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肉のお花畑 千早茜「なみまの わるい食べもの」#4

するどい言葉と繊細な視点で、食と人生の呪縛を解く。人気エッセイ「わるたべ」がHB連載に帰ってきました!

[第2・4水曜日更新 はじめから読む
illustration:北澤平祐


 以前、餃子を包む作業を「兵馬俑へいばようをおこなう」と書いたことがある。我が家は九割が水餃子で、焼き餃子は滅多にしない。特に冬場は水餃子ばかりだ。土鍋や鋳物鍋を卓上コンロにのせて、薬味をたくさん並べ、ぐらぐら沸く湯に兵馬俑(水餃子)をぽいぽい放り込みながら、鍋料理の感覚で食べる。
 
 春が近づき、まるまるとしたキャベツがスーパーに並びだすと、「次は兵馬俑じゃなくて、肉のお花畑しようか」と夫に言うことが増える。
「肉のお花畑」とはなにか。餃子と同じく、肉と皮でできているものである。しかし、キャベツは入れない。キャベツは蒸し器に敷く。包むのは餃子よりずっと簡単。ひだもいらない。そう、焼売だ。淡い緑のキャベツの葉の上で、フリルのように皮をまとわせてふんわりと蒸しあがった焼売はまるで肉のお花。「あちあち」と頬張れば、肉汁と干し貝柱の旨みが口いっぱいにひろがり、大きめに刻んだ玉葱がしゃくしゃくと甘い。下に敷いたキャベツの葉ももちろん食べる。肉汁を吸った蒸しキャベツに豆鼓トウチだれをかけて食べながら、次のお花畑が蒸しあがるのを待つ。蒸し器をだすと部屋の空気が丸くなる気がしていい。
 
 しかし、昔は焼売が得意ではなかった。特に冷めたものの匂いが駄目で、弁当などに入っていると大変に困った。新幹線などで隣の人が焼売でびっしりの駅弁を食べだすと、しばらく心をどこかへ飛ばさなくてはならなくなる。虚ろな目をして、天井を仰ぎ、挽肉ひきにくは鬼門だ、と思う。
 以前、豚の脂身が苦手でトンカツを食べられないと書いたことがある。衣をまとっているからどこが脂身かわからず、まるで黒ひげ危機一髪のような食事になってしまう。「ヒレ」と部位を明記してくれないと安心して食べられない。挽肉もまた黒ひげ危機一髪的要素がある。一体どこの部位を挽いた肉なのか。脂の多い部位であった場合、噛んだ瞬間に「うっ」と口を手でおさえることになってしまう。
 
 ちなみに、「わるたべ」の感想に「脂身が嫌いなんてグルメじゃない。あんなにおいしいのに」というようなものがあったが、私とあなたが違う人間であるのと同様に、私の「おいしさ」とあなたの「おいしさ」は違う。そして、私は自分のことをグルメと書いたことは一度もない。
 ただ単に、脂身が体に合わないのだ。子供の頃よりは食べられるようになったが、たくさん摂ると腹を下したり胃もたれしたりする。体が受けつけないと匂いも駄目になり、脂身を口に入れた瞬間に吐きそうになるようになった。体調が悪い日は嗅覚も鋭くなるので、より体の拒絶が激しくなる。前に、友人が鍋の肉団子を口に入れてすぐさま吐きだしてしまったことがあり、後で訊いたら私と同じく脂に弱いとのことだった。彼女も同じく嗅覚が鋭い。そのとき、私は警戒して肉団子を食べないようにしていた。火が通ってしまった挽肉は脂身と赤身の割合がわからず、より鬼門である。
 
 餃子なら肉の量はあんがい少ない。しかし、焼売はごろりとした挽肉の塊だ。挽肉のおにぎりといっても差しつかえない雰囲気がある。スーパーの挽肉を凝視しても、部位も脂身の割合も書いてないところが多い。ムネ、モモ、と表記してくれるのは鶏挽肉だけだ。豚や合挽には、迂闊うかつに手をだせなかった。
 
 そんなとき、去年まで通っていた料理教室で先生が「わたしは挽肉は買いません。塊肉を冷蔵庫に常備して、必要になったらそのつど包丁で叩いて使っています」と言った。そうか、好きな部位の肉を買って自分で挽肉を作ったらいいのだ、と目の覚める思いだった。
 それから焼売を作るようになった。赤身の色が強い豚肩肉が好きだ。両手に包丁を持ってどどどどと振りおろす。ストレスが溜まっているときは楽しい。自分で作る挽肉は粗さの調節もできるし、体調次第で脂身を除くこともできる。おまけに、苦手な酸化した脂の匂いもあまりしない。挽肉は塊肉より空気に触れる面積が大きいので酸化しやすいのだ。
 
 しかし、自分で叩くのはなかなか時間もかかる。どうしても飛び散るので、掃除やまな板の除菌も必要になってくる。時間に余裕があるときしかできなかったのだが、近年、最寄りのスーパーや肉屋に赤身挽肉なるものが登場した。見るからに赤く、脂身を感じさせない。これは、と思い使ってみた。問題なく食べられる。それから、春の焼売の頻度が高くなっている。
 
 ちなみに、トンカツが食べられないため、カツ丼は未知の食べものだったのだが(衣のうえに卵でまでコーティングされたら黒ひげ危機一髪の難易度が高すぎる)、ヒレカツを買ってきて自分で作ったらいいのではと気づき、やってみた。出汁だしはちゃんと鰹節と昆布で取り、卵もたっぷりと使って半熟に仕上げた。
 不惑を越えて初めて食べたカツ丼はとんでもない美味しさだった。炭水化物と出汁と揚げものと卵の融合は最強だと思った。これを知らない人生を歩んできたのかと思うと悔しさが込みあげた。どんぶり片手に「うまくて気絶しそう……これは犯人も自白するわ」と涙目になった私に、夫は温情あふれる刑事のような憐れみの眼差しを向けた。

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【なみまの わるい食べもの】
毎月第2・4水曜日更新

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千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で09年に泉鏡花文学賞、13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞、22年『しろがねの葉』で直木賞を受賞。小説に『さんかく』『赤い月の香り』『マリエ』など、エッセイ集に『わるい食べもの』『しつこく わるい食べもの』『こりずに わるい食べもの』などがある。
X: @chihacenti

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