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第七話 春分 早川光「目で味わう二十四節気〜歴史的名器と至高の料理 奇跡の出会い〜」

器・料理に精通した早川光が蒐集した樂吉左衛門、尾形乾山、北大路魯山人などの歴史的名器に、茶懐石の最高峰「懐石辻留」が旬の料理を盛り込む。
「料理を盛ってこそ完成する食の器」
二十四節気を色鮮やかに映し出した“至高の一皿”が織りなす唯一無二の世界を、写真とともに早川光の文章で読み解くフォトエッセイ!
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Photo:岡田敬造、高野長英


第七話「春分」

2024年3月20日〜2024年4月3日
「春分」とは太陽の中心が「春分点」(天の赤道を南から北へ横切る点)を通過すること。この通過する日を「春分日」と呼び、一日の昼と夜の長さがほぼ等しくなります。
 
 春分日はまた、太陽が真西に沈むため、古来「極楽浄土と現世が交流しやすい日」とされてきました。それは仏教の浄土思想で、極楽浄土は西方にあると考えたから。春分日を中日として前後3日を合わせた7日間に先祖の墓参りをする習慣ができたのは、これが理由と言われています。
 
 そして春分のこう(二十四節気の一気を3つに細分化した「七十二候」のひとつ)は「さくら初開はじめてひらく」。桜前線が北上し、日本各地から開花宣言がきこえてくる頃です。
 
 そんな「春分」の器は、五代清水きよみずろくろく(1875〜1959)の『色絵雲錦文うんきんもんすかしぼり向付』。

 清水六兵衛は、江戸時代に京都五条坂で開窯し現在八代を数える清水きよみず焼陶工の名跡。五代・六和は、明治30年代から昭和の初めにかけて活躍した人で、京都の伝統的な意匠を研究し、それを作品に取り入れたことで知られています。
 
 直径12センチの小ぶりな向付ですが、色絵と金彩で春の桜と秋の紅葉が緻密かつ繊細に描かれており、口縁の近くには透かし彫りが施されています。
 
 このように季節の異なる桜と紅葉を一緒に描く文様のことを「雲錦文」と言います。平安時代の歌人・きの貫之つらゆきが『きん和歌集』のじょ(序文)に書いた「秋のゆうべ、竜田川に流るる紅葉をば、帝(みかど)の御目に錦と見たまひ、春のあした、吉野の山の桜はひと麻呂まろが心には雲かとの見なむ覚えける』という一文を具象化したものとされ、器だけではなく、着物や帯の意匠としても使われています。
 
 そして、この器に盛られた『懐石辻留』の春分の料理は『鯛湯引き 松菜 岩茸』。

  春分の頃の鯛は、産卵期を控えて身が太り、体の桜色が鮮やかになることから「桜鯛」と呼ばれ、珍重されます。
『懐石辻留』では、鯛の皮目に熱湯をかけて「湯引き」にします。
このひと手間で、最も美味とされる皮と身の間の部分の旨みを引き出すのです。
 湯引きで締まった鯛の皮目はまるで桜の花のよう。その下に黒い岩茸を、器に描かれた木の幹と繫がるように配置することで、器と料理が一体となっています。
 その美しさに思わず息をのむ、見事な盛りつけです。
 
 もうひとつの器は古伊万里・古九谷様式『染付 桜花と桜川文皿』。
今から約350年前、江戸時代の寛文かんぶん年間(1661〜1673)の頃に作られたものです。

「桜川文」とは桜の花が川面に流れる様子を文様化したもので「桜流し文」とも呼ばれます。流れる水は濁らず清らかであり、そこに美しい花が浮かんでいることから、幸運をもたらす吉祥きっしょう文様のひとつとされています。
 古伊万里では色絵で描くことが多い意匠ですが、この器は川面も桜の花も藍色の濃淡だけで表現されており、そこに気品と格調の高さを感じます。
 
 料理は『口取くちとり 海老パン 鯛の子の旨煮 ばな含み漬け 小鯛寿司はじかみ いか雲丹うに焼き』

  口取とは「口取りさかな」の略で、酒肴しゅこうにふさわしい小さな料理をひとつの器に盛り合わせた和食のオードブル。品数を奇数にするのが習わしです。
 海老のペーストをパンに挟み、油で香ばしく揚げた「海老パン」。茹でた菜の花にだしの味を含ませた「菜花含み漬け」。いかの白焼きに塩うにを重ね塗りした「いか雲丹焼き」。どれもそのままコース料理の一品として出せるほどの上質な酒肴。日本酒と合わせると、口の中で旨みの花が開きます。
 5つの料理を三方にあしらい、海老パンの桜色、雲丹の橙色、はじかみの赤色を立たせた配色も艶やか。まさに桜の季節の宴席にぴったりのひと皿です。

プロフィール

早川 光(はやかわ・ひかり)
著述家、マンガ原作者。『早川光の最高に旨い寿司』(BS12)の番組ナビゲーターを担当。『鮨水谷の悦楽』『新時代の江戸前鮨がわかる本』など寿司に関する著書多数。現在は『月刊オフィスユー』(集英社クリエイティブ)で『1,000円のしあわせ』を連載中。
 
ブログ:「早川光の旨い鮨」

懐石辻留料理長・藤本竜美
初代・辻留次郎が裏千家の家元から手ほどきを受け、1902年に京都で創業した『懐石辻留』。その後、現在に至るまでその名を輝かせ続け、懐石料理の“名門”と呼ぶに相応しい風格を纏う。北大路魯山人のもとで修業した3代目店主・辻義一氏から赤坂の暖簾を託されたのが、料理長の藤本竜美氏。「食は上薬」を肝に銘じて、名門の味をさらなる高みへと導いていく。
 
HP:http://www.tsujitome.com


注釈/古伊万里

 古伊万里は有田、三河内、波佐見などの肥前国(現在の佐賀県および長崎県)で、江戸時代に生産された歴史的価値の高い磁器の総称。伊万里の名がついているのは、江戸時代にこれらの磁器が伊万里港から出荷されていたためである。
 古伊万里はその制作年代によって焼成や絵付の技術、釉薬などに違いがあるため、研究者によって細かく分類されている。
 肥前国で磁器製造が始まった1610年代から1630年代頃までの器を「初期伊万里」、続く1640年代から1660年代頃の器を「古九谷様式」、1670年代から1680年代頃の器を「柿右衛門(延宝)様式」などと呼ぶ。
 古伊万里が技術的に成熟し、最も充実していたとされるのは、芸術や文芸が花開いた元禄年間(1688〜1704)で、この頃に生まれた「金襴手様式」の器はヨーロッパへの輸出品としても人気を博した。

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