横道誠『なぜスナフキンは旅をし、ミイは他人を気にせず、ムーミン一家は水辺を好むのか』冒頭試し読み
発達障害(自閉スペクトラム症、注意欠如多動症)と診断された文学研究者の横道誠が、当事者の観点から、小説版ムーミン・シリーズを読み解いた『なぜスナフキンは旅をし、ミイは他人を気にせず、ムーミン一家は水辺を好むのか』が9月26日(木)に発売されます。
自分勝手で、てんでバラバラなのに、ムーミン谷ではみんなが仲よく暮らしているのはなぜなのか。
はみ出している人のために書かれたというムーミンシリーズの新たな魅力を見出し、ムーミン谷のように、誰もが住み良い社会をつくるヒントに満ちた1冊です。
今回はその冒頭をここに公開します。
はじめに
ムーミン・シリーズの作者はトーベ・ヤンソンという女性です。親愛の念を込めて、本書では「トーベ」と呼ぶことにさせてください。トーベはスウェーデン系フィンランド人でした。ムーミン・シリーズは、もともとはスウェーデン語で書かれています。
本書で「ムーミン・シリーズ」と呼んでいるのは、小説版のムーミン物語のことです。ムーミンというキャラクターが登場する、さまざまな形式の作品群の中心に、この小説版が位置しています。シリーズは全部で9冊あります。日本では、『小さなトロールと大きな洪水』、『ムーミン谷の彗星』、『たのしいムーミン一家』、『ムーミンパパの思い出』、『ムーミン谷の夏まつり』、『ムーミン谷の冬』、『ムーミン谷の仲間たち』、『ムーミンパパ海へいく』、『ムーミン谷の十一月』という書名がついています。原著は1945年から1970年にかけて刊行され、途中で一部の巻は改訂されています。日本でも最初の翻訳が1964年に出されました。本書では、講談社から出ている「ムーミン全集[新版]」(2019〜2020年、1〜8巻改訳・畑中麻紀、9巻訳、改訂・冨原眞弓)を用いながら、解説を進めていきます。
私は今回の本で、このムーミン・シリーズを中心として、トーベの世界観を探究していくことになります。小説版のほかには、絵本版やマンガ版がありますから、これらにも補足的に言及します。それからトーベが描いた絵画と、ムーミンたちが登場しないトーベの小説やエッセイも少し話題になります。
トーベが作ったムーミンたちの物語は、さまざまな国で映像化されています。日本では「昭和版」と呼ばれるものと「平成版」と呼ばれるものがあって、どちらもセルアニメ(現代的なCGアニメ以前に作られていたセル画によるアニメーション作品)です。昭和版のタイトルは『ムーミン』で、「旧ムーミン」(1969〜1970年)と「新ムーミン」(1972年)に分かれます。平成版は『楽しいムーミン一家』(1990〜1991年)と『楽しいムーミン一家 冒険日記』(1991〜1992年)に分かれます。芸術的に高く評価されているポーランドのパペットアニメ版『ムーミン』は1978年から1982年にヨーロッパ各国で放映されました。近年では、イギリスとフィンランドが共同制作したCGアニメ『ムーミン谷のなかまたち』が2019年~2022年にかけて、日本でも放映されました。ほかにも独特なキャラクターデザインのソ連版(1980年放映)などがあります。これらのアニメ版については本書で扱いませんが、小説版よりも先に触れた読者は多いのではないかと思います。私も小学6年生のときに放映されていた平成版から、ムーミンの世界に入門しました。
その後、私はムーミン・シリーズなどの読書体験を経て文学研究者となり、大学で教えるとともに、一般向けの研究書として、『グリム兄弟とその学問的後継者たち─神話に魂を奪われて』や、『村上春樹研究─サンプリング、翻訳、アダプテーション、批評、研究の世界文学』も書いています。
この本がめざすムーミン・シリーズの読みとき方は、かなり独特で、当事者批評という手法を使って進めます。当事者批評とは、精神科医の斎藤環さんが私の本『みんな水の中─「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』について冠してくれた言葉で、疾患や障害の当事者にとって特定の作品や作家が「このように見える」という実例を示す批評のことです。この本を書いている私は、自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder: ASD)を診断されています。その当事者のひとりにあたる私から見て、ムーミン・シリーズはとても自閉スペクトラム症の特性と相性が良いものと感じられる、という見立てを提示していきたいのです。
自閉スペクトラム症とは、特異なコミュニケーション、強烈なこだわり、敏感すぎたり鈍感すぎたりする感覚世界によって特徴づけられる「発達障害」(医学的に正確に言うなら「神経発達症」)です。もしかすると、「この著者は、なんて、突拍子もないことを言いだすんだろうか」と驚きましたか。「自閉スペクトラム症」の旧称にあたる「自閉症」と言えば、まったく意思疎通ができない、会話ができない、他者の心がわからない、といったイメージで知られていました。それはいまでは古びたイメージとなっています。現在では自閉スペクトラム症の多様性が注目されるようになっていて、まさに「スペクトラム」(虹の色彩のような連続体)状に、当事者の実態はさまざまです。
「発達障害」は、本人がそれによって困っていなければ、そのようには診断されません。私の場合にはとても困りながら生きてきて、2019年、40歳のときに自閉スペクトラム症および、べつの発達障害にあたる注意欠如多動症(Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder:ADHD)を併発しているという診断を受けました。
2005年に発達障害者支援法が施行され、以来日本で発達障害に関する認知が急速に向上しています。天才的な能力を発揮する創作者や研究者であっても、非常にしばしば自閉スペクトラム症の特性を持っているという事実も広く知られるようになりました。私はそうした時代状況を背景として診断を受け、自閉スペクトラム症の当事者でありながら、大学の教員として─合理的配慮を受けながらも─働く者となりました。
自閉スペクトラム症という言葉は、どうしても否定的な響きを持っています。ですが、私はそのように診断されたことで、じぶんの人生の生きづらさをひもとくための鍵を手に入れることができました。自助グループにつながり、じぶんでも多数の自助グループを主宰するようになって、じぶんの生きづらさを解消できるようになりました。そうするうちに、過去から現在に至る多くの天才たちが自閉スペクトラム症の特性を持っていると理解できるようになり、それを非常にポジティヴに受けとめるようになったのです。本書には「自閉」という言葉がたびたび出てきますが、それは自閉スペクトラム症者や自閉スペクトラム症児によく見られるチャーミングな特性を意味しています。じぶんだけの世界に閉じこもって奇想天外な空想をめぐらせたり、孤独に浸ったり、独自の価値観で幸せを感じたりすることも、自閉スペクトラム症者と自閉スペクトラム症児の「自閉」的特徴と言うことができます。
しかし、それでも、「ムーミン・シリーズを『病的』なものとして解釈していくということなの?」と、本書を読みつづけるのが不安になった人はいるのかもしれません。ここで指摘しておきたいのは、じつは自閉スペクトラム症が「病気」や「障害」だという従来の見方は誤解だとする認識が、いま世界的に広まっているという事実です。この考え方は「ニューロダイバーシティ」(脳の多様性)と呼ばれています。自閉スペクトラム症の特性を持った人は、近年、全人口の1割弱もいて、環境に恵まれて生きることができれば、彼らは「病人」や「障害者」にならずに健康な生活を謳歌できます。「非障害性自閉スペクトラム(Autism Spectrum)の当事者」という表現もあります。しかし環境に恵まれなければ、彼ら彼女らは二次障害として鬱病、双極症、社会不安障害、パーソナリティ症、統合失調症、適応障害などの精神疾患を発症し、「自閉スペクトラム症者」になるというわけです。
ニューロダイバーシティの考え方では、自閉スペクトラムの特性を持った人を「ニューロマイノリティ」(脳の少数派)と考え、そうではない人々─「定型発達者」と呼ばれます─を「ニューロマジョリティ」(脳の多数派)と位置づけます。もちろん、どんな人であってもひとりひとりの個性はバラバラで、すべての人が唯一無二の存在ではあるのですけれども、それはそれとして、自閉スペクトラムの特性を持った人と、定型発達者のあいだにはわりと目立った差異があることも確かなのです。
この本では、トーベがニューロマイノリティだったのではないか、という仮説を立てます。じぶんにとって適切な環境を得ることで、健康を維持することができて、ニューロマイノリティでありながら、自閉スペクトラム症者にはならなかった人ではないか、と推測しながら、考察を進めます。その上で、ムーミンたちトーベが生みだしたキャラクターに、トーベ自身の個性が反映された結果として、それらのキャラクターにもニューロマイノリティの特性があるのではという仮説を提示していきます。そうすることで、ムーミン・シリーズが、これから訪れるニューロダイバーシティの時代にとってまことにふさわしい、そして学べるところの多い作品だということを提示していきたいのです。ニューロダイバーシティの時代とは、定型発達者がじぶんたちにとって異質な自閉スペクトラムの特性を認めて、ニューロマイノリティとニューロマジョリティが共生していく人類の新しいステージのことです。本書を読んだ人が、ニューロマイノリティについての理解を深め、ニューロダイバーシティの時代に向きあっていく力を養っていただけるなら、それ以上の喜びはありません。
作家や芸術家はじぶんの体験を作品に安易に投影するものだ、という考え方を現代的な文学研究は、しばしば否定してきました。しかし、ストレートな表現を好む「自閉的」な表現者に、そのような見解は当てはまらないことが多いと思います。
トーベのことをニューロマイノリティだということを前提にして書いている感じになるので、びっくりするかもしれませんが、一度そういう仮説として認めていただいて、つまり「もしかしたら、そうかもしれない」と仮に受けいれた上で、読んでみてください。
ニューロマイノリティのムーミン・ファンには、このシリーズのキャラクターたちに共振する人がとても多いのです。また私は、ニューロマイノリティが集まっている自助グループに初めて参加したときに、「ここはムーミン谷だ!」と驚いてしまいました。バラバラの個性を持った当事者たちが、自由に交流しあっていて、しかも不思議な秩序によってその時空間が平和を謳歌しているのです。この本の読者にも、私の見たそのような光景を共有してもらいたい、というのが本書のねらいです。
(注1)本書を執筆するに先立って、私はニューロマイノリティの仲間たちとムーミン・シリーズに関する読書会を連続的に開催しました(2023年3〜8月)。毎回、ムーミン・シリーズ1〜8巻を改訳し、ボエル・ヴェスティンによるトーベの評伝『トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉』の共訳者をも務めた畑中麻紀さんと、ムーミン・シリーズの熱烈なファンだという二村ヒトシさん(本業はAV監督という珍しい仕事をしていますが、恋愛や性愛に関する知的な本を何冊も出しています)が参加してくれて、貴重な発言をくださいました。ですから本書には、何度も「畑中さん」や「二村さん」が出てきます。私だけでは得ることができなかった視点を設けることができたと思っている次第です。
(注2)本書で使用する文献は、文献一覧として最後に並べています。出典については、文献の著者名+刊行年+引用ページを本文中に示します。ただしムーミン・シリーズについては略称と引用ページを示します。略称については文献一覧をご覧ください。
ムーミン誕生!
作品の背景とシリーズの前提
トーベの家族と生いたち
ムーミン・シリーズを理解するには、最初にトーベの家族のことを頭に入れておくのがいいでしょう。そこでまずは実家について紹介しておきます(以下、本書全体をつうじてトーベの伝記的事実に関する説明は、ボエル・ヴェスティンの本『トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉』とトゥーラ・カルヤライネンの本『ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン』に依拠しています)。
トーベのお父さんは、ヴィクトル・ベルンハルト・ヤンソン(1886〜1958年)といって、フィンランドの首都ヘルシンキに住むスウェーデン系─少数民族ということになります─の彫刻家でした。家族からは「ファッファン」と呼ばれていたとのこと。トーベのお母さんは、シグネ・ハンマシュティエン=ヤンソン(1882〜1970年)といって、スウェーデン人だったのですが、同国の首都にあるストックホルム工芸専門学校で学んだあと、パリで恋に落ちたファッファンと結婚して、ヘルシンキに移住し、グラフィックデザイナーとして活躍しました。もとの姓が「ハンマシュティエン」で、結婚したことによって「ハンマシュティエン=ヤンソン」となりました(こういうものを複合姓といいます)。もとの姓を縮めて、家族からは「ハム」と呼ばれていたようです。
芸術家の両親の第一子としてトーベは生まれてきました。本名にはミドルネームもあって、トーベ・マリカ・ヤンソン(1914〜2001年)といいます。「トーベ」は日本語で書くなら、「トーヴェ」がいっそう適切かもしれませんが、多くの本で、慣例的に「トーベ」と表記されてきたので、本書でもそのように綴ることにします。トーベは、とりわけ気質が似た父とのあいだに葛藤を経験しながら成長することになりました。下にはふたりの弟が生まれました。第二子のペル・ウーロフ・ヤンソン(1920〜2019年)と、ラルス・ヤンソン(1926〜2000年)です。このふたりがどのようにムーミンたちの物語に関わったのかについては、のちのち説明することになります。またハムの弟たち(つまりトーベの叔父たち)もムーミン・シリーズにとって大きな意味を持つのですが、これもあとから説明いたしますね。
私自身もそうだったのですが、ニューロマイノリティの子どもは「自閉」を特徴とすることから、空想癖に耽ることがとても多いのです。本はその空想をくすぐってくれるため、ときとしてたいへんな読書家になります。トーベは冒険ものが大好きだったそうです。『野生の呼び声』などのジャック・ロンドン、『ソロモン王の洞窟』などのヘンリー・ライダー・ハガード、SFの父として知られるジュール・ヴェルヌ、ターザン・シリーズのエドガー・ライス・バローズなどを読み、なかでもターザン・シリーズに夢中になるあまり、子ども時代のトーベは弟のペル・ウーロフとターザンごっこに興じたり、ターザンのようなジャングルヒーローを主人公にした物語を構想したそうです(ヴェスティン 2021: 225)。男の子のような女の子、という子ども時代を送った人はニューロマイノリティにはとても多いです。
「ニューロマイノリティ」の子どもの特徴として、一般的な学校での生活に向いてないということもあります。私も小中学生の頃、学校に行きたくなくて仕方がなかったですが、トーベも15歳のとき(1930年)に通常の学校を自主退学してしまって、芸術家の卵として生まれ変わりました。と言っても学校生活と縁を切ったわけではなくて、ストックホルムに転居して、叔父(母の弟)のエイナルの家に下宿して、母の母校にあたるストックホルム工芸専門学校に通うようになったのです。留学生活をしつつ、じぶんの得意分野について専門的に学ぼうと思ったわけですね。すでに14歳で雑誌にイラストを掲載されていたトーベは、1933年にヘルシンキの「ユーモリスト展」に自画像を出品して、芸術家としてデビューしました。専門学校を修了すると、帰国して地元ヘルシンキにあるフィンランド芸術協会美術学校(通称「アテネウム」)に通いはじめました。
ムーミンの誕生
20歳を迎える前後の1934年には、トーベはフランスのパリやドイツの伯母(母の姉エルサ)のもとを訪ね、視野を広げていきました。風刺雑誌の『ガルム』にイラストを発表するようになり、次第に同誌の中心メンバーになっていきます。1937年にアテネウムを退学し、1938年にはパリに短期留学し、1939年にイタリアへ旅行しました。そうこうするあいだトーベは、イラスト、絵画、短編小説などを発表して、キャリアを形成していきます。その途中で、ムーミンというキャラクターも生まれてきました。
トーベの実家は、フィンランド南部にあるペッリンゲ諸島にコテージを持っていました。このコテージのトイレの壁にトーベは「スノーク」というキャラクターを落書きしました。これが現存する最古のムーミントロールで、すでに少しぽっこりしたおなかをしていました。スノーク(Snork)という名前はスウェーデン語のsnorkig(傲慢な、偉ぶった)から取られていると考えられます。この絵の隣には「自由は最高のことなのです」とも書かれていることから、「傲慢なくらい自由を求めたい」というトーベの願望を表したキャラクターだったのだと思われます。このスノークがのちに「ムーミントロール」に名前を変えました。正確に言うと、ムーミン・シリーズには「スノーク」というキャラクターも登場するから、ふたつのキャラクターに「分裂」したということになります。
「ムーミン」の語源は判明していませんが、トーベが子どもの頃に食料棚からつまみ喰いをしていると、エイナル叔父さんが「冷たいムーミントロールに気をつけろ」と迷信めいたことを言ったという逸話に由来するようです(ヴェスティン 2021: 196-198)。1934年には、トーベは黒いムーミントロールが描かれている水彩画をドイツで制作します。1943年には『ガルム』にムーミントロールを描くようになりますが、もっとも印象的なのは『ガルム』1944年10月号の表紙です。この頃は1939年に始まっていた第二次世界大戦の末期でした。この表紙画ではたくさんのヒトラーが悪さをしている様子を、トーベが署名にその姿を添えるようになったムーミントロールがこっそりと見つめています。
恋人たち
1943年、20代を終えようとしていたトーベはヘルシンキで最初の個展を開くことができました。加えて、彼女の人生にとって大きな意味を持つ男性と出会って、恋に落ちました。スナフキンのモデルになったアトス・ヴィルタネンです。アトスはトーベと同じスウェーデン系フィンランド人で、左派ジャーナリストで、国会議員でもありました。トーベは文通友達のエヴァ・コニコヴァにアトスのことをつぎのように紹介しています。
どうでしょうか。みなさんがスナフキンに抱いているイメージと、どのくらい重なってきますか。スナフキンはどちらかというと「草食系男子」というイメージを持たれていると思うので、「バイタリティあふれる」とか、哲学者のニーチェに熱狂していたという部分は、「あれ?」と感じるかもしれませんね。「ブサイクで」とズバリ言われているのも、「イケメン」だからとスナフキンに憧れていた人にとっては幻滅ポイントになるかも。
1945年の5月にヨーロッパの第二次世界大戦が終わって、秋にムーミン・シリーズ第1作『小さなトロールと大きな洪水』が出版されました。さらに1946年には第2作『ムーミン谷の彗星』が出版されます。その年に、トーベはさらに別の人物と恋に落ちます。トーベにとって最初の同性の恋人になった、スウェーデン系フィンランド人のヴィヴィカ・バンドラーがその人です。ヴィヴィカがムーミン・シリーズにどのように関わっているかはのちに述べますけれども、ここで参考にしておきたいのは2020年にフィンランドで制作された『TOVE/トーベ』(ザイダ・バリルート監督)という映画です。
この映画の最初のあたりで、トーベのアトリエでのアトスとの情事が描かれます。朝になってから、アトスの妻から電話がかかってきて、トーベはアトスに「奥さんに電話してくるなと言って」と不満を述べます。不倫の恋だということが描かれていますが、畑中さんによると、これはトーベの時系列をフィクショナルに再構成した結果で、実際には当時のアトスは独身だったそうです。映画では、ヴィヴィカとの出会いが描かれ、トーベと彼女は熱烈な恋人同士になって、アトスとのあいだに距離が生まれますが、これは現実でも同じような展開だったようです。
トーベと恋に落ちたヴィヴィカは、ムーミン・シリーズに登場するミムラというキャラクターに言及して、トーベに「ミムラねえさんはあなたね?」と語りかけます。観客の私たちは「?」と感じるはずですが、じつはミムラ(mymla)とはスウェーデン語の俗語で「レズビアンのカップルが愛しあう」という動詞なのだそうです(カルヤライネン 2014: 131)。トーベはアトスと会った際に女性とベッドをともにしたことを伝え、感想を問われて「息をのむほど華麗な龍が舞い降りたようだったわ」と答えます。
出会った翌年、ヴィヴィカとの恋は破綻を迎えて、トーベはそれから8年後の1955年、41歳のときに新しい女性の恋人と出会います。それが生涯のパートナーになった、アメリカ出身のフィンランド人トゥーリッキ・ピエティラです。彼女はやがてムーミン・シリーズで「トゥーティッキ」という名のキャラクターになって登場してきます(むかしの日本語版やアニメでは「おしゃまさん」と呼ばれていました)。映画では最後にトゥーリッキがトーベのアトリエに入ってくる直前、強い風が部屋に吹きこんでくる場面がありますけれども、畑中さんによると、これは「風」(フィンランド語でtuuli)がトゥーリッキ(Tuulikki)の登場を示唆する演出ではないか、ということです。
トーベは、フィンランドに住むスウェーデン系住民として少数民族でもありましたが、セクシャルマイノリティ(性的少数者、LGBTQ+)でもあったわけです。アトスと出会う前には、ほかの男性とも恋愛経験がありましたから、バイセクシャル(両性愛者)ということになりそうです。ここで私が考えてしまうのは、ニューロマイノリティには性的少数者を自認する人が目立つという事実です(この問題に関しては、私の著書『ひとつにならない─発達障害者がセックスについて語ること』を読んでみてください)。それから、じぶんの恋人たちをそれと知られない形で作品にどんどん出していくというのも、「自閉」を特徴とするニューロマイノリティの創作者にとって、いかにもふさわしい手法だと言っておきたいです。
ムーミン・シリーズのキャラクターは何者か?
それではつぎの章から実際にシリーズの各作品を見ていきますが、読者のみなさんにまず押さえておいてほしいこととして、ムーミン・シリーズのキャラクターが何者かという問題があります。主人公は「ムーミントロール」と名づけられていますが、日本ではよく省略して「ムーミン」と呼ばれています。「トロール」とは北ゲルマン語群(スウェーデン語、ノルウェー語、デンマーク語、アイスランド語などの系統。「ノルド」ともいう)の神話や伝説に登場する空想上の妖精・怪物たちです。トーベはムーミン・シリーズのキャラクターをたんに「存在するもの」(varelser)と説明していたそうで、これは「たしかに、いることはいるんだけれども、なんといいあらわしていいのかわからないもの」というときに使われる言葉だそうです(鈴木 1977: 294)。スナフキンやトゥーティッキのように人型のキャラクターも登場しますが─前述したように彼らのモデルはトーベの恋人たちでした─、人間に似た姿をしているだけで、人類ではありません。創作能力に恵まれたニューロマイノリティが示すどっぷりとしたファンタジー精神をトーベは発揮していたと言えます。
また彼らの名前のように見えるものは、しばしば固有名ではなくて種族名です。たとえばムーミントロールの父母はムーミンパパおよびムーミンママと呼ばれますが、夫婦になる前は、男の子のムーミントロールと女の子のムーミントロールでした。たくさんのムーミントロールがいるわけです。ムーミントロールと分裂したキャラクターだった「スノーク」には妹がいて、ムーミン・シリーズのヒロインであるにもかかわらず固有名を与えられておらず、つねに「スノークのおじょうさん」と呼ばれます。つまりスノークも種族名です。シリーズをとおしてヘムレンさん(非特定の名詞形にあたる「ヘムル」で訳されている箇所もあります)やフィリフヨンカさんが何度も出てきますが、作品ごとに別のヘムレンさんやフィリフヨンカさんだったりします。
私はこの不思議な世界観は、ニューロマイノリティがよくおこなう、人間を類型化してパターン認識しやすくする傾向と深い関係があるような気がしています。ドイツのニューロマイノリティ、アクセル・ブラウンズの書物『鮮やかな影とコウモリ─ある自閉症青年の世界』は、じぶんに好意的に接する人を「鮮やかな影」、敵意を持って接する人を「コウモリ」と二種類に分類して生きている世界観を提示しています。ニューロマイノリティは、じぶんとの異質性が強いゆえに理解しにくいニューロマジョリティに囲まれて生きているから、彼らをわからないなりに大摑みに分類することで少しでも理解し、サバイバルしていくことが多いような気がします。
ムーミン・シリーズのキャラクターは総じて、「賢いのかおバカなのか?」と読者の私たちを面食らわせる言動を披露してくれます。それもまた私には、能力の凸凹が激しい傾向があると頻繁に語られるニューロマイノリティの特徴を連想させます。WAISと呼ばれる知能検査では、言語理解、知覚推理、ワーキングメモリー、処理速度など能力ごとの知能を測定するのですが、ニューロマイノリティの数値は項目ごとの開きが大きくなる傾向があります。この特徴ゆえに、私たちニューロマイノリティは「天才なのかおバカさんなのか」という印象を与えることが多いのです。
(続きは本書でお楽しみください)
著者プロフィール
横道誠(よこみち・まこと)
京都府立大学文学部准教授。文学博士。専門は文学・当事者研究。1979年、大阪府生まれ。40歳で自閉スペクトラム症、ADHDと診断され、発達障害当事者自助グループ活動も精力的に行う。自助グループで「ここはムーミン谷だ!」と思ったのが本書執筆のきっかけとなった。
単著に『みんな水の中』(医学書院)、『創作者の体感世界』(光文社新書)、『アダルトチルドレンの教科書』(晶文社)など。共著に『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』(太田出版)、編著に『信仰から解放されない子どもたち』(明石書店)など。単著、共著、編著を合わせると2021年4月のデビュー以来、24年9月までで22冊を上梓。