【卯月】想い出の手触り(後編) 村山由佳「記憶の歳時記」
歳を重ねたからこそ、鮮やかによみがえる折々の記憶。12の季節をしっとりつづる、滋味深きおとなのエッセイ。
[毎月第2・4金曜日更新 はじめから読む]
※本連載は小社より単行本として刊行される予定です。
※書籍化にあたって【卯月】想い出の手触り(前編・後編)以外の公開を終了しました。
血のつながりとは不思議なものだ。
子どもの頃、私は父にも母にも似ていないと思っていた。兄も二人いたが、そのどちらにもあまり似ていなかった。
それなのに、三十路にさしかかった頃から急に、インタビュー記事などに載った自分の顔が、同じく三十そこそこだった頃の兄を思い起こさせることが増えてきて、おまけにその兄は今や、ふとした表情が亡き父に見える時がある。
さらに、なつかしい写真を見ると、当時は気がつかなかったことにも気づかされる。くだんの卒業式の写真など、私と父は顔の造作こそそれほど似ていないものの、表情がそっくりなのだ。カメラを向けられるだけで、ちょっと気持ちが引いてしまうところ。そういう自らの自意識が面倒くさくて、つい苦笑まじりのはにかみ笑いを浮かべてしまうところ。
とはいえ写真の中の父は、誇らしげで嬉しそうでもあった。
母との関係性にしばしば苦痛を覚えていた私が、それでもたいしてひねくれずに育つことができたのは、ひとえに父のおかげだと思っている。仕事が忙しくて家には不在がちだったけれど、そばにいる時は、父なりにありったけの愛情を私に向けてくれた。不器用だったが、母が言うほど冷たいひとではなかった。
この父が、自意識もへったくれもなしに、ほんとうに手放しで大喜びしたのを見たことが一度だけある。ミッション系の女子小学校に、私が受かったとわかった時だった。
筆記でどんな問題が出たかはあまり記憶にないのだけれど、面接試験の内容は今でも覚えている。当日、終わるなり娘から詳しい話を聞き出した母が、その後もずっと語り草にしていたおかげだ。
風景写真を四枚見せられて、どの季節が好きですか、と訊かれた。私は秋がいちばん好きだと言い、理由を訊かれると自分の心臓を指し、
「きれいな葉っぱが散ってしまうのを見ると、胸のここのところがきゅうっとなるから」
と答えた(らしい)。
また、家でのことを何でも話して下さい、と促されて、猫の話をした。
「チコっていう名前でね、あたしの弟なんだけど、ピアノの上にのぼるたんびに、お母さんがすごく優しい声で、チコや、チコや、って言いながら抱き上げるの。そうして、そうっと床に下ろしてから、頭をぽかちん、って叩くの。『このアホたん! ピアノに傷ついたらどないすんのん!』って」
ちなみに、保護者の面接において学校側から、娘さんにはどのような大人になってもらいたいですかと訊かれた時、母は、「いい女になってほしい」と答えた(そうだ)。それもまたあまりにあのひとらしくて、いま思っても何とも言えない微妙な気分にはなる。
ともあれ、その日小学校まで合否を確かめに行った父は、昼前に帰宅するなり娘を抱き上げてぐるぐる回った。
「ようやった、でかした、ようやった」
私のほうは、父が何をいったいそんなに喜んでいるのかわからないままに晴れがましくて照れくさくて、いつもは絶対に届かない蛍光灯の笠の模様を間近に眺め、スイッチの紐に手を伸ばして触るなどしていた。
母が華やいだ声で、大阪の祖母に電話をしているのが聞こえた。
入学式の時に母が着物を着ていたかどうかは定かでない。一緒に写真くらいは写したはずなので、いつかまた、実家のどこか予想もしないようなところからひょっこり見つかるのかもしれない。
逆に考えると、人が自分の記憶だと思いこんでいるものの中には、後から写真を見たり、身近な人の語る思い出話などによって形作られただけで、ほんとうには憶えていないことというのが沢山あるのだろう。
祖母が縫ってくれた例の七五三の着物を、私は長らく、薄水色の生地に紅白の梅の花が描かれているものだとばかり思っていた。これまた久々に実家の箪笥から出てきた実物は、白い綸子地に赤い枝、水色の梅の花模様だった。
一度は解いて羽織に縫い直してくれたのだけれど、やはり裄丈や着丈が足りない。かといって、祖母の思い出がいっぱい詰まっているそれを、しまいこんだまま箪笥の肥やしにしておくには忍びない。
「いっそ、帯に仕立て直してもらおかな」
と言ったら、〈背の君〉がすぐさま、ええやんか、と賛成してくれた。
でも、梅柄の帯が他にないわけじゃないし、お直しに出せばそれなりに費用もかかる。
「あほやな。そういう金の遣い方は贅沢とちゃうがな。お前がまた愉しんで着倒してこそ、ばあちゃんも喜んでくれはる思うで」
私にとっても、五つ下の従弟である背の君にとっても、永遠に大好きな祖母だ。
昔々、〈お猿のかごや〉をして遊んでもらったのを思い出す。着物の腰紐を二本繋いで輪にした中に、祖母と私と幼い彼とが三人そろって入り、大阪の古くて広い家を部屋から部屋へ、えっさほいさっさ、と歌いながら練り歩いた。
あのお茶目な祖母は、今の私たちが夫婦として一緒に暮らしているのを知ったら何と言うだろう。「よう言わんわ」と、あの世であきれて笑っているのが見えるようだ。
今の気分と少し違う着物も、好きな色に染め変えることでまた大切にすることができる。このままでは着ることのない羽織も、工夫して仕立て直せばお気に入りの帯になる。
たぶん、人と人との関係も似たようなものなのだろう。
それぞれがその時々で役割を自在に変えながら、私たちは今も家族をやっている。
連載【記憶の歳時記】
毎月第2・4金曜日更新
村山由佳(むらやま・ゆか)
1964年東京都生まれ。立教大学卒業。93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ─』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞、09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞、21年『風よ あらしよ』で吉川英治文学賞を受賞。『放蕩記』『猫がいなけりゃ息もできない』『はつ恋』『命とられるわけじゃない』など著書多数。
Twitter:@yukamurayama710