#11 松石と『負けおじさんがキモすぎる!』 宇野常寛「ラーメンと瞑想」
※このエッセイは、小説的な内容を含みます。登場する人物と団体は、基本的に架空のもので実在のものとは関係ありません。ただし、取り上げているお店はどこもとても、とてもおいしいのでオススメです。
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1.『負けおじさんがキモすぎる!』
『負けおじさんがキモすぎる!』
ポリコレ支配の日々は
叩かれすぎて
中年大戦争
大義がない
居場所がない
同情もないから
昭和の社会の主人公
今日もあっちこっち
敗北決定的
クヨクヨして
グダグダする
寂しい日々よ
第1話 編集者Tの憂鬱
T(仮名)は編集歴二十年以上のベテラン編集者にして、プライベートでは武道の修行を、そして日々古典の翻訳を鍛錬として自己に課す求道者でもある。ある日、高校生の長女の進路相談に乗る。文系か理系かで悩む娘に、Tは「あらゆる道は神に至る道である」とアドバイスするが、その意図は伝わらず「パパはいつから中二病なの?」と返されてしまう。気分をリセットするために、サウナで心身を整えたTは神田の豚丼専門店に向かう。Tはそこで、先に入っていた男子大学生たちが食べていたものと同じ、豚肉が千グラムのった「大学院」と呼ばれる特盛定食を注文する。俗人ならばともかく、日々の鍛錬を怠らない自分ならこれくらいは大丈夫だろうと判断したのだ。Tは無事完食するが、その夜ひとり自室でブラームスの交響曲第四番を聴きながらジントニックのグラスを傾けていたところ、激しい腹痛に襲われる。痛みを乗り越えるために彼は結跏趺坐になり、精神の統一を図る。デスクの上の髑髏の置物と世界樹の盆栽が、そんなTを静かに見つめ続けていた。
第2話 文筆業Uの敗北
U(仮名)は四十代半ばの文筆業。趣味は模型制作とランニング。ある日、Uはリジェネラティブをテーマにしたシンポジウムに登壇する。シンポジウムはつつがなく終了し、Uは帰宅しようとするが仲の良い他の登壇者に誘われて滅多に出ない「打ち上げ」に出席する。打ち上げの席では、近年スピリチュアルな世界にかぶれているらしい登壇者が酔っ払って延々と大声で自説をまくし立てていた。曰く、近代的な「個人」など幻想であり、人間は共同体の一部になれば幸福になれるのだという。酒を飲まず、泥酔者の相手も苦手なUは何か口実をつけて帰ろうとするが、運悪くその人物に捕まってしまう。Uは我慢できずについ、インドの一部にある寡婦を焼き殺す風習を例に、あなたのような近代批判や資本主義批判という大きな話をロマンチックにすることに夢中で、弱者の尊厳や人権に無頓着な人間のことを本当に軽蔑するという旨をオブラートに包んで述べる。しかしその相手は激昂し、結果としてその場はすっかり冷え込んでしまう。表参道の、お洒落で手の込んだパーティーメニューの味はほとんど記憶されず、Uは自宅の最寄りの高田馬場駅近くの立ち食いそば屋で、好物の肉玉そばを「冷」で注文する。一気にそばをすすりながら、やっぱり自分の場所はこういったところにしかないのだと確信する。
「なんですか、これは」
その週の水曜日の朝、顔を合わせるなりTは尋ねてきた。昨晩送付したLINEの内容を指していることは明白だった。
「現代社会における男性性の困難を描く小説の構想です」
昨晩、珍しく寝付きの悪かった僕はTにふと思いついた連作短編小説のアイデアを送付していたのだ。
「最悪ですね」
Tは吐き捨てるように言った。基本的に「笑い」を好まないTがネガティブな反応を示すことは想定内だったが、さすがに「最悪」とまで言われるとは思わなかった。
「そもそも、僕がモデルの第1話に比べて、宇野さん自身がモデルの第2話のほうが、恥ずかしくないエピソードになっていることに不信感が生まれています」
「そんなことないですよ」
「あります。宇野さんは自分をカッコよく描きすぎです」
「じゃあ、Tさんが添削してください。よいアイデアであれば受け入れますよ」
「そもそもこのタイトルはひどい。『負けヒロインが多すぎる!』のように否定のニュアンスが肯定のニュアンスを引き立てる構造にしないといけません」
このときの会話はこれで終わりだった。Tが微妙に編集者としてまともなことを述べたので、以降はタイトルワークというものについての割と真剣な議論になっていったのだけど、本題から逸れるので割愛する。
その日はその後いつもどおり瞑想して、食事をして解散したのだが、翌日の午後のことだった。
どうやら通院していたらしいTは「病院の待ち時間が退屈です」とか「パソコンの電源が切れました」とか、手慰みにLINEを送ってきていたのだが、しばらく大人しくなったなと思ったら謎の長文が送られてきていた。それは彼が「添削」した「あらすじ」だった。
2.『負けおじさんがイケメンすぎる!』
『負けおじさんがイケメンすぎる!』
第1話 編集者Tの憂鬱
Tは編集歴二十年を超える古参だが、新宿で飲み歩くようなことはなく、武道の修行と古典の翻訳を自己に課し、禁欲的な生活を送っている。妻との共生に限界を迎え、自宅近くに仕事部屋を借り、そこで寝泊まりするようになって久しいが、最近は料理にも面白味を見出し、修行僧ほどではないものの、それなりに節制された平穏な暮らしを楽しんでいた。
家を出て一年ほど経った頃だろうか。最寄りの神楽坂駅で、少しギャル風の女子高校生がいるのを見かけたTは、それが高校二年になる帰宅途中の長女であるとわかり愕然とした。すでに自宅に寄り付かなくなって大分経つとはいえ、自分の娘さえすぐにわからなかったことは、Tに自身の人生の新しい扉が開かれてしまったことを悟らせるに十分だった。
駅近くの仕事部屋に帰ったTは、冷えたバーグラスにフリーザーから取り出したジンと氷を入れ、ベルモットとステアした。出来上がったマティーニをグラスに注ぎ、オリーブをピンで刺し縁に落とす。Tの仕事部屋のデスクには、もう駱駝の骨で作られたスカルは置かれていない。世界樹の盆栽も枯れてしまった。今はただ一杯のマティーニだけが、そんなTを静かに見つめ続けている。
第2話 文筆業Uの敗北
Uは四十代半ばの文筆業。場の空気を読まない言動により業界の鼻つまみものだが、慈愛の心に溢れた古い付き合いの友人たちに支えられ、かろうじて糊口をしのいでいる。Uはある日、リジェネラティブをテーマにしたシンポジウムに出席する。
下戸のUは泥酔者を嫌っており、その日の打ち上げでも場の空気を壊すようなことを述べ、雰囲気を最悪なものにしてしまう。しかし厚顔無恥なUは、自分はまったく悪くない、むしろ被害者であると考え、帰りのタクシーの中で彼の数少ない友人であるTにLINEで自己正当化に満ちた愚痴を送りつける。しかしTは冷静にUを諭す。「Uさんはお腹が空いているだけです。〈ラーメンと瞑想〉の精神を思い出し、胃袋を満たしてから深呼吸をしてみてください」――Tに導かれるように、Uはタクシーをお気に入りの立ち食いそば屋の前につけて、そして好物の「肉玉そば」を注文する。空腹が満たされ、落ち着きを取り戻したUはTに言われた通り、帰宅後に瞑想を始める。自身の呼吸に集中していると、自らの肥大したエゴが氷解していくような感覚に包まれる。瞑想後に、すっかりその精神から汚れた感情が消え去ったことを自覚したUは、改めてTの教えに感謝するのだった。
「なんですか、あれは」
翌週の水曜に今度は僕がTを糾弾した。
「宇野さんの考えたあらすじは、あまりにも酷かったので修正しました」
「Tさんこそ、あのオチなしの私小説みたいな展開は気取りすぎじゃないですか?? 僕が主人公の第2話にまで登場してくるし……」
「宇野さんこそ、僕の本当の魅力を理解していません」
「本当の魅力……とは?」
「オチやストーリーのない話の中でこそ光るペルソナです」
「なんか、タイトルまで変わってますよね?」
「そもそも現代において男性性は不当に貶められています。『負けおじさん』などと卑屈になってはなりません」
「しかし、ラーメンと瞑想、獣の世界と神の世界の往復は男性的なものの実現とは異なった超越への道を模索する試みだったのではないですか?」
「その通りです。だからこそ自虐による男性性の低い社会的承認とは真逆なんですよ」
「自らの男性性に執着せず、適度な距離を保つことで自由になる――それが僕たちの戦略のはずです。だとすると、この程度の自己相対化に耐えられなければ、そのレベルに達することは難しいのではないでしょうか?」
平行線だった。
結局、その日は結論というか合意に至ることはできなかった。そしてその結果僕とTはその日からあるべき物語の姿について話し続けることになった。正確には、断続的にお互いの「添削」したストーリーを送り合うラリーが何日も続くことになったのだ。
3.立ち食いの美学
恐るべきことに、僕とTの添削ラリーはその後一週間以上続いた。僕は自虐的なコメディとしてこの物語を構想したのだが、Tはもっと真剣に、現代における中年男性の魅力を追求するものだと考えていた。そして、お互いのこういうふうに自分を見せたいという願望が、そのすれ違いをより決定的なものにしていた。そしてその間には二回の水曜日があり、僕たちはそのときどちらも、最近高田馬場駅前に開店した立ち食いそば屋「松石」の肉玉そばを食べていた。
ここで、説明しておきたいのが僕と立ち食いそばの関係……のようなものだ。
僕はもともとそばの好きな子どもだった。中学生くらいから、明確にうどんかそばなら後者を選ぶようになっていた記憶がある。そのため、関西に暮らしていた頃はそのうどん優位の文化に随分と閉口させられたのだけれども、それはまた別の話だ。
重要なのは僕がそばの中でも、立ち食いそばをこよなく愛していることと、そこに押井守の絶大な影響があるということだ。
押井守が立ち食いそばを愛し、『立喰師列伝』という作品まで発表していることは広く知られて……はいないが事実である。「立喰師」とは押井守の創作で、戦後の闇市の中から生まれた、無銭飲食のプロフェッショナルの総称だ。彼ら彼女らは、立ち食いそば屋に代表される飲食店に現れ、そこで何らかの講釈を垂れ、店員の注意をそらすことで「食い逃げ」を実現する……そんな人々だ。押井は自作に度々この「立喰師」を登場させていたのだが、これらのキャラクターを結集させた『立喰師列伝』は闇市の時代からファストフードチェーンの時代まで、それぞれの時代の立喰師の姿を描くことで、独自の視点から戦後史を描いたものだ。
中学生時代に押井作品にふれはじめた僕は、この立喰師たちに憧れ、そして当時暮らしていた北海道では鉄道の駅くらいにしかなかった立ち食いそばに憧れた。青年期を過ごした関西では、うどんが幅を利かせていた上に、僕は関西風のそばつゆがまったく舌に合わず、ほとんどそばを食べることがなかった。
だから僕が立ち食いそば屋に通い始めたのは、三十歳近くになり東京に出てきてからだ。さらに言えば、僕が本格的に立ち食いそばを食べ歩くようになったのは、業界の陰険な飲みニケーションにウンザリして、そういった人間関係を絶ち、もともと好きでもなかった飲酒をやめるようになってからだ。このころ僕はラジオの深夜番組を担当していたこともあって夜型の生活をしており、深夜の散歩を趣味にしていた(初回で述べたように、渡仏前のTもよく同行していた)。そしてその深夜の散歩の最大の楽しみが、夜の遅い時間まで開店している(もしくは二十四時間営業の)立ち食いそば屋だった。
いちばん僕が好きだったのは新宿歌舞伎町や高田馬場にあった「いわもとQ」だった。当時の「いわもとQ」は生産と調理過程を工夫し、可能な限り「できたて」を提供するという方針で運営されていた。僕はここのそばにハマり、週に二回から三回のペースで通っていた。そして同店を僕に教えてくれたチームラボの猪子寿之といっしょに運営会社の社長の岩本氏にインタビューまでした。しかし「いわもとQ」は二代目社長である岩本氏の息子の代から迷走を始め、最終的には経営権が別会社に譲渡された後、セントラルキッチンの役割を担っていた歌舞伎町店の(おそらくは物件事情による)閉鎖により事業の継続が難しくなり、現在では全店舗が閉店している。
日本橋に足を延ばしたときは(当時はまだ新宿に出店していなかった)「よもだそば」に行くのを楽しみにしていた。ゲンコツのようなかき揚げ(玉ねぎを丸一個使っているという)をのせた特大かき揚げそばに、特製のカレーをつけたセットをよく頼んでいた。ここのカレーは僕にはやや辛すぎるのだけど、玉ねぎの甘さの染み込んだそばつゆにとてもよく合う。
もちろん、新宿の「かめや」や南長崎の「南天」といった名店にも足を延ばした。
立ち食いそばの魅力は、その「放っておかれている」感じだ。立ち食いそばの店の多くは、世界の中心に居座っていない。いや、鉄道の駅近くという意味では一等地にある店も多いのだけど、それはたいてい駅ビルの片隅とか、裏路地を一本入った個人経営の飲食店がひしめくエリアだったりとか、そういった場所にある。そして(コロナ禍の前は特に)深夜までやっている店や、二十四時間営業の店が多く、仕事帰りの水商売の従事者とか、肉体労働者とか、僕みたいな傍目にはなにをしているのかよくわからない自営業者たちが、自分の好きなタイミングで気軽に訪れることのできる場所として機能している。そして店員は客に関心を払わないし、客も他の客に関心を払わない。そこは誰にも邪魔されず、言葉の最良の意味で放って置かれる場所、なのだ。そこはメンバーシップで内外に線の引かれた、「居場所」として人間の人格の支えになる場所ではないが、そのかわりにそれが誰であろうと、数百円を払えば誰の干渉も受けずにそばにありつくことができる……そんな誰もが差別されることなく受け入れられる場所なのだ。
そして、これが重要なのだが立ち食いそばは「そんな場所」だからこそ、人間は目の前のそばに純粋に集中できる。たいていそこに、人間は独りで訪れる。二人以上で訪れても、そばをすすっている間はたいていカウンターに向かって無言でひたすらそれをすすり続ける。そのために、人間は純粋にそばの味や香りを楽しむことができる。そこには人間同士の出会いもなければ、対話もない。しかしそれゆえに事物とのコミュニケーションが、それも極めて純粋に存在する。誰かに認められたいとか、ゲームに勝ちたいとか、そういった欲望が、この瞬間だけはゼロになるのだ。
立ち食いそばには、忘れられない思い出がある。それは、僕がまだ上京する前のことだ。その日はよく晴れた日曜日で、僕は当時付き合っていた女性とデートをしていた。昼前に落ち合って、前から行きたかった鰻屋でランチをとり、そしてタイトルは忘れてしまったけれど、映画を見た。その後カフェで一時間ちょっとお茶をして、彼女が夜に用事があるというのでそこで解散した。それはいわゆる、今でいうところのテンプレート的な「リア充」な一日で、当時の僕はそういった休日の過ごし方になんの疑問も抱いていなかった。しかし、帰りの電車に乗っているときに、僕はなんとも言えないような虚脱感を覚えたのだ。この一日が楽しくなかったわけでもなければ、相手に何かの不満があったわけでもない。ただ、歯ごたえのあるゲームをプレイして、「攻略」し終えたあとのようなちょっとした虚しさのようなものに、僕は襲われたのだ。「これじゃなかったんじゃないだろうか」という違和感、と言い換えてもいい。そして僕は電車を降りた後に最寄りの私鉄の駅前にある、立ち食いそば屋にふと、立ち入った。小腹がすいていたのもあるのだけれど、何か、今日の僕とは違う自分になりたくて、僕は当時は滅多に入らなかった立ち食いそば屋の暖簾をくぐった。そこは本当になんの特徴もない、ただの駅そばの店舗だった。とりあえず小腹を満たすためだけに特化したそこには、ノスタルジーを感じさせる昭和的な匂いもなく、中途半端にデオドラント化された、最近建てられた公共施設のような明るいカラーリングの、プラスチックのものが多い内装の店だった。
そしてそこでは高齢の店主が黙々とそばを湯がいていた。カウンターの向こうで忙しく働く彼は、客と目を合わせようともしなかったけれど、僕はその距離感をむしろ心地よく感じていた。僕はかき揚げそばの「冷」の食券をカウンターに置いた、程なく出てきたそばを、ほぼ無言で受け取ると一気にすすった。正確には、箸の先でかき揚げを潰して分解し、そばと一緒にすすった。この駅そばは飛び抜けておいしいわけではなかったけれど、沁みた。食べ終わったとき、なんとなく自分の居場所はこういうところにあるのだと感じたのだ。今思えば、僕が「ひとり」で食事をすることにこだわり始めたのは、このころからだったかもしれない。
最近のお気に入りは都内に十店舗近くが営業されている「嵯峨谷」だ。ここは立ち食いそば好きにはもはや定番のチェーン店で、十割そばを立ち食いの価格と形式で提供している。そしてつゆや揚げ物にも手を抜かないので、しっかりうまい。ここしばらくは僕はとりあえず迷ったらこの「嵯峨谷」の新宿西口店に行くようにしていた。なぜ「していた」と過去形なのか……それは、この二〇二四年に僕は「松石」と出会ってしまったからだ。
4.肉玉そばの誘惑を
二〇二四年九月一八日、その店は高田馬場駅前に爆誕した。
正確には地下鉄東西線の五番出口に直結している雑居ビルの地下一階、その前は焼き油そば店が入っていた場所にその店――立ち食いそば専門店「松石」――は開店した。
僕が近隣情報の取得のために愛読している「高田馬場経済新聞」によると、「飲食店で調理担当として働きながら、立ち食いそばを食べ歩いてきた」成田洋一さんが、「『昭和の古き良き立ち食いそば』をコンセプトに食べ歩きの中で、『こうだったらうれしい』と感じたトッピングの切り方や接客などを詰め込んでいる」のがこの「松石」だ。開店の背景には「立ち食いそば店は減ってきているが、高田馬場では特に減っていて、さみしさがあった」といった危機意識もあったという。
僕とTは、以前同じ場所にあった焼き油そばの店に何度か足を運んでおり、同店が早稲田に移転するという知らせを悲しんでいた。
しかしその悲しみは圧倒的な感謝と祝福の気持ちによって上書きされることになった。
最初に訪れたその日、僕はせっかくだからちょっと行ってみようか、くらいのつもりだった。
券売機の前に立ったとき看板メニューが六百円超えという強気の価格設定にまず驚いた。そしてすぐにこれは期待できると判断した。この物価上昇の折、日本の、東京の飲食店の価格は――それが日常的なものであればあるほど――不当に安すぎることはもはや疑いようがなく、本当にいいものを提供しようと考えるのなら、それが低―中価格帯だからこそ適切な価格設定を行わないといけないというのが僕の持論だ。
人間は「そこそこの値段で満たされる」感覚を日常食に求める。しかし、この「そこそこの値段」にこだわりすぎると「満足」が損なわれる。このバランスはあくまで相対的なもので、ある原材料の高騰などで価格が上がるならその分、より、「味」などの要素を強化するといった施策で満足感を補うことができる。しかし多くの飲食店やメーカーはここを理解せず、単におかずを一品減らし、量を少なくすることで、値段を据え置こうとする。しかし、違うのだ。六百円前後なら現代の東京在住者はためらいなく昼食代として払う。いや、そこにためらいがあっても、六百円以上の満足があればその商品は成立するのだ。そして、僕には目の前のこの券売機はこの店の――松石の――そばは六百円以上の価値があるので問題ないと訴えかけているように思えたのだ。
僕は迷わず、券売機の右上に大きくアピールされた「肉玉そば」六百八十円のボタンを押した。僕は初めて入る店では必ず、その店のおすすめの定番メニューを選ぶことにしているからだ。そして少し考えて、野菜がほしいなと思って五十円のほうれん草トッピングを加えた。
食券をカウンターに出すと、僕と同世代と思われる中年男性の店主が、手際よくそばを茹で、そして盛り付けた。僕はその丼ののせられたトレイを、奥のカウンターに運び、光の加減を考えながらまず、スマートフォンで写真を撮った。生卵の黄身と青々しいほうれん草のお陰で、立ち食いそばとは思えないカラフルな写真になった。そして、箸を伸ばすと田舎そば仕様の太麺の十割そばの重みが、しっかり伝わってきた。これは食べ応えがありそうだと口に含み、麺を噛み切った瞬間に強めの、しかし後に残らない風味がしっかり伝わってきた。その太麺に、甘めのそばつゆが食らいついてきた。このつゆは前述の「高田馬場経済新聞」によれば「麺と天ぷらをつなぎ合わせようと何十回も試作を繰り返した」ものらしい。
そして僕は一口食べて、「うまい」と思った。それは、圧倒的な体験だった。その太い麺をきちんと噛み切るというアクションが、口内の味体験をリズムよくもたらす――食べ応え、というものをここまで満足感に結びつけている店を、僕は初めて知った。「味変」的に黄身を絡めたそばをすするのも、甘辛い味付けの豚肉と食べやすく刻んだほうれん草との組み合わせも絶妙で、食べ進めれば進めるほど、よく考えられ、工夫されているのが伝わってきた。端的に、僕は感動していた。
僕は食べ終わると、その場でTにLINEを入れて、なるべく早くこの店のそばを食べるべきだと主張した。
それから二ヶ月――僕とTの水曜日朝の食事はほぼこの「松石」の一択になっている。Tは僕とは違い、ほうれん草にさらに納豆を加え、食べている最中にわさびを投下することが多い。そして食べている間、僕たちはまったく無言だった。「松石」には椅子がなく、客はカウンターの前に立ってそばをすするしかない。そして店舗設計上、半分以上のカウンターは壁に面している。そのため、客たちはほぼ壁に向かいながら孤独にそばに向き合うことになる。
しかし、それがいい。なぜならば、「松石」のそばをすする体験に、余計な要素――他の誰かとの会話――など、まったく必要ないからだ。その神聖な時間に、ノイズは不要なのだ。いや、この表現は正確ではない。週に一度か二度、多いときは三度通っていながらも、僕はまだこの「松石」のそばをすするという体験を味わいきれていない。その圧倒的な体験を、まったく受け止めきれていない。すでに慣れ親しみ、把握しきった体験を外部に開くために「ノイズ」は有効かもしれない。しかし、僕にとって「松石」のそばは、僕がこれほど愛し、求め、反復して体験しているにもかかわらずまったくその汲めども尽きぬ魅力を味わいきれていないものなのだ。つまりそれ自体が圧倒的な「ノイズ」のようなもの、「ノイズ」と同じように理解し、コントロールできる体験では「ない」ものなのだ。
そして、僕とTとの終わりなき物語の修正ラリーに終止符を打つきっかけになったのが、この「松石」の存在だった。
5.『中年紳士がイケメンすぎる!』
その週の水曜日朝の瞑想は、食事前に行われた。
僕とTは、瞑想を終えた後に高田馬場駅前の「松石」に向かった。たぶん、これで六週か七週連続で水曜日の朝は「松石」でそばを食べているはずだった。
僕はいつものように「肉玉そば」にほうれん草をつけて頼み、Tは同じ「肉玉そば」とほうれん草に、加えて納豆を頼んだ。
手際よく出てきたそばを運び、僕たちはカウンターに並んで立った。そして夢中でそばをすすった。その時間はたぶん、五分から十分くらいのものだったと思う。その間、少なくとも僕は本当にこのそばのことしか考えていなかった。たぶんTも、そうだったと思う。
そして食べ終わり、近くの喫茶室ルノアールで食後のコーヒーを楽しみながら、僕は考えた。僕たちは「対話」しすぎていたのではないか、と。この物語の制作が錯綜しているのは、要するに僕とTがそれぞれ、自分をモデルにした物語の中で、自分(に相当する登場人物)をカッコよく描く一方で、相手に対してはそういう配慮をしない、という態度を取っているからなのは明らかだった。そして、お互いに相手が主人公の物語に介入して、つまり他人の物語の中で自分をカッコよく見せようとしているためにここまでこじれてしまったのだ。
いま思えば、そもそも手慰み的に考え始めたこの物語を洗練させる必要などまったくなく、面倒くさくなってきたならその場でやめればよかったのだが、ことの行きがかり上それも何かスッキリしない……くらいの理由で(少なくとも僕は)ラリーを続けていた。
とにかく、僕は結論した。僕たちは対話を、いや正確には対決をするのではなく、共通の対象に二人で向かえばいいだけなのだ。ついさっきまで、壁に向かって同じそばをすすっていたように……。
僕は意を決して、Tに切り出した。
「Tさん」
「はい」
「気づいたのですが、お互いのエピソードにお互いを登場させてなるべくよく見せようとしている限り、この話はまとまりません」
「個性とはそもそも醜さを伴うものです、そして僕は作者のゴリ押しという醜さは質量、つまり物質の個性だと思っています。たとえ醜くても、個別性があったほうが存在感があります」
「そのとおりです。僕たちのエゴは作品を形成する質量そのものです。したがって、僕たちはエゴを抑制するのではなく、その用いる方法を、質量を向ける方向を変えるべきです」
「いいでしょう。僕の希望する路線は常に、神から降りてきた形相でしかないので」
「では二つの物語を融合し、僕たちの醜さをお互いにではなく、世界に向けましょう」
こうして第1話と第2話は融合し、新たな物語が編まれることになった。これは、二話分のあらすじをお互いこのペースで上書きしていたら、仕事にならないという現実的な要請から行われた決断でもあった。そこから先の作業は驚くほどスムーズだった。僕とTはLINEを往復しながら、瞬く間に物語を洗練させていった。これまでは、どこかお互いの足を引っ張り合っていることによって、常に相手の攻撃に対して防御するようなやり取りになっていたのだけれど、方式を変えてからは極めて純粋に、僕たちの考える「理想」を描くものへと物語は進化していった。そして僕たちは、一つの、宇宙の真実を描く物語にたどり着いた。
『中年紳士がイケメンすぎる!』
第1話 聖戦士たち
編集者Tと文筆業U、二人の中年男性は日々心身の鍛錬を怠らない現代の求道者である。彼らは「ラーメンと瞑想」をコンセプトに、生物的欲求を満たすための食事(ラーメン)と、人間的欲望を相対化するための瞑想を往復する。つまり獣の世界と神の世界を往復することで、人間を超える存在に肉薄するのだ。
二人はある日、新宿区の戸山公園で善良な老人が悪漢たちに囲まれているのを目撃する。どうやら老人が暴力で脅され、金品を要求されているらしいと判断した二人は介入を判断する。
「愚かなことはやめなさい。あなたたちのしていることは、まるでSNSで界隈で『叩いてもいい相手』として『界隈』に認定された人間に石を投げて自分の株を上げることに必死な売れない物書きや、承認欲求に飢えた一般愚民と変わりませんよ」
Uがそう告げると、激昂した悪漢たちはターゲットを変更して、Uに掴みかかろうとする。しかしそこにTが、長年の修行で鍛えたしなやかな動きで流れる水のように割って入る。
そしてTは指一本触れずに、悪漢たちをその気迫のみで制圧する。Tの放つオーラによって、彼らの戦意が氷解していったのだ。つまりそれは正確には制圧ではなく、自分たちと彼らとの、新しい共生のかたちが生まれた瞬間だった。
「ラーメンと瞑想を極めた我々に、もはや死角はありません」
Tは若者たちに告げる。戦意を喪失した彼らは足早にその場を去る。
「あなたたちのような賢者が、この新宿区に存在したとは……」
解放された老人はまるで、神を崇めるような目で二人を見上げる。しかし二人はそのようなことは必要ないと彼を抱き起こし、そしてTは告げる。
「いいえ。私たちは豚を食い、そして豚のように死ぬ身に過ぎません。忘れてください。路傍の石のように、そして名もなき草のように。南無阿弥陀仏……」
かつてこの世界を支えていた多くのものたちは既に、崩れ去ってしまっていた。残されたものたちもまたその根拠を失い、さまよい始めていた。彼らの手の中に残されたものは、多くはなかった。しかしそれは、どこまでも遠くに彼らを連れ出す可能性を秘めていた。
彼らはやがて沙羅双樹のような木のもとにたどり着き、そこに腰を下ろして目を閉じた。そこは光だけが、まぶたを通して感じられる静謐な場所だった。そして二人は瞑想を始めた。
獣の世界に物語はなく
神の世界に幻想はなく
獣と神の世界には、過去も未来も演劇性もなく
(#12に続く)
連載【ラーメンと瞑想】
毎月水曜日更新
宇野常寛(うの・つねひろ)
評論家。1978年生まれ。批評誌〈PLANETS〉編集長。著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、『母性のディストピア』(集英社)、『遅いインターネット』(幻冬舎)、『水曜日は働かない』(ホーム社)、『砂漠と異人たち』(朝日新聞出版)、『ひとりあそびの教科書』(河出書房新社)、『チーム・オルタナティブの冒険』(ホーム社)など。立教大学社会学部兼任講師も務める。