したって過去が変わる訳じゃなし。其れにな」
「うむ」
「残念な面ってのは面白いもんでね。若い頃は悪いとこばっかり目に付く、落ち込む、悲観する、そして絶望する。だがね、それでも我慢して付き合うと段々、諦めが付く、すると許せる様に成る。そこまで行きゃあ不思議な事に好きにもなってくるのさ。おれぐらいになると顔への批評は屁でも無い程度には気に入るようになる。あんたら伊達(ハンサム)は其の逆だ。最初のうちは鏡見て鼻の穴押っ広げて、良い面だと思っていたが年々歳々、疵(きず)が目に付く綻(ほころ)びが気になる。仕舞いには大枚叩(はた)いて顔面器械体操だの魔改造だ。此方(こちら)こそ御同情申し上げたいぜ」
 カキタレが〈ハッハッ〉と笑った。
「おまえはやっぱり面白い!今より顔が醜くても話し相手ぐらいには成ってやっていたかもしれんな。あっはははは」
「そりゃどうも光栄ですな」
 と、突然、カキタレがおれの上に覆い被さった。生温い花畑に顔を突っ込んだような〈いい匂い〉と長い髪に包まれると唇に蜂蜜味のぷるぷるが触れた。
「むっ?むっ?」
 身を離したカキタレにおれは悲鳴に似た声を上げた。
「な、何をする!」
「知らんのか?チューだ。ふふふ」
「ば、莫迦!女からする奴があるか!」
「何故だ?女だってチューはしたくなる」
 ――女のほうから接吻(キス)してきた!其の事実に驚愕しているうちに視界が暗くなり、色々と判らなくなり、おれは意識を失った。

(つづく)

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連載【Yellow Trash】
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平山夢明(ひらやま・ゆめあき)
小説家。映画監督。1961年神奈川県出身。94年『異常快楽殺人』刊行。2006年に短編「独白するユニバーサル横メルカトル」で日本推理作家協会賞短編賞受賞。翌年同短編集「このミステリーがすごい!」第1位。2010年『DINER』で第28回日本冒険小説協会大賞、11年に第13回大藪春彦賞受賞。

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