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お桃さま 千早茜「ときどき わるい食べもの」

[奇数月更新 はじめから読む

illustration:北澤平祐


 いっとう好きな果物は、緑の葡萄ぶどう
 誕生日には緑の葡萄を一房、ひとりじめすると決めている。
 二番はどうも決められない。無花果いちじく、梨、枇杷びわ柘榴ざくろ……と挙げていくと、「味のぼんやりしたものが好きだね」と言われる。そんなことはない柑橘かんきつも好きだ、柑橘の類はレモンをはじめとしてどれも好きすぎるので柑橘でひとくくりにしたい、と言いつのった後くらいに思いだすのが桃だ。すごく好きと、好きの、間くらいの果物。

 ほんとうは、桃に対して複雑な気持ちがある。桃の季節になると、パフェの人気が明らかに高まるからだ。いつもは並んだり予約したりせずに入れる店が、桃パフェをはじめると途端に女性客が増える。ごろんと桃一個をてっぺんにのせたパフェの写真があふれる。どの果物パフェだって美味しいのにと、ちょっとおもしろくない気分になる。
 しかし、資生堂パーラー銀座本店サロン・ド・カフェの「あら川の桃のパフェ」だけは絶対に食べたい。あそこの薔薇色の壁紙と桃のパフェのビジュアルが合うのだ。あれを食べない夏はない。そして、誰かから桃を箱でいただくと「わあ、桃!」とテンションがあがる。『夏の前日』という漫画の、桃にかじりつく場面が好きで、自分の作品にも桃を登場させたりしている。ああ、自分も結局、桃のほんのりピンクで官能的な容姿と視界がかすむような甘い香りにやられている、と悔しくなる。

 いつも冷静沈着なパフェ先生こと斧屋おのやさんも、桃のパフェを前にすると「もっも」と浮きたつ気持ちを隠せていない。食べる側だけでなく、売る側からも、桃への寵愛は感じられる。その柔らかさのせいか、ちょっといい桃の売場にはほとんど「触らないでください」と書かれた紙が貼られているので、桃の守られた高貴な存在感がただよう。
 先日、地方の物産展で桃を買ったら、レジで鉢巻きをしたおっちゃんが「うわあ、いい桃だね! って、俺の桃だね! あんまりいい桃だから二度見しちゃったよ!」と満面の笑みで包んでくれた。
 その数日後、デパ地下の青果売場でどの桃にするか迷っていたら、店員さんが「よければ私が桃を選びましょうか」とやってきた。店員さんは眼鏡を光らせながら棚の桃をひとつひとつそっと手に取り、五分以上かけて私のリクエストである「明後日の朝に最高の状態になる桃」を二つ選び、「どうぞ」と愛おしそうに差しだしてくれた。実はちょっと急いでいたのだが、彼と桃との間に流れるおごそかな空気はとても邪魔できるものではなく、私は叱られて立たされた生徒のようにうつむいて待ち続けた。動と静の差はあれど、続けざまに桃愛を見せつけられてしまった。もちろん、桃はどちらもとても美味しかった。

 そういう私も、去年、清水しみず白桃はくとうをいただいたときはふるえた。箱を開けると、ふんわり産毛の生えた、ひとつの傷もない白い尻。ああ、なんといたいけなことか。こんなものが木になって、はるばる我が家まで運ばれてくるなんてとおののいた。
 桃は姫だと思った。蝶よ花よと育てられ、小箱に入れられてやってくる、無防備で、可愛らしい姫。姫が好きか嫌いかなど問題ではなく、姫の訪れがあったら「おひいさまが!」と慌て、かしずくだろう。いたいけな姫を食べてしまっていいのかという背徳感がまた人々を惑わせるのかもしれない。

 去年の清水白桃はまずは素で食べて、次は桃モッツァレラにした。今年も求めて、やはりまずは素のまま、次は桃ディルにした。どちらも、レモン汁と少量の蜂蜜でマリネして、モッツァレラを重ねたり、ディルをまぶしたりする。そこに岩塩と胡椒をがりがりして、オリーブオイルをかけて終わり。桃ディルには料理家の今井真実さんのレシピにならい、撹拌したギリシャヨーグルトをそえる。よく冷やした白ワインと一緒に食べると、苦手な夏もいいものだと思える。そう、桃は夏の間しか食べられない。また来年と思いながらも、どの果物も旬があるのになあ、とふたたびもやもやする。まだ桃姫をまっすぐ寵愛できない。

 今年はかたい桃にはまっている。いただきものの中にあった「ワッサー」という桃が、林檎のような、ばきんぼりぼりした歯ごたえで楽しかったのだ。調べるとネクタリンと桃の掛けあわせらしい。ごしごしと皮を拭いてそのままぼりぼり食べても、汁で手や服が汚れることがない。私は「カリカリ桃」と呼んで、毎日食べ続け、もっと欲しくなり箱で取り寄せてしまった。保存性にも優れているらしい。仕事の合間にひょいひょいと食べている。木登りも乗馬もしちゃうようなお転婆な姫を彷彿とさせるワッサーとは、なかなか気が合う感じがする。

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【ときどき わるい食べもの】
奇数月更新

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で09年に泉鏡花文学賞、13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞、22年『しろがねの葉』で直木賞を受賞。小説に『男ともだち』『犬も食わない』(共著・尾崎世界観)『ひきなみ』など。エッセイ集に『わるい食べもの』『しつこく わるい食べもの』『胃が合うふたり』(共著・新井見枝香)がある。
Twitter: @chihacenti

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