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#2 ラーメン富士丸と人間の条件(後編)宇野常寛「ラーメンと瞑想」

※このエッセイは、小説的な内容を含みます。登場する人物と団体は、基本的に架空のもので実在のものとは関係ありません。ただし、取り上げているお店はどこもとても、とてもおいしいのでオススメです。
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[前回までのあらすじ]
「食べる」ことを心から愛する男(僕)とその相棒である恐れと悲しみの中を生きる男(T)は、世界との調和を試みる日々の中で、心身の鍛練に励んでいた。そんな僕たちがたどり着いた新たなるステージが今、その幕を開ける――

7.ラーメンと僕

  ラーメンが好きだというと、単に脂っぽいものが好きで舌がバカだとか、いい歳して学生気分が抜けてないとか、そういうことを言われがちだけれど、僕はそういうことを述べて他人を貶めたいという欲望に囚われた人間たちをこそ心から軽蔑する。それを言うならこういった「スローで」「エシカルな」人々が食べているのは、セルフブランディングというこの世で最も空疎で、価値のないものじゃないかと言い返したくなる。そもそも他人が食べているものに文句をつけたくなる時点で生きてて恥ずかしくないのかと思うのだけど、まあ、世界は常に能力の不足を社交で誤魔化そうとする人間たちが溢れているのだから、仕方がないのかもしれない。

 僕とラーメンとの出会いは、小学校四年生の頃にさかのぼる。
 僕の父親は麺類が好きな人だった。特に、ラーメンが好きだった。山形県河北町の出身といえば、ピンと来た人もいるかも知れない。そう、あの「つったい肉そば」で知られる河北町だ。山形県はラーメンの一人あたりの消費量が全国トップクラスで、その結果独自のラーメン文化が発展していることで知られている。
 近年では、県南部発祥の辛味噌ラーメンが有名だ。これは、南陽市の龍上海赤湯本店が生み出した、味噌汁のような優しいスープに、パンチの効いた辛味噌を好みに応じて溶かしながら食べるスタイルの、広く普及した札幌のそれとはまた異なったタイプの味噌ラーメンだ。
 この山形系の辛味噌ラーメンと双璧をなす山形のご当地ラーメンが、県中央部の山形盆地にある河北町発祥の「つったい肉そば」だ。これは、麺としては「そば」なのだがスープは鶏出汁の、甘じょっぱいラーメンのそれだ。これを夏場に冷たく冷やして食べるのがこの「つったい肉そば」で、父はこれをソウルフードとして心から愛していた。そして僕もお盆に父の帰省に同行する度にこれを食べるのを楽しみにしていた。
 このようなラーメン王国に育った父は今思うと、その「食べ歩き」を趣味にしていた。成人後にいわゆる「転勤族」になった父は、赴任先でそれぞれの土地のラーメン(もしくはそれに類する麺類)を貪欲に求めていった。たとえば長崎県に暮らしていた頃、彼は「ちゃんぽん」にハマり、家族を連れて休日の度にちゃんぽん屋に出かけていった。それまで東北と関東にしか暮らしていなかった彼にとって、たぶんそれは新鮮な食の体験だったのだと思うが、僕はあのアゴ出汁の癖の強さがどうしても好きになれず、その数年間ですっかりちゃんぽんが苦手になった。
 そして一九八八年の夏に北海道の帯広に転勤になった父は、僕たち家族とは別行動で任地に向かい、自分は自動車で全国のラーメンを食べ歩きながら北上していった。帯広に着任した父は、現地の味噌ラーメンに「開眼」した。そして長崎のちゃんぽんは心底嫌いになった僕だけれど、この父親に嬉々として連れて行かれた味噌ラーメンには感動した。
 当時僕たちが暮らしてた帯広市の南西部では、自由ヶ丘温泉(という名の銭湯)に併設された「ロッキー」が人気店で、父はそこに通いつめていた。
 そして僕はその「ロッキー」の味噌ラーメンに衝撃を受けた。自分が今まで食べてきたラーメンとは何だったんだろうと、本気で思った。単純にスープの深みが、これまで僕が食べてきたどのラーメンよりも数段上だった。口に含んだ瞬間に複数の要素が、それも互いを引き立てるように機能する――今となっては珍しくない、というか、クリアしていないといけないくらいの条件だと思うのだけれど、当時十歳の少年には衝撃的だった。こうして、僕はラーメンという事物に「出会った」のだ。
 あれから三十五年――僕は今もラーメンを愛し続けている。浪人中の札幌でより本場の味噌ラーメンを食べ、進学した京都で天下一品に衝撃を受け、上京して二郎系の洗礼を受けつつ家系とは敬して距離をおき、出張中に食べた尾道ラーメンのシンプルな良さと長浜ラーメンのアクティブに攻めながらもまとまりを失わないバランスに唸らされた。もちろん、すっかり定着した魚介豚骨ダブルスープ系の洗練にも時折無性に触れたくなるし、西武新宿線沿線の住民としては野方ホープは定期的に食べに行かないと気持ちが落ち着かなくなる。最近は西早稲田においていぶし銀的な存在感を放つ「破壊的イノベーション(という名前の店)」の淡麗煮干しラーメンに注目している。

  しかし、僕はここで好きな店のメニューが特におすすめだとか、通な食べ方はこうだとか、そういったことを述べる気はまったくない。こうした情報を食べるような薀蓄うんちくの類は、人間を「味わう」という行為から遠ざけてしまうからだ。そして「情報」以上に、人間を「食べる」という行為から遠ざけるものがある。それが「他の人間」だ。

  そう、僕がラーメンを愛しているのは、それが孤独を強いる食べ物だからだ。たとえどれだけ仲のいい相手でも――付き合い始めて二週間目の、出先で雨に降られて大変だったと言うだけでも三時間会話が盛り上がるようなカップルであったとしても――、目の前にラーメンが着丼した瞬間に実質的に孤独になる。そして全力で目の前の丼に向き合うことを要求される。そこには、純粋な人間と事物との関係が存在する。多くの愚民たちは誤解しているが、人間は人間とのコミュニケーションによって、多くの場合はむしろ均質化する。既に大勢の人間が話題にしていることに言及し、タイムラインの潮目を読み「共感」を集め、承認を獲得しようとする。こうして、人間は考える力を失いbotのような存在と変わらなくなるし、既に多くの人間たちがそうなっている。
 しかし、事物に正しく対峙したときは異なっている。事物は、ラーメンは僕たちに応答しない。ただそこに存在するだけだ。しかし、その存在はその日、その瞬間の僕たちの身体を大きく揺さぶる。ラーメンは人を満たすのではない。その過剰さで、むしろ存在を根底から揺るがすのだ。
 世界には二通りの人間しかいない。共同体の内部で交換される承認の快楽しか知らない人間と、(その多くの場合は人間外の)事物――自然物や現象、人間の生み出した表現など――に出会い、襲われてしまった経験のある人間だ。後者のケースにおいて、人間は圧倒的な力を示す事物に襲われる。まるで森のなかで虫に襲われるように、草花の匂いに幻惑されるように。そして気がついたときにはもう、別の心身に生まれ変わっている。ショッカーに拉致されて、改造人間にされてしまったかのように「変身」してしまっている。それは一方的に力を加えられる、ある種マゾヒスティックな快楽だ。そして変身後の心身がとらえる世界は、それ以前とはまるで異なって見える。これは共同体の内部で、私はあなたの敵ではないというサインを(ときに外部の人間に石を投げることで)交換し、安心を手に入れるためのコミュニケーションからは決して得られないものだ。
 食も、もの食うこともこうした「変身」の機会になり得る。しかし愚かな人々は、あるいはロクに腹をすかせた経験もない令和のマリー・アントワネットたちは、食を社交の道具に貶める。誤解しないでもらいたいが、僕は社交がくだらないとか、必要ないとか述べてるのではない。ただ、もっと純粋に「食べる」ことそのものを「味わう」ことも大切なのではないかということを伝えたいのだ。そしてラーメンこそは、人を正しく孤独にし、正しく食べることに向き合わせる力を持った食べ物なのだ。そして塩分と油分と炭水化物で人間を圧倒する力をも、ラーメンという食べ物は発揮する。

  そしてTは(おそらくは僕の影響が大きくあり)ラーメンに開眼した。彼の外食に占めるラーメンの割合は飛躍的に増大し、毎食写真が送られてくる度に僕が心配になるくらいだった。多いときは昼夜の二食連続でラーメンの写真が送られてくることがあり、そのときは心配して大丈夫ですかと声をかけたのだけれど、「昼はまぜそばなので」と返ってきた。
 こうして食に、特にラーメンの与える圧倒的な快楽にTが覚醒したことにより、僕たちの毎週水曜日朝のランニングはより充実したものになった。
 そしてもう一つ、この数年でTが身につけたものがあった。
「ダンテ曰く、人間を満足させるものは自分の属する集団への貢献と宇宙との繋がりです。宇宙との繋がりとは瞑想であり哲学です。我々は動物として飢えを満たし、人間として瞑想します」
 それが変貌後のTの持論だった。
「天と地から直接力を受け取ること――食は地の恵みであり人の手による作品でもあります」
 そしてTは帰国後、坐禅やヨガやヴィパッサナーなど様々な瞑想を実践する中で基本的な瞑想の方法を身につけていた。特にヨガについてはコロナ禍の三年の間にオンラインでインドネシアに住むヨギから直接教わっていた。
「では天の恵みとは?」
「天の恵みは瞑想によって受け取ることができます。我々も実践してみましょう」
 その結果、僕たちの毎週水曜日朝のランニングには「瞑想」が加わることになったのだ。 

8.T氏と瞑想

  この数年、僕とTは毎週水曜日の朝に僕の暮らす高田馬場に集合しそこから五キロメートル走っている。そして千駄ヶ谷の新国立競技場で、ちょうど五キロメートルになるのでそこで一旦休憩する。あまり知られていないが新国立競技場はその外壁に無料で「登る」ことができる。そこには地上五階まで登って、外壁を一周できるちょっとした遊歩道が設けられていて柱の側には小さなベンチがあり、腰を下ろすことができる。僕とTは春から秋にかけては、主にこのベンチを瞑想の場所に選んでいた。付近にはあまり高い建物がないので、新国立競技場の外壁に登ると神宮外苑が一望できる。僕はその緑の街を見下ろしながら、瞑想する時間を愛している。
 瞑想時はTが愛用している「安定打坐法」実習のための補助アプリケーションを使用している。「安定打坐法」とはTの武道の先生が師事していたという中村天風の瞑想法である。この中村天風という人物はかなり変わった経歴の持ち主で、戦前は大陸で陸軍の諜報部員として活動していたらしい。孫文の友人でもあった彼はアジア主義の活動家でもあり、右翼団体「玄洋社」に加わっていた。日露戦争後は軍の通訳官を務めていた中村だが、そこで結核を患う。その療養の中で中村が出会ったのがヨガだった。中村はその後、実業界に転身し、一定の成功を収めた後に引退し「天風会」を創設、自身のこれまでの経験を総合した心身の修行法「心身統一法」の普及に努めたのだが、このアプリケーションはその中村天風の弟子筋が開発したもので、初心者にも使いやすい……ということらしかった。
 まずブザーが鳴り、そのブザーが鳴り終わると静寂が訪れる。ブザーの音が消えるときに瞑想の世界に自然と入っていけるところがあり、このアプリケーションはなかなか考えられたものだと思う。途中、何回かランダムブザーと鐘が鳴る。最初は面食らったが、今ではすっかり慣れっこだ。
 Tは結跏趺坐(けっかふざ)という、坐禅の正しい姿勢と呼ばれる足の組み方で座る。そして両手の人差し指と親指で円を作り少し手首を持ち上げた。ヨガにおいては蓮華座、パドマアーサナと呼ばれる姿勢だ。行きつけの高田馬場のカフェや、僕の暮らすマンションの玄関でも彼はまったく物怖じせずこのポーズを取る。最初は驚いたが、この程度のことを気にしていては人間の世界を離脱できないと思って一緒に瞑想しているうちに、まったく人目は気にならなくなった。
 僕は坐禅が苦手なので単にリラックスできる座り方をして、目を閉じる。T曰く「そもそも結跏趺坐はもっとも長時間安定的に座ることができるから選ばれ続けているに過ぎないので短時間の瞑想で無理にする必要はない」ということだった。
 そして呼吸に集中して、まるで車窓から景色を見るように浮かんできた思念を見送っていく。これが面白くて、毎回次から次へとほとんど無関係なことが浮かんでくる。今手がけている仕事のこともあれば、ずっと連絡を取っていない小学校の同級生のことが浮かんだりもする。そういえばトイレットペーパーが切れかかっていたな、とか思い出すこともあれば、学生の頃に夢中になっていたコンピューターゲームのことが浮かぶこともある。そして不思議なことに、ある程度時間が経つと、こうしてただ意識を呼吸に集中していることがだんだんと心地よくなってくる。五キロメートルから十キロメートル走ったあとに身体を休めていることもあるのだろうけれど、その静謐な〈何もしない〉時間はとても安らかで、一歩も動いていないのに思考はとても、とても遠くまで伸びていく。
 三十分後にハープの音が鳴り、瞑想は終わる。そして僕たちは目を開き、自己の身体に身体がいま、いちばん欲しているものを問いかける。その答えはラーメンであることもあれば、他のものであることもある。意見が一致することもあれば、しないこともある。ただ一つ、揺るがないことは僕たちは行き先を決めたあとは、残り五キロメートル前後の道のりを全力で走ることだ。三十分の瞑想を経て、雑念を払い精神をクリアにした僕たちの心身は全力でラーメン(もしくはラーメン的なもの)を受け入れられる状態にチューニングされている。あとはただひたすらに、ゴールに向けて、ラーメン(的なもの)に向けて走るのだ。

9.ルネサンス的人間

  ある日、朝から五キロメートルを走ったあと新国立競技場の外壁から緑豊かな神宮外苑を見下ろしながら、Tは僕に語った。
「これは僕の友人の話なのですが、彼は中学生の頃、自分をアポロンだと思っていたそうです」
「アポロン……? あの太陽神の?」
「そう、あの太陽神アポロンです」
 そしてTはミケランジェロの『最後の審判』の画像を検索し、スマートフォンで表示して僕に見せた。
「中央のキリストの右下に描かれた老人がいます。この老人は聖バルトロメオです。正確には、老人が持っている人間の生皮がミケランジェロです。この老人は復活したキリストを指差していますが、これはミケランジェロ自身がその皮を破ってキリストが復活したという意味ではないかと言われています。そしてこの絵は『アポロンとしてのキリスト』と呼ばれる流れに属しています」
「つまりミケランジェロは、人間は皮のような表層を纏っていて、本質は別にあると考えていた?」
「はい。そのように捉えた時に、所詮皮でしかないものに拘る近代人が矮小に見えます」
「ミケランジェロは、自分を含む人間一般が皮を捨てて神に接近するべきだと考えていた?」
「たとえばフィレンツェの有力者一族の礼拝堂をミケランジェロは作りますが、彼らの像を彼は当人たちに似せることなく、アポロンのような普遍的な規範として作りました」
「人間は皮、つまり社会的なペルソナを整えることよりも普遍的な価値を、神への同一化こそを求めることを是としていたんですね」
「まず人の眼に入ってくるものはペルソナですから、その先を見通す眼を持つことが重視されたのでしょう。これをダンテ風に天使の眼と呼ぶならば、高僧や武芸者もこういう眼を持ってます」
「まず皮を捨てる必要があるということですね」
「聖なるものと俗なるものの中間に、皮と仮面に支配された人間たちの世界があります。しかし人類が努力して作ってきた社会はAIで代用可能かもしれません。つまりラーメンと瞑想の世界だけで十分なのかもしれない……」
「人間は、ラーメンと瞑想の世界を往復し、人間の世界を捨てる必要があると」
「ラーメン的生活と瞑想的生活……人間、つまりモラル的領域を切り捨てる​​​​のです」
「獣と神……僕たちのランニングは、この二つの世界を往復するためのものですね」
「そこには過去も未来も幻想も物語も演劇性もありません」
「そのために僕たちは走ってきたし、これからも走る」
「ラーメンを食べるために存在し、存在するために瞑想します。時の流れは止まり、永遠の現在の中を生きるのです」
「ラーメンと瞑想の往復による永遠への接近……。これはAIに任せられない領域ですね」
 そして外苑の緑とそれに囲まれた町並みを見下ろしながら僕たちは柱の側に腰を下ろし、瞑想を始めた。

 獣の世界に物語はなく
 神の世界に幻想はなく
 獣と神の世界には、過去も未来も演劇性もなく

  それは地の恵みを得る、つまり食べる前に必要な天の世界への接続の時間だった。

10.人間の条件

  その日の瞑想中に、僕の脳裏に浮かんだのはこの新国立競技場まで走りながらTと交わしてきた言葉たちだった。Tからは瞑想中頭に浮かんだことは無理に抑えるのではなく、目の前を車が通り過ぎていくようにただ眺めているようにと言われていた。

 「アーレントは『人間の条件』で観想的生活に否定的な立場を取っていましたよね?」
「観想的生活はアーレントの考える活動、特に行為と彼女が呼ぶ政治的な対話と対極にあるもの、だからでしょうか?」
「ヨーロッパの伝統的知識階級が尊重したメディテーションやコンテンプレーション的生活を批判し、よりアクチュアルなモラルを重視する古代ギリシアのポリス的生活を対置していました」
「メディテーションやコンテンプレーションを上位に置く思考が、公共領域の喪失と市民としての責任の消失を生むということですね? しかしどうでしょう。今日においてはむしろ政治的な対話、つまり彼女の言う行為の快楽こそが人間を愚かにしている。公的領域における行為によって得られる手触りが目的化し、それを効率的に得るための活動を人々は反復しています。そして情報技術を用いた動員に、この種の自己目的化した行為の中毒に陥った人々は抗えない。アーレントはそれは私の考える行為ではないと言うかもしれない。しかし、僕には彼女の言う行為の全面化こそが、社会を危機に陥れているように思われます」
「すでに政治的意識の多くに合理性はなく、単なる自己愛やエゴとしてしか機能してません。かつて村上春樹が批判されたような非政治的姿勢の方がよほど無害であると言えます」
「初期の村上春樹はマルクス主義の代表する大きな物語からのデタッチメントこそをモラルとして提示した。それが先行世代からは単なる社会的なものからの退却に見えたため、拒絶された。だから村上春樹は、その応答として政治的なイデオロギーに依拠しない、個人的なモラルに基づいたコミットメントに舵を切ったと言えるでしょう。しかし同時に彼のコミットメントは、対幻想に依存した弱さがあり、それが性搾取的な構造を強化してしまった。それが僕の村上批判の骨子です」
「春樹の場合は組織に依存しない個を安定させるものとして、女性との関係が機能していますが、それももはや通用しなくなっています」
「女性を所有することでの自己の強化は、政治的イデオロギーによる思考停止と実のところは変わらない。どちらも、正当性を外側からインストールして自己を強化するという発想に基づいています」
「学生運動から家族へ、共同幻想から対幻想への退避です。前者は虐殺やテロリズムと結びついたことが、後者は性差別を内在したことがそれぞれ批判されるようになった歴史があります」
「その闇は政治と家族を、自己実現の手段として用いているために発生します。更に言えば、実現されるべき自己の強化が試みられているために生まれます。そしてその強化された自己とは、何かをなし得る自己です。しかし、人間の価値は何かをなし得ることだけではありません。与えることによる全能感は、受け取ることによる充足で中和される必要があります。人間が情報技術に支援され『活動』の中毒に陥るのは発言すること、つまりなし得ること、与えることでしか世界に対する手触りを知らないからです。村上春樹のランは大会での記録、つまり強い自己を保持するためのものです。しかし僕たちが走るのは、世界の豊かさを受け止めるためでしかない。ラーメンと瞑想、獣の世界と神の世界とをつなぐものです」
「ラーメンと瞑想の往復は、人間であり動物である我々の環世界です。ユクスキュルの環世界、umwelt(ウンベルト)とはウン、つまり『周り』のベルト、つまり『世界』という意味です」
「僕たちの、いや、僕たちそれぞれの周辺世界を発見したということでしょう」
「人間は瞑想的であると同時に動物的な存在です。東京にはラーメンを食って死ぬ自由があり、瞑想のための場所に溢れている」
「それを僕たちはそれぞれ、世界の内部に発見する必要があります。走ることそのものを目的としたランには、結果的にそれが発生します……」

  そして瞑想の時間の終わりを告げるハープが鳴り、僕たちは目を開き、深呼吸した。
「……行きますか?」
「行きましょう」
 僕たちに必要な言葉はそれだけだった。三十分の瞑想を経て、僕たちは一切の雑念を通過させ、全力でラーメンを受け止められる身体に「変身」していた。目指す場所は、既に決まっていた。ラーメン富士丸西早稲田店――数ヶ月前に開店した、二郎インスパイア系の草分け的存在の都心出店の第一号店だ。新国立競技場から、約四キロメートル。三十分もあれば、余裕を持って開店十五分前に到着し、第一陣に入れる順位で列に並ぶことができるはずだった。
 そして僕たちは走った。ラーメンに向かってひたすら走った。ルネサンス的人間であるために、人間の皮を脱ぎ捨て、ただひたすら走った。 

11.富士丸へ

  その日、僕たちが行こうと考えていたのは僕の家の近所にあるラーメン富士丸西早稲田店だった。ラーメン富士丸とは、いわゆる「二郎インスパイア系」の草分け的存在だ。三田本店を筆頭に都内に一大勢力を築いている「ラーメン二郎」の影響下にある同系統のラーメン店が「二郎インスパイア系」と呼ばれていて、二郎同様に濃厚で濃い味付けの豚骨醤油のスープと、大量の麺と茹でヤサイがその特徴だ。
 このラーメン富士丸はもともとラーメン二郎赤羽店だったお店が独立したもので、二郎インスパイア系の中でも特に個性的なラーメンを出すことで知られている。店主である吉田マスター(二〇二三年秋に急逝)の開発したそのラーメンの特徴は甘めのスープとクタクタに煮た野菜(キャベツとモヤシ)だ。そこにチャーシューとは呼べないほど食べごたえのある豚肉の肉塊煮込みが載せられる。二郎インスパイア系の中でも凶悪と言われる盛りの多さも加わって、その外見で既に食べる人間を圧倒するラーメン――それが富士丸なのだが、なによりそのアイデンティティの中核にあるのは大量にかけられた「ブタカスアブラ」だろう。これは豚の背脂を甘辛く味付けたもので、富士丸のラーメンにはこれがトドメと言わんばかりに大量に載せられている。それだけではなく、たいていの客は追加のお椀で提供されるブタカスアブラと生卵を注文する。そして生卵を割ってブタカスアブラの椀に投入し、混ぜる。こうして出来上がったものに、ゴワゴワの太麺を「つけて」食べる。この「すき焼き」が富士丸の食べ方の鉄板だ。
 それまで都内ではかなり郊外に足を延ばさないと食べられなかった富士丸が近所に開店すると知った僕はそれを楽しみに待ち構え、そして二月の開店の数日後には足を運んでいた。そして、毎回ブタカスアブラの溶け込んだスープを飲み干しては気持ち悪くなり、二度とくるものかと心に誓いながら数日後には次はいつ行こうかと考えるようになっていた。要するに、半ば中毒化していて、時々今日は絶対に富士丸を食べないと気がすまないという状態に陥ってることが起きていたのだけれど、この日がまさにその気分だった。ただ、問題が一つあった。T氏は二郎、または二郎インスパイア系を苦手としていたのだ。

  今思えば、独りで行けばよかったのだ。前述したように、ラーメンという食べ物は少なくとも着丼から完食のあいだは人間を確実に孤独にする。しかし、僕はその日、どうしても、どうしても富士丸が食べたかったのだ。翌日でも、翌々日でも、その日の夜でもダメだったのだ。僕は前日の夜から、Tを説得した。
「世界には圧倒的な事物があるのです。触れるだけで、その身体を変えてしまうような。その一つがラーメン富士丸です。日常のなかの異界、それがラーメン富士丸です」
「もう何年も前に、歌舞伎町の二郎に行ったことがありますが僕にはよく分かりませんでした」
「それは過去のTさんのことです。しかし今のTさんならどうでしょう?」
「僕の修行の成果が試されると?」
「そうです。脂と塩の快楽を最大化するために、全力で挑む。それがラーメン富士丸という崇高さをもつ食べ物との対峙です。したがってラーメン富士丸を食べるためには心身の修練が必要です」
「なるほど」
「ラーメン富士丸を食べるためには、前日からの断食または事前に五キロ、出来れば十キロメートル走っておくことが望ましい。しかし日常的にこれらの距離を走り込んでいる我々の身体は、既に富士丸に挑む準備が出来ていると言えます」
「富士丸に挑むことで、我々の修練は完成すると?」
「ラーメン店はハードな業種らしく、身体を壊す人が少なくありません。食べる側にも相応の覚悟が必要になります」
「塩分の取り過ぎは心筋梗塞などの原因になります」
「我々も他人事ではありません」
「僕は時々食事を完全栄養食に置き換えているから大丈夫です」
「僕はかなり低血圧なので大丈夫です」

  こうして、僕はTの説得に成功した。僕たちは予定通り、十一時の開店十五分前にラーメン富士丸西早稲田店に到着した。僕たちの前には二人の男性客が並んでいた。ひとりは、おそらくは直ぐ側の大学に通う学生で、若者らしい不健康な痩せ方をしていた。そのギョロついた瞳の血走った感じから、彼が着丼の瞬間を全身で待ちわびているのが分かった。もうひとりは職業不詳の小柄な熟年男性で、特に本やスマートフォンを手にすることなく、全身を小刻みに震わせていた。きっと、何かの禁断症状なのだと僕は思った。そしてその二人の後ろに、僕たち二人の中年男性が並び、そして程なく列は僕たちの後ろに続いていった。営業中らしいスーツ姿のサラリーマン、学生のカップル、ツナギ姿の工員たちのグループ……。僕は後ろに続く人々を眺めながら、偉大なラーメンは人間を平等にするのだ、と思った。
「やはりブタカスアブラと生卵をトッピングするのが定番のようですね」
 Tは並んでいる間に富士丸について調べると、かなり食べたくなってきたらしくウキウキと僕に話した。
「はい。ただ、僕はそれだと食べきれないので半麺の半麺にします」
「四分の一ってことですか? 冗談ですよね」
 Tは僕の弱気な発言を嘲笑した。
 開店時間が訪れ、僕とTは食券を買うと奥から三番目と四番目のカウンターに通された。着丼までの時間は五分もなかったはずだ。
 そして、獣たちの時間が幕を開けた。 

12.獣と神の世界

 その時間はたぶん、十分から長くても十五分ほどのものだったと思う。僕はまず夢中でスープを啜った。甘くて、しょっぱい。運動した後の富士丸のスープほど、人間を直接的に肯定してくれるものはない。クタクタになったキャベツと、ゴワゴワの麺を一緒に摘んで口に運ぶと、生命を身体に取り込んでいるのだなと実感できる。時々、少し固めに煮込まれたブタの肉塊を齧る。塩辛くて、味が滲み出る。これがまた、止められない。「味変」代わりに後半戦は生卵とブタカスアブラを溶いたタレに、麺をつけて「すき焼き」にする。この甘ったるさがまた、うまい。いつもこのあたりでだいたい気持ち悪くなってくるのだけど、やっぱりこのときもそうだった。しかしたぶん、三日も経てば「また来たい」と思うのだろうな……そんなことを思いながら、僕はしっかり完食していた。
「予想以上にうまかったです」
 Tにも満足してもらえたようだった。中年からの二郎インスパイア系デビューを、彼が無事果たせたこと、そしてそのデビューをアシストできたことに僕はささやかな誇りさえ覚えた。
「今度はニンニク増しにします」
 再訪する気も満々のようだった。しかし、僕はこのとき違和感を覚えていた。隣を歩むTの足取りが、心持ち「遅い」のだ。
 気がつけば数メートルほど先を歩いていた僕は立ち止まって振り返り、どうしたのかと尋ねた。
「食べすぎたようです」
 Tは顔面を蒼白にしていた。
「えっ」
「少し多すぎたようです」
「ええっ」
 だから半麺の半麺、少なくとも半麺を注文すべきだと言ったのに……と僕が反射的に述べると、Tは苦しそうにしながらも饒舌に説明を始めた。
「僕は最初に訪れた店では、いつもその店が売りにしている看板メニューを注文します。そして、店の側が指定するもっともスタンダードな盛りを選択します。それが、もっともその店の本質を掴めるからです」
 言っていることは分かる。分かるのだけれど……僕たちはもう若くない。老い始めた身体を、二郎インスパイア系の暴力的な世界観に適応させるのは、さすがに無理がある。その残酷な現実を、Tの蒼白な顔面が証明していた。
「なんで残さなかったんですか?」
「そんな料理人に失礼なことはできません」
 Tは変なところで、頑なに倫理的だった。
「宇野さん……少し、ここに座らせてください」
 Tはかなり苦しそうだったが、落ち着いてその言葉を発した。それは内臓からこみ上げる苦痛を誤魔化すのではなく、どう受け止め、そして共存していくのかを模索しているように僕には見えた。
「ここでですか? もう少し歩けばカフェとかが……」
「万が一のことがあった場合、屋外であれば被害を抑えられるので」
 そんな大げさな……と僕は思ったがTの目は笑っていなかった。どうやら本当に具合が悪いようだった。
「胃薬を買ってきましょうか」
「大丈夫です。しばらくここで休みます」
 半ば強引に連れてきたことを、僕は後悔した。やはり、独りで来るべきだったのだ。
「本当にごめんなさい、僕が無理に誘ったばかりに……」
「大丈夫です。僕は行者としてではなく、いずれ豚として死ぬ身ですから……」
 ……やっぱりちょっと僕に怒っているようだった。
 ベンチで、Tは胡座をかいて、目を閉じた。おそらくこみ上げる嘔吐感を鎮めるために、精神の統一を図ったのだろう。​​Tは「東京にはラーメンを食べて死ぬ自由がある」と言っていた。いつかラーメンを食べた後、ベンチでそのまま帰らぬ人となるのかもしれない。
 僕はしばらくどうしていいか分からずにオロオロとしていた。ベビーカーを押してこっちに歩いてきていた近所の女性が僕たちを視界に収めると、なるべく関わり合いたくないと言いたげに不自然な方向転換をして遠ざかっていった。
 しかし、Tが目を閉じて動かなくなったので、僕も側に腰を下ろした。そして祈った。どうか彼の胃を、ブタカスアブラから救い給えと、豚を喰って豚として死なぬように祈った。僕には、祈ることしかできなかった。だからこそ、真剣に僕は祈り続けた。 

 獣の世界に物語はなく
 神の世界に幻想はなく
 獣と神の世界には、過去も未来も演劇性もなく

 (#3に続く)

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連載【ラーメンと瞑想】
毎月水曜日更新

宇野常寛(うの・つねひろ)
評論家。1978年生まれ。批評誌〈PLANETS〉編集長。著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、『母性のディストピア』(集英社)、『遅いインターネット』(幻冬舎)、『水曜日は働かない』(ホーム社)、『砂漠と異人たち』(朝日新聞出版)、『ひとりあそびの教科書』(河出書房新社)、『チーム・オルタナティブの冒険』(ホーム社)など。立教大学社会学部兼任講師も務める。

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