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第二話 珪素生命体に俺はなる! 滝本竜彦「超人計画インフィニティ」

老いと死の不安を乗り越えるために「超人計画」が再始動する。滝本竜彦によるハイブリッドノベル!
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illustration 安倍吉俊


 大地、すなわちこの地球の存在意義は、なんだろうか?
 答えは『超人を生み出すこと』である。そして俺は超人である。
 つまりこの俺、滝本竜彦たきもとたつひこを生み出すことが、地球の存在意義だったのである。
 それを思うとこの宇宙船地球号への感謝の念がやまない。
 地球は今も俺のために太陽の周りを高速回転しており、太陽は今も俺のために核融合を続けている。
 またそれらの活動基盤である宇宙も、当然ながら俺のために存在しているのだ。
「ありがたい……万物への感謝が自然に湧いてくる……」
 早朝の公園で俺は朝日を浴びながらそうつぶやいた。
 ちなみにこの公園は『大師だいし』と呼ばれる男が関係する寺院の近くにあるため、大師公園だいしこうえんと名付けられている。
 大師と言えばグレートマスターであり、それは超人の同義語と思われる。それゆえこの公園は俺が闊歩かっぽするにふさわしい。
 その思考を肯定するかのように、背後からポジティブなメッセージ性を持つ歌声が響いてきた。
「新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空仰げ」
 それは作詞:藤浦洸ふじうらこう、作曲:藤山一郎ふじやまいちろうによる『ラジオ体操の歌』である。
 振り返った俺は、近所のお年寄りがラジオを持参して公園の端に集っていることに気づいた。
「そうか……この地球上で平均寿命ナンバーワンの我が国日本の誇る健康体操、ラジオ体操……それを俺の不老不死の足しにしろというんだな」
 見えざる大師の意思を感じた俺は、老人集団の隅に紛れ込んでラジオ体操を始めた。
 数十年ぶりのラジオ体操であったが、あたかも前世の記憶がよみがえったかのごとく、俺の体は自動的に動いた。
「なるほど……今日このとき、この公園でラジオ体操をするために、小学校で俺はあんなにもラジオ体操を繰り返したたき込まれてきたってわけか」
 時空の中に織り込まれた不老不死へのシグナルを感じながらラジオ体操を終えると、俺は散り散りになっていく老人集団から一人離れて公園の隅に立った。
「…………」
 いい機会である。
 このまま『サンゲイジング』を行いたい。
 サンゲイジング、それはかつて俺がネットサーフィン中に見つけた不老不死の秘儀である。
 やり方は簡単だ。
 日の出直後の弱い日差しを、初日に十秒眺め、その後、一日十秒ずつ増やしていく。その際、大地に裸足で立つことが望ましい。
 これにより日に日に松果体に太陽エネルギーがチャージされ、足を通じて大地のエネルギーも肉体にチャージされていく。結果、万病が治り、肉体は若返る。
「よし、やるか……」
 ちょっと恥ずかしかったが、俺は駅前のワークマン女子で買ったスニーカーと靴下を脱ぐと、朝露にれた公園の芝生に立った。
 朝の柔らかな日差しに顔を向ける。
「おっ……これは……」
 太陽中心核にて生み出された光子が何万年もかけて太陽表面に到達し、さらに八分で宇宙空間を横切って地球に立つ俺の網膜に飛び込んでくる。
 この一連の現象は俺の心と体を激しく刺激した。
 俺は寝込んだ。

 これまでにも何度かサンゲイジングを始めようとしたことがあった。だがそのたびに風邪のような症状に襲われ寝込んでしまう。
 俺は毛布の中でうめいた。
「なぜなんだ……なぜサンゲイジングするたびにこんなに具合が悪くなってしまうのか……」
 ベッドでうつらうつらしながら呟くと、レイが濡れ手ぬぐいを俺の額に載せながら言った。
「バカねえ滝本さんは。もう二十年以上も昼夜逆転生活を続けてるんだから、急に朝日をたくさん浴びたら具合悪くなっちゃうのは当たり前でしょ。滝本さんはジメジメした地下墳墓に潜むゾンビみたいなものなんだから、身の程をわきまえて、あまり陽の光には当たらない方がいいのよ」
「な、なんだあ、てめえ」
 アンガーマネジメントに失敗し、怒りのボルテージが瞬時にマックスに達した俺は、のっそりとベッドから起き上がると、傍らの折りたたみテーブルを手のひらで叩いた。
 バンッ!
 衝撃波によってレイが四メートルから五メートルほど吹き飛ぶ。
「きゃっ!」
 壁に後頭部をぶつけたレイは、頭をでながら立ち上がると俺を鋭くにらんだ。
「もう……DVはやめてよね! いくら滝本さんでも絶対に許さないわよ。一人で頭を冷やしてなさい!」
 レイはアパートから出ていった。
「ふん……かまうものか。美味うまいものを食えだの、きちんとお風呂に入って身だしなみを整えろだの、口うるさいあいつがいなくなればせいせいするぜ」
 俺はレイを無視してまたベッドに横になった。
「…………」
 だが日光を浴びたことによる不快な症状はなかなか消えなかった。
 本来であれば日光は人の自律神経の乱れを正し、活力を付加する善きものであるはずだ。だが乱れすぎている俺の自律神経にとって、それは毒なのかもしれない。
「…………」
 だんだん日が暮れてきた。
 俺の気分も刻一刻と暗く淀んでいく。
 朝日を浴びることすらできない俺の活力はこのまま低下し、明日にも老衰死しそうな気がしてきた。
「い、いかん、なんとかして活力を高める方法を探さなくては……」
 俺はスマホのメモアプリを開いた。そこには過去数十年、ネットからコピペして集めた不老不死に役立つ情報がストックされていた。
 そのメモの一つに『活力=情熱を取り戻すためにあなたが今すぐすべきこと』という、ライフハック系ブログからコピーした文書があった。
『人生でもっとも情熱があった時期はいつだったか考えてみましょう。そこにあなたの若さと活力の源が隠されています』
 俺は文書の指示に素直に従って考えた。
「情熱があった時期というと……十代の終わりから二十代前半だな」
『その当時、熱中していた活動を思いつく限りリストアップしてみましょう』
 俺はベッドの中で腕を組んで考えた。
 当時の俺が熱中していた活動として、まず最初に思いつくのは、『向精神作用のある菌類の栽培と摂取』である。
 前世紀のインターネット界では南米のシャーマンが精霊との交信に使う菌類の栽培が流行していた。
 gooやInfoseek等の検索エンジンで調べると、すぐに背景が真っ黒の販売サイトを見つけることができた。
 値段は二千円もしなかったと思う。銀行振込で代金を振り込むと、すぐに菌床と栽培マニュアルが送られてきた。あとはペットボトルに菌床をセットするだけでキノコは勝手に伸びていった。
「楽しかったよなあ……キノコを食って宇宙の真理をつかもうとしていたあのころ……俺の青春、か」
 輝かしい栄光の日々を思い出して、俺は布団の中で微笑ほほえんだ。
「最高だったよなあ、あのトリップ」
 自ら育て収穫したキノコを食べた俺は、アマゾンのシャーマンのごとくに、謎の異次元存在との交信に成功した。
 ただ俺が交信した相手は地球上のものではなく、どこか他の銀河系に巣食うあり型生命体であった。
 宇宙蟻塚の最奥にて宇宙蟻の美しき女王に謁見した俺は、彼女が歓迎のために放つ得も言われぬ天使的な歌声に内臓を貫かれ、その快美さに圧倒されながらも聞いたものである。
「宇宙蟻の女王よ。教えてください。知りたいことがあるのです」
「なんですか。遠い星からの旅人よ」
「この宇宙はなぜ存在しているのですか? いや、宇宙だけじゃない。『存在』は、なぜ存在しているのですか?」
「いい質問ですね。あなたは『答えそのものになる』ことによって、その質問への答えを知るでしょう」
「どうすれば俺は『答えそのものになる』ことができますか?」
「私の部族は今、銀河中央部へと遠征軍を派遣するところです。その際に近づく銀河コアの内側でなら、『答え』と一体化することは簡単でしょう」
「では俺をあなた方の遠征軍に同行させてください」
 宇宙蟻の女王はうなずいた。
 俺は無限に続くと思われる宇宙蟻の行軍の最後尾について多くの星を巡り歩いた。
 遠征軍は道中のエネルギーを回収し、らい尽くしては、また新たなエネルギー源を求め、銀河中央部へと螺旋らせんを描いて接近していく。
 やがて遠征軍が銀河コアに最接近したそのとき、隊列を一人離れた俺は、単身、銀河コアに自らを投げ入れた。
 やがて事象の地平面を越えてコアの内部にたどり着いた俺は、『存在』と一体化し、とてつもなく凄い真理を悟った。
「いやー、あれは最高のトリップだったな」
 意識を過去から現在に戻し、再度ベッドの中で手元のiPhoneのメモに目をやると、そこにはこう書かれていた。
『かつて情熱を感じていたその活動を、今もう一度やり直してみましょう。それによってあなたは人生に活力を取り戻すことができます』
 俺は頭を振った。
 無理だ。
 令和れいわの現在、禁じられた菌類の栽培などコンプライアンス的にできるわけがない。
「いや……別に菌類にこだわる必要はないんだ」
 この世にはさまざまなロマンあふれる薬品が存在している。
 謎めいた薬品、それによって何かプラスの効果を得ようとする行為に俺は深いロマンを感じる。
 そのような活動は人類史に深く組み込まれており、歴史に名を残す多くの天才が、死すべき定命の人の運命を超えることを目指してわけのわからないものを食し、心身に異常をきたして死んでいった。
 中国では水銀中毒で亡くなった始皇帝しこうていが有名だが、意外なところでは書聖として名高い王羲之おうぎしも、『五石散』という不老不死の効果があるとされる向精神薬を常用していたという。
 王羲之といえば書道史上、最も有名な『蘭亭序らんていじょ』なる作品を揮毫きごうした書家であり、彼の手によって初めて書は芸術に昇華されたと言われるほどの書道界の神だ。
 しかし彼には裏の顔があった。仙道にも造詣が深い王羲之は、自分の虚弱体質を改善し、寿命を延ばし、神仙の境地に達するために五石散を服用していたのである。
 五石散。
 その名の通り、五つの鉱物、すなわち紫石英、白石英、赤石脂しゃくせきし鍾乳しょうにゅう、石硫黄を粉末状にしたものであり、滋養強壮や病の快癒に効くだけでなく、心を高めて神明開朗な状態に導くとされていた。
 だが五石散は服薬すると皮膚がただれる副作用があった。また服薬後は歩いて熱を発する『行散』という行為をしなければ、毒が体に溜まって死ぬとされていた。
 そこで五石散のユーザーは、爛れた皮膚を刺激しないゆったりした服を着て、行散のために屋外をぶらぶら歩き回るようになった。これこそが『散歩』の語源なのである。
「そ、そうだ……散歩とは、そもそもが向精神薬に関係した行為だったのだ。そして俺は散歩も好きだ」
 俺の脳内でさまざまな事象が一つにつながっていく。
 そう……俺は大学生のころ『歩こう会』という会を主催していた。これは俺が近場の街をひたすら歩いてうろつくという会である。
 それは金が無かった俺の数少ない娯楽であったが、何時間もひたすら知らない道を歩き続けると頭がまさに神明開朗というべきクリアな状態になり、そこから俺は大量の小説のアイデアを得ることができた。
「そうだ、俺の情熱の源をもう一つ見つけたぞ」
 それは散歩だ。
「そういえば最近、ぜんぜん散歩してなかったよな。よし、さっそく昔の情熱を取り戻すために散歩してみるか。しかも今回は本来の意味での『散歩』だ!」
 幸いなことに五石散の材料のうち、紫石英と白石英、つまりアメジストとロッククリスタルなら自宅の本棚に飾ってある。しかもそれは知り合いの魔術研究家に譲ってもらった質の高いものである。効きそうだ。
 残念ながら鍾乳石は持ってないので飲むことはできない。また赤石脂と石硫黄については、おそらくそれらが五石散の恐るべき副作用の原因と思われるので、仮に持っていたとしても飲まない。
 飲むのはアメジストとロッククリスタルの粉末だけだ。これらは基本的にただの二酸化ケイ素、つまりシリカであり、食品や医薬品への添加物としても用いられている安全なものだ。コンプライアンス的にも問題ない。
 だから今、本棚に飾ってあるアメジストとロッククリスタルを微量、爪切りについているヤスリで削り出して服用したところで何の問題もないのである。
 それどころか二酸化ケイ素の服用は、現代科学ではまだ確認されていない何かしらのプラスの効果を俺にもたらす可能性がある。
 なぜならばネイティブアメリカンなど高い精神性を持つとされている民族は往々にして土、すなわち二酸化ケイ素を食べる文化を持っているからである。
 樺太からふとのアイヌ民族もチエトイ(アイヌ語で『我らの食べる石』の意)と呼ばれる珪藻土けいそうどを鍋で煮立て、そこに各種の野草を加えて食する伝統を持つ。
 美しきクリスタルの原料たる二酸化ケイ素を体に取り入れることと彼らの高い精神性には、もしかしたら何かしらの関係性があるのではないか?
 現に国産RPGの最高峰であるファイナルファンタジーにおいても、クリスタルは重要なファクターとして毎作登場する。俺が特に好きな第三作目では、各種のクリスタルの力を自らの内に取り入れることで、忍者や賢者など多くの職業に転職できるようになる。
 そういえば現代スピリチュアリズム業界の一部でも、人類は炭素生命体から珪素生命体に移行していくという説がまことしやかに語られている。
「ははは、珪素生命体って、アシモフかよ」などとツッコミを入れつつも、心のどこかで俺は珪素生命体に憧れる部分があった。なぜならSF業界において、長寿の強キャラの代名詞といえば珪素生命体だからである。
 SFマンガの名作、『COBRA』における最強キャラの一人は全身クリスタルのクリスタル・ボーイである。また世界的に評価の高いSFマンガの『BLAME!』にもスタイリッシュな珪素生命体が数多あまた登場している。
 さらに言えばヨーガ学派の最重要経典『ヨーガ・スートラ』にも、修行によって心を統御した達人は、ダイヤモンドのように堅固な体を得ると書かれている。
 また大乗経典の『維摩経ゆいまきょう』にも『如来の身は金剛の体なり』という一文がある。真理を得て如来となったものはダイヤモンドのごとき輝かしく堅牢けんろうな体を得ることがそこには明瞭に示唆されている。
 これらの事例を見る限り、超人となった俺も、そろそろ普通の肉体から珪素ベースのボディへと交換する時期なのかもしれない。
「よし、やるか……」
 ベッドからのっそりと身を起こした俺はアパートの床に古い新聞紙を引くと、左手に紫水晶と白石英、右手にヤスリを持って、水晶粉末を削り出そうとした。
 そのときである。
 レイが帰ってきた。
 片手にビニール袋をぶら下げたレイは俺に駆け寄ってきた。
「滝本さん、お土産よー。って、何してるの!」
「珪素を飲んで珪素生命体になるんだよ」
「なっ」
 レイの手からビニール袋が床に落ちた。
 まあ驚くのも無理はない。
 特にこの女のごとき察しの悪いやつには、二三の説明が必要だろう。
「若き日の情熱を取り戻そうと思ってな。いろいろ考えたら『五石散を飲んで散歩する』というアクティビティにたどり着いたんだ。もちろん本物の五石散は副作用が大きい。だからまずは安心安全な二石だけでやってみようと。いわば二石散ってところだな」
「バカッ!」
 レイは俺の手から二石を叩き落とした。
 ご、ごん。
 床に紫水晶と白石英が転がる。
「何をするんだ! これは知り合いの魔術研究家に譲ってもらったいいものなんだぞ!」
「滝本さんのバカ! なにが二石散よ! そんなもの飲んだら体に悪いでしょ!」
「Wikipediaを見ろよ、二酸化ケイ素は安心安全」
屁理屈へりくつ言わないで! 普通じゃないものを飲んだらダメに決まってるでしょ!」
「だ、だが……俺は昔の情熱を取り戻すために何かしなきゃいけないんだ。何か薬を飲んで散歩しなきゃいけないんだ。そうしないと老衰してしまうんだ」
「だったらこれでも飲んで散歩してきなさい!」
 レイは買い物袋から何かの箱を取り出して俺に投げつけてきた。
「こ、これは……高麗人参こうらいにんじん茶、だと?」
「滝本さんが具合悪そうにしてたから、そこのココカラファインで買ってきたのよ。自律神経や滋養強壮に良い効果があるらしいから」
「た、高かったんじゃないか? 高麗人参と言えば中国最古の薬学書である『神農本草経しんのうほんぞうきょう』で、毎日飲んでも安心安全な上薬に分類されている漢方薬じゃないか」
「いいのよ。少しなら蓄えがあるし。ほら、早く飲んでみて」
 てっきり家出してもう帰ってこないのかと思った。だがレイは俺のことを考えてくれていたのだ。
「……すまん」
 彼女に辛く当たってしまった罪悪感と、ほっこりした温かな気持ちを同時に感じながら、俺は高麗人参茶を魔法瓶に詰めて散歩に出かけた。

 二十代のころよく聴いていた曲をAirPods Proから流しながら、特に目的もなく夕暮れの街を歩き続ける。
「……ふう」
 歩き疲れて公園のベンチに座り、魔法瓶を開けて高麗人参茶を一口飲む。
 高麗人参のストレス緩和作用が早くも効いたのか、沢山歩いて脳が活性化されたためか、今日はやけに音楽が心にみた。
「音楽、か……」
 そういえば前世紀の終わりごろ……俺がもっとも活力に溢れていたあのころ……菌類でトリップしているときも、こうしてだらだら散歩しているときも、いつも俺の傍らには音楽があった。
 当時はポータブルCDプレイヤーを持ち歩いて聴いていたので、振動ですぐに音が飛んだものである。
 だがサブスクなどない当時、今よりももっと一曲一曲を真剣に聴いていたように思う。
「そう言えば自分で作曲してみたこともあったな。ははは、若気の至りってやつか。懐かしいな」
 あれは確か大学一年生のころだ。
 RolandのMIDIキーボードを買った俺は、おまけで付いてきたCakewalkというMIDIシーケンサを使い、音楽理論のホームページをチラチラ見ながら作曲した。
 なんとか一曲完成させたが、パソコン画面にMIDIノートを一つ一つ打ち込んでいく地道な作業に苦痛を感じた俺は、次にACIDというソフトを買って、より簡便な手法による作曲を試みた。
 ACIDはMIDIではなくオーディオループを直接扱うことができる未来的なソフトであった。オーディオ素材をただ画面にペタペタと並べていくだけで自動でテンポが合い、曲らしきものが完成する。
 だがACIDを使うにしても、いい曲を生み出すにはやはり家内制手工業のごとき細かい微調整が必要だった。
 そんなマウスポチポチ作業を日がな一日やっていたら目が悪くなり、すぐに寿命が来て人生が終わってしまう。
 そう考えた大学生の俺は音楽家になることを諦めたのであった。
「…………」
 いや、大学時代だけではない。
 人生の全局面において、俺は音楽家になろうとしては諦めるという行為を果てしなく繰り返してきた。
 小学生のころはピアノ教室に通った。発表会に出るのが怖くて一ヶ月でやめてしまった。
 高校生のころはギターを買った。どうしてもFのコードが押さえられずやめてしまった。
 社会人になってからは近所の友人とバンドを組んだ。だが俺も皆も忙しくなって、バンドは自然消滅してしまった。そのとき使っていたエレキウクレレは電車に置き忘れて次元の狭間に消えた。
 その数年後にもギターを買ったが、離婚で部屋を引き払う際にリサイクルショップに売ってしまった。依然としてFのコードを押さえられないまま。
「…………」
 今、冷静に振り返ってみると、俺が音楽を続けられなかった根本的な原因のひとつは『時間がなかった』ことである。
 楽器の練習は莫大な時間を要する。作曲やバンド活動も同様だ。そんなことに俺の貴重な時間を使っている暇はないのである。
 だが……公園の木々の隙間から差し込む夕日に目を細めつつ、ベンチで高麗人参茶を傾けた俺は、ふと思った。
 もし、俺は死なないとしたら?
 そうだ。
 俺は死なない。
 それは永遠に生きるということである。
 しかし永遠はちょっとイメージしにくいので、切りよく俺には千年の持ち時間があるとしよう。
「…………」
 俺は魔法瓶をベンチに置くと、iPhoneのメモを開き、『俺の未来年表』を加筆修正した。

  • 2100年
    プレステ20が発売される。
    百二十二歳になった俺はギターのFのコードが押さえられるようになる。

  • 2500年
    プレステ100が発売される。
    五百二十二歳になった俺はバンドでステージに立つ。

  • 3000年
    プレステ200が発売される。
    千二十二歳になった俺はミュージシャンとして大成する。

 最後の一行をフリック入力でメモした瞬間、背筋がゾクゾクと震え、全身に鳥肌が立つのを感じた。
 長いこと忘れていたが、これはあれだ。
 情熱だ。
 情熱に突き動かされた俺はベンチから立ち上がると自宅に向かって走った。
 今すぐパソコンになにかしら音楽アプリを入れて音楽活動を始めるのだ。
 だがアパートのドアを開けて中に駆け込むと、ソファに転がるMacBook Airにはエディタが起動されており、そこにはレイが書いたと思われる文書が残されていた。
 それは前回に引き続き、健康を高めるためのちょっとしたTIPSのようだ。
 そんなもの無視して音楽活動を始めようかと思ったが、よくよく考えてみると、ミュージシャンには健康問題がつきものである。
 メンタルとフィジカル双方のバランスを崩し志半ばでたおれた音楽家は古来、枚挙にいとまがない。
「そうだ……健康は大切だ」
 今度こそ途中で投げ出すことなく千年、音楽活動を続けていくために。
 俺はレイが書き残していった文書に真剣に目を通した。

レイちゃんの知恵袋 その2
『少しずつ体にいいことをする』

 皆さんこんにちは。レイです。Macの操作にもだいぶ慣れてきました。使ってみるとそんなに悪くないですね。画面に表示される字が綺麗きれいなので、私の文章もうまく書けている気がします。
 さて、今日のテーマは『少しずつ体にいいことをする』です。
 体にいいことは、やった方がいいのは明らかですね。ですが体にいいことをいきなり沢山やっても、長続きしません。それどころかバランスを崩して寝込んでしまうことさえあります。
 実際、今日の滝本さんは、急に朝日を浴びたせいで夕方まで寝込んでしまいました。
 本当に困った人ですね。
 こんなことなら朝日なんて浴びないほうが良かったんです。滝本さんなんてずっと暗い部屋で寝てればいいんです!
 ううん、それは言いすぎですね。
 言葉が過ぎました、謝ります。
 そうそう……何事も極端なのはよくない、と私は言いたいんです。
 昔は私も髪を青く染めるなんていう極端なことをしてました。
 滝本さんの好みに合わせようなんて馬鹿なことを考えたせいで、当時はかなり髪が傷んじゃいましたけど、今は黒い地毛で快適です。
 そう言えば赤いカラーコンタクトをはめるなんてこともしてましたね。当時は目が痛くて大変でした。もちろん今はもう外してます。オレンジ色っぽい私本来の瞳孔の色が今ではとても気に入っています。
 と、とにかく。
 繰り返しますが極端なことは避けましょう。
 体にいいことも、やりすぎると寝込んでしまいます。だから避けましょう。
 もちろん体にいいことを何もしないでただグータラ寝てるのも極端な話です。それもいい大人が取るべき態度とは言えません。
 ではいい大人が取るべき態度とはなんなのでしょうか?
 それは零と百の中間地点でバランスを取るということなんです。
 つまりですね、健康のためにジョギングするなら、残り体力が五十パーセントのところで走るのをやめるのが大事だということです。
 筋トレも同様です。余力を半分残してやめましょう。
 ほどほどでいいんです。
「そんなこと言ったら筋肥大しないじゃないか。超回復のためには自分の限界を超えて筋肉を酷使する必要があるんだ!」などという滝本さんの頭でっかちな抗議が聞こえてきそうですが、無視します。
 そういうハードなトレーニングは、自分の限界を継続的に超えられる強い精神力を持った人だけに許されているんです。
 滝本さんにそんな精神力はありません。
 だから限界を超えようとするのはやめましょう。
 限界のずっと手前、これじゃ物足りないな、と思うくらいのところでいいです。
 腕立て伏せも腹筋も五回やれば十分。
 ジョギングも家から歩いて五分のコンビニまで行けばもう帰ってきていいです。
 朝日を浴びるのも一瞬でいいです。
 滝本さんの闇のオーラに朝日は強すぎるんです。清らかな光をあまり長く浴びると溶けちゃうかもしれませんよ?
 だから五秒だけ朝日を浴びたらもう家に帰ってきてください。
 こんな風に、ほんのちょっとの体にいいことを、小さく小さくやっていきましょう。
『いいこと』を急にたくさん増やすことはできませんよ。でもほんの少しずつなら増やしていけます。
 ゆっくりと増やした『いいこと』は、あなたの中にいつまでも残ります。
 さあ外に出て朝日を五秒だけ浴びてみましょう。
 健闘を祈ります。

(つづく)

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連載【超人計画インフィニティ】
毎月金曜日更新

滝本竜彦(たきもと・たつひこ)
1978年北海道出身。『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』で第五回角川学園小説特別賞を受賞してデビュー。新時代の青春小説として映画化、コミック化される。次作『NHKにようこそ!』もコミック化、アニメ化され世界的なヒット作品となる。他に『超人計画』『僕のエア』『ムーの少年』『ライト・ノベル』等がある。
Twitter: @tatsuhikotkmt

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