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砂の逆襲 千早茜「なみまの わるい食べもの」#15

[第2・4水曜日更新 はじめから読む
illustration:北澤平祐


 ウリ科の力を実感した夏だった。
 初めて、ひどい夏バテになったからである。湿度に弱く、汗をかきにくい体質故、蒸し暑い季節はしかばねのようになっているが、いままで食欲が落ちるということはなかった。

 しかし、今年の夏は違った。たびたび食べることができなくなった。食べたいという気持ちもあるし、食べものを前にしておいしそうとも思う。なのに、いざ食べだすと胃ではなく胸がつまる。喉から下へものを進めることができない。食卓で、もぐもぐと行き場のない咀嚼そしゃくをくり返すだけのみじめな置きものになっていた。会食などで無理に食べると、帰宅してから盛大に吐く。私は自分の身体が要らぬというものを入れることがどうしてもできない。

 茶も入りにくく、白湯さゆや蜂蜜レモンお湯割りをちみちみとすする。果汁や果物も入る。バナナやマンゴーなどのトロピカルフルーツはちょっと入りにくい。いや、もともとそんなに好きではないか。だんだん元の自分の食性もわからなくなりながら、桃や葡萄ぶどうを食べていた。そんな中、メロンやスイカがすこぶる良かった。食べるそばから浸み込むように水分が入ってくる。熱中症気味でどんよりと熱い身体も嘘のように冷える。喉がひりつくくらい甘く熟したメロンでもちゃんと身体を冷やしてくれる。果物ではないが糠漬ぬかづけの胡瓜や白瓜しろうりも喉を通り、やはり身体を冷やしてくれた。ウリ科すごい、と感動し、積極的に頼った。

 特にスイカにかまけた。もともとスイカは好物で、見かけると欲しくなるのだが、いかんせん重い。カットされたスイカも売っているが、どうも他人が切ったスイカには手が伸びない。小玉スイカを選んでも、他の食材も買えば、なかなかの重量になる。スーパーの袋が手に食い込む。スイカの重さは独特だ。帰路、どんどん重くなっていく気がする。炎天下、生首を運んでいるような気分になり、戦国時代の武士に思いをせる。手柄をたてた瞬間は高揚するかもしれないが、首を持ち帰る道中、きっとその重さにげんなりしたことだろう。

 しかし、夏バテをしている間はスイカ以外の食べものは極力買わずに済んだ。スイカ一個を抱いて帰ればいいだけなので、例年よりはずいぶん買いやすかった。

 ここでひとつ白状したい。以前、「果物を狩るけもの」(『わるい食べもの』収録)で果物は「手と口を汚しながら一心に食べる」と書いたが、スイカだけはこの限りではない。皮つきの三角錐(もしくは半円状)にカットし、皮の部分を持ってかじりつくのが一般的なようだが、あまりしたくない。
 想像してみて欲しい。三角錐に切った場合、食べはじめは鋭角な頂点部分からになる。すると、最後のひとくちは否応なく皮に近い、白っぽく、味の薄い部分になってしまう。このあたり、どこまで攻めるかは人それぞれだが、スイカ好きとしては赤い部分はぜんぶ食べてしまいたい。そうなると、がりりと白い部分を前歯で削ることになる。急に果物というより野菜の味になり、ウリ科特有の昆虫じみた青臭さがただよう。もちろん野菜っぽさも嫌いではない。でも、いまは果物を楽しんでいるのだ。嫌だ。できるなら、赤い、甘くて濃い部分を最後にスイカを終えたい。故にスイカだけは一口大にカットしてボウルに盛る。包丁を使えば白っぽい部分と赤い部分の境目をきれいに切ることができる。そうして、中央の赤みの強い部分をボウルの底のほうに入れ、皮に近い薄い部分をのせていく。そうすれば、だんだんと濃くなるスイカの味を堪能し、もっともスイカらしい味で食べ終えることができる。

 ボウルにかき氷のように盛りあげた、赤いカットスイカをフォークでひょいひょいと口に運びながら、冷房のきいた部屋で仕事をする。大嫌いな夏が優雅な時間に変わる至福のひとときだ。
 しかし、油断してはいけない。スイカを口に入れ、しょむしょむと咀嚼し、スポンジのような繊維にまんべんなくふくまれた甘い水分を感じていると、ガリン!と種を噛み砕く。口腔内にひろがる砂の味。スイカが砂地で育ったことをまざまざと感じさせてくれるが、砂は食べものではない。最悪だ。踏めば砂をあびる罠のよう。

 小さい頃からスイカの種がストレスだった。砂の味を感じたくないので、あまりスイカを咀嚼せず、舌と上顎で潰して呑んでいたら、親から「種をださないと、お腹の中で芽がでるよ」と言われた。いまなら、からかわれたとわかるのだが、当時は青ざめて眠れなくなった。一度、お風呂に入る前、へその中にスイカの種が入っているのを発見して、腹を貫通したのかと気絶しそうになった。みんなで種をぷっぷっ、ぷっぷっと吐きだしながら食べるのも、潔癖だった自分には楽しくなかった。対面の人の唾が飛ぶじゃないか。というか、種がもう唾コーティングされている。最初から種を取っておけばいいのに、と何度も思ったが、言えなかった。

 大人になり、自分のお金でスイカを買うようになって、私はようやく理想の食べ方を実現できた。丸ごと一個をまず半分にして、種が集まっている層の当たりをつけて切り、竹串か包丁の先で種を弾きだしていく。一口大にカットし、また種を省き、ボウルに盛る。手間はかかる。けれど、台所で立ったまま、ちまちまスイカを理想のかたちにする時間は嫌いではない。美味のためのひと手間はどんなに参っている夏でも苦ではないのだ。

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【なみまの わるい食べもの】
毎月第2・4水曜日更新

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千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で09年に泉鏡花文学賞、13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞、22年『しろがねの葉』で直木賞を受賞。小説に『赤い月の香り』『マリエ』『グリフィスの傷』など、エッセイ集に『わるい食べもの』『しつこく わるい食べもの』『こりずに わるい食べもの』などがある。
X: @chihacenti

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