平山夢明「Yellow Trash」第10回 あんたは醜いけれどあたしには綺麗(10)
平山夢明『Yellow Trash』シリーズ、完全リニューアルして再始動‼
毎週金曜日掲載!
illustration Rockin'Jelly Bean
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「昨日はどうしたんだ」
寝起きの瞼を擦りながらカキタレが云う。
「小屋と反対側に在った樫の木の処(とこ)で寝たのさ。下草がふこふこして気持ち良かったぜ」
「貴様は偶(たま)に何を考えているのか判らん時があるな」
「そいつぁ、こっちのセリフだ」
其の朝、おわんの作った朝飯を小屋で喰っていると突然、酷い鳴音(ハウリング)の混じった叫び声が響き渡った。
『いえす!醜さ故の人生の敗残者ども!今こそ穴熊や土竜(もぐら)のような生活から抜け出す幸運を与えてやろう!いえす!いえす!いえす!』
先ず、シナチ君が飛び出し、おれも後に続いた。
牧場の柵の向こうで馬に乗った男達が蹄(ひづめ)が蹴立てる砂埃を巻き上げていた。中で最も大きな黒毛に乗った男が拡声器(メガフォン)を手にしていた。全員が牧童帽(カウボーイ・ハット)と銀釦(ぼたん)が二列に並んだ濃紺の胴衣(ジャケット)、水色の軍袴(ズボン)に段袋吊り(サスペンダー)をし、首には黄色い肩巾(スカーフ)、白い手袋を着けている。
『貴様らの醜さは貴様らのせいではない!いえす!が、醜い儘でいて善良なる人民を怖れさせ、暗澹(あんたん)たる絶望的な気分にして自殺に追い込む権利もない!!今こそ神の恩寵(グレース)に因って貴様らを救ってやろう!我々が貴様らの人殺しや強姦魔に小児性愛者のような人生を輝く宝石に変えてやろう!いえす!今すぐ投降すれば男も女も伊達(だて)にして帰す!いえ~す!!』
気づくとおわんもカキタレと共に出てきていた。
「ほお。此処らじゃ、チンドン屋が押し売りに来るのか?」
内柵に凭(もた)れ乍(なが)らおれ達は出入りの柵辺りでスピーカーと対峙するシナチ君達メンバーの背中を眺めていた。
「いいえ。あれは全員、医者なんです。野医者です」
カキタレの問いにおわんが答えた。
「いしゃ?あれがか?オレには頭の沸いた騎兵隊マニアに見えるがね」
「あいつら、此処に勝手に来ては仲間を拉致するんです」
「何の為に」
「整形です。奴ら美容整形を本人の意思に関係なく勝手にして物凄い美女や美男にしてしまうんです」
「ううう……なんて奴らだ……人間じゃないな」
睨んだカキタレが唾を吐いた。
『おい!其処の馬の糞!いえす!牛の糞!いえぇぇぇすぅ!』
突然、スピーカーがおれを指さした。
『貴様は醜い!いえす!!見るだけで吐き気がするいえすぞ!まるで覚醒剤(シャブ)をキメ込んだピカソが目を瞑(つぶ)りながら描いたゲルニカの牛だ!いえ~す!こっち来い!』
おれはスピーカーに向かって歩き出した。
カキタレが続き、其の後をおわんが、あたふたしながら付いてきた。
柵を挟んで野医者と牧場の男達が対峙していた。奴らは『帰れ!帰れ』とシュプレヒコールを挙げている。
おれに気づいたシナチ君が近寄って来た。
「あんたは下がってろ」
「彼奴に呼ばれたんだ。怖(お)じ気(け)づいたと思われたくない」
「相手にするな。野医者は歴(れっき)とした医者だが頭の中は間違いなく全員、狂与太郎〈アジャパー〉だ」
「それは判る」
おれは一番前に出た。
「特にリーダーの性難(ショーナン)は狡猾(こうかつ)だ。油断するな」
シナチ君が呟き、並んで立った。
スピーカーが馬上から前のめりに為っておれを確認し、叫んだ。
「いえす!素晴らしい!素晴らしすぎるぞ貴様!いえ~す!」
「何がだ?」
「いえす!見れば見るほど虫唾(むしず)が走る。おまえの顔は前衛芸術や維納(ウィーン)で見る悪夢だ!または四回チェンジした末にやって来る頭の禿(は)げた相撲取りな淫売だ!二日酔いの朝に見る女房の拭かずの肛門!ペストに罹った子供が死に際の悪夢で見る火炙(ひあぶ)りの男!素晴らしい!素晴らしすぎるぞ!いえええ~す!我々〈しょうちゃんクリニックス〉に任せろ!一朝一夕にブラピやデップやクルーズにしてやる!さすれば、おまえは忽(たちま)ち人生の成功者。資本主義の勝者に成れる!今迄おまえを嘲笑(あざわら)っていた奴ら全員、見返す事が出来るんだぞ!」
『然も只だ!ロハだ!アロハ~だ!いえ~す!いえ~す!』
スピーカーの周りもおれを見て呆然としていたが次第にゲラゲラ笑い出し、爆竹に火を点けると撒き始めた。
スピーカーは単眼鏡(モノクル)を取り出すと、おれに向けた。
「ううむ。益々興味深い。其の顔はおふくろの腐った子宮で自然に拵(こしら)えた面(もの)ではないな。いえす!女の子宮では幾ら品質最低の貧乏オソソでも其処まで醜くはできん!おい!貴様一体、如何してそんな醜く情けない人外顔になった!」
「知るか!物心付いた時には、此の御面相だ!」
「ふん。思った通り、最底辺の階級出身のようだな、憐れな。いいか、貴様は産まれ出でた後、母から憎まれ疎まれ蔑まれ否定された証拠に其の顔を授かったのだ!いえす!いえ~す!」
「余計な御世話だ。そんな顔でも此処迄、来れたんだ。あんたよりはずっと立派な肝っタマはあるぜ。ふにゃちん野郎」
「ううううううう……儂は貴様の顔に惚れた!惚れた!腫れた!惚れ(じゅてむ)抜いたぞ!いえす!いえす!いえす!わかるか?聞こえるか?儂の腕が鳴っているのを!貴様の様な顔面を滅茶苦茶に良い顔にしてやりたい!ウズウズする!儂は断固として絶対!貴様のような人類史上最悪な反吐や排泄物の塊のような顔面を攻略してみせる!チョー伊達にしてみせるぞ!いえす!いえす!いえす!」
「随分と御大層な口ぶりだが、こっちにゃ、あんたらが正気にも真面(まとも)な医者にも見えないね。おれは人に何か押しつけられるのが反吐が出るほど嫌いなんだ」
「ふん。貴様は余りの醜さに自分の殻から出られない臆病者なのだ。隠花(いんか)植物どころか日向(ひなた)に打ち上げられた海月(くらげ)の様に人の視線を恐れて生きてきたに違いない。今更、其の習性を捨て切れんのだ。また何もかもが自身の顔の醜さ故という錦の御旗も消したくはない。何故なら本当は単なる自分の努力や勤勉さ、誠実さの不足を言い訳する面が消えちまうんだからな。全ての責任と面と向かって対峙しなくちゃ成らん。そんな恐ろしい事をするよりは醜い儘で居たいのじゃろうが、そうはさせん!!そんな弱い蛆虫どもを地上から消すのが我々、しょうちゃんクリニック医院長である此のイエス性難の使命なのだ!今ならサンプルモニター体験で全額無料!但し保険適用外と為ります!」
「あんた耳鼻科へ行けよ。耳が遠いんじゃないのか?余計な御世話だと云ってるんだよ」
「むふふ。此の期に及んでも殻から出ようともせず『低値安定路線』に固執するか……が、案ずるな。今、将来の貴様を見せてやる!いえーす!」
其の瞬間、馬上で身悶えしながらはしゃぐスピーカーの顔面に馬糞がぶつけられ、奴は落馬した。
――カキタレだった。
「止めろ!此奴はとてつもないイケメンなんだぞ!」
きっぱりとおれを指さすカキタレの言葉に――というより明らかに其の美貌に野医者達はあからさまに動揺していた。
「ゆ、指の向きが間違ってはいないか?いええす?」
仲間に抱き起こされたショーナンが目をパチクリさせた。
「あれ?脳に侘(わ)び寂(さび)が入ったか?耳が遠くなったじゃろか?あんたの云った事がようわからん」
すると、おれの顔を掴んだカキタレが唇を押し当ててきた。
辺りは水を打った様に静まり返った。
「あははは。何だよ……いきなり……よ」
ぽっちゃりと柔らかく、温かで良い匂いのする唇が離れるとおれは頭を掻いて笑った。
「見ろ!此だ!」馬に乗り直したショーナンが絶叫した。「此が儂の云っておる美醜雑婚、最悪の結果だ!気の毒にも此の若い女性からは脳が有頂天に為る余り、人間らしさや誇り、人としての優しさや慈しみが失われてしまった。善悪の区別すら付かなくなってしまった!此こそ善悪のドンテン!有頂天じゃ!有頂天!!」
『そうだそうだ!ウチョーテンだ!うちょーてん!』
と、其処に馬車が着いた。御者(ぎょしゃ)が馬を停めると中から若い男女が下りてきた。着ている物はボロボロだったが顔は驚くほど垢抜けていた。
「ごっ……ゴミ猿?」
シナチ君が叫ぶと男が振り返り、彼を認めると俯(うつむ)いた。
「どうだ!貴様らには其処に居る絶世の美男美女が誰だったか最早、予想も付くまいて!」
スピーカーが叫ぶと其の部下が半切りのモノクロ写真をバラ撒いた。其処には似ても似つかぬおれに似た男女が写っていた。
「無知蒙昧(もうまい)且(か)つ醜悪醜怪の化け物どもよ!此がショーナンの恩寵(グレース)!神の御腕(マイティ・ハンド)の成せる技じゃ!チョベリバ!よっく聞け!此奴らの話を骨の髄髄(ずいずい)ズッ転ばしまで、とっくと能(よ)く聴け!さすれば直ちに身も世も無く成り果て、此の儂に顔の魔改造……」と云い掛けてショーナンは慌てて〈美改造〉と云い直した。「をしてくれと土下座右衞門になるだろう!いえ~す!待っているぞ!チョベリバ!!」
奴はおれに再度、指をさした。
「おれはそんな名じゃねえし!」
「はっはっは。チョベリバは此の絶対美感を持つ儂の脳が貴様の臓物のような顔を見た瞬間に判断した言葉!つまりおまえの顔面が世間に発信している闇の音響を言語化したもの!照れるな叫ぶなまぐわうな!うわっはっは!後で来る!伊達に成りたい者は遠慮無く柵外に出、我らが戻るのを待てい!いえーす!いえーす!」
ショーナンは黒毛に鞭を喰らわすと馬車や仲間を引き連れ去って行った。
「まかいぞう……」カキタレが凝(じ)っと奴の後ろ姿を睨み付けていた。
後ろではシナチ君とおわん達、牧場のメンバーがたった今、戻ったふたりを囲んでいた。
「おまえ……本当にゴミ猿なのか……」仲間のひとりが俯いている男を下から覗き込んだ。
『信じられねえ……あの顔面爆心地(グラウンド・ゼロ)と呼ばれたおまえが……じゃあ、あ!あっちは後家猿か!』
『まさか……。でも、なんか、ほんとに此奴……何処を取ってもジャニ面だぜ……』
『昔、見た事がある。女を酔っ払わせたり、惚れたと思わせて金をふんだくる経済女衒(ぜげん)より良い顔だ』
『莫迦。其れを云うならホストンだ。あいつら、マン汁啜りはホストンって云うんだよ』
『どっちにしても、えらい事よの~』
男は黙ったまま仲間の言葉を聴いてい、其の横では女房らしい女が此又、牧場の女達に囲まれ、おわんが寄り添う様に立っていた。
女の顔は人形の様に目鼻立ちがくっきりとし、赤い唇が顔の中心に添えられた蕾(つぼみ)の様にぽってりと目立っていた。
『ゴケさん!鼻の脇にあった顔ダニの団地痕はどうしちまったのさ!』四十絡みの女が目を皿にして眺め回す。『頬にあったポロックがしでかした様な痣も無いわ!』
『其れに、どんな干し柿よりも干し柿らしかった尻や乳が、まるで空気を入れた風船みたいにパンパンだよ!猫の食い散らかし、生きる卒塔婆(そとば)と呼ばれて此の辺りを風靡(ふうび)したあんたは一体全体、何処へ行っちまったのさ!なっさけない!』
女達が声を荒らげると女は顔を覆って蹲(うずくま)った。其処へ男の輪から離れたゴミ猿が寄り添い、女房を立たせると、ふたりは黙った儘、小屋に戻って行った。
『なんだい!泣いたフリなんかしちゃってさ』
『そうだよそうだよ。あいつら、野医者に取っ捕まえて下さいって顔で、いっつも夜中にふらふらしてたんだからね、ケッ!』
女達の口さがない言葉にシナチ君は苦い顔をした。
「まあまあ。そっとしといてやろう。改造された者は皆、暫(しばら)くは動転して頭が働かないものだ。落ち着いたら皆に説明させる」
『ふん。内心、喜んでやがるのさ。みっともないったらないよ!昔ならこっちに歯茎生出して喰って掛かって来る筈なのにさ、よよと泣き崩れやがって!あー!やだやだ!』
蟲に食われた団栗(どんぐり)そっくりの顔の女が汚いものを振り払う様に頭を揺らす。
「さあ、今日はスタートが遅れてしまった!忙しくなるぞ!みんな持ち場に戻れ!」
シナチ君の言葉にメンバーは牧場の彼方此方へ三々五々に散っていった。
カキタレがモノクロ写真を見詰めていた。
「どうした?」
「野医者の奴、こんなに綺麗な顔だったのを滅茶苦茶にしやがって……奴ら完全に狂ってるな」
「後ろ半分には同意するぜ」
振り返ったカキタレは唸る様に云った。
「おれは絶対に。絶対に。おまえをこんな醜くはさせないぞ。守ってやる!信じてくれ」
「わ……わかった、わかった。処でおまえ、奴らが魔改造と口走ったのを聴いたな」
「ああ……父と関係があるのかもしれん」
「どちらにせよ銭に目の眩んだ筈の外道医者がタダで汗掻くなんて事は手淫(センズリ)手マン以外にゃ有り得る事じゃない。それに親爺さんが御旦であっても不思議はないな」
「オレはおまえと夫婦(みょうと)になる前に父に妹に対する償いをさせたい。そして母をキチンと弔い直してやりたい」
「またまた後半には賛成だ」
小屋に向かって歩き出すと、反対側からおわんが駆け寄って来た。
「姉さん!やっとリーダーが!リーダーが戻ってきました!」
「リーダー?」
「ええ。此処の所、同志が減り続けていたので外部へ出掛けられていたんです。もう御高齢なのに、本当に頭が下がります」
「其奴が何人か狩り集めてきたと云うんだな」
「成果については何も聞かされていません。でも私達の精神的な支柱が戻られたことは確かなのですわ!」
おわんはスキップしながら前を行く。
「其奴は何て名なんだ?」
「エノテカとヴィータからの使者パチヤーゴン様です」
何故だか知らないが、とても嫌な予感がした。
(つづく)
連載【Yellow Trash】
毎週更新
平山夢明(ひらやま・ゆめあき)
小説家。映画監督。1961年神奈川県出身。94年『異常快楽殺人』刊行。2006年に短編「独白するユニバーサル横メルカトル」で日本推理作家協会賞短編賞受賞。翌年同短編集「このミステリーがすごい!」第1位。2010年『DINER』で第28回日本冒険小説協会大賞、11年に第13回大藪春彦賞受賞。