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唯一無二の「ユニコーン」な青春小説、見どころをたっぷり紹介!『ユニコーンレターストーリー』北澤平祐さんロングインタビュー

2024年11月発売の新刊『ユニコーンレターストーリー』は、幼馴染のハルカとミチオが、日本とアメリカでかわす往復書簡形式の青春小説です。著者は、数々の装画やお菓子のパッケージ、文具等のビジュアルでも大活躍のイラストレーター・北澤平祐さん。文章とイラストが交錯する仕掛けが満載、90年代~2000年代初期のサブカルチャーが物語を彩り、ワクワクがてんこ盛りの作品です。その制作秘話や見どころを、たっぷりうかがいました。

(聞き手・構成=編集担当T)


「ことばの嘘と絵の真実が交錯する」かつてない仕掛けはこう生まれた

――今回の作品は、幼馴染の少女ハルカと少年ミチオの成長を描いた、往復書簡形式の青春小説です。まずは、この作品を作ったきっかけや経緯を教えてください。

北澤 3年半くらい前かな、前作の『ぼくとねこのすれちがい日記』(以下「ぼくねこ」)が完成するかしないかの頃からもうTさんと打合せをしていましたよね。手紙のやりとりを物語にしたいというのは前々から考えていたので、次回作をというお話をいただいたとき、私からご提案しました。

――本の帯文にもありますが、「ことばはやさしい嘘をつき、絵は真実を語る」という趣向がとても新しい作品だと思います。ネタバレ注意でうかがっていきますが、このアイデアは最初からありましたか?

北澤 前作の「ぼくねこ」(注:『ぼくとねこのすれちがい日記』の略称)が、人間と猫の架空の交換日記を通して物語が進んでいくっていう、いわゆる絵本ともマンガとも違う不思議な作品でした。今回も絵の入った物語を作ろう、と考えたときに、ただの挿絵だと普通の児童文学的な作品になってしまってつまらない。かといってマンガは得意分野ではない。だったらどういう表現の仕方があるかな?と考えて、今回は手紙をモチーフとすることに決めつつ、せっかくだから、絵と文のシナジーを使った今までにないような仕掛けを盛りこんでみました。

――手紙にまじる嘘と、絵で表現される真実の部分が交錯する。全体の優しくてかわいい雰囲気がいい意味で目くらましになっているというか(笑)、実はかなり複雑でトリッキーなことをやっている作品ですよね。

北澤 私は日本的な「本音と建前」文化をすごく面白いなぁと思っていて、好きなんですよね。手紙も、見栄を張ったりとか、必ずしもぜんぶ本音を伝えるわけではないので、文面と同時に手紙を書いているシーン(=実際に起こっていること)を絵で見せたら、面白いことができるんじゃないかと考えたんです。
でも、これが結構しんどかった(笑)。手紙を書いている場面って基本的に座っているから、絵に動きをつけられなくて……走りながら手紙を書かせるわけにはいかないですし。

――なるほど。この仕掛け以外にも、実はすごく「制限」がたくさんある本だと思うんです。何もここまでご自身に負荷をかけなくても……って何度か北澤さんに伝えたような(笑)。

北澤 ははは。そうですね、この本は、いつ手紙が描かれたかのか、毎回の年と月、あと年齢も入れたんですけれども、それのせいで、例えば本当は登場させたかったゲームとかCDとかを入れられなかったりっていうのがありましたね。この日付だとギリギリまだ発売されてないぞ、とか。なんだかちょっとしたパズルを組み立てるような感じでした。だから、かなりギリギリでピースがはまったりすると、あーよかった!って。大変ではあったんですけれど、もともとゲーム好きなので、楽しんでやっていた気がします。

右上に年月日と年齢が入っています。

ラーメンみたいに作りました!?

――本づくりは、具体的にどのように進めていきましたか。

北澤 まず、コンセプトや設定やキャラクターについて考えるのを半年くらいかな? そこからさらにドラフト(下書き)を作っていく作業に1年半くらいかかっているので、土台作りをかなり時間をかけてやりましたよね。Tさんと、何度もファミレスで打合せをしました。
そうやってお話の筋をある程作ってから、それを日本の学校に通うハルカとアメリカの学校に通うミチオのそれぞれの時系列に当てはめて、ふたりの手紙のやりとりが破綻しないようにって調整していきました。この作業が一番大変で、ゲラ作業の最後のほうになってもなお、間違いとかつじつまが合わないこととか、出てきましたよね。

――「ミチオ、この1か月だけで手紙を出し過ぎている!」問題とか、いろいろありましたね(笑)。

北澤 そうそう。メールと違って、紙の手紙を海外に送ると1週間から10日ぐらいかかったりするので、この日付だと読んですぐ返事をしていてもたぶんこの日までに届かないぞ、とか。
それに加えて今回は90年代~2000年代前半っていう、ちゃんと現実的な日付を表記しているので、例えば9.11のテロだったり、何か大きな社会的な問題や事件が起きた時に、それを手紙にまったく書かないというのは逆に不自然だったりする。なので、そういう現実の出来事をどこまで含めるか……とか、本当にいろんな要素が絡みあっていて大変でした。

――テキストの執筆作業にも、かなり苦労されましたよね。

北澤 先にテキストを全部書いてしまって、普段やっているイラストレーション仕事のように、誰かが書いた文章に挿絵をつける気分で絵を描きたいと思ったんです。でも、やっぱりそう簡単にはいかなくて。いざやってみると、文章のこの部分は絵で描いたほうがいいのかもしれないとか、逆に、ラフ画を描いたあとで、ここは絵では描いてないからもっとテキストふくらませたいなぁとか……。なので、テキストを書いて、絵のラフも全部描いた後、またテキストとすり合わせていくという作業にかなり時間をかけました。
テキストも、もともとは最終バージョンの3倍くらい書いていて、ひたすらページ数に合わせて削るのが難しかったです。泣く泣く削ったエピソードでもう1冊作れるかも。最終的な絵(完成画)を描くのには、3か月くらい。そこまでいけば、あとは普段のイラストレーターとしての仕事とあまり変わらない感じなので、比較的、気が楽でした。
全体的には、なんだかラーメンみたいだなって思って作っていました。下ごしらえにむちゃくちゃ時間をかけて、いざ仕上げとなったら一気に!という。ラーメン的に作られた本です(笑)。

――絵のほうで、注目してほしいポイントをひとつ挙げるならどこですか?

北澤 なんだろう……今回トーンを初めて使ったのでそこかな。80年代や90年代のポップなかわいさを、2色刷り+トーンで出したいと思って。あとは切手と便箋の意匠かな。タコスとかカンガルーとか、毎回手紙の内容やふたりの気持ちとリンクさせて絵柄や意匠を工夫しました。

最初期のラフ画と完成したページ。ミチオの髪形が変わっていますね。

愛すべきキャラクターたちの誕生秘話

――登場人物たちについては、早い段階でキャラクターのラフ画一覧をいただきました。あれで、だいぶこの作品の世界が見えた感じがします。

北澤 そうですね、やっぱり絵にしてみると、この子はどんな感じの子なのかな?と考えやすくて、だいたいの性格とか背景が決まってきた気がします。当初はもっと多くのキャラクターがいたんですよね、ミチオの英語の先生の奥さんとか。

――しかも、実はひとりひとりスピンオフ長編が作れるくらい、キャラの設定を作ってありましたよね。北澤さんの愛を感じました。私は、ミチオのライバル的存在で、いつも中日ドラゴンズの帽子をかぶっているドラゴンくんが大好きなんですが、こういう個性的なキャラたちにモデルはいるんですか?

北澤 私もミチオと同じで小5からアメリカに引越したんですけれど、当時アメリカの学校に、毎日、巨人軍のキャップを被ってきている子がいて。「巨人くん」って呼んでいたので、彼がモチーフに。そういう、こまごまとしたところで今回モデルのような人はいますね。性格とかは全然違うんですけれど。性格は物語が作ってくれた感じです。
ハルカの友達のクミちゃんも、ドラゴンの対になるようなキャラクターをハルカの方でも出したいなと思って、生まれました。あとはバンドの3人組も、モデルは特にいないかな。

――どのキャラが一番好きですか?

北澤 うーん、誰かなぁ。最初はチョイ役ぐらいで考えていたドラゴンがかなり活躍してくれて、色々助けてもらったのでドラゴンかな。

登場人物一覧のラフ画

モノの安心感とぬくもり、手描きの魅力を伝えたい

――ページごとにすべて違うデザインの便箋や切手が素敵ですが、今回、表現方法として「手書き」の手紙にこだわったのはなぜでしょうか?

北澤 私、断捨離的なことが苦手で。とにかくモノが好きなんです。音楽もサブスクは嫌いでいまだにレコードとかCDとかで聴きます。手紙にしても、紙の手紙はずっと取ってあって、引っ越しするときに出てきたりなんかして読み返すこととかありますが、メールって読み返すことはほぼないですよね。「あるようでないようなもの」が好きじゃなくて、モノの温かみというのか、安心感がすごく好きなんだと思います。

――モノが安心っていうのは、データだと消えちゃうかもしれないからでしょうか?

北澤 そうですね、クラウド的なものもあまり信用していなくて、いとも簡単に消えてしまいそうだし、そこに「他人が介入できる」というのが嫌なんです。ちょっとちがうけれど、X(旧Twitter)とかでも、簡単に規約とかを変えられて、自分のものだと思っていたものが自分のものでなくなってしまうこととか、ありえそうで。音楽のサブスクも、ある日いきなりなくなったりするじゃないですか、自分の好きな曲やアルバムが。CDやレコードなら、少なくとも突然消える心配はないです。ケースのキズとかも自分の歴史のようで、愛しく思えたりしますし。

――物語の途中で、インターネットやe-mailが一般家庭に普及したこともあり、ふたりはメールやメッセンジャーなども試します。でもやっぱり手紙がいいね、と戻ってきますよね。アナログの良さや、「遅い」ことを肯定するメッセージが込められている一方で、クミちゃんがちゃんとデジタル技術を駆使して活躍したりとか、デジタルを否定しているわけでもない。

北澤 新しいものを最初から否定するつもりはなくて、何でもまず試してみた上で、嫌だったらやめればいいし、嫌じゃなかったら取り入れたらいいと思うほうです。
デジタルかアナログかで言えば、この本の挿絵はペンと紙でアナログに描いていますけれど、それをスキャナーで取りこんでコンピューター上で2色目を塗ったりトーンを貼ったりと、デジタルで仕上げをしていますし、ラフもiPadとかを使いデジタルで描いています。デジタルとアナログのいいとこどりで。

ハルカの手紙には、当時大流行したプリクラが。

ワクワク感と恐ろしさ。2000年前後の独特なムード

――お話の舞台設定についても教えてください。まず、時代は90年代後半~2000年代前半ですが、どうしてこの設定にしたのでしょうか?

北澤 今回のお話にはいろんな楽曲が出てくるんですけれども、そのひとつ、「Disco 2000」という曲の歌詞に、男の子が幼馴染の女の子に「2000年になったら会おうよ」って言うフレーズがあるんですね。私自身が彼らと同じくらいの年の頃から聴いている曲なんですけれど、このフレーズがずっと好きで。あの頃って、まだ2000年ってちょっと未来で、どんな時代なんだろう?っていうワクワク感と、世紀末の恐ろしさみたいなものが入り混じっていた。その感覚を物語のまんなかに置きたくて、いろいろ逆算したり、時系列をパズルみたいに組んでいって、この時代設定になりました。
あと、この時代ってケータイとかコンピューターとかのテクノロジーの移り変わりが激しかったので、絵的にもいろいろなガジェットを描けて楽しいかなと思って。今って、スマホなんかみんな同じ形でだから、絵にしてもほんとつまらないんです。あの時代って、Appleにしても初期のクラムシェル型のiBookなんてすごく個性的な形で、ひと目で何かわかるんですよ。この時代はそういう楽しいインダストリアルデザインがたくさんあった、最後の時期だったのかなって今になって思います。

――ハルカとミチオは、北澤さんより少し下の世代ですよね。北澤さんご自身の体験などは今回どのくらい盛り込まれているんでしょう?

北澤 3割くらいかな。好きなゲームとかマンガとか、要素としては入っているけれど、私はこんなにちゃんと相手を尊重できる優しい子ではなかったです(笑)。

本文のイラストより一部抜粋

――場所についてはどうでしょう。日本の湘南とアメリカ西海岸のニューポートビーチが主な舞台ですが、北澤さんも実際にニューポートビーチに住んでいたんですか?

北澤 いや、私自身はカリフォルニア州のデイナポイントっていう、ロサンゼルスとサンディエゴの間ぐらいのところに住んでいました。そこも海が近い、サーフィンの町みたいな感じでした。ニューポートビーチは大学の時の友達が住んでいて、よく遊びに行っていたんです。どこか日本の江ノ島や茅ヶ崎の雰囲気と似ているので、今回の舞台にしました。

――ハルカのほうは茅ヶ崎に住んでいますね。湘南にも何か思い入れが?

北澤 私はアメリカへ行く前の3~ 4年間、茅ヶ崎の隣の辻堂に住んでいたんです。茅ヶ崎のダイクマにはよく行ったし、藤沢のピアノ教室に通わされていたんですけれど、先生がすごくこわくて嫌で嫌で仕方なくて、帰りに駅前の本屋さんに寄って立ち読みしたり買ったりするのを楽しみになんとか行っていたようなところがあって……。だからミチオが藤沢駅前の有隣堂で『ドラゴンボール』1巻を買った話は、私の実体験ですね。

アメリカって本当に自由? ティーンエイジャーから見た日米比較

――ハルカの部活動の話とか、日本での学校生活は北澤さん自身は経験されていないと思うんですが、とてもリアルに感じます。

北澤 想像の部分も大きいですけれど、娘が学校のグチを妻に話しているのをこっそり聞いたりして、なるほどと思っていたことも入れたりしました。もともと、部活動に代表されるような日本の集団主義と、アメリカの個人主義的なところを比べるような内容を、最初はけっこう盛り込んでいたんです。文字数の関係でどんどん削ぎ落していったので表にはあまり残っていませんが、背景にはかなりいろいろ隠れているかもしれませんね。

――アメリカは自由でいいな、とハルカは感じるわけですが、ミチオは最初、自由なことによってちょっと孤独を感じたりもしますね。

北澤 そうですね、自由って、ティーンエイジャーだと特によほどしっかり自分を持っていないと持て余しちゃいそうな気がします。それに、物語の中でもちょっと書いたんですけれども、日本で言うほどアメリカが自由だって感覚はそんなになくて。東京とか都市部だと、電車があればどこでも行けるし、小学生の頃から自転車とかでもわりと自由に動けますよね。アメリカだと一つ一つの場所が本当に離れているので、高校生になっても友達の家まで親に車で送迎してもらわないといけない。それが本当に嫌で仕方なかったです。この本にも書きましたが、運転免許が自由のライセンスみたいな感覚はありました。

幼馴染の設定は、あだち充マンガから!?

――主人公ふたりのキャラクターについて、もう少し掘り下げてもいいですか。同日同時に生まれた幼なじみっていう設定は、わりと初期からありましたよね。

北澤 そうですね。往復書簡小説だから、ある程度、長い期間にわたって手紙のやりとりができる相手って誰だろうと考えて。幼なじみなら、ある程度はお互いの甘えを許せそうなので、続くかなって思いました。もともとあだち充さんの作品がすごく好きで、幼なじみの男女のやりとりだったら「あだち充的なこと」をやりたいっていうコンセプトが浮かんできて……そこから、近所に住んでいて、同じ誕生日で、と考えていきました。

――周りよりもちょっと「ゆっくり」なふたり、というのもコンセプトとしてありましたよね。それで3月生まれになった。日本だと「早生まれ」になるので、子どものころは少し成長の差を感じたりするよね、と打合せでおっしゃっていた覚えがあります。

北澤 そうそう、私も3月生まれなので実感としてあります。余談なんですが、私は誕生日が3月10日で、作中にも名前を出した、尊敬する藤子不二雄Ⓐ先生と同じなんです。ちょっとうれしい。あと松田聖子さんも一緒で。

――3月10日生まれは芸術家になりやすいんですかね?

北澤 どうなんでしょう(笑)。そういえば、今回ハルカが手紙に書いている丸文字は、ネット上で見つけた松田聖子さんのティーンエイジャーの頃の字を模して書きました。なんだか不思議とつながりましたね。

ハルカの丸文字

――北澤さん自身は、幼なじみっていましたか?

北澤 いますよ。小5でアメリカに引越した時に、学校に日本人の子が3人いて。男の子のYくんはしばらくしてニューヨークに引越してしまったので、手紙のやりとりを始めたんです。そのあと彼は日本へ戻って、私も大学卒業後しばらくして日本に帰国したんですけど、長いこと月1回くらいのペースで手紙のやりとりを続けていました。Yくんとはいまだに仲が良くて、彼はいまサンリオで働いていて一緒に仕事もできたりして……感慨深いです。

――すごい、ほぼハルカのような存在ですね!

北澤 そう、ハルカは男だったという(笑)。ほかの2人は女の子なんですけれど、彼女たちともお互いに引越してからしばらく手紙のやりとりはしていました。だから、幼なじみの彼らにはこの本は読まれたくないな……カッコつけちゃって~とか思われそうで、恥ずかしい。

ロックが大好き。25曲の「曲紹介」は楽しい作業

――この本は、おまけ的な要素も盛りだくさんですよね。ミチオの「曲紹介」もそのひとつですが、全部で25曲、ミチオのことばでおすすめされています。オアシス、パルプ、レディオヘッドなどなど、ミチオの同世代としてはたまらない選曲ですが、どのようにセレクトしていったんでしょうか?

北澤 この作品を作るにあたって、この時代の好きな曲をプレイリストに何百曲も突っ込んであったんです。そこから、各シーンに合うようなものやミチオの気持ちに合いそうなものをピックアップしていきました。ミチオはバンドのみんなとおすすめの曲をシェアしたりもしていたと思うので、本人の趣味ではなさそうなやつとかも入れたりして。

――音楽好き、ロック好きな北澤さんの本領発揮だなと思いました。

北澤 あの時代って音楽シーンも面白くて。アメリカのニルヴァーナとかパール・ジャムとかいわゆるグランジって呼ばれるようなバンドと、イギリスのオアシスやブラーといったブリットポップと呼ばれる系統が拮抗していて、そこにちょっと上の世代の80年代パンクやヘヴィメタルも入り混じっていて、みんな本当にいろいろ聴いていた気がします。ヒップホップが今ほど圧倒的に強くはなかったので、まだロックがもてはやされていた時代というか。
選曲した中で特に思い入れがあるのは、ベン・フォールズ・ファイヴの「Army」っていう曲ですね。「バンドをやっていて、でも意見の相違で解散して、解散したと思ったらすぐ自分以外のメンバーで再結成した」というような歌詞があるんですけど、これがめちゃくちゃ切なくて大好きで。今回のお話の核のひとつになっているかもしれません。

――実は、本には掲載しなかった、最後の「曲紹介」がありますよね。迷いに迷って最終的に削りましたが、ここで紹介しましょうか。くるりの「マーチ」でしたよね。

北澤 そう。私自身アメリカでロック好きになって、日本の音楽は全然聴いてこなかったんですね。それで、帰国してタワレコに行って、くるりやキセルを試聴してびっくりしたんです。日本にもこんなにすごいバンドがいるのか、めちゃくちゃいいじゃん!って。特にくるりの「マーチ」にすごい衝撃を受けましたね。いろいろバランスを考えて本には入れませんでしたけれど、ここで紹介できてよかった。

ミチオの曲紹介に対して、ハルカには「今日のハッチ」コーナーが。手描きふうの、あえてラフなタッチになっています。

ドラゴンボール、まんが道、ナウシカ、ドラクエ……あふれるマンガとゲーム愛

――手紙の中にはマンガやゲームも登場します。『エヴァンゲリオン』、ドラクエなど幅広い世代に「刺さる」作品がたくさん出てきますが、特に思い入れがあるものは?

北澤 やっぱり『ドラゴンボール』は最高だなぁと思います。子どもの当時もおもしろかったし、今読んでもおもしろい。いまだに世界で愛され続けていて、コンテンツとしてもすごいと思います。あと私にとっては『まんが道』がバイブルですね。誰かと一緒にものづくりをする美しさが描かれていて、大好きな作品です。それとマンガ版の『ナウシカ』もやっぱりすごすぎるというか、永遠の目標じゃないけれど、絶対到達できない目標という感じがあります。

――作中、クミちゃんや絵画教室の先生から、「マンガやアニメは本物の芸術じゃない」というようなニュアンスで否定的に見られる逸話があります。確かに20~30年くらい前は、絵に関して「マンガ/アニメっぽい」っていうのをちょっと悪口みたいな感じで言われがちでしたよね。私の小学校でも、図工の人物画でドラゴンボールっぽい絵を描く男子が多くて、先生から「マンガを描かないで!」と注意されたりしていました。

北澤 ははは、全身ムキムキで、とげとげの髪形にしちゃったり。ありますよね。今ほど世界的にマンガやアニメが認められていなくて、本当にマニアックな人だけが好きなものという感じでした。でも今は、私の娘は高校生なんですが、友達も含めてみんな大前提としてごく普通にアニメファンですよね。普通に推しキャラみたいなものがそれぞれにあって、アニメイトにも普通に遊びに行くし。すっかり市民権を得ているんだなと思いました。

――ゲームもそうですよね。昔は「ゲームなんてやってないで!」と言われていましたが、今は大人も普通にゲームをするし、プロになる子もいますし。

北澤 本当ですね。私が今いちばん嬉しいのは、好きなゲームをしてても「仕事のためにゲームやってんだよ」って言えちゃうことかも(笑)。アメリカで最初そんなに英語をしゃべれない時でも、近所の子と『マリオカート』とかサッカーのゲームとかなら、みんなで盛り上がれたのが嬉しかった覚えがありますね。『ストリートファイターⅡ』とか、よくやったなぁ。

本文より(1995年3月/ミチオ12歳)

タイトル「ユニコーン」に込められた意味とは

――タイトルでもあり作品の核である「ユニコーン」ですが、ここに込められた意味を教えてください。

北澤 この本の企画は、途中までは「やさしい嘘」とか仮のコードネームで呼んでいましたよね。ロイヤルホストで何度目かの打合せをTさんとしていた時に、Tさんが前回の「ぼくねこ」は「日記」って入っていることでエッセイ的なものと勘違いされがちだったので、今回は「ストーリー」っていう言葉をタイトルに入れたいとおっしゃって。それで、じゃあ何ストーリーだ?って考えて、手紙のストーリーだから「レターストーリー」だよねと。レターストーリーだけだとぼんやりしているから、なんとかレターストーリーにしようとアイデアを出し合って……。ユニコーンになったのは、あの頃、確か英語圏のニュースとかで大谷翔平さんが「ユニコーン」って称されるのをよく目にしていたんですよね。唯一無二、特別な存在という意味で。どこかでそれも頭にこびりついていて、特別な存在=ユニコーン、っていうイメージが出てきた気がしますね。

――なんと、実はオオタニサンに由来していた(笑)。日本ではユニコーンとは言われていなくて、当時は二刀流、二刀流ともてはやされていましたが、アメリカではユニコーンと呼ぶんですね。

北澤 アメリカの特に幼い子とかって、なぜかめちゃくちゃユニコーンが好きなんです。誕生日会とか行くと絶対にユニコーンの人形とか絵とかが飾ってあって、日常的にユニコーンをよく見ていたので、そういう思い出が、私の中で「アメリカとユニコーン」というふうに結びついたのかもしれないですね。

想像をこえた作品は、対話によってこそ生まれる

――前作「ぼくねこ」に続いて、本のデザインは名久井直子さんにお願いしました。北澤さんの強いご希望でしたよね。

北澤 そうですね、前作デザインしていただいてすごく良い出来になったので。今回も、かわいい部分があるとしたら、それは全て名久井さんのおかげです(笑)。

――カバーの図案などはまさに、名久井さんとの打合せの場で一気に決まりましたよね。

北澤 イラストレーターとして、本の装画や挿絵のお仕事の時は原稿を読むとすぐにアイデアを思いつくんです。でも、自分の本だとからっきしダメ、本当に何も思い浮かばなくて。自分の本だとお話のアイデアや設定が頭の中にずっとあるので、もう凝り固まっているんでしょうね。なので、今回のカバー絵は名久井さんにいただいたアイデアをそのまま形にしていきました。もう全部ついて行きます!という感じで。

カバー装画

――イラストレーターさんや小説家でも、装丁や中のレイアウトに関して、確固としたイメージがあって譲らない方もいらっしゃいます。北澤さんはあまりないですか?

北澤 もっと駆け出しの頃に、仕事で我を通して、全然ダメになったことは結構ありますよ。デザイナーさんとの意見の相違で、結局どっちつかずの、お互いに良いと思ってないものができ上がってしまったりとか。それってみんなにとって不幸なことなので、最近は戦わないようにしています。自分がこうだと思っているものって、自分の想定範囲内にしかならないですが、デザイナーさんやアートディレクターさんの言う通りにしてでき上がったら、想像以上に素晴らしいものになる事が多々あるんです。今回はその意味でも、自分では絶対想像しなかった絵であり装丁になったので、すごくうれしかったですね。

――そこを「うれしい」と思えるところが、北澤さんの作り手としての特性なのかもしれませんね。

北澤 そうですね、飽きずにやってこられているのは、そのおかげなのかな。今回の本だって、物語はTさんとのやりとりがなかったら絶対できなかったですし、装丁は名久井さんとのやりとりがなかったらできなかったです。すべて対話によってできていると思います。ひとりでできることなんか、ほぼ無い。それこそ手紙のやりとりも同じで、文通を通して相手のことを知るのと同時に、自分のことももっと知ることができますもんね(良くも悪くも)。

――ひとりでできることには限りがあるけれど、対話や共同作業によって想像をはるかに超えたことが起こりうる。この作品全体のメッセージにも通じますね。

北澤 うん、本当にそうですね。

2024年10月18日 都内にて収録

北澤平祐(きたざわ・へいすけ)
イラストレーター。東京都在住。アメリカに 16 年間暮らし、帰国後、イラストレーターとしての活動を開始。書籍装画、広告、商品パッケージなど国内外の幅広い分野でイラストを手がける。著書に『ぼくとねこのすれちがい日記』『ひげが ながすぎる ねこ』など。
X:@nevermindpcp
オフィシャルサイト:hypehopewonderland.com


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