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ボストンのロブスターが肥料から高級食材になるまで|湯澤規子 第3話

港町・ボストン。湯澤先生は名物のロブスター料理を食べに「アメリカ最古」の老舗レストランへ。今では大統領の晩餐会にも欠かせない高級食材ロブスターですが、かつては労働者が「俺たちに毎日ロブスターばかり食わせるんじゃねぇ!」という訴えまで起こしたほど、貧しい人たち向けの食べものだったとか。その意外な歴史をひもときます。
※前回の話を読む:第2話「女工と白米」

「アメリカ最古のレストラン」ユニオン・オイスター・ハウスの名物料理

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「忘れられて」見えない。だから、丁寧に歴史をたどって思い出してみると見えてくるものがある。今回は高級食材ロブスターの意外な過去のお話。

 ボストンは港町である。
 だから、もちろん魚介類はこの街を訪れた人びとの胃袋を喜ばせる名物料理になっている。ダウンタウンにある老舗、ユニオン・オイスター・ハウスはそれが食べられる有名店の一つである。アメリカで最古のレストランという異名を持つこの店の創業は1826年なので(日本でいうと江戸時代後期の文政9年)、およそ200年間、ボストンで人びとの胃袋を満たし続けてきたことになる。私一人ではとても予約ができるとは思えない人気店なのだが、幸いなことに、同じ時期に学会に来ていた先輩とばったり会い、彼女がテキパキと席を確保してくれたおかげで、私も海の香りとその歴史を存分に味わうことができた。

 その名の通り、オイスターつまり「牡蠣」が看板メニューであるのだけれど、同じくらい人気があるのは、ボイルされた真っ赤なロブスターと濃厚なクラムチャウダー。賑やかな店内には注文がひっきりなしに飛び交っている。紙のエプロンを首から下げて、大きなビールジョッキを片手に話に興じる満席の客の間をスイスイとウエイトレスやウエイターが行き来する。片手で高く掲げた大きなお盆にはステンレスの大皿がのり、その上にボイルされた真っ赤なロブスターと鮮やかな黄色のトウモロコシが山のように盛られ、レモンとパセリ入りの溶かしバターの小皿が添えられている。ロブスターは想像していたよりも、きょとんととぼけた可愛らしい顔をしていた。

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かの有名なユニオン・オイスター・ハウス。賑やかなダウンタウンの喧騒の中に、歴史の風情が漂う。


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登場したロブスターのボイル。山盛りになった大胆な一皿。カニを食べる時と同様、食べ始めるとおしゃべりを忘れ、黙々と食べる。

ロブスターはかつて「肥料」だった

 ところでこのロブスター、かつては労働者たちの胃袋を満たす安価な食材の代表だったということを、私を含め、今日の観光客たちは知る由もない。飽き飽きするほど毎日ロブスターが食卓にのぼるため、「俺たちに毎日ロブスターばかり食わせるんじゃねぇ!」という労働者たちの悲痛な訴えがあって、食べる回数を減らす運動があったとは、今日のボストン・オイスター・ハウスの賑わいからは、まったく想像もつかない。
 日本語でその歴史を紐解こうとすると、ほとんど情報を手に入れることができないが、アメリカには小さな物事についての歴史を語るブログやホームページがたくさんあって(そのこと自体、とても興味深い)、アメリカのロブスターについても、いろいろな人が情報を集めて発信し合っている。ある人は、自分の祖父がロブスター漁師であった写真を提示して、ロブスターはアメリカ建国以来の重要な食文化であると、その興味深い変遷を論じている。それらを読んでいくと、おおよそ次のようなことがわかってきた。

 まず、すでにかなり古くから、海岸沿いに暮らすアメリカ先住民たちによって、ロブスターや貝は食材として利用され、食べられていたことがわかっている。1620年代初頭、つまりイギリスからメイフラワー号に乗ってピルグリムファーザーズが「新大陸」に到着すると、ロブスターは次第に彼らのたんぱく源として重要な役割を果たすようになった。新大陸に入植した1620年の冬はとても厳しく、春を迎えるまでに多くの死者が出たと伝えられている。そうした状況の中、開拓民たちは先住民たちから狩猟やトウモロコシ栽培を学び、翌1621年の秋には収穫を得ることができた。この新大陸での最初の収穫を喜び、先住民たちに謝意を表すために彼らを招いて開いた宴が「サンクスギビング・デー(感謝祭)」の始まりである。今日のサンクスギビング・デーの定番料理は七面鳥であるが、1621年当初には、七面鳥はまだ食材として入手できなかったはずである。だから、最初のサンクスギビング・デーにロブスターが食卓にのぼったという公式な記録はないが、七面鳥の代わりにアヒルや水鳥を調理し、きっと先住民たちが親しんでいたロブスターや貝などの魚介類も食卓を賑わせたことだろうといわれている。

 もともと先住民たちにとってロブスターは、作物を育てるための「肥料」でもあり、入植が始まった当初は、貧しい人びとや入植者の使用人たちの食べものとしての位置づけに過ぎなかった。それが開拓者の食生活には頻繁に用いられるようになり、そうした状況の中で、労働者たちが前述の訴えを起こしたというわけである。判決に「1週間のうち、3回以上はロブスターを食べさせないこと」とあるのが、今では信じられない。

ジョン・F・ケネディ大統領の昼食会にも登場――肥料から高級食材になるまで

 ではなぜ、いつの間にロブスターは高級食材へと変身したのだろうか。

 それは19世紀末から鉄道の整備や冷蔵技術が進んで、港町だけで食べられていたロブスターが生きたまま、全米各地に運ばれるようになったことと無関係ではない。ロブスターが運ばれた先のニューヨークでは、19世紀に入って「ロブスター・プレイス」が人気店としての名声を手に入れていた。それに加えて鉄道は旅客も運んだので、人びとが大挙して訪れるようになった港町が、新鮮なシーフードが食べられる観光地へと変貌したことも、ロブスター人気に拍車をかけた。

 ロブスターはついに大統領の食卓にものぼり、各国首脳との晩餐会では重要な役割を果たすまでになった。ロブスターをバター、クリーム、コニャック、卵、スパイスで煮込んだ「ロブスター・ニューバーグ」という料理は、ジョン・F・ケネディが大統領に就任した日の昼食会に出された一品である。マサチューセッツ州出身の彼にとっては、洗練された故郷の味が嬉しい一皿だったのではないかと想像する。ほかにもG・W・ブッシュ大統領の時にもロブスターが、オバマ大統領の時にはニューイングランド・クラムチャウダーのソースが添えられていた。こうしてホワイトハウスの昼食会や晩餐会において、ロブスターは欠かせない高級食材となっていったのである。

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ボストン・クラムチャウダーはクリーム仕立て。思ったよりもずっしりと濃厚。ちなみにニューヨークのマンハッタン・クラムチャウダーはトマト仕立て。


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市街地にある大きな商店街の中にもボストン・クラムチャウダーの専門店がある。

日本のカニが辿った歴史はロブスターにそっくり

 さて、ここまで書いてきて、はたと気づいたことがある。
 ロブスターと同じ甲殻類、日本のカニも似たような歴史の運命をたどっているのではないだろうか。それに答える良書がじつは最近出版された。広尾克子さんの『カニという道楽 ズワイガニと日本人の物語』(西日本出版社、2019年)である。北陸のカニがかつて畑の「肥やし」だったこと、交通網や冷蔵技術の発展によって都市にカニが送られるようになったこと。新鮮なカニを求めて都市の人びとが北陸に大挙し、たくさんのカニ宿ができ、カニツーリズムが始まったこと。そして何よりも、大阪道頓堀の名所ともいえる動くズワイガニの大看板が目をひく「かに道楽」本店の歴史は、ニューヨークの「ロブスター・プレイス」と姉妹店契約を結んでもいいのではないかと思うくらいの共通点を持っている。

「忘れられて」見えない。けれどもこんなに面白く、壮大な物語がきっと世界には無数にあって、私たちの「食べること」は、そんな見えない物語のうえに豊かに展開しているのだと思えてならないのである。

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夢中で食べたロブスターの感動を絵葉書にした一枚。夏の夜の海風と潮の香りとビールの味わいは忘れがたい。


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ボストンの歩道の上にはこんなモニュメントが。やっぱりここは、ロブスターの町なのだ。

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第3火曜日更新予定
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湯澤規子(ゆざわ・のりこ)
食べながら歩く歴史地理学者。1974年大阪府生まれ。筑波大学歴史・人類学研究科満期退学。博士(文学)。法政大学人間環境学部教授。著書に『7袋のポテトチップス―食べるを語る、胃袋の戦後史』(晶文社)、『胃袋の近代―食と人びとの日常史』(名古屋大学出版会)、『在来産業と家族の地域史―ライフヒストリーからみた小規模家族経営と結城紬生産』(古今書院)など。
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