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第四話 立春 早川光「目で味わう二十四節気〜歴史的名器と至高の料理 奇跡の出会い〜」

器・料理に精通した早川光が蒐集した樂吉左衛門、尾形乾山、北大路魯山人などの歴史的名器に、茶懐石の最高峰「懐石辻留」が旬の料理を盛り込む。
「料理を盛ってこそ完成する食の器」
二十四節気を色鮮やかに映し出した“至高の一皿”が織りなす唯一無二の世界を、写真とともに早川光の文章で読み解くフォトエッセイ!
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Photo:岡田敬造、高野長英


第四話「りっしゅん

2024年2月4日〜2024年2月18日
 
「立春」は春が始まる日のこと。立夏、立秋、立冬とともに四季の始まりを意味する「りゅう」のひとつで、暦の上ではこの日から立夏の前日までが「春」です。
 まだまだ寒い日が続きますが、少しずつ日差しが強くなり、「百花のさきがけ」と言われる梅もほころんで、春の気配が感じられるようになります。
 
 二月最初の午の日(十二支の午にあたる日。今年は2月12日)を「初午はつうま」と言い、全国各地の稲荷神社で祭礼が行われます。
 この祭礼は五穀ごこく豊穣ほうじょうの神である稲荷信仰と、そのしん使とされる狐への俗信が結びついたもので、狐の好物とされる「油揚げ」や「いなり寿司」を神社に奉納します。
 なかでも有名なのは、京都「伏見稲荷大社」の「初午大祭」で、商売繁盛と家内安全のご利益があるとされ、例年、多くの参拝客で賑わいます。
 
 そんな立春の器は『瀬戸せと 梅花文向付』。

 16世紀後半の桃山時代に作られたとされる向付で、見込みの中心には鉄釉で梅の花が描かれています。
 
 黄瀬戸とは黄釉を施した美濃(岐阜県)産の陶器のこと。桃山時代から江戸時代の初期には瀬戸(愛知県)の器として流通していたため、この名称で呼ばれています。温かみがある淡黄色で薄手の造り。表面がザラッとしているのが特徴で、その質感から「油揚あぶらげ」とも称されます。
 梅の花の周りにある四か所の緑色の斑紋は、釉薬に含まれる硫酸銅が緑に発色したもので「胆礬たんばん」と呼ばれ、黄瀬戸の器特有の見どころとなっています。
 
 その黄瀬戸に盛る『懐石辻留』の料理は『さより細造り うど 生のり 甘草かんぞう わさび』。

 半透明の身と美しい銀皮を持つさよりは、冬から早春にかけて身が厚くなり、旬を迎えます。脂肪が少なく繊細な味わいの魚なので、『懐石辻留』では「たて塩」と呼ばれる薄い塩水で身を引き締め、旨みを引き出します。
 器の中心にうずたかく盛られたさよりが名残の雪を、みずみずしい若緑色の芽甘草(萱草かんぞうの若芽)が春の息吹を感じさせる、その配色も見事です。
 
 もうひとつの器は樂吉左衛門家七代ちょうにゅう(1714~1770)の『赤楽梅花皿』。樂家には珍しい、梅の花を象った向付です。

 火変わり(窯変)がなく、柔らかで優しい印象の器ですが、直径約15センチと大きく、厚造りでどっしりとして、釉薬もたっぷりかかっています。
 長入が活躍した18世紀は、茶の湯が町人層まで広がり、三千家(茶道の流派のうち、表千家、裏千家、武者小路千家を総じていう呼称)が家元制度を整え大きく繁栄した時代。この器からも成熟した文化の豊かさが伝わってきます。
 
 料理は『薄揚げ はたけから胡麻和え』。

 畑菜とはアブラナ科の葉物野菜で、江戸時代から栽培されていた京都の伝統野菜のひとつ。そして京都には「初午」の日に畑菜をからし和えや煮浸しにして食べるという、古くからの習慣があります。
 これは京都「伏見稲荷大社」の創建に関わったとされるはたの伊呂具いろぐという人物の「秦(はた)」と、畑菜の「畑(はた)」をかけた語呂合わせと伝えられています。
 『懐石辻留』では畑菜の柔らかい葉の部分のみを摘み取り、たっぷりの熱湯で色よく茹で上げてから、薄口醬油と合わせだし、そして香ばしく炒った胡麻ととき芥子で味を整え、最後に炭火で炙った薄揚げ(油揚げ)を加えて、和えものにします。
 稲荷神社の鳥居にも似た鮮やかな朱色の器の中に、あえて縦に配置した短冊切りの薄揚げは、まるで鎮守の森に佇む神使の狐のように見えます。「初午」の時期にふさわしい趣と、遊び心のある盛りつけです。

プロフィール

早川 光(はやかわ・ひかり)
著述家、マンガ原作者。『早川光の最高に旨い寿司』(BS12)の番組ナビゲーターを担当。『鮨水谷の悦楽』『新時代の江戸前鮨がわかる本』など寿司に関する著書多数。現在は『月刊オフィスユー』(集英社クリエイティブ)で『1,000円のしあわせ』を連載中。
 
ブログ:「早川光の旨い鮨」

懐石辻留料理長・藤本竜美
初代・辻留次郎が裏千家の家元から手ほどきを受け、1902年に京都で創業した『懐石辻留』。その後、現在に至るまでその名を輝かせ続け、懐石料理の“名門”と呼ぶに相応しい風格を纏う。北大路魯山人のもとで修業した3代目店主・辻義一氏から赤坂の暖簾を託されたのが、料理長の藤本竜美氏。「食は上薬」を肝に銘じて、名門の味をさらなる高みへと導いていく。
 
HP:http://www.tsujitome.com


注釈/樂吉左衛門

 千利休の求めで茶碗を焼いた樂長次郎(生年不詳〜1589)を初代として、現在十六代を数える楽吉左衛門家。
 茶碗の窯として創始したため初代から三代道入(1599〜1656)までの作品に食器は少ないが、四代一入(1640〜1696)以降は菊皿、膾皿なますざら蛤皿はまぐりざらなど、様々な茶懐石用の器を手掛けてきた。
 樂家の食器はすべて楽焼と呼ばれる軟質施釉陶器だが、同じ形の器でも釉薬の微妙な違いによって趣が変わる。とりわけ赤樂の食器は各代ごとに赤の発色や窯変が異なり、それが見どころとなっている。
 歴代の中で多くの食器を残しているのは四代一入、六代左入(1685〜1739)、九代了入(1756〜1834)、十二代弘入(1857〜1932)で、中でも“樂家中興の祖”と呼ばれる了入は、皿や鉢、向付を得意とし、へら使いの技巧を施した名品も伝世している。

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【エッセイ・目で味わう二十四節気】
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