池上彰『池上彰が見る分断アメリカ 民主主義の危機と内戦の予兆』序文
未曽有の混乱の渦中にある民主主義の大国アメリカ。
インフレ、経済格差、宗教問題、移民問題など、数々の課題が山積し、分断は確実に世界に広がっている。
2024年の大統領選挙でアメリカは何を選択するのか。新たな南北戦争は起こるのか。幾度も現地に渡って取材を重ねてきた池上彰が鋭く分析します。
8月26日に発売される『池上彰が見る分断アメリカ 民主主義の危機と内戦の予兆』の序文をここに公開します。
はじめに
二〇一六年一一月、日本のテレビ局のスタジオで、アメリカ大統領選挙の特番に出演していました。午前中に番組が始まった当初は、「大統領はヒラリーで決まり」という雰囲気でした。それが、開票が進むにつれて、「トランプ候補善戦」というニュースが入り始め、やがて「トランプ有力」にトーンが変わり、遂には「アメリカのメディアがトランプ当選を伝えた」という速報が入ってきました。このときのスタジオの動揺といったら。番組は「ヒラリー当選」の予定原稿しか用意していなかったからです。
この年、私は一〇月末までアメリカ各地を取材していました。当初は「ヒラリー優勢」と感じていたのですが、終盤になってFBIが、ヒラリーが国務長官時代に私用メールを使用していた件について再捜査を開始したと発表したことで米国内の空気が変わりました。
この件は、過去にFBIが捜査した結果、「問題なし」との結論が出ていたのですが、「新たなメールが出てきた」として再捜査を開始したのです。この件もまもなく「問題なし」との結論になったのですが、選挙直前の再捜査は選挙結果に大きな影響を与えました。
それでもアメリカのメディア各社は「ヒラリー優勢」の世論調査の結果を報じていました。日本のメディアは、これを信じていたのです。
選挙はトランプ当選となったのですが、「ヒラリー優勢」の世論調査は、あながち間違いではありませんでした。最終結果は、全米の総数でヒラリーがトランプより二〇〇万票も多かったからです。それなのにトランプが当選した。そこにはアメリカの大統領選挙の特異な仕組みがありました。
アメリカ大統領選挙は「米国民が大統領を直接選ぶ」と言われますが、実際は州ごとに「大統領を選ぶための選挙人を選ぶ」という形になっているからです。
これは建国当初、国民に読み書きができる人が少なく、「大統領を選べる見識がないのではないか」との懸念から、有識者に大統領を選んでもらおうという制度になったからです。
また、そもそもアメリカは州が集まってできた連邦国家。大統領選挙人は州ごとに代表を選ぶ形になります。その結果、全米の総数ではヒラリーが勝っていても、州ごとに選ぶ選挙人の数でトランプが上回っていたのです。
ところがトランプは、総数でヒラリーに負けたことが悔しかったのでしょう。「ヒラリーの票には不法移民が不法に投票した数が入っている」という根拠のない主張をしたのです。
当時は、「トランプは悔しいから虚勢を張っているのだろう」と軽く見ていたのですが、二〇二〇年の選挙で負けたときも、「自分が勝った」と根拠のない主張をし、それを信じたトランプ支持者が選挙結果を覆そうと選挙人の数の集計をしていた連邦議会を襲撃しました。
世界の国が民主主義国家か独裁国家かをどう区別するか。私は、選挙結果を受けて敗北した側がその事実を潔く認めるかどうかだと説明してきました。もちろん中国のように国民が指導者を選べない国もありますし、ロシアのように有力な野党指導者が立候補できない国もありますから、そもそもフェアな選挙が実施されなければならないのですが。
アメリカの場合、選挙に負けた側が勝った相手に祝福の電話をかけることで「勝利」が確定するという慣例がありました。それが、電話をかけるどころか「自分が勝った」と言い張るとは想定外でした。
さらに想定外だったのは、そんな根拠のない主張を信じる人たちが現れたことです。
トランプの根拠のない主張を信じる人たち。二〇一六年にトランプが当選し、翌年一月に大統領に就任した後も、トランプの嘘は続きました。それを信じる人たちや、根拠のない主張をそのまま伝えるニュース専門チャンネル「FOXニュース」の存在は、私がアメリカに抱いていたイメージを大きく破壊するものでした。
アメリカは、いったいどうなっているのか。私はたびたびアメリカに渡り、その理由を探ってきました。その結果、得られた結論は、アメリカは先進国の「北」と途上国の「南」の二つの国家の連合体であるということでした。そこには、そもそもアメリカが二手に分かれて戦った南北戦争以来の分断の歴史が存在していたのです。
このままでは、二〇二四年一一月の大統領選挙の結果がどうであろうと、アメリカは内戦に陥る危険性を孕んでいるのです。
なぜなのか、どうしてなのか、これからどうなるのか。そんな疑問をひとつずつ解き明かしてまいりましょう。
はじめにより
(続きは本書でお楽しみください)
著者プロフィール
池上彰(いけがみ・あきら)
1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、73年にNHK入局。松江放送局、広島放送局呉通信部を経て、報道局社会部、警視庁、文部省などを担当し、記者として経験を重ねる。94年から11年にわたり「週刊こどもニュース」のお父さん役として活躍。2005年にNHKを退職し、フリージャーナリストに。名城大学教授、東京工業大学特命教授、東京大学客員教授、愛知学院大学特任教授、立教大学客員教授。信州大学などでも講義を担当。『そうだったのか! 現代史』シリーズ、『君たちの日本国憲法』、『池上彰の世界の見方』シリーズ等、著書多数。