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【試し読み】フォーブス誌のアジア諸国首脳の必読書に選定された極上のノンストップ・スリラー『トーキョー・キル』冒頭を公開!

バリー・ランセットさんの〈私立探偵ジム・ブローディ〉シリーズ第2弾『トーキョー・キル』が、11月25日(金)に発売します。講談社インターナショナルの編集者として、長年、日本の美術や歴史などの本を編んできたランセットさんならではの知識と視点が、前作『ジャパンタウン』以上に発揮された極上のノンストップ・スリラーです。米国では、アメリカ私立探偵作家クラブ賞(シェイマス賞)の最優秀長篇賞最終候補作にあがり、フォーブス誌のアジア諸国首脳の必読書に選定されました。日本語版刊行を前に、冒頭を公開します。

あらすじ

休暇を娘と過ごすために日本に戻っていたジム・ブローディのもとに老人が現れ、命を狙われているので身辺警護をしてほしいという。男は旧日本陸軍の兵士で、すでに戦友二人が殺されており、その手口は中国の秘密結社のものと思われるという。一方ブローディは、高名な禅僧にして絵師である仙厓義梵の幻の逸品の行方を追っていた。捜査を進めていくうちに、一見異なるこの二つの出来事が、実は第二次世界大戦中の日中間の秘められた歴史とつながっていることが判明する……。横浜中華街、フロリダ、バルバドスと各地を縦横に駆け巡り、知られざる日中戦争の歴史の闇に迫っていく──


第一日 三合会

1
東京、午後二時三十六分

 生命に危険を感じておびえた三浦みうらあきらがわたしたちの事務所のドアをたたいた時点で、すでに死者は八人を数えていた。     
 騒ぎが勃発したとき、わたしはロンドンとの国際電話の最中だった。高名な禅僧にして絵師の仙厓せんがい義梵ぎぼん──代表作は〈まるさんかくしかく〉──による水墨画のオリジナルの行方を突きとめようとしていたのだ。うわさがイギリスかられきこえてきたので、サンフランシスコに住む得意客むけの珠玉の芸術作品かもしれない品を入手するためのルートをさぐっていたのだ。この客は、仙厓作品を入手できるなら殺しも辞さないばかりか、入手できなければ殺しかねないほどだった。
 人はもっとちっぽけな理由でも人を殺す。ブローディ・セキュリティ社で仕事をしていれば、日々新たにそれを思い知らされる。ブローディ・セキュリティ社はいまから四十年以上も前にわが父が日本の首都の東京に設立した会社で、私立探偵業務と個人の身辺警護を専門にしている。
 このときわたしは東京のオフィスで亡父がのこしたくたびれたデスクについていたが、もしサンフランシスコのアンティークショップにいたら、たとえ外のオフィスから怒鳴りあいじみた声がきこえても特段に考えをむけることはなかっただろう。しかしここ日本では、人前で大声で騒ぐのは礼儀にいちじるしく反した行為だ。
 いや、それ以上の場合もないではない。
 川崎かわさき真理まりがわたしのオフィスのドアをノックした。「ブローディさん、こちらに来ていただいたほうがいいみたいです」
 実年齢は二十三歳だが十六歳にしか見えない真理は、わが社の優秀なテクノロジー担当だ。東京に来たおりには助けられている。わが社は少数精鋭の企業で、スタッフはみなひとりで何役もこなす。
「きょうじゅうに、こちらから改めて電話をかけてもいいかな?」わたしはロンドンの連絡相手にたずねた。「こちらで急を要する事態になったので」
 相手は快く受け入れてくれた。わたしは相手のスケジュールを急いでメモに書きとめ、ていちょうな挨拶で電話を切ると、外のメインオフィスに足を踏みだした。
 真理はオフィス内のずっと先を指さした。見るとブローディ・セキュリティ社の屈強な三人のスタッフが、もうひとりの男を壁ぎわに追いつめて取り囲んでいた。男は怒りの目つきで三人をにらみつけた。それでも三人がいささかもひるまず、あとずさりもしないと見るや、男は三人に立腹のため息をぶつけた──中間管理職と呼ばれる日本のサラリーマンが部下にむけるようなため息だった。
 このため息にも効果はなかった。
 真理はあきれたように目玉をまわした。「いきなり会社に飛びこんできて、あなたと話をさせろの一点張りです。事情をうかがっても説明を拒まれ、受付でお待ちいただくようにいってもが拒否されました」
 招かれざる客人が社内にらんにゅうしてきた場合、なによりも優先されるべき対応は封じこめだ。古株の社員たちがいまも語り草にしているが、かつて錯乱した右翼男が抜き身の日本刀をふりかざしてエレベーターから飛びだし、スタッフふたりが入院するという事件もあった。
「落ち着いてください」三人のうちのひとりが相手をなだめようとしていた。「とりあえず受付エリアにおもどりいただければ……」
 サラリーマンはげきこうしていた。「いや、事態は一刻を争う。父は病気だ。そんなこともわからないのか」男はそこでわたしの姿を目にとめ、広い部屋の向こうから日本語で大きく呼びかけてきた。「あなたがジム・ブローディですか?」
 アジア人の顔がつくる海のなかで白人の顔はわたしだけなのだから、傑出した推理能力がなくても、だれがジム・ブローディかは簡単にわかったはずだ。予告なき客人は、日本男性ならではの控えめなハンサムというべき顔だちだった。年齢は五十代、定番のビジネススーツに身を包み──この男性の場合には濃紺だ──白いドレスシャツには赤いシルクのネクタイを完璧な結び目であわせていた。手首にはプラチナ製とおぼしきカフリンクが光っていた。挙措には非の打ちどころがなく、まったくの平時なら男になんの脅威も感じなかったはずだ。しかし、男はきわめて緊張した面もちだった──まるで内面から崩れかけているかのように。
「ええ、わたしがブローディです」わたしも日本語で答えた。
 男がわたしに近づいてきた。その目がうるみはじめた。「お願いですから、父を迎えいれてはくださいませんか? あまり体調がよくないのです」 この場の全員が、受付エリアで辛抱づよく待っている男の父親らしき人物に視線をむけた。こちらの人物はふさふさした銀髪を伸ばし、最初の男と同様の控えめながら整った顔だちをしている──彫りあげたような頰骨、しっかりした、そして見つめられた女がうっとり心を奪われそうな暗いとびいろの瞳。
 老人はつえを敬礼のかたちにふりかざすと、全身をわなわなと震わせながら進みだし、わが社の飾り気ないオフィスでは受付デスクの名前で通っている、いまは職員のついていない小さなカウンターをまわりこんできた。ひたすら一意専心の面もちで老人は進む。両手は小刻みにわなないている。杖はぐらぐら揺れている。一歩足を前へ出すたびに苦しげにあえいでいる。それでもなお、懸命なそのしぐさには高貴なる雰囲気があった。
 老人は街へ出てくるのにしていた。着ている茶色のスーツはあつらえの手縫いだが、おそらく三十年前にはすでに流行遅れだったのではないか。さらに老人が近づいてくるとしょうのうの香りが鼻をついた──そこからは、この服がきょうのこの訪問のためだけにほこりをかぶった洋服だんからとりだされたことが察せられた。
 一メートルほどのところで老人は足をとめ、一度もまばたきしない目をすうっと細めて、わたしを見あげてきた。「サンフランシスコのジャパンタウンで起こった殺人事件をひとりのガイジン・・・・が解決したという話を新聞で読んだが、あんたがその当人かね?」
〝ガイジン〞とは外国人のことだ。ただし文字どおり解釈すれば〝部の間〞、すなわち〝よそ者〞である。「いかにも、そのとおり」
「その前には日本のマフィアと互角に戦った?」
「またしても、そのとおり」
 いいかわるいかはともかくも、海外での殺人事件や東京に巣食う悪党とわたしとのかいこうの一件は、いずれも日本の新聞の大見出しになった。
「だとすれば、きみこそわたしが求める人材だ。きみのベルトには倒した相手の数だけ刻み目があるのだろうよ」
 わたしはいつの間にか反対側から近づいていた老人の息子に笑みをむけた。息子はわたしにこう耳打ちした。「父は薬の作用であれこれ話しているんですよ。副作用で感情の振り幅が大きくなっています。幻覚を見ることもあります。ここに来る話をしたのも、父の気を落ち着かせるのが目的でした。まさか、本当にお邪魔するとは思ってもいませんでした」 父親は顔を曇らせた。息子の耳打ちの言葉まではききとれなかったようだが、話の中身を察しとる程度の鋭さはあるらしい。「せがれ・・・のやつ、わたしが何歳か年をとったものだから、ボケて列車から転がり落ちたと考えているとみえる。たしかにもう九十三歳だが、去年の十二月まではこんな杖なんぞなくても、一日に五キロは歩いていたものだぞ」
「何歳か年をとっただけ? 父さんはもう九十歳だ。こんなふうに街なかをうろつきまわるのは控えないと」
 老人は杖を息子の鼻先に近づけてふり動かした。「これが〝うろつきまわる〞といえるのか? まあ、青山墓地の墓石でもわたしより速く動けるだろうが、足よりずっと上の頭のなかでは、列車がまっすぐなレールの上をちゃんと走ってる。それに、わたしくらいの年寄りが、若い娘さんたちにちょっといいところを見せたくて何歳かを読むこともしなくなったら、それこそ・・・・人生おしまいだ」
 この男なら好きになれそうだ。
 わたしはいった。「よければ、わたしのオフィスへいらっしゃいませんか? そのほうが静かだ。真理、お客さまをオフィスまで案内してもらえるかい? わたしもあとからすぐに行くよ」
「どうぞ、こちらへ」真理はふたりにいった。
 真理がふたりを部屋に通してドアを閉めてから、わたしは玄関近くに立っている顔色のわるい調査スタッフにむきなおった。「ふたりが約束もないまま姿を見せたこと以外に、なにかわかったことは?」
みょうだけですね。三浦だそうです」「わかった。ありがとう。ところではどこに?」
 野田くにはわが社トップの調査員であり、ジャパンタウン事件の調査からわたしが無事な姿で帰還できた理由の大部分は野田の功績だ。
「いまは浅草の誘拐事件の調査がらみで外出中ですが、そろそろ帰社の予定です」
「では社にもどったら、すぐわたしの部屋へ顔を出すように伝えてくれ」
「わかりました」
 わたしは自分の専用オフィスへ引き返して、新来の客人と名刺を交換し、さらにお辞儀をしての挨拶もかわした。父親のほうの名前は三浦晃、かつては日本有数の貿易会社の副社長職にあったという。
 高価なネクタイを締めている息子は、コボ・エレクトロニクス社の副部長だった。この会社も父親の勤務先と同様に一流企業だが、副部長という地位は五十代の日本のサラリーマンとしては格別褒められたものでもない。本格的に収入が増えるのは部長職に就いてからであり、息子の三浦耀ようにとっては次の昇進後の話だ。となると、この男は収入以上の金をつかっているのか、さもなければ会社以外にもどこからか収入がもたらされていることを意味している。
 自分の椅子に腰かけて、わたしはいった。「さてと、本日はどのようなご相談ですか?」
 ふたりがまだ答えを口にしないうちに、真理がノックをして入室してきた。手にした盆には、ふた・・のついた凝った飾りつきの陶器のちゃわん。中身は緑茶だ。来客用の茶器。日本では礼儀作法がすべてに優先する。
「わたしはあの戦争の体験者でしてね、ミスター・ブローディ」真理が部屋を出ていくと三浦晃がそう口にした。
 日本人が〝あの戦争〞と口にすれば、男女の別なく第二次世界大戦を意味する。現在でも存命なのは、当時いちばんの若手だった兵士たちであり、その人々がいまでは最高齢の元日本兵たちである。
あの第二次世界大戦以来、日本は新たな戦闘行為をおこなっていない。
「なるほど」わたしは答えた。
 三浦父の両目がわたしをしっかりとらえた。「失礼ながら、日本の歴史についてはどの程度までご存じかな、ミスター・ブローディ?」
「意外でしょうが、かなりくわしいと自負してます」
 日本美術の分野で仕事をしている関係上、この国の歴史と文化、および伝統についての知識をそなえることは必須になっている。「では、大日本帝国の軍隊では命令には無条件で服従せねばならず、服従しなかった場合は上官の手で頭を銃で撃ちぬかれる羽目になったこともご存じか?」
「ええ」
「だったら話は早い。となると、わが祖国が満州の一部を占領してかいらい国家を樹立したことも知っているわけだ?」
 知っていると答えると、三浦晃は満足そうな顔になった。
 二十世紀初頭、日本は積極的に中国に進出し、鉄道を敷設したり、開拓団を導きいれたり、自国の大企業の支社を開設したりといった手段で支配を確実にしていった。そして広く知られているように、日本は一九三二年に清朝最後の第十二代皇帝だった──〝最後の皇帝ラスト・エンペラー〞としてつとに有名──を擁立し、満州国の元首にすえた。
 三浦はいった。「わたしは一九四〇年に日本軍の士官として満州の前線へと送られた。わたしと部下たちは多くの戦闘を経験した。やがて新しい命令が届き、われわれの部隊はアンドンという辺境のぜんしょうに送られることになった。われわれの任務はその地域の平定であり、わたしはアンと周辺地域一帯の事実上の行政長官になった。
 現地人の人口はわれわれ日本軍の二百倍にもなっていたが、当時すでに日本軍が鬼神のごとく戦うという風評が広まっていて、おかげでさしたる難事もないまま、現地の支配を維持することができた。わたしは非暴力を主張し、またじっさいにその方針は守られていたものの、わが前任者は無慈悲な暴君だった。中国人男性が犯罪をおかせば銃殺か、もっと悲惨な刑を受け、その家族の女性たちは〝戦利品〞あつかいを受けた。われわれがきみを必要としているのは、まさにそれが理由だよ」
「というと、七十年以上も前に起こったなんらかの出来事……という意味ですか?」
「きみも、つい最近この東京で起こった二件の家宅侵入事件の話はきいているね?」
「もちろん。六日のあいだに、ふたつの家族が皆殺しにされた事件ですね。犠牲者は八人にのぼっています」
「警察が実行犯として三合会、つまり中国系の秘密結社を疑っているという記事は読んだかね?」
「もちろん」
「警察の見立てどおりだよ」
 偃月刀えんげつとうをふりかざす中華ギャング団の名前が出たことに、わたしは内心で身をすくめていた。かつてサンフランシスコのミッション地区に住んでいたおりに、三合会と偶然に出くわしたことがある。その結末は大団円とはいいがたかった。
「そこまで断言できるのはなぜでしょう?」
 三浦の美しい鳶色の目に恐怖があふれていた。「アンドンで昔あの連中にいわれたんだ。この先ずっと追いかけてやる、とね。いよいよ連中が迫ってきたんだ」

2

 わたしは注意を三浦へむけた。「これだけ歳月が流れたいまでも、三合会があなたを標的にしていると断言できる根拠はあるのですか?」「ああ、わたしは新聞に出ていないことも知っているからだ」「というと?」「突然、かつての部下がふたりまでも殺されたからね」 かつての部下・・・・・・。「その件を警察に知らせましたか?」
「しょせん〝馬の耳に念仏〞だ」三浦は苦々しい思いを隠そうともせず、日本のことわざをそのまま口にした。
 つまり、日本の警察は愚鈍だから話を理解してもらえない、といっているのだ。
「しかし、いちおう話をするだけはしたんですね?」
 三浦は肩をすくめた。「あの連中は、殺人の動機が〝大昔の歴史〞にあるとはかぎらない、の一点ばりだったよ」
 戦時中の日本の警察は、国内で恐怖をあおりたてる機関だった──そして海外では、日本軍がほぼ同様の役割を果たしていた。敗戦後、警察組織は解体された。空白を埋めたのはやたらに高圧的な官僚たちであり、こんにちにいたるまで警察官僚のあらゆる行動は〝事なかれ主義〞に染まっている──だからこそ、ブローディ・セキュリティ社のような民間の調査会社が活動する余地が大いに残されているのだ。
「あなたの考えは警察とは異なる……その理由は?」
「直感だよ」
 三浦の息子がびるような笑みをのぞかせた。
 わたしは息子のほうの三浦を無視したが、先の息子の言葉──父親の精神の安定性にまつわる言葉──をあっさり払いのけられなくなっていた。
「わたしの部下がふたりまでも、ほとんど間をおかずに殺されたのが偶然であるものか」
 わたしはいった。「仮にあなたの話が真実だと仮定して……ブローディ・セキュリティ社はどんなお力になれるでしょうか?」
「わたしの屋敷を警備してほしい」
 息子はわたしに父の三浦をうまくあしらってほしがっている。そこでわたしはこう答えた。「それなら承れます。ただしご自宅の警備はチームを組めるだけの人員が必要になり、費用もそれなりにかかります。よろしいですか?」
「かまわん」
 顔をむけて目顔でたずねると、息子はいかにも不承不承うなずいた。
「オーケイ」わたしはいった。「では数日のあいだ、あなたには複数のスタッフを身辺警護につけましょう」
「同時にきみには、わが友人たちをむごたらしく殺した犯人を見つけてほしい」
「あの二件の殺人事件は新聞でも大々的に報じられました。警察でも捜査を最優先課題にしているはずです」
 三浦はかぶりをふった。「警察なんぞ馬鹿の集団だ。わたしが関係者を教えてやったのに、そっちを調べるだけの手間も惜しんでいるんだぞ。ふたりはいっしょに軍務についていた──生まれ育った土地がおなじだったからだ。殺されたのもおなじ場所だ。警察はあの町内を標的にしている窃盗団の仕業と考えているようだが、そんなことがあるものか。あれはわたしの当時の部下たちを狙った、アンドンからやってきた三合会の犯行だ」
 ドアにノックの音がしたかと思うと、室内のわたしたちの返答も待たずに野田がドアをあけて部屋にはいってきた。わが社の主任調査員である野田はブルドッグを思わせる筋骨たくましいたんの男だ──肩幅が広く、胸板はぶあつく、顔はひらべったく無表情。この男のいちばん目立つ特徴はといえば片眉を縦につらぬいている切り傷の痕だろう──あるヤクザに切りつけられた傷だ。野田の反撃のいっせんは、さらに深い傷を相手に与えた。
 わたしは三浦親子に野田を紹介し、これまでの話を野田に伝えた。わたしの口から三合会の名前が出るなり、野田はうなり声を洩らした。
「どうした? 三合会がからんでいる可能性もあると考えているのか?」いつも寡黙な主任調査員の口からさらなる明瞭な反応を引きだすべく、わたしはそうたたみかけた。
 中国系ギャングは数十年も前から日本国内で活動をつづけている。彼らのルーツは中国の明朝末期にまでさかのぼる。はじまりは当時の中国を侵攻していた満州族に対抗する王朝を補佐するべく結成された政治集団であり、救国の英雄ともてはやされた。長い歳月のあいだにはそんな栄光も薄れた。
しかし、ひとたび生まれたけもの・・・には餌が必要だった。首脳部は先細りになっている活動資金を確実に獲得するために外部へ目をむけ、たやすく収入を得られる方法を見つけだした──用心棒ビジネスや恐喝、高利貸し、売春、そしてドラッグ。最初は国内だったが、国外に手を広げるのは当然の展開だった。そして東京では彼らが新宿や上野の薄暗い一画をはじめ、各地の居留地に住むようになった。都心から列車で三十分の距離にある横浜の中華街チャイナタウンは、主要な活動拠点のひとつである。
 野田は肩をすくめた。「そうかもしれん」
「それから?」「けんのんだな」
 いつもながら簡潔すぎていらたしい。
 三浦が野田からわたしに視線を移した。「では、この依頼を引き受けてもらえるのだね?」
「野田?」
 わたしの言葉に野田は肩をすくめた。「ま、それがうちの仕事だ」 これは、ブローディ・セキュリティ社が以前にも三合会がらみの調査仕事をしたことがあるという意味だ。野田への質問の真意はそこにあった。会社の半分を相続したのはつい十一カ月前で、わたしは父がつくった会社のなかではまだまだ新顔である。しかし、依頼人の前でみずからの無知をさらけだすようなは禁物だ。
「オーケイ」わたしはいった。「まずはようすを調べてみましょう。父があつめたスタッフはいずれもこの道の第一人者ですよ」「そうでなくては困る」そう口にするあいだも、三浦は漠然とした賞賛の目つきで野田を見つめつづけていた。「あなたの部隊のみなさんのうち、いまもご存命なのは何人ですか?」
「終戦の時点で生き残っていたのは二十八人。しかし、大半がすでに世を去った。最後の同窓会の出席者はわずか七人だった。そのあと光本みつもとがくも膜下出血で他界した。つづいて柳口やなぐちが去年、アンドンをふたたび訪ねる旅行に出たおり、新型インフルエンザで死んだ。だから、二件の家宅侵入事件が起こる前まで五人の仲間が生き残っていた勘定になる」
《そして、いまでは生き残りはわずか三人か》
「あなた以外のふたりはいまどこに?」
「ひとりは九州にある友人の別荘に滞在するといって旅立った。ただし、それがどこかは教えてもらえなかった。もうひとりは、田舎いなかにいる息子さんのところに身を寄せている」
 わたしと野田はちらりと視線をかわした。かつての三浦の部隊仲間がともに東京を脱出したという話は──しかも、そのうちひとりは日本列島の主要四島のうちもっとも西の島へ逃げたという話は──この老兵士の主張を裏づけている。
 わたしには最後にもうひとつ、たずねたい疑問があった。
「あなたたちがアンドンを統治するにあたって公平さを重視したというのなら、これだけ長い歳月が流れたあとになってもなお、あなたやお仲間の命を狙おうとする者たちがいるのはなぜでしょう?」 三浦はため息をついた。「忌まわしい秘密があるからだ。われわれのもとにやってくる高官たちは、もてなし・・・・を当然のものとして期待していた。彼らは例外なく、わたしたちにふたつの要求をつきつけてきた──ひとつは〝国賊を始末させろ〞であり、もうひとつは〝査問の準備をせよ〞だった。前者がなにかといえば、刑務所から適当にえらびだした村人たちを一列にならべて、射撃演習の標的代わりにすることだった。後者は、地元の美女を内密に尋問することだ。こうした高官たちの命令には、とても逆らえなかった。逆らえば──」
「──頭に銃弾を撃ちこまれてしまう」
 三浦は過去の罪悪感に打ちひしがれたのか肩を落とした。「だから、それ以上は考えをめぐらせなかった」
「なるほど」
「最初に高官が訪ねてきたあと、三合会はわたしを脅してきた。だからわたしは、自分の権限は部下にしか及ばず、上官の命令には逆らえないと説明した。しかし、連中は納得しなかった。《上官の軍服をまとっている者は上官に代わって血を流すのが当然だ》とね。ただし、当時の三合会が具体的な
行動に出ることはなかった。日本軍の兵士を攻撃すれば、村人がさらに迫害されるとわかっていたからだ。それでも彼らはわたしに、いずれ訪問してやる、といってよこしたよ。
 それから何年もたち、中国がようやく日本人観光客を国内に受け入れるようになると、わたしたちのうち数名があの国を訪ね、かつて知っていた家族をさがした。当時は彼らの貧しさがショックだったが、貧しさは変わっていなかった。わたしたちはそれからも何度となく彼らのもとを訪問しては、金や日本製の炊飯器のような家電製品を土産にした。いっしょに食事をし、ともに酒を酌みかわした。かつての償いになることなら、どんなことでもした。しかし、全員を助けるのは無理な相談だ。おそらく、われわれの訪問が昔の恨みを再燃させたんだろうよ。またわれわれは無頓着にも、日本の住所を教えもした。それがまちがいだったのかもしれないな」
 野田がぼそりといった。「ふくしゅうか」
 三浦が肯定のしるしにうなずいた。「将来このわたしを殺すことになる人物は、もう東京にいるんだよ、ブローディさん。肌で感じるんだ」
 六人編成のチームが三浦を自宅まで送っていった。

 自宅に到着後は、まず二名が周辺の住宅や地元の商店などを調べる予定だ。それ以外のスタッフのうち二名が、三浦の自宅の安全を確保する。窓やドアといった外部に通じている箇所すべてを厳重に封鎖したのち、住居部分とガレージと庭を捜索して、盗聴装置や追尾装置、発火装置などの有無を調
べる。最後の二名は三浦とともに安全な行動規定を作成し、同時に緊急時の脱出プランも作成する。そののちこの二名は監視の目を光らせて十二時間滞在したところで、休息をとった現場スタッフ二名と交替する予定だ。
 しかし、チーム一行はブローディ・セキュリティ社を出発するのに先立って三浦親子ともども会議室にあつまり、手順の打ちあわせをおこなった。会議の途中、三浦の息子の耀司が会議室を抜けだして、わたしと野田がいるわたしのオフィスへやってきた。
「親父をうまくあしらってくれて、ありがとうございました」息子はいった。「仲間が殺された事件ではたしかに親父も動揺していましたが、率直に申しあげて、このところ認知症の徴候が出はじめていましたし、被害妄想気味でもあったんです」
「これまで正気をうしなったことは?」
「ありません。ただ医者たちからは、認知機能が緩慢に衰えていくだろうといわれています」
 野田とわたしは目を見交わした。
「頭に入れておきます」わたしはいった。「それでもわたしたちは、脅威の実在を前提に対応したいと思います──そうではないことが証明されるまでは」
 それでも三浦耀司は疑いを拭えない顔つきだった。「あなたがたがいっしょにいてくれれば父の気分も落ち着くはずですから、なんの不都合もありませんね。しかし、ここだけの話、みなさんはベビーシッターの仕事をするだけですよ」
 野田が顔を曇らせた。「ふたりも殺害されたら、ベビーシッターの仕事じゃおさまらん」
 主任調査員をつとめる野田の声は野太く不気味な響きを帯びていた。耀司はいったんはぎくりとしたものの、すぐに野田の怒りのほこさきが自分ではないことに気づいたらしい──野田は怒りを外の世界にいるともいないともわからない連中、じっと機をうかがっているかもしれない連中にむけていた。それでもわたしのオフィスを出ていく三浦耀司は、野田から充分な距離をおいていた。野田本人はその一分後、なにもわかっていない子供への文句をつぶやきながら、おなじく部屋を出ていった。
 ひとりになったわたしは、椅子の背もたれに体をあずけて天井を見あげた。腹のずっと底のほうで──三浦晃が感じている恐怖の底流に刺戟されたのか──なにやら原始的なもの・・が蠢いていた。元兵士のあの老人にはかなりの好意を感じていた。ここへ来るためにかびくさいスーツを引っぱりだしてきた老人。いまもまだ〝若い娘さんたち〞の気を引きたい一心で、三歳さば・・を読むことを習慣にしている老人。
 どうにも気にいらなかったのは、そんな三浦の友人である元兵士のふたりが、身の安全を求めて東京を脱出したことだ。三つの脅威のほうは気にならなかった──家宅侵入、三合会、そして戦時中の残虐行為。その手のものなら、ずいぶん体験してきた。たくさん目にしてもいた。苦い経験も積み、早めに危険の徴候を見つけたら軽視しないことを学んでもきた。
 今度の仕事は世界でもトップクラスの無駄骨折りになってもおかしくない反面、これがとことん陰惨な事態の幕開けであってもおかしくはなかった。

3

 どういう風の吹きまわしか、トラブルが続発していた。最初はロンドン、次は東京。
「輪をつくって踊ったら、素人しろうとさんを起こしちゃった」仙厓作品を入手する件であらためて電話をかけると、イギリスのディーラーであるグレアム・ホイッティングヒルは、子供たちのお遊戯の歌〈リング・アラウンド・ア・ロージー〉の文句をもじった言葉を口にした。「それで、残念なことに口論になってしまってね」
 受話器を握る手にひときわ力がこもった。わたしが耳にしたいニュースではなかった。グレアムは、ライバルのディーラー──日本美術の分野では素人──とのあいだで縄ばり争いめいた言葉がかわされた、と話しているのだ。ときには個人的な知人のネットワークのさらに外にまで手を伸ばす必要に迫られる。そしてときには、信頼にあたいすると思われた人物が抜け駆けで美術品の現物を入手して取引の場に割りこみ、そのせいで仲介者への報酬支払いがひとり分増えてしまう場合もある。
「よくあることだ」わたしは答えた
「心よりお詫びする。やつの態度が曖昧になってね。こっちにたっぷりたわごと・・・・をきかせてきた」
「たわごと……うそっぱちか?」
「ああ、第一級のね」わがイギリスの友人であるグレアムが答えた。「今夜のうちには収拾をこころみるよ」
 わたしとグレアムは四年前に共通の知人を介して顔をあわせ、即座に仲よくなった。グレアムは長身痩軀、くすんだブロンドの髪ときらめきを宿す瞳のもちぬし。わたしの専門は日本美術だが、グレアムの専門は中国美術だ。わたしには信頼できる知恵袋が必要だった。というのも中国美術の世界は、人々の九十五パーセントまでがだまされるような超一級の偽造品がつくる迷路だからだ。幸運だったのは、こちらがとまどうほど内気なグレアムが残りの五パーセントに含まれていたことだ。
 わたしはいった。「記憶をリフレッシュさせてくれ。たしかきみは、日本の水墨画にも通じているんじゃなかったか?」
 仙厓を卓越した絵筆の名匠と呼ぶ者はいないだろうが、この禅僧は素朴なものを愛する日本人の心をとらえ、それをすこぶる人間的なレベルに高めることに秀でていた。その作品はユーモラスで遊び心に満ち、最高傑作においては深遠なものになる。仙厓は世の中を笑った。日々の単調な仕事にとらえられて逃げられない大多数の人々に同情を寄せてはいたが、もっと広い視野に立って悪ふざけをしていた──あらゆる存在ははかないものだ、という認識で。悟りをひらいたことで仙厓には自由と喜びがもたらされ、その知を得て、筆はかったつに踊った。
「いや、わたしが知っているのは中国美術だけだよ。例外があるとすれば、日本美術における中国的な主題モチーフの分野かな。これはうれしい偶然の一致だが、たまたまその分野には、仙厓が描いた中国僧侶というテーマも含まれているんだ」
「おやおや。それはどうして?」
「月の裏側から流れてくるうまたっぷりなゴシップのひと塊。それについては、きみがこの次うちに
立ち寄って、いっしょにビールを飲むときの話題にとっておこう。いまはもっと緊急の課題がある」
「それもそうだ。だったら、くだんのはぐれ・・・ディーラーが取引の一切合財を沈めてしまう前に話をまとめておこう。書類があればすっかり目を通してから、所有者をビデオ会議に出席させる──わたしがオンラインで鑑定できるように」
「了解。それで、今度の取引にトラブルを呼びこんだのはこちらの責任だから、今回にかぎってはわたしの手数料をいつもの半分にするべきだと思う」
「そんなことは考えつかなかった」わたしはいった。
「きみは紳士だな。ま、とにかくこの提案は引っこめずにおくよ」
「それでも、こちらの考えは変わらないぞ」
 そのあとの長い沈黙のあいだ、グレアムの感謝の念は手でさわれそうなほどだった。
「ところで──」しばらくののちグレアムは口をひらいた。「話題が出たついでにいっておくが、もし中国の僧侶を描いた仙厓作品にめぐりあったら、すぐに──昼だろうと夜だろうとかまわない、すぐに──連絡がほしい」
「その話を出した理由は?」
「《ニンジンを食い荒らす害虫は一匹いたら三匹いると思え》。コーンウォールの農夫だった祖父からおそわった知恵だよ」
 話はそこでおわった──害虫が羽音を立てて飛び、トラブルが沸き立っている状態で。
 次なる打撃は粗野で卑劣なものだった──おまけに、このわたしの目の前で起こった。

4

 古い友人の家族のところに娘を迎えにいくと、娘はすでに食事も風呂もすませ、さらに遊びつかれた状態だった。自宅に帰りつくと、娘のジェニーは〝おやすみ前のお話〞を読んでほしいとせがんだ。わたしは従ったが、三ページ読んだところでジェニーのスイッチが切れた。東京での〝自宅〞は父が建てた居心地のいい一軒家だ──ここは東京での滞在場所であると同時に、ブローディ・セキュリティ社の所有になっているいま、依頼人のための安全な隠れ家としても利用されていた。
 いまこうして東京に旅行に来ているのは、痛ましさに胸の張り裂けるようなジャパンタウン事件のあとの休暇のつもりだった。計画では東京と京都にそれぞれ短期間滞在し、後者ではアンティークショップのための商品を多少仕入れたら、ジェニーとふたりで完全休暇モードを楽しむことになっている。そのため三浦の一件は、一両日中に主任調査員の野田に全面的にゆだねるつもりだった。
 わたしはサントリーのウィスキーをかたわらにおいて居間のソファに深々と身を沈め、京都旅行の詳細を詰めはじめたが、あまり進められなかった。というのも、おりにふれて浜田はまだじゅんの最後の言葉が思考に割りこんできたからだ。
「最終的な目標は?」ブローディ・セキュリティ社での最後の会合のおり、浜田はそうたずねてきた。
「三浦の仲間たちを殺した犯人をつかまえることだね」わたしはいった。
 わが社のスタッフのなかで中国系の反社会勢力の専門家である浜田は迷っているようだった。「いま話している相手が三合会なら、犯人はつかまらないかもしれないね」
「なぜ?」
「連中はありみたいなもんだ。最初はわずかに一匹二匹が見えるだけだが、ひとたび巣をつつけば無数の群れがあふれだす」
「あんまり歓迎できない話だな」
 浜田の団子鼻がひくひく動いた。大阪出身で百戦錬磨の元刑事の浜田は、それなりに戦闘を経験してきてもいる。「その言葉はあんたが思っている以上に真実をいいあててるな」
 心が千々に乱れた状態だったせいだろう、わたしはずいぶん夜更かししていた。浜田の言葉がいつまでも頭に残っていた。三杯めのウィスキーを飲み干す。長く熟成されたウィスキーはまろやかな飲み口だったが、胃の腑|《ふ》でふくれあがりつつある不穏な感情をなだめてはくれなかった。
 夜中の十二時ごろ、わたしはやっとそろそろ寝ようと思いはじめた。そのときだった──私用の携帯電話に警視庁の加藤かとう信一しんいち警部補から着信があり、それによって浜田は社内の専属予言師へと昇格した。

バリー・ランセット 著 / 白石朗 訳

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