『人工島戦記』の地平線 矢内裕子
橋本治さんの未完の大長編『人工島戦記──あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科』の刊行にあたって、近く『橋本治の小説作法(仮)』を上梓される矢内裕子さんにエッセイをご寄稿いただきました。
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「このインタビューは、終わらないかもしれないね」
──と、偉大なる作家は、楽しそうに言った。
橋本治さんがいかに小説を書き始め、“小説のために”エッセイや時評、『枕草子』などの古典の新訳を手がけたのか──デビュー作『桃尻娘』から始まる小説の仕事を軸に、長いながいインタビュー(『橋本治の小説作法(仮)』)をしていたときのことだ。
橋本さんの話は、いつだって縦横無尽だ。
『窯変 源氏物語』について語りながら、歌舞伎や映画、ミュージカル、浮世絵にまで話が及ぶ。無関係だと見えるエピソードが、あとから地下茎のようにつながって、別の場所に芽吹いていることに気づく。
こちらが「表には見えていないけれどつながっている出来事」に気づいて反応すると、橋本さんの語りが大きくうねるのだ。橋本さんのグルーヴを止めないように、けれど「ここがカーブだ!」と思ったら、少しだけ合図する。
うまくいくと、まったく別の地平が目の前に現れる。
橋本さんへのインタビューは普通の取材とは違って、冒険のような、旅のような、大きな世界の中を歩いているようなもので、楽しい一方、私は自分を見失って、本の行く先がわからなくなることが何度かあった。
そんな私を見て、あるとき橋本さんはちょっと面白そうな様子で、「終わらないかもしれない」と言ったのだった。
それは「まあ、そうなったらそのときは仕方ないからつきあうけどサ」と、言ってくれているような気もしたが、だからといってその“優しさ”に甘えるわけにはいかない。
御存知のとおり、橋本さんは次々に新しい仕事を手がける人だった。
評論も、小説も、エッセイもビジュアルブックも。
とどまるところを知らず、思わぬテーマを手がけてゆく橋本さんの小説作法をまとめる方法などあるのだろうか。
もしかしたら自分には、終わらせることができないかもしれない──いやいやいやいや、もちろんそれでは済まされない。でもいったい、どんな構成、終わりかたが、『橋本治の小説作法(仮)』にはふさわしいのだろうか。
考え続けていたある日、ふと気がついたのだ。
「そうだ、『人工島戦記』があるじゃないか!」
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一回のはずだった連載が二回、三回と続き、五百枚まで書いたが完結せず、連載が中断してからも一人で書き続け、四百字詰め原稿用紙に三千九百枚まで書いて、それでも終わらなかった長編小説。
この作品のことを、橋本さんはずっと気にかけていて、『小説作法』のインタビューでも、『人工島戦記』はしばしば話題にあがった。
「昭和が終わったときに中学三年で高校受験をやっていた連中、そこにありとあらゆる男のネックをぜーんぶ横一列に並ばせて、そいつらがデモをするという壮大な話」
舞台は「架空の県」で、登場人物は二百人あまり。
え? 二百人? どうしてそんなに登場人物が必要なのか。
「地方都市と周囲の四県にまたがる話なので、伝統の真ん中にいる人、周辺にいる人、地方の新興住宅へ流入してきた人、隣県から通っている人、いろいろな人がいるでしょ」
ある人物にはその親がいて、彼がそうなった理由がある。そうした一人ひとりの背景、言い分を書いていくと、登場人物はおのずと増えていくことになる。
「隣の県とのいがみあいや東大信仰を支える土壌、くだらない具体性をぜーんぶ、嘘の固有名詞で書いてやれ、と思った。だから架空の地名も、そこにいた殿様十一代の名前も全部作っていったら、人名地名辞典だけで八百枚になっちゃった」
たとえば〈平野藩主大田分家の代々《ヒラノハンシュ・オオタワケケ・ノ・ダイダイ》〉という項目には、初代から十一代に至る歴史というか一族の「お話」が二段組で一ページ半、延々と書かれている。途中〈鳥頓寺《とりとんじ》〉の若い役僧〈苓忍《レイニン》〉やその弟子僧〈諏多倫《スタリン》〉なんかが登場する“平野騒動”のエピソードも交えながら。
笑いながら書いている橋本さんの顔が浮かぶような「辞典」は、『アストロモモンガ』などの奇書を偏愛する読者にはたまらないだろう。
さらには架空の街の詳細な地図も複数、作られていた。架空の鉄道の路線図、駅名、バス停(「地方都市はこういうところに駅を作らないよな、ここはバスだな、とか考えて」)。学校や主人公たちの家の場所はもちろん、公園や商店も地図にはかきこまれている。この『人工島戦記 人名地名辞典』、映画やアニメーション製作で言うところの「設定資料」というには、それ自体が読み物として面白くなってしまっている過剰さが、橋本治ならではだろう。
「この辞典は、雑誌に掲載されたんですか?」
「載せないよ、小説を書くためのメモだもん。膨大すぎて自分で忘れちゃうからさ」
「誰にも見せないのに、こんなに」
「うん、八百枚くらいかなあ。あ、地図で言うとさ、ここにある〈篦羊羹《へろようかん》〉が〈篦殿笥市《へろどとすし》〉では一番の和菓子屋で、というのも分家の殿様が焼物を奨励したので〈殿笥窯(どんすよう)〉と呼ばれる高級磁器の産地になったからで、茶道も盛んだから和菓子も発達したんだよね……」
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物事を書くにあたっては、その源になっているところまでさかのぼり、大本から書かなくてはいけない──橋本さんはそう考えていたのだと思う。『双調 平家物語』の冒頭が、中国史から始まっていたように。
そして悩む若者たちの群像劇は『桃尻娘』だし、「世代を超えて、男たちの問題を並べてみる」は『草薙の剣』だ。
何よりも『人工島戦記』の世界を歴史として構築した上で、物語として書くという試みは、作品が未完だからこそ、『橋本治の小説作法』の終わりにふさわしい──と、迷子になっていた私は思った。
『人工島戦記』について、本の最後の章で語ってもらう──というアイデアを、橋本さんは気に入ってくれた。いつも新しい作品を、行っていない地平を書こうとしていた橋本さんの本に、未完の作品はぴったりではないか。
けれど最後のインタビューを待たずに、橋本さんは病を得て、『人工島戦記』についてのインタビューはできずに終わってしまった。
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レオナルド・ダ・ヴィンチのデッサンやスケッチは、自由な筆の運びがさまざまな可能性を私達に見せる。
アントニオ・ガウディのサグラダ・ファミリアは、百年を経てもなお建設途中でありながら、だからこそいっそう神秘的な香気を放ち、世界中から人々を惹きつける。
橋本さんが遺した『人工島戦記』もまた、稀代の作家が書こうとしていた小説世界だけでなく、作品が生まれる過程や作家の思考の道筋をあらわしている。
この本のなかには大理石に刻まれた鎚の痕、土台となる石の表情から、ほぼ完成している部分まで、完結した作品にはない貴重な部分が残されている。さらには作家の鼻唄から歴史への見かた、戦後日本社会をこうまで駄目にしたものへの怒りまでも。
未完であっても、『人工島戦記』が本として出ることになってよかった。
巻末には『辞典』も入るなんて、素晴らしい。
橋本さんが書きたいと思っていた『人工島戦記』の地平線。
その地平線は、今の私達の足元にまで、続いているはずだと思うのだ。
矢内裕子(やない・ゆうこ)
ライター、編集者。著書に『落語家と楽しむ男着物』、共著『私の少女マンガ講義』などがある。現在、『橋本治の小説作法(仮)』執筆中(白水社より刊行予定)。
Twitter:@yanaiyuko
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橋本治『人工島戦記──あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科』9月24日(金)発売