No.05『日本の詩歌 30 俳句集』 石田衣良「小説家・石田衣良を育てた50冊」
子供の頃から無類の本好きだった小説家・石田衣良。小説家になり、ついには直木賞作家へと駆け上がった彼がこれまで読んできた中で特に影響を受けた作品50冊を、人生の思い出とともに紹介する書評エッセイ。
[毎週金曜日更新]※引用箇所は著者が読んだ版に従っています
photo:大塚佳男
どうしても就職するのが嫌だったぼくは、新卒採用のゴールデン・チケットを破り捨て、フリーターとして2年間を過ごすことになった。家庭教師、交通整理のガードマン、倉庫のピッキング作業員、国技館での焼き鳥づくり、野球場内野席のゲート係。複数のアルバイトを掛け持ちして、暇なときは本と音楽と映画三昧という気楽な日々が果てしなく続いた。このまま30歳くらいまで、だらだらといくのかな。その年齢で一生のテーマが見つかれば、そのときがんばろう。見つからなかったら、そこまでの人生だ。だいたい人生など棒に振るためにある。典型的なダメ人間の思考を抱えつつ、ぼくはアルバイト生活を風まかせに送っていた。
平穏な日々は突然破れる。春もまだ肌寒い頃、母が突然出先で倒れたのである。家族が下町にある救急病院に駆けつけたときには意識不明の重体で、医師は回復の見込みのないくも膜下出血だといった。脳死状態で、もう精神は亡くなっている。医師はときどき不思議なことを口走る。母の身体はゆっくりと呼吸を続け、手足の先までまだ温かったのだ。額をつけると、ぼくの額よりもずっと熱かった。当時、英国にいた妹が帰ってくるまでの3日間、母はなんとか命をつないでいたが、家族全員が別れを済ませた夜明け、計ったように亡くなった。バイクで病院から帰るときの春の朝の風のやわらかな冷たさを、今も覚えている。
嵐のように過ぎた葬儀の後で、なぜか会社に入ってみようかという気になった。アルバイトという社会の外側から、あれこれと人の世を見てきた。そろそろ社会の内側に入ってみるのも、おもしろいかもしれない。母が倒れたのは巣鴨・高岩寺に参拝にいく途中で、どうやらぼくの就職を願掛けにいったようだという事情もあった。
就職誌や新聞で広告関係の採用を適当に選んで、試験を受けることにした。不思議なことにどの試験にも合格していた。当時はまだ広告業界が若者に人気で、どこもかなりの倍率だったのにである。本は浴びるように読んでいたので、そこそこ知識はある。作文は子どもの頃から得意だ。面接はその場にいる一番難しそうな面接官を笑わせればいい。試験の最中はそんな風に考えていた。実社会に出ればものをいうのは資金と人脈だという人は多いが、どうして本の力というのも馬鹿にならないものだ。そう実感した経験だった。
とある広告会社に潜りこむと、同期のコピーライターから誘われた。知人が主宰するアマチュア句会に呼ばれているのだが、ひとりでは心細いのでいっしょに参加してくれないか。中学生の夏休みの宿題で賞をもらって以来、ぼくは俳句をつくったことはなかった。教科書に載った芭蕉の句をいくつか覚えているくらいの初心者だ。これは勉強していかなければ、恥をかきそうだ。
予習程度の軽い気もちで手にしたのが、『日本の詩歌 30 俳句集』という現代俳句の秀作選だった。この本から始まった俳句との出会いが、ぼくにとって20代最大の文学的なインパクトとなったのは間違いない。
なにに驚いたのか。
日本語の持つ描写力に瞠目したのだ。
これほど豊かで切れ味鋭い描写力を、だるくて鈍いと思っていたぼくたちの母国語が有していたとは!
いくつかその実例を見てみよう。
物や命を描写するときの鮮やかさ、切りとる角度の精妙さ、ちいさいけれど輝くような発見、どれも見事なものだ。手の内を明かすようだが、現代的なリズムとエッジのある文章に、俳句に由来するシャープな描写を混ぜこんだものが、ぼく自身の文体の特徴であると秘かに思っている。批評家から指摘されたことは、一度もないけれど。
この本には現代の俳人47名分の代表作が収録されている。ぼくは毎日ひとり分ずつ読んでは赤いサインペンで、お気に入りの句にチェックを入れていった。そして就業時間中、和綴じのノートに一句ずつ筆ペンで書き写していたのだから、少々変わり者で面倒な20代といわれてもしかたない。
収録俳人のなかでも、ことに心惹かれたのはふたり。超絶技巧的なやわらかさの久保田万太郎とエッジの鋭さと透明感の西東三鬼だった。劇作家で余技として俳句をひねる万太郎と歯科医で理系出身の三鬼。句は対照的だが、茫洋とした大人の風格は共通しているかもしれない。ふたりの全句集が欲しくて、古本屋を巡り歩いたのは若き日のいい思い出である。
言葉や描写に感度の高い読者なら、ここに挙げた15句だけでも十分に現代俳句の魅力を感得してくれることだろう。俳句は旧い文芸で年寄りの手慰みとみなされ、若い読者が入ってくることは決して多くない。俳人の経済的な状況は、決して恵まれたものとはいえないだろう。それでも生涯をかけて句業を研ぎ澄まし、同時に日本語の描写力・表現力の極北を目指し、新たな世界を開拓していく。ぼくには俳人は、無酸素で8000メートル級の山々を制覇するクライマーや、素潜りで最高深度をめざすスキンダイバーと同じ種族であるように思える。そこに山が、海が、俳句があるから、極限までひたすら技を磨き続けるのだ。
ぼくの動画配信で、作家志望のリスナーから「描写力を上げるにはどうしたらいいですか」という質問がよく届く。そんなとき、ぼくが推薦するのは、とりあえず現代俳句を読むことだ。こと日本語の描写に関する限り、俳句がもつ密度、切れ、飛距離を超えることは、散文ではほぼ不可能である。
俳句には17音に世界や宇宙や精神といった人の存在のすべてを写しこむ無敵の描写力がある。文章を書くことが仕事の一部になっているすべての人に、現代俳句に親しむことを強くお勧めする。
【小説家・石田衣良を育てた50冊】
毎週金曜日更新
石田衣良(いしだ・いら)
1960年、東京生まれ。1997年「池袋ウエストゲートパーク」でオール讀物推理小説新人賞を受賞し、続編3編を加えた『池袋ウエストゲートパーク』でデビュー。2003年『4TEEN』で直木賞、2006年『眠れぬ真珠』で島清恋愛文学賞、2013年『北斗 ある殺人者の回心』で中央公論文芸賞を受賞。著書に『娼年』『夜の桃』『水を抱く』『禁猟区』などがある。
Twitter: @ishida_ira