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第一話 冬至 早川光「目で味わう二十四節気〜歴史的名器と至高の料理 奇跡の出会い〜」

器と料理に精通した早川光が蒐集した樂吉左衛門、尾形乾山、北大路魯山人などの歴史的名器に、茶懐石の最高峰「辻留」が旬の料理を盛り込む。
「料理を盛ってこそ完成する食の器」
二十四節気を色鮮やかに映し出した“至高の一皿”が織りなす唯一無二の世界を、写真とともに早川光の文章で読み解くフォトエッセイ!
[二十四節気ごとに更新]

Photo : 岡田敬造、高野長英


第一話「冬至」

2023年12月22日〜2024年1月5日

 冬至とは、北半球において太陽の位置が一年で最も低くなり、日の出から日没までの時間が最も短くなる日のこと。
 
 古代中国では、この翌日から少しずつ日が長くなっていくことから「冬至に太陽が生まれ変わり、陽の気が増えていく」と考えました。これを「一陽来復いちようらいふく」と呼び、日本でも「それまでの不運が幸運に転じる日」として信奉してきました。
 今も各地に「一陽来復」のお守りを授与する神社があり、冬至には参拝客で賑わいます。
 
 そして冬至の風物詩といえば、柚子を浮かべて入浴する「柚子湯」。この「柚子湯」も、一陽来復を願い、心身を洗い清める"みそぎ"が転じたものと言われています。
 
 そんな「冬至」の器は、柚子にゆかりのある『赤楽ざら』。
樂吉左衛門家十一代慶入(1817〜1902)の作品です。

 「柚味噌」とは、柚子の実の上部を切り、果肉をくりぬいた中に果汁と味噌を混ぜたものを入れ、皮のまま火にかける料理のこと。その見た目から「がま」とも呼ばれます。
 
 そして『柚味噌皿』は、樂吉左衛門家に、四代一入(1640〜1696)の頃から代々受け継がれている向付のひとつ。口縁がやや端反りになった、皿というより鉢に近い形状で、柚味噌を盛るのにぴったりの大きさです。
 シンプルな器ですが、温かみのある朱色に暗灰色の火変わり(窯変)が現れ、それが景色となっています。
 
 この器に盛る『懐石 辻留』の冬至の料理は『海老芋 うずら叩き寄せ 壬生菜 刻み柚子』。

 だしで炊いた海老芋と二度挽きしたうずらの叩き寄せ、そして緑青色の壬生菜と山吹色の柚子が、丸い器の中で小さな箱庭のように調和した、美しい一品です。
 うずらは厳冬期に備えて脂がのった12月がまさに旬。その滋味溢れる叩き寄せに、刻み柚子が冬の香りを添えています。
 
 もうひとつの器は、永樂妙全(永樂善五郎家十四代得全の妻 1852〜1927)の『祥瑞写捻文皿しょんずいうつしねじもんざら』。

 祥瑞とは、中国明時代の崇禎すうてい年間(1628〜1644)に景徳鎮窯で、日本の茶人の注文によって作られたとされる染付磁器のこと。
 白い素地に藍色の染付で吉祥文様(縁起がいいとされる図柄)が描かれているのが特徴で、この『祥瑞写捻文皿』は永樂妙全によってその写しとして作られたもの。
 器の中心には縁起物である宝珠ほうじゅを抱えた獅子が、周囲には梅、竹、紗綾形さやがた、雷文などの吉祥文様が捻れた形(捻文)で描かれています。
永樂妙全の絵付けはオリジナルの祥瑞と比べて線が柔らかく、獅子の顔もどこか愛らしく見えます。
 
 そもそも「祥瑞」という言葉には「めでたいことが起きる前兆」という意味があり、新しい年に向けて一陽来復を願う冬至には、ぴったりの器と言えるでしょう。
 
 盛る料理は『越前がに 寿のり うど ちしゃとう』。

 越前がに(福井県で水揚げされたズワイガニ)は日本海の冬の味覚の代表。
『懐石 辻留』では殻つきのまま塩茹でしたかにの足に、生姜汁と柚子のしぼり汁を合わせた"生姜酢"を添えて供します。その爽やかな酸味がかにの塩味を和らげ、深い旨みを引き出すのです。
 
 目を引くのは、かにの足の鮮やかな赤と器の深い藍色のコントラスト。その手前には拍子木切りにした寿のり(水前寺のり)の黒、うどの白、ちしゃとう(茎レタス)の翡翠色ひすいいろが見事なバランスで配置されています。
 かにの足が三本なのは、奇数を「陽数(縁起のいい数字)」とする古い和食の作法で、陰陽思想に由来するもの。これも一陽来復の冬至に合わせた、心遣いなのです。

コラム「冬至と柚子湯」

 冬至の日に柚子湯につかる習慣が生まれたのは江戸時代から。江戸の銭湯が行った「催し湯」のひとつとして、冬至の日に柚子を入れたのが始まりと言われています。
 柚子と冬至の関連については諸説あり、定説はありませんが、同じ催し湯である「菖蒲湯」に厄祓いの意味があるように、柚子の清冽な香りが「厄災を祓い、一陽来復の運を呼び込む」と考えたからではないでしょうか。

プロフィール

早川 光(はやかわ・ひかり)
著述家、マンガ原作者。『早川光の最高に旨い寿司』(BS12)の番組ナビゲーターを担当。『鮨水谷の悦楽』『新時代の江戸前鮨がわかる本』など寿司に関する著書多数。現在は『月刊オフィスユー』(集英社クリエイティブ)で『1,000円のしあわせ』を連載中。
 
ブログ:「早川光の旨い鮨」

懐石辻留料理長・藤本竜美
初代・辻留次郎が裏千家の家元から手ほどきを受け、1902年に京都で創業した『懐石 辻留』。その後、現在に至るまでその名を輝かせ続け、懐石料理の“名門”と呼ぶに相応しい風格を纏う。北大路魯山人のもとで修業した3代目店主・辻義一氏から赤坂の暖簾を託されたのが、料理長の藤本竜美氏。「食は上薬」を肝に銘じて、名門の味をさらなる高みへと導いていく。
 
HP:http://www.tsujitome.com


注釈/樂吉左衛門

 千利休の求めで茶碗を焼いた樂長次郎(生年不詳〜1589)を初代として、現在十六代を数える樂吉左衛門家。
 茶碗の窯として創始したため初代から三代道入(1599〜1656)までの作品に食器は少ないが、四代一入(1640〜1696)以降は菊皿、膾皿なますざら蛤皿はまぐりざらなど、様々な茶懐石用の器を手掛けてきた。
 樂家の食器はすべて楽焼と呼ばれる軟質施釉陶器だが、同じ形の器でも釉薬の微妙な違いによって趣が変わる。とりわけ赤樂の食器は各代ごとに赤の発色や窯変が異なり、それが見どころとなっている。
 歴代の中で多くの食器を残しているのは四代一入、六代左入(1685〜1739)、九代了入(1756〜1834)、十二代弘入(1857〜1932)で、中でも「樂家中興の祖」と呼ばれる了入は、皿や鉢、向付を得意とし、箆使いの技巧を施した名品も伝世している。

注釈/永樂善五郎 

 室町時代から土風炉どぶろ(土器の風炉)を制作してきた善五郎家が、向付や皿などの食器を焼くようになったのは、十代了全(1770〜1841)以降のこと。
 その了全と十一代保全ほうぜん(1795〜1855)の陶技を高く評価した紀州藩主の徳川治寳とくがわはるとみ(1771〜1853)から「永樂」の銀印を拝領したことを機に、善五郎家は「永樂」を陶号として使うようになった。
 十一代保全は歴代の中でも名人として知られ、こうやき、古染付、祥瑞しょんずい、金襴手といった中国陶磁の写しを得意とした。
 中でも緑、黄、紫など色鮮やかな釉薬を使った交趾写しと、質の高い呉須(顔料)を用いた古染付写しの美しさは、本歌(オリジナルの器)に勝るとも劣らない。
 保全の高い技術と美的センスは十二代和全(1822〜1896)以降も脈々と受け継がれ、今も京焼を代表する窯元として、端正にして華やかな器を作り続けている。

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