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第一話 新たなる曙光 滝本竜彦「超人計画インフィニティ」

老いと死の不安を乗り越えるために「超人計画」が再始動する。滝本竜彦によるハイブリッドノベル!
※本連載は小社より単行本として刊行される予定です。
※書籍化にあたって第一話以外の公開を終了しました。

illustration 安倍吉俊


 俺は死なない。
 なぜなら俺は死なないからだ。
 俺は死なない。
 それは永遠に生きるということである。
 しかし永遠とはなんだろうか?
 永遠を想像しようとすると、頭がぼーっとして、何がなんだかわからなくなってくる。
 なので、永遠は一旦脇に置いておいて、とりあえずこの先、千年のことを考えよう。ついでに年表も作っておこう。

 俺の未来年表

  • 2100年
    プレステ20が発売される。百二十二歳になった俺は最新のプレステを買って遊ぶ。(売り切れが予想されるため予約が望ましい)

  • 2500年
    プレステ100が発売される。五百二十二歳になった俺は最新のプレステで遊ぶ。

  • 3000年
    プレステ200が発売される。千二十二歳になった俺は最新のプレステで遊ぶ。

「よし……未来をイメージすることができたぞ。イメージは現実化するんだ。これで俺は少なくとも千歳まで生きられること確定だ」
 深夜、俺はカーテンの閉め切られた木造アパートの一室でそうつぶやいた。
 壁が薄いのであまり大声を出してはいけない。なぜなら隣に住んでるのは俺と同じ四十代の男である。氷河期をなんとか生き抜いてきたものの、そのために脳に栄養が足りなくなった世代は、いつどんなことでアンガーマネジメントに失敗するかわからないのだ。
(恐ろしいことだ……)
 やはり氷河期世代である俺にはキレる四十代の気持ちがよくわかる。
 昨日のこと、川崎アゼリアのケンタッキーフライドチキンに並ぼうとしたら、後からきたカップルに割り込まれてしまった。
 俺は反射的に口走った。
「てめえ、ぶっ殺すぞ!」
 しかし大事には至らなかった。前述のセリフはぶつぶつと口の中で呟かれたに過ぎなかったからである。
(それにしてもヤバい……アンガーマネジメントが利かなくなっている……)
 むろんこれは俺だけの問題ではない。
 俺の世代の人間はそろそろ脳が擦り切れ、高次機能である感情コントロールが難しくなってきているのだ。ヤフーやTwitterに流れてくる氷河期世代の犯罪ニュースを見る限り、確定的にそれは明らかである。
 よって俺のこの部屋……いわば俺がこの世界で一番安心してくつろげる聖域においても、いたずらに大声を出してはいけない。
「よし、これで俺はまじで千歳まで生きられるぞ!」などという大声を出してはいけない。
 そんな大声を出してしまったら、この深夜四時に、隣人が目を覚ましてしまうかもしれない。
 隣人はよく独り言で、想像上の敵と戦っている。
「うわあああああ! もう嫌だあ! てめえ、やんのかよ! てめえ!」
 そんな絶叫が朝、昼、夜、深夜に聞こえてくる。しかもうるさいのは隣室だけではない。上の階からは子供の泣きわめく声と、夫婦の喧嘩けんかが聞こえてくる。
 そんな住環境でこの俺までもが「よし、これで俺はまじで千歳まで生きられるぞ!」などという大声を発してはいけない。
 なぜなら……たとえ周りの人間が全員、頭がおかしくなりつつあるとしても、この俺だけは、人に気遣いできる正気の人間でありたいからだ。
 そう……俺は完全に正気である。
「千歳まで生きられるぞ!」という俺の言葉にも明らかな根拠がある。
 俺が千歳まで生きられる根拠その一は、『何をどうしても自分が死ぬイメージを持てない』ということである。なんとなく俺は死なない気がする。
 根拠その二は、『俺は千年先までの自分をイメージしており、その思考は現実化する』ということである。
 そう……皆様もご存知の通り思考は現実化する。これは間違いのないことであり、俺の実体験によっても裏付けられている。
 たとえば俺は小学生のころ強く願った。大きくなったら一日中ゲームをやったりマンガを読んだりできる生活をする、と。その思考は現実化され、俺は今、無限にゲームできる生活を送っている。
 また俺が大学生のころ、インターネットは遅く、安い定額で接続できるのは深夜から朝方にかけてのみだった。人に昼夜逆転を強いるテレホーダイという非道なシステムによって俺の自律神経は壊れ、以来ずっと朝に寝て夜に起きる生活が続いている。俺の自律神経を壊したNTTへの恨みは深い。
 それはともかく、当時、俺は強く願った。いずれ無限にインターネットできる生活を手に入れてやる、と。
 その思考は見事に現実化され、今、俺は家にいても外にいても永続的に高速インターネットに繋がる生活を送っている。
 これはすべて俺の思考が現実化したものである。よって『千歳まで生きる』という俺の思考も普通に現実化すると思われる。
 だがここで一般の人からの反論も予想される。
『そんなに簡単に不老不死になれたら苦労しないよ。願うだけで不老不死になれるなら、しん始皇帝しこうていが今も中国を支配しているはずじゃないか』
 それはまあそのとおりである。
 そんな簡単に思考が現実化するわけはない。
 思考を確実に現実化するには、一つの、欠かすことのできない特殊な条件がある。
 それは『超人』だ。
 超人と言ってもキン肉マンの方ではなく、ニーチェの方だ。
 ニーチェの超人とは、一言で言えば、世間のしがらみを超えて自由に思考できる存在のことだ。
 つまり俺のことだ。
 俺は超人なので自由に思考できる。
 それゆえに俺は自由に自分の理想を想像し、それを現実化できるのである。
 一般人ではなかなかこうはいかない。しょせん秦の始皇帝もただの人だった。
 だが俺は超人なので、自由に思考し、自由に望みを現実化できる。
「やった! これで俺は千歳まで生きることができるぞ!」
 完全なる勝利の道筋を見出みいだした俺は歓喜の雄叫おたけびを上げた。
 隣人が薄い壁を蹴ってきた。
 深夜四時……朝日が世界を照らすにはまだ時間があった。

 とにかく。
 俺の人生の目標は永遠に生きることである。たださすがに永遠は漠然としすぎているので、まずはざっと千年生きることを目指したい。
「俺は1978年生まれだから2978年まで生きれば千年生きたことになるが……キリよく3000年まで生きることにしよう」
 というわけで、さっそくそのためのイメージトレーニングをしてみる。
 心の中に豊かなイメージを育むことこそが、思考を現実化させるために大切なのだから。
「…………」
 深夜四時のアパートで俺は、西暦3000年に発売されたプレステ200で遊んでいる自分をイメージし、その現実を創造しようとした。
「…………」
 ちなみに俺にとってプレステと言えばリッジレーサーである。
 初代プレステが発売されたのは、忘れもしない高一の冬のことだ。
 発売日に雪の函館を自転車で駆けずり回り、なんとか見つけた初代プレステで初めてプレイしたゲームがリッジレーサーである。
 真っ黒なCDをプレステにセットして電源ボタンを押したあの瞬間こそが、従来の二次元ドット絵からポリゴンによる三次元描写へとゲームの主流が移り変わった瞬間であり、あれこそが俺の人生が真に昭和から未来へとシフトした瞬間だった。
 そんな興奮をプレステ200の箱を開封した千歳の俺も感じているはずである。
「…………」
 だがどうにもプレステ200をクッキリと想像することができない。
 平均しておよそ5年で新型が出るという俺の厳密な数学的計算によってはじき出されたプレステ200という型番、そこに問題はない。
 だがその形状や機能をまったく想像することができない。雲をつかむようにプレステ200はモヤモヤしている。
「雲……モヤモヤ……もしかしたらプレステ200はクラウドゲーミングマシンになるということか?」
 いや、そんなものはすでにGoogle Stadiaによって現実化されている。千年後のゲーム機は、もっともっと、とんでもなく進化しているに違いない。
「でもなあ……はあ……」
 ゲームのことを考えると自然に溜息ためいきが出た。
 だいたい俺はもう四十代で、実のところゲームなんてもう遊び疲れているのだ。
 最近はゲーム画面を見てても目がしょぼしょぼしてくるし、ただコントローラーを握って座ってるだけで腰が痛くなってくるんだよな。
「まあそう言わず、久しぶりにプレステでもやってみるか……よっこらしょ、と」
 重い体を動かしてテレビの前に移動するとプレステ4の電源を入れる。
「そう言えばプレステ5も、まだ手に入れてなかったな……まあいいか。プレステ4でクリアしてないゲームもたくさんあるしな」
 俺はライブラリーに溜まった積みゲーを見て、今日は何に手を付けるか考えた。
 どれも面白そうではある。
 だがどのゲームもクリアするのに何十時間もかかる。そんな労働をせねばならないのかと思っただけで疲れてきた。
「ちょっと休むか……」
 俺はプレステの電源を切って、日が昇るまでの短い時間、ベッドに横になることにした。
 毛布をかぶって目をつむる。
 すると脳裏に不安が渦巻いた。
「…………」
 それはもしかしたら、老化スピードに勝てないかもしれない……という不安だった。
 確かに俺は超人であり、自分の現実を創造することができる。それは間違いない。
 だが俺は現在進行形で歳を取りつつある。
 千年生きられる現実を創造するのに百年かかるとしたら、その前に俺は老化に負けて死んでしまうのである。
 現に昔あれだけ好きだったゲーム・アニメ・マンガへの欲望は今、ゼロどころかマイナスに針が振り切れている。
 これは俺の気持ちが老いつつあることの証拠ではないのか?
 気持ちだけならまだいい。最近、ずっと体が疲れている。寝ても寝ても疲れが取れない。
 目がかすみ、腰も痛い。
 体力の最大値が全盛期の半分以下に減っているようだ。体の全パーツが不可逆的に摩耗しているのが感じられる。
「よっこらしょ、と……」
 さらなる不安に襲われた俺は、痛む腰を気遣いながらベッドから身を起こすと、洗面所に行って鏡を覗き込んだ。
「これは……かなり来てるな」
 頭は二十代のころからスキンヘッドであるため、白髪が増えても大きな問題はない。だがひげに混ざる白髪が目に見えて増えてきている。お肌のハリとツヤも衰える一方だ。
 俺は鏡から目をそらすと、居間をうろうろと歩き回った。
「ヤバいぞ……この老化スピードは時速五十キロは出てる」
 その一方で頼みの綱である『千年生きる肉体の創造』は遅々として進まない。
 このままでは加速しつつある老化スピードに追いつくことができず、俺は通常の寿命、あるいは通常よりも短い寿命でこの人生を終えてしまうことが予想された。
 それはヤバい。
 なんとかしなければ。
 日が昇る少し前の暗い自室をうろうろしながら、俺は肉体の寿命を延ばす方法を頭をひねって考えた。
「何をすれば俺は長生きできるんだ?」
 運動……食事……確かにそういった常識的なことに気を遣えば健康寿命は延びそうである。
 だがそんな常識レベルのことで、俺の加速する老化に打ち勝てるとは思えない。
 先進医療による特殊な延命技術……DNA改造……サイボーグ化……仮にそんなものがあるとしても、俺には金がない。
 だから何かもっと特殊な、現実離れした技に頼る以外には、俺がこの先生きのこるすべはないように思われた。
 そのときだった。うろうろしていた俺は本棚に足の小指をぶつけた。
「うっ……」
 床に転がってうめいていると、目の前の本棚に『オープニング・トゥ・チャネル あなたの内なるガイドとつながる方法』という本が並んでいることに気がついた。
 これは何年か前に中野ブロードウェイの四階にあるマイノリティのための古書店『まんだらけ海馬』の精神世界コーナーから買ってきた本である。
 俺はふわっとした抽象的な表紙デザインのその本を手にとってめくった。
 本の中には、『高次元に存在するスピリチュアル・ガイドとの精神的つながりを確立するための手法』、すなわちチャネリングの技法が書かれていた。
「…………」
 スピリチュアル・ガイド。
 チャネリング。
 もしかしたら、このぐらいの非日常的な勢いがなければ不老不死は目指せないのかもしれない。
「…………」
 そもそも我々がその内部に生きている現代西洋文明も実はその発端から非科学的なチャネリング頼りだったのではないか。
 スピリチュアル・ガイドとのチャネリングなくしては現代文明も科学も生まれていないのではないか。
 嘘だと思ったら、西洋的思考の基礎のひとつであるプラトンの著作を眺めてみればいい。そこにはプラトンの師匠、ソクラテスが事あるごとにダイモーン、すなわち神霊に自らの行動指針について尋ね、その導きを絶対のものとして信頼しきっている姿が描かれている。
 そう!
 西洋的理性の権化であるソクラテスの思想と行動は、実はなにもかも、ダイモーンという霊的ガイドとのチャネリングによって与えられていたのだ!
 つまりそこから生まれた西洋的思考パターンは、理性から生まれたものというよりも超理性、あるいは超自然的直感から生まれたものだった!
 またローマ帝国で最も優れた哲人皇帝と呼ばれるマルクス・アウレリウスの著作『自省録』、すなわちすべての自己啓発書の始祖と呼ばれているあの歴史的名著を眺めてみれば、そこにも同様に事あるごとにダイモーンが与える導きによって自らを啓発し律する皇帝の姿が描かれている。
 一方この俺、滝本竜彦たきもとたつひこは、たまに『外国の方ですか?』と人に聞かれることがある。
 それはおそらく俺には昔の西洋の哲人的などっしりとした風格が備わっているからなのだろう。
 そんな俺が、哲学者を導くダイモーン……今風に言えばスピリチュアル・ガイドの助けを求めてチャネリングを始めることも自然な流れと思えた。
「…………」
 むろん抵抗がないといえば嘘になる。
 俺の実家の宗派はいわゆる禅宗であり、その思想は『仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺せ』というハードコアなものである。
 そんな血に飢えた餓狼のごとき宗教思想をバックボーンに持つこの俺には、スピリチュアル・ガイドの助けを求める資格などない気がした。
 だが今は危急のとき。
 一刻も早く一分でも長く俺の健康寿命を延ばさなくてはならない。そのためなら猫の手も借りたい!
 というわけで俺は霊的ガイドとつながるためのハウツー本を開き、そこに書かれている手順を確認した。
「ええと……」
 まず心の中に壮麗な神殿のごとき空間をイメージし、そこに己を導いてくれるガイドを呼び出し、その存在と精神的につながる。
 これが基本的なチャネリングの手順のようだ。
「なるほど……ソクラテスが神託を受けたデルフォイのアポロン神殿、あるいはマルクス・アウレリウスが密儀を授かったエレウシスのごとき神域を、まずはおのが心の中に想起せよということだな」
 俺は目を閉じ、心の中にできるだけ美麗な4K画質の神殿を想像しようと試みた。
「…………」
 だが不思議なことに、俺の心の中に想像されるのは、綺麗きれいというよりもむしろ汚い空間だった。
 前世紀のブラウン管のごとき粗い画質で心の中に想像されたその空間の床は、ゴミによって覆われている。
 コンビニ弁当のカラや大量のマンガや、灰皿からはみ出て散らばったタバコの吸殻が散乱し、積み上がり、足の踏み場もない。
 圧迫感のあるその汚部屋が、刻一刻とリアルさを持って俺の脳裏に想起されていく。
 俺はなんとか意識を切り替え、美しく清らかな神殿をイメージしようと試みた。だがなぜか気持ちはあの汚れた六畳一間に飲み込まれていくばかりである。
 こうなったら仕方がない。このみすぼらしく汚らしい心理空間で、俺のスピリチュアル・ガイドを呼んでしまうことにする。
 その際、心がけるべきことは『今の自分が呼べるもっとも高位かつ善なる存在を呼ぶこと』である。そのハウツー通りに俺はスピリチュアル・ガイドを呼んだ。
「来てくれ! 俺が不老不死になることをサポートしてくれる高次元の存在よ!」
 強く望みを発した俺は、汚らしい心理空間で、スピリチュアル・ガイドの到来を待った。
 だが……半ば予想されていたことではあったが、スピリチュアル・ガイドなるふわっとした清らかな存在は俺の心の中に現れてくれなかった。
 代わりに現れたのは、二十年前、俺が日々思い描いていた妄想の存在だった。
「…………」
 あの頃、この汚らしい部屋、コンビニ弁当のカラとタバコの吸殻と成年向けのマンガが散乱する部屋で俺は孤独に小説を書いていた。
 当時、『超人計画』という小説を書いていた俺は、日々の生活と執筆の孤独を紛らわすため、脳内に彼女を想像した。
 古いPCデスクに向かい、古びたCRTの青白い光を浴びていた脳内彼女は、今、振り向いてこちらを見た。
「あら、滝本さん、お久しぶり」
 彼女が着ているアニメ風の制服は、今、経年劣化で色が煤けており、裾や袖はところどころ擦り切れている。
 俺の脳内彼女……名前はレイ。
「滝本さん、今度は不老不死になりたいんですってね。まったく仕方がない人ね」
「…………」
 俺は脳内での会話を打ち切ると目を開けて、現実へと意識を戻した。
 俺はもう四十を超えている。
 そんな歳の男が、脳内彼女と戯れるなどという行為をするのはあまりに危険で惨めに思えた。
 そんな不健全かつ非生産的なことはやめて、もっと現実的に不老不死になる方法を模索していかねばならない。
 俺はもう妄想の世界の住人ではなく、現実を生きる力のある超人なのだから。
 だがレイがツッコミを入れた。
「何が『現実』よ。そもそもが『不老不死』なんてなれるわけないでしょ!」
「…………」
「だいたい滝本さんはね、いつも発想が極端すぎるのよ。不老不死を目指す以前に、そのだらしない体をなんとかしたらどうなの?」
「だらしない……だと?」
「私達が昔、『超人計画』を書いていたころに比べて、少なくとも十五キロは体重が増えてるでしょ」
「そんなこと言われてもな。体重計、持ってないからわからん」
「だったら買ってきたらいいじゃない。今住んでる街、駅前にヨドバシがあるでしょ」
「金が……」
「呆れた。四十を過ぎて体重計を買うお金もないの? 皆は家も車も持ってるのよ」
「馬鹿な。そんな世俗的なアイテムなんてものは吹けば飛ぶホコリのようなものだ。俺が手にしているこの超人としての究極的な心の自由に比べたらあまりに無価値……」
「超人? 滝本さんが?」
「ああ。レイ、お前と『超人計画』を書いた後も、俺はひとりで超人になるための修行をずっと続けてきたんだ。その甲斐あって、俺は四年か五年ぐらい前に、本物の超人になれたんだ」
 俺がそう告げるとレイは肩を震わせた。
「滝本さん……」
「レイ。喜んでくれるのか」
「バカッ! 喜ぶわけないでしょ。滝本さんがとうとう完全におかしくなっちゃったことを悲しんで泣いてるのよ! 現実を見なさいよ!」
「見てるさ。それは俺が超人だってことだ。超人とはこの現実を作り出す力を持つオーバーマンのこと、つまり俺のこと……ほら、昔に比べて部屋も綺麗になっただろ」
「……はっきり言って私はね、昔から『超人』が何を意味しているのかまったくわからなかったわ。だけどね、このことだけはわかる。それは今の滝本さんが超人でないってことよ!」
「はっ。エビデンスはあるのかよ。俺が超人でないっていう証拠はあるのかよ」
 レイは制服のポケットからスマホを取り出すとカメラを起動しインカメラを俺に向けた。
 レイのスマホ……サムスンのギャラクシーか……そのディスプレイにはジャージを着た俺の姿が映っている。
「こんな汚らしいボロボロのジャージを着た超人がどこにいるのよ! ちょっと見ないうちにお腹も出てきたじゃない!」
「なんだお前、人を見かけで判断するのか。お前は古い人間だから知らないだろうがな、最近は人を見かけで判断するルッキズムは悪ってことになってるんだよ! だいたい超人がジャージを着たらダメだっていう思想はどこから生まれたんだ。もっと物事を論理的に考えろよ」
「髭もってないし、スキンヘッドもちゃんと手入れされてないじゃない。ちょっとこっちに来なさい」
 レイは風呂に湯を張ると、俺をバスルームに押し込み、自分は外に出てドアを閉めた。
 ドアの向こうから声が聞こえる。
「私はね……いつまでも私が甘やかしていたら滝本さんがダメになると思って、だから滝本さんのもとを離れていたのよ」
「…………」
「なのに久しぶりに会ってみたら、前よりひどくなってるじゃない。私がいない間、何をしてたのよ」
「言っただろ、修行だ。お前にはわからないかもしれないが教えてやろう。俺の修行のほんの一端を」
 俺は風呂に入りつつ、この十数年、昼も夜も明け暮れていた修行の数々を、ドアの向こうのレイに教えてやった。
 結婚し、そして離婚したこと。
 強くなるためにフルコンタクト空手を始め、さらに古流空手のマスターのセミナーを受講して、『気』の力に覚醒めざめたこと。
 イエス・キリストからの霊的通信によって生み出された、たった一年で誰もがキリスト並みの奇跡を起こせるようになる講座を二回繰り返し受講したこと。
 チベットの崑崙こんろん山脈の寺院で七世紀から受け継がれてきた精神の覚醒のための内なるワークを、肉を絶ち完全禁欲しながら続けたこと。
 アメリカのヴァージニア州ブルーリッジ山脈にあるモンロー研究所……幽体離脱し高次元を自在に移動する能力を研究している施設に行き、その研究所が提供する先進的な瞑想によって四次元存在に会い、三途さんずの川で亡くなった祖母に会い、真の愛と悟りを体験したこと。
 量子力学に基づいたとかいうクォンタムなんとかという癒やしのテクニックや、究極の大宇宙の創造主の力によって万病をたちどころに治すなんとかヒーリングという技術を学び、自他を癒やす力を身に付けたこと。
 だがそういった内的な修行をするだけでは、人は妄想が肥大化し、頭がおかしくなりがちだ。
 だから俺は渋谷、横浜、新宿、有楽町などで道を歩く人に声をかけた。それはその場で即時的かつポジティブな交流を生み出そうとする『フリーコミュニケーションワーク』なる修行であり、それを俺は十年以上続けていること。
 そんなことを俺はレイに話してやった。
 すると、いきなり浴室のドアが開いてレイが中に入ってきた。俺は浴槽に身を沈めた。
「ばっ、馬鹿。プライバシーを考えろよ」
「ごめんなさい、滝本さん! 長い間、一人ぼっちにして、本当にごめんなさい!」
 レイは自分の目元を拭ったかと思うと、シャワーヘッドを手に取り、俺の頭に湯を浴びせかけた。
 それから再度、自分の目元を拭うと、もう一方の手で引き続き俺に湯をかけながら言った。
「ね、少しずつ治していきましょう! 私、また滝本さんの面倒を見てあげるから! 今度は呆れて見捨てたりしないから!」
「治す……だと? 何を治すっていうんだ? ああ、なるほど、『この国』を治していくってわけだな。いや、この国だけじゃない、死の呪いにむしばまれたこの世界を、そして哀れな全人類を治していこうってことだな。俺のこの超人の力で」
「いいから落ち着いて、ねえ滝本さん、もう文章とか書くのも大変でしょ? この連載も私が手伝ってあげるから、あまり変なことは書かないで」
「ははは。俺はすでに超人なんだから、文章執筆だって前よりずっと上手なんだぞ」
「迷惑かもしれないけど、私が手伝いたいの。お願い!」
「そういうことなら……今の時代は何でもスピードと実利が求められているから……そうだな、読むだけで即座に読者の実利になるようなおまけの文を、レイ、お前が書いてみろ」
「ええ、わかったわ。でも……」
 バスタブの横に立ったレイは俺を見下ろしながら小声でわけのわからないことを呟いていた。
「この人を救うために、どこから始めたらいいのかしら」
 なんだか途方に暮れたような顔をしている。
 だが、彼女は拳を握りしめてうなずくと、決意に満ちた表情を俺に向けた。
「と、とにかく最初の一歩を踏み出すことが大事よね。パソコンのパスワード、教えてくれる?」
「Choujin_Keikaku_Infinity……超人計画インフィニティ。このパスワードには、無限に成長を続けるという俺の強い意志が込められている」
 レイはもう一度俺の頭に湯を浴びせると、リビングに姿を消した。
「…………」
 しばらくして俺は風呂から上がった。
 居間のカーテンはいつの間にか全開になっている。
 朝日に照らされた窓際のソファには、開かれたままのノートパソコンが放置されていた。
 ディスプレイを覗き込むと、以下の文がエディタに表示されていた。

レイちゃんの知恵袋 その1
『セルフネグレクトをやめる』

 皆さんこんにちは。レイです。Macは初めてなのでうまく書けるかどうかはわかりません。滝本さんたら、昔はPanasonicのLet’s noteを使っていて、Macをあんなにも憎んでいたのに。
「Macなんて使うやつはなあ、見た目に騙されてる情弱なんだよ! 意識が高いフリしてるだけの中身がスカスカなやつばっかりなんだよ!」
 なのにいつの間にかApple製品が好きになっていて、私は本当に驚きました。
 このあと私の寝床にする予定のクローゼットにも古いMacが三台も入っています。
 なんだか滝本さんらしくないなあ。滝本さんにはあの質実剛健なLet’s noteがよく似合っていたのに……。
 なんてことを書くと怒られてしまいますね。パソコンの話はほどほどにして本題に入りましょう。
 今日のテーマは、先ほども書きましたが『セルフネグレクトをやめる』です。
 セルフネグレクト。
 カタカナなのでオシャレなアクセサリーか何かかと思うかもしれませんが違います。
 セルフネグレクト。それは恐ろしいものなんです。日本語にすると『自己放任』となり、その恐ろしさの一端を想像していただけるのではないでしょうか?
 心のバランスを崩した人が、自分を苦しめる生活スタイルを送ってしまうこと。それがセルフネグレクトなんです。
 まあ『不老不死になる』なんて息巻いている滝本さんは、『セルフネグレクト』を自分に無関係な話と思っているかもしれません。
 でも騙されたと思って、取り急ぎ次のチェックリストをご覧ください。

  • 歯磨き、洗顔、入浴などをサボる

  • 部屋の片付け、掃除をしない

  • 長期間、生活リズムが乱れている

  • 栄養バランスを考えない食事を続けている

  • 体調が悪くても病院に行かない

  • 極端な節約・散財をしている

 このリストに一つでも当てはまることがあったら要注意! あなたは今まさにセルフネグレクトしています。ダメですよ、気をつけましょうね。
 二十代の頃、滝本さんもこのチェックリストすべてに当てはまる生活をしていました。
 日が暮れるまで寝て、目が覚めたら『気合を入れる』という名目でリポビタンDを二本飲み、栄養補給のためにスニッカーズを二本食べ、近所のゴミ捨て場から拾ってきたボロボロの木の椅子に座って、体力の限界が来るまでなんだかよくわからないゲームシナリオを書いていました。
 大量のタバコを吸い、お風呂にもなかなか入ろうとせず、まともな食べ物は一日一食のコンビニ弁当だけです。そんな生活を続けているうちに六畳一間のアパートには天井までゴミが積み上がり、まだ若いのに髪は抜け、体中に不具合が出始めました。
 クッションが破けた椅子に長時間接している面にはできものが生じ、何度もソフトボール大に腫れ上がりましたがそれでも滝本さんは病院に行きませんでした。
 まあこんな明らかなセルフネグレクトは、何をどう考えても悪い、ダメなものだとわかるので、本当にやったらダメですよ、絶対。
 ですが本稿で特に私が念入りに注意喚起したいのは、『隠れセルフネグレクト』なんです。
 意識の高い前向きな行動の中に隠れている密かな自己虐待、それが『隠れセルフネグレクト』です。
 たとえば体を鍛えようとする人は、得てして大量のタンパク質を摂って炭水化物を思いっきり減らすなんていう極端な食生活をしがちです。
 確かにタンパク質は筋肉の原料になるのでたくさん必要かもしれません。でも炭水化物だって美味おいしいですよ? それを限界を超えて無理に減らすのは、美味しいお米、パン、うどん、スパゲッティを食べたいと思っている自分への虐待と言えるのではないでしょうか?
 ボディビル業界では、やりすぎの低炭水化物食で亡くなる人がたびたび出ます。いたましいことです。
 ジークンドーの創始者、ブルース・リーさんの死因は脳浮腫とされていますが、その原因はなんと水の飲みすぎによる腎機能障害だったかもしれないという最近の研究が出ています。
 リーさんは亡くなる前、大量の水を飲み、ニンジンとりんごのジュースを主な食事とする生活を送っていたそうです。そんな極端な食生活が、何かしらの健康リスクを生み出したことは想像に難くありません。
 とにかく私が言いたいのは、たとえそれが自分を成長させるとか、世の中のためになるとかいう立派な動機から生まれた行動であっても、極端すぎるものはどれもこれもセルフネグレクトになりうるということなんです。
 その証拠に、滝本さんが玄米をミキサーで砕いたものを食べていたころの写真を、Macの写真アプリで見てみましょう。
 うわ、これは酷いですね。
 頬がげっそりとコケていて、目だけがランランと輝いていて怖いです。明らかにヘルシーな状態には見えません。
 また滝本さんは十数年前、『超人になるために過去のすべてを捨てる』と息巻いて、持ってる本や過去の写真をすべて断捨離してしまったそうです。(Macのメモアプリにそんな記録が残されていました)
 極端すぎる断捨離。それも危うい行動と言わざるを得ないです。
 確かにいらないガラクタを捨てると心がクリアになるのは確かでしょう。ですが、せっかく頑張って書いた自著まで捨ててしまうなんて、当時の滝本さんの行動は、セルフネグレクトに両足突っ込んでいるものと判断せざるを得ません。
 しかも今もその自分をいじめがちな傾向が続いているのは、この部屋の台所を見てみればわかります。確かに昔よりは部屋は綺麗になっていて、そこは評価できますが……冷蔵庫の中に入っているのは鶏むね肉だけで、戸棚に入っているのはオートミールだけです。
 どうせ滝本さんのことですから、「食べ物の味なんてどうでもいいんだ。オートミールと鶏むね肉は栄養価が高いから、家ではこれだけ食ってればいいんだ」なんてことを考えて、毎日同じものばかり食べているんでしょう。
 よくないです。
 もっと美味しいものを、食べてほしいです。
 超人になること。不老不死になること。
 もしかしたらそういうことも大事かもしれません。
 でもまず最初に、衣食住を、なにより大事にしてほしいです。
 努力や成長のために自分を傷つけるのをやめてください。
 努力、成長、そのために自分を虐待する必要はないんです。
 極端なことをする必要はないんです。
 そうではなくて、自分に優しくする、自分をいたわる、バランスを取る、そういうやりかたで人は成長することができるはずなんです。
 だから、自分に優しくしてください。
 朝にはカーテンを開けてください。
 ここで今回の知恵袋は終わりにします。
 みなさん、ご清聴ありがとうございました。

(つづく)

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連載【超人計画インフィニティ】
本連載は小社より単行本として刊行される予定です。
書籍化にあたって第一話以外の公開を終了しました。

滝本竜彦(たきもと・たつひこ)
1978年北海道出身。『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』で第五回角川学園小説特別賞を受賞してデビュー。新時代の青春小説として映画化、コミック化される。次作『NHKにようこそ!』もコミック化、アニメ化され世界的なヒット作品となる。他に『超人計画』『僕のエア』『ムーの少年』『ライト・ノベル』等がある。
Twitter: @tatsuhikotkmt

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