【卯月】想い出の手触り(前編) 村山由佳「記憶の歳時記」
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【卯月】想い出の手触り(前編) 村山由佳「記憶の歳時記」

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歳を重ねたからこそ、鮮やかによみがえる折々の記憶。12の季節をしっとりつづる、滋味深きおとなのエッセイ。
[毎月第2・4金曜日更新]


 軽井沢に引っ越してきて十年余り、たまに身内が来て泊まるほかは物置と化していた小さな和室を、思いきって着物部屋にしたのは去年のことだった。
 せっかくめこんである和服をもっとせっせと着たい。八割方は古着屋やネットオークションで手に入れたものだけれど、洋服と同じクローゼットにしまうには限界があるし、広げるにも畳むにも床の上ではうまくない。やはり和のものは和箪笥わだんすにしまい、畳の上でいとおしみながら手入れをしてやりたい。
 もともとこの建物は、家具などの通販カタログも扱うような写真スタジオで、二階の端にある和室はオーナー夫妻の居室だったようだ。移り住んだ時点で築十七年、今ではあちこちガタが来ている。夏暑く、冬寒く、雨漏りもする。
 和室だってほんとうは畳替えをするのがいちばんなのだが、とにもかくにもホームセンターでい草の畳カーペットを買ってきてパートナーの〈背の君〉に頼み、どけることのできない家具による出隅入り隅を切り欠いてピシリと張ってもらった。さすがは内装のプロ、手際の良さと職人技の仕上がりにれ直す、という思いがけない副産物まであって、めでたい限りである。

 土地柄、十一月下旬から四月の半ば過ぎまで、つまり一年の半分はあたりまえのように雪が降るのだけれど、三月の声を聞いた頃から陽射しの感じだけがふっと変わって日に日に春の気配が濃くなり、素っ気なかった庭にも少しずつ彩りが戻ってくる。
 和室の東側にある引き違いの窓を開け放ち、まだ少し冷たい風と陽射しのぬくもりとを同時に感じながら、虫干しを兼ねて和箪笥の扉や引き出しを開け、たとう紙を広げ、防虫剤を入れ替える。
 シャツにアイロンをかけるのは面倒くさいのに、相手が帯や着物であれば苦にならないのはどうしてなんだろう。脂や汚れがつかないよう、あらかじめきれいに洗った手ででるようにして折り目を正しながら、滑らかで官能的な絹の手触りを存分にたのしむ。
 そういえば映画『ラスト サムライ』の撮影時、小雪こゆきさんのまとう衣装を最初は手に入れやすい洋服生地のシルクで作ってみたものの、思うような雰囲気が出ず、着物用の反物を取り寄せて作り直したと聞いたことがある。同じ一〇〇%SILKでも、洋服に使われる絹と着物の正絹は、ふしぎとまったく風情が異なるのだ。


 私のいちばん古い記憶にある着物は、七五三のために祖母が縫ってくれた梅柄の小紋だ。今思い返してもけっこう大人っぽい、綺麗きれいな柄だった。
 当時の祖母は六十代後半。年に一度くらい、暖かな季節を選んで大阪から出てきては、東京練馬区の石神井しやくじいにあった私たちの家にそのつどひと月ほど滞在していた。夫はとうの昔に他界していたし、大阪の家には息子たちが同居していたので、本人はかなり自由だったのだと思う。寡婦となってからは女手ひとつ、ネーム刺繍ししゆうの仕事一本で三人姉弟きようだいを育てた職業婦人でもあり、たくましくて賢くて溌剌はつらつとしていて、さらに言えば美しいひとだった。
 春の陽射しが降り注ぐ我が家の縁側、干してある座布団の上では猫が丸くなっている。庭の水たまりに反射した光が、板張りの天井にゆらゆらと波のような模様を作る。
 まぶしすぎない程度に明るい部屋の中で、祖母は長い反物に竹の物差しをあてては印を付け、真剣な顔で裁ちばさみを入れ、毎日少しずつちくちくと縫いものをした。ずり落ちてくる眼鏡を鼻の上に押し上げ、時々針の先で頭の地肌をひっかいては滑りを良くしながら、
「ゆかちゃん、また針に糸通してぇな」
 私にもちゃんと仕事をくれたし、通せたものを手渡すと、
「ゆかちゃんはほんま器用やなあ。縫い物もきっと上手になるわ」
 と大げさに褒めてくれた。
 絹の感触はつるりとして、手に取ると、とろん、と水のように垂れた。その梅柄の着物に始まって、しゃぼん玉模様のぱりっとした浴衣や、赤いウールのほっこり温かな着物など、全部で何枚縫ってもらっただろう。多くは肩上げや腰上げをしてあったから、少しずつゆきや丈を伸ばしながらずいぶん長く着た。

 やがて、祖母は衰え、記憶も手もともおぼつかなくなっていった。
 私は中学生になっていた。あんなにピンシャンとしていたひとがたった今のことさえ忘れてしまうのが悲しく、それでも祖母のことは大好きだったので、会えば何度でも同じ話に付き合った。
 その頃から母は、私の着物を別のところに頼んで仕立てるようになった。
「もう背丈も伸びひんし、サイズはそう変わらへんから大丈夫や。いつかお嫁に行くとき恥ずかしないように、今から準備しとかなな」
 そう言って、歳末大売り出しのたびに反物を買い込んできては次々に仕立ててもらう。
「どや、見てみ。振袖から訪問着から、こんなに早う嫁入りの着物までそろえてる親、あんたのクラスにもきっとおらんで」
 ありがたいことなのは重々承知の上で、私は思っていた。濃い赤やピンクの派手な着物はいやだ。全体にびっしり模様があるのも好きじゃない。せっかく揃えてくれるのなら、ブルー系か薄色の、もっとあっさりした柄行きの着物がいい。というか、できれば一緒に行って選ばせてほしい。
 でも、言えなかった。母の勢いに圧倒されていたのと、鼻高々な気分に水を差したくなかったのと、機嫌を損ねて怒られたくなかったのと、それからやはり、傷つけるのが怖かったのもある。とにかく言えなかった。

 何しろ母は浪費家であったから、服など一生かかっても着られないほど買い込んでいたけれど、おそらく当人にもいささかの後ろめたさはあったのだと思う。〈娘の嫁入りの準備〉となれば誰からも文句を言われずに済むわけで、あれはあくまで母にとっての愉しみであり趣味であり、堂々と買い物をするための口実でもあったのだろう。
 ただ、どういうわけか、娘の〈嫁入り道具〉を次から次へと仕立てながらも、自分自身の着物を新調することはなかった。
 かわりに一度、持っている色無地とつむぎの染め変えをしたことがある。元はどんな色だったのか、それぞれ綺麗な紺色に染め上がった着物が悉皆屋しつかいやさんから戻ってきた時、母はたとう紙を広げるなり、それはそれはうれしそうな顔をした。
 数年前、実家の箪笥の整理をしていたら、黄ばんだたとう紙からその二枚の着物が現れた。広げてみるなり、そこに母の影が立ったような気がして、それこそ後ろめたさに胸がしぃんとなった。
 仕立ててもらった着物のほとんどに、私はいまだ一度も袖を通していないのだ。身長が止まってからも腕だけはにゅうにゅう伸びたせいで、どれも裄がつんつるてん、という問題が一つと、じつは着物にも時代なりの流行というものがあって、思いきりアンティークなものならばともかく、中途半端に昭和な柄行きのものはなかなかに着づらいのだ。それこそ染め直しやお直しという手段はあるけれど、そこまでする踏ん切りもつかず、かといって手放したりするのは母に申し訳なくて、箱に収めて保管してある。たぶん、私が死ぬまでずっとあのままなのじゃないかと思う。
 母の二枚の着物がしまってあった実家の箪笥からは、昔の写真も出てきた。白黒のものもあれば、カラーながら色あせたものも、とにかくばらっばらのぐちゃぐちゃに突っ込んであるのがさすが母という感じで、そういうところは確実に娘の私にも引き継がれている。
 と、そのうちの一枚に目がとまった。
 高校の卒業式、両親に挟まれた私は濃紺のガウンに身を包み、博士みたいな四角い帽子を頭にのせている。向かって右側には、トレンチコートを着た照れくさそうな父。そして左側に立つ母は、まさに染め変えたばかりの濃紺の色無地を着て、クールな微笑を浮かべている。
 昔は鬼のように怖いとばかり思っていた母も、そうして改めて眺めて見ると、祖母とはまた違った雰囲気を持つ美しいひとだった。

後編につづく

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連載【記憶の歳時記】
毎月第2・4金曜日更新

村山由佳(むらやま・ゆか)
1964年東京都生まれ。立教大学卒業。93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ─』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞、09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞、21年『風よ あらしよ』で吉川英治文学賞を受賞。『放蕩記』『猫がいなけりゃ息もできない』『はつ恋』『命とられるわけじゃない』など著書多数。
Twitter:@yukamurayama710

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