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第八話 清明 早川光「目で味わう二十四節気〜歴史的名器と至高の料理 奇跡の出会い〜」

器・料理に精通した早川光が蒐集した樂吉左衛門、尾形乾山、北大路魯山人などの歴史的名器に、茶懐石の最高峰「懐石辻留」が旬の料理を盛り込む。
「料理を盛ってこそ完成する食の器」
二十四節気を色鮮やかに映し出した“至高の一皿”が織りなす唯一無二の世界を、写真とともに早川光の文章で読み解くフォトエッセイ!
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Photo:岡田敬造、高野長英


第八話「清明せいめい

2024年4月4日〜2024年4月18日
「清明」とは「清浄しょうじょう明潔めいけつ」を略した言葉。「すべてのものが清らかで生き生きしている」という意味です。
空気は澄み、日差しは明るく、花々が咲き、鳥が舞い、しんばんしょうが鮮やかに見えて、人々の心も活力にあふれてくる頃。
 
 この時期に東南から吹く風を「清明風せいめいふう」と呼びます。 冷たい北風から心地よい風に変わって、春の盛りを知らせます。
 そして、暖かな風と日差しで木々が新芽を出し、山全体が明るく色づく様子を「山笑う」と言い、俳句や連歌では春を表す季語となっています。
 
 そんな「清明」の器は、古伊万里・古九谷様式の『あおたけすずめもんねじふち皿』。
 春の陽光を思わせる黄色のようを背景に、鮮やかな緑の竹の葉と可愛いらしい雀が、下から見上げたような構図で、生き生きと描かれています。

「青手」とは、古九谷様式の色絵磁器の中で緑色を多く使った器のこと。古い日本語では緑色を「青」と表現したため、この名称で呼ばれます。絵の輪郭を黒で線描きし、そこを緑、黄、紫などの絵の具で塗り埋めるというのが特徴で、赤色を使わないという共通点があります。背景に余白がないため重厚な印象を与え、小さな皿とは思えない迫力を感じます。
 また、この器のように口縁部を捻った形にした皿を「捻縁皿」と呼びます。これは見込み(器の内側)に視線を集め、強調する効果を狙ったものと考えられています。
 
 そして、器に盛る『懐石辻留』の清明の料理は『ます塩焼き 木の芽酢』。

 『懐石辻留』では、数種類ある日本のます(サケ科サケ属でマスと呼ばれる魚)の中で、春に旬を迎える「サクラマス」を使います。ひと塩してから、炭火で余分な脂を落とし、皮はパリパリに、身はふっくらと焼き上げ、そこにすりつぶした木の芽(山椒の新芽)と酢を合わせた「木の芽酢」を振って供します。
 
 器の真ん中に置かれたサクラマスは、その淡い朱鷺とき色がごりの桜を思わせます。食べると、隠れていた雀が顔をのぞかせるというのも、楽しい趣向です。
 
 名残の桜が見頃を終えるのと入れ替わるようにして、開花するのが「藤」。「藤」はその清らかな美しさから高貴な花とされ、また繁殖力が強いことから、子孫繁栄を願う吉祥文様として、古くから陶磁器に描かれてきました。
 
 そこで選んだもうひとつの器は、永樂善五郎家十二代・ぜんの『にんせいうつし 色絵草花文皿 藤』。かきつばた、鈴蘭、もくしゅんぎくなど10種類の草花文を描いた絵替り皿の一枚です。

「仁清写」とは、江戸時代前期の陶工で「京焼の祖」とも呼ばれる
野々ののむら仁清(生没年不詳)が手がけた陶器の写しという意味。
 そして永樂和全は、同じ京焼の陶工として、先人である野々村仁清に私淑し、嘉永5年(1852)、京都の仁和寺門前にあった仁清の窯跡に、自らの窯を築いたことで知られています。
 ゆえにこの皿には、和全の仁清に対する畏敬の念がこめられていると言っても過言ではありません。ちなみに「藤」は、仁清の代表作であり、国宝に指定されている『色絵藤花文ふじばなもん茶壺』に描かれた意匠です。
 
 器に盛る『懐石辻留』の料理は『豆腐 木の芽田楽でんがく』。

 短冊状に切った豆腐に竹串を打ち、白味噌に木の芽を加えた「田楽味噌」を塗って、炭火で焼いたもの。
 焼き目のついた味噌の香ばしさと優しい甘みが、豆腐の味を引き立て、そこに木の芽が清明風のように爽やかな香りを添える、春の料理。
 
『懐石辻留』では、ほうれん草を「青寄せ」(緑色を出すための着色料)に使うことで、田楽味噌を色鮮やかに仕上げます。その若葉色と豆腐の白が、器の藤の花と美しく調和しています。まさに「清浄明潔」の時期にふさわしい盛りつけです。

プロフィール

早川 光(はやかわ・ひかり)
著述家、マンガ原作者。『早川光の最高に旨い寿司』(BS12)の番組ナビゲーターを担当。『鮨水谷の悦楽』『新時代の江戸前鮨がわかる本』など寿司に関する著書多数。現在は『月刊オフィスユー』(集英社クリエイティブ)で『1,000円のしあわせ』を連載中。
 
ブログ:「早川光の旨い鮨」

懐石辻留料理長・藤本竜美
初代・辻留次郎が裏千家の家元から手ほどきを受け、1902年に京都で創業した『懐石辻留』。その後、現在に至るまでその名を輝かせ続け、懐石料理の“名門”と呼ぶに相応しい風格を纏う。北大路魯山人のもとで修業した3代目店主・辻義一氏から赤坂の暖簾を託されたのが、料理長の藤本竜美氏。「食は上薬」を肝に銘じて、名門の味をさらなる高みへと導いていく。
 
HP:http://www.tsujitome.com


注釈/古伊万里

 古伊万里は有田、三川内、波佐見などの肥前国(現在の佐賀県および長崎県)で、江戸時代に生産された歴史的価値の高い磁器の総称。伊万里の名がついているのは、江戸時代にこれらの磁器が伊万里港から出荷されていたためである。
 古伊万里はその制作年代によって焼成や絵付の技術、釉薬などに違いがあるため、研究者によって細かく分類されている。
 肥前国で磁器製造が始まった1610年代から1630年代頃までの器を「初期伊万里」、続く1640年代から1670年代頃の器を「古九谷様式」、1670年代から1680年代頃の器を「柿右衛門(延宝)様式」などと呼ぶ。
 古伊万里が技術的に成熟し、最も充実していたとされるのは、芸術や文芸が花開いた元禄年間(1688〜1704)で、この頃に生まれた「金襴手様式」の器はヨーロッパへの輸出品としても人気を博した。

注釈/永樂善五郎

 室町時代から土風炉どぶろ(土器の風炉)を制作してきた善五郎家が、向付や皿などの食器を焼くようになったのは、十代了全(1770〜1841)以降のこと。
 その了全と十一代保全ほうぜん(1795〜1855)の陶技を高く評価した紀州藩主の徳川治寳とくがわはるとみ(1771〜1853)から「永樂」の銀印を拝領したことを機に、善五郎家は「永樂」を陶号として使うようになった。
 十一代保全は歴代の中でも名人として知られ、こうやき、古染付、祥瑞しょんずい、金襴手といった中国陶磁の写しを得意とした。
 中でも緑、黄、紫など色鮮やかな釉薬を使った交趾写しと、質の高い呉須(顔料)を用いた古染付写しの美しさは、本歌(オリジナルの器)に勝るとも劣らない。
 保全の高い技術と美的センスは十二代和全(1822〜1896)以降も脈々と受け継がれ、今も京焼を代表する窯元として、端正にして華やかな器を作り続けている。

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