#10 とん太と『作家の値うち』 宇野常寛「ラーメンと瞑想」
※このエッセイは、小説的な内容を含みます。登場する人物と団体は、基本的に架空のもので実在のものとは関係ありません。ただし、取り上げているお店はどこもとても、とてもおいしいのでオススメです。
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1.高田馬場にて
もう十年以上前のことになる。僕は近所の気になる飲食店に、積極的に足を運ぼうと考えて、実際にそうしていた時期がある。きっかけは交通事故に遭ったことだ。当時担当していた東京大学の自主ゼミの講義のため、僕はロードバイクで駒場のキャンパスに向かう途中に五輪橋の交差点で自動車に撥ねられたのだ。と、書くと大事故のようだけれど、実際は徐行する自動車とぶつかった、くらいの事故でかすり傷を負った程度だった。しかししっかり僕はその瞬間それなりに撥ね飛ばされていたし、生まれて初めて救急車で運ばれた。そしてiPodを聞きながら斜め横断していたことが分かると、代々木警察署の担当者に「最近多いんだよね、あんたみたいなの」としっかり怒られた。
そして僕は思った。人間、いつどうなるか分かったものじゃない。一日、一日を大切に生きなくてはいけない。そう考えてその日は全身に擦り傷を作った状態で、以前から気になっていた近所のうどん屋に出かけた。後悔がないように、まずは近所の気になる飲食店を「いつでも行ける」からと先延ばししないでまずは一度「行ってみる」ことにしたのだ。
こうして僕はこの時期に、高田馬場の有名店に片っ端から出かけていった。「とん太」もそのうちの一つだった。僕はとんかつが好きで、インターネットで調べるととんかつファンの評価の高い店が、すぐ近くにあったのだ。僕はそれまで、高田馬場では芳林堂書店が入っているビルの地下の「とん久」によく通っていた。いや、過去形ではなく今でも通っていて、「とん久」には「とん久」の良さがあるのだけれど、それはまた後に説明するとして先を急ごう。
とにかく、僕はその日国内のとんかつの中でもベストテンに入ると言われる「とん太」に胸を弾ませて出かけた。たぶん頼んだのは上ロースかつ定食だったと思う。仄暗い店内に、寡黙な店主が淡々とカツを揚げる。客もだいたい一人で、単にとんかつを食べるためだけにやって来た人ばっかりだった。これは期待できそうだと、配膳されるのを楽しみにしていたのだけど実はこのときはピンと来なかった。当時ようやく三十歳を超えたばかりの僕は、とんかつの衣とはぱりっと揚がっているもので、それを甘辛いソースをたっぷりかけて食べるものだと思い込んでいたのだ。だから「とん太」のカウンターに座って、岩塩で食べることを推奨している記述を訝しく思ったし、ソースが辛めであるという断り書きにもロースとんかつは甘いソースじゃないとダメだろうと疑問に感じた。白く、やわらかい衣にも戸惑って、これはとんかつなのだろうかと思った。今となっては、とても恥ずかしい感想なのだけれど、当時の僕はそう感じたのだ。だから僕は、その日の「とん太」の上ロースかつ定食について、「普通にうまい。しかしとん久のほうが好きだな」と結論したのだ。
しかし、これは大きな過ちだった。僕はその日なぜ再び「とん太」に足を運んだのか、いまいち思い出せない。たぶん、初訪から数ヶ月後のことだったと思う。僕はもう一度「とん太」に足を運び、そして衝撃を受けた。その日僕が頼んだのは特ロースかつ定食だった。そして今度は店の指示するように、一口目はそのまま、そして二口目は軽くレモンを搾って、卓上の岩塩で食べた。圧倒的な体験だった。ふんわりとした衣が口の中で崩れて、それがロース肉の脂身と溶け合い、広がっていった。この脂身にはまったく臭みがなく、そしてほんのりと甘かった。肉の旨味が時間差で伝わってきたとき、僕は間違いなくこれは自分が今まで食べた中でいちばんおいしいとんかつだと確信していた。
そして、僕は激しく後悔していた。前回の来訪で、僕は店の指示を無視して自らこの「とん太」のとんかつを台無しにするような食べ方をしていたのだ。「とんかつ」とはかくあるべきだという、愚かな思い込みが、この極上の逸品を正しく食べることから遠ざけていたのだ。このときほど、自分の小賢しさを呪ったことはない。
ちなみに「とん太」の凄まじさは「定食」としての完成度にある。とんかつに添えられたキャベツは柔らかく、しかし歯ざわりはシャキシャキして、苦みがない。特ロースの脂を、ほどよくリセットしてくれる究極の千キャベツだ。このキャベツととんかつを交互に口に入れている時間は、僕にとってもっとも幸福を感じる時間だ。そして実は卓上の自家製フレンチドレッシングをかけると、キャベツ単体でもいくらでも食べられてしまう。だから僕は毎回とんかつと一緒にキャベツを食べるか、ドレッシングをかけて単体で食べるのか悩んでしまう。そしてこの答えは、あれから十年以上経った今でも出ていない。
味噌汁は豚汁、わかめ汁、しじみ汁の三つから選ぶことができるが、僕のおすすめは圧倒的に豚汁だ。細かく刻まれた野菜と細切れの豚肉がたっぷり入った豚汁。これがまたうまい。普通はここまで細かく具を刻まないのだけれど、それがいい。単に食べやすいだけではなく、豚汁の魅力とはいくつもの野菜のエキスの個性が味噌の中に溶け合っているものなのだという「基本」を再確認させてくれる。そしてその味付けは主張しすぎず、メインディッシュのとんかつの邪魔をしない。
また、ぬか漬けについても語らないわけにはいかないだろう。「とん太」の定食についてくるぬか漬け。これがまた絶品だ。ご主人が休みの日すらも店を訪れて毎日かき混ぜているぬか床で漬けられたこれらの漬物は決して塩辛くはない。それはむしろ漬けられることで適度に締まった野菜、というべきなにかだ。口に入れると、しんなりとやさしい食感が伝わってくる。そして、ちょっとしたスープのように旨味の深いエキスがしんなりと染み出してくる。もちろん、その素材ごとに食感と香りが少しずつ異なっていて、飽きない。それ単体で食べてもおいしいぬか漬けなのだが、これがまたとんかつ、千キャベツ、味噌汁、そして白米の四角形に加わることによって、そこには完璧な五芒星が出現することになる。とんかつの脂身がさっぱりした千キャベツで適度に中和される。その絶妙なバランスが、白米を口に運ぶ行為を進ませる。このサイクルの、とんかつと千キャベツが時折豚汁とぬか漬けに置き換わることで、僕たちは完食まで飽きずに食べ続けることができる。
何度食べても、僕は思う。この定食は「完璧」だ。そこには完全な世界がある。と、いうか世界に「完全」というものにもっとも肉薄しているのが、この「とん太」のとんかつ定食なのだ。
2.遭遇
さて、ぬか床の件など、やけに詳しいのではないかと気になった読者もいると思う。僕はその後、すっかりこの店のとんかつに魅せられ、月に一度くらいのペースで通うようになった。とんかつ……というか、洋食が好きなので、都内の有名どころはそれなりに食べてきたけれど、低温揚げのとんかつ屋では「とん太」がいちばんおいしいと思った。高田馬場でとんかつといえば、今はなき「成蔵」をまっさきに思い浮かべる人も多いと思う。というか、今のように「とん太」が全国区の有名店になった背景には、十年と少し前にこの「成蔵」がインターネット上で話題になり、同じ高田馬場にマニアの愛する古い店がある、ということで「とん太」も再注目を集め高田馬場の双璧として讃えられるようになっていった経緯がある。しかし、僕は今風の店構えを含めた食べやすさでいえば「成蔵」が人気になるのはよく分かるが、定食としての完成度でいえばやはり「とん太」に軍配が上がると思う。
ちなみに前述の「とん久」をはじめ、高田馬場にはとんかつの名店が多く、気がつけばとんかつ激戦区として知られるようになっていた。「とん久」は古き良き、デパートの洋食屋のような「とんかつ」定食を出してくれるのが嬉しい。おそらく「今日はとんかつを食べたい」と人間がイメージしたときに、そのイメージを裏切らず「とんかつらしい」とんかつを高いレベルで出してくれるのは高田馬場ではこの「とん久」だろう。固く、カラッと揚がったカツも当然うまいのだが、僕のおすすめは添えられたナポリタンだ。このナポリタンが、これだけおなかいっぱい食べてみたいと思わせるくらい、うまい。
最近注目をあつめている「ひなた」は和モダンのおしゃれな店内で、リーズナブルに「いい肉」を用いたとんかつが食べられる。オリーブオイルと塩で食べさせるそのスタイルは、一見カッコつけすぎだけれど、そんなことはない。正しく人間の欲望を追求し、肉の脂を快適に吸収する方法を追求した結果として、店主がこのスタイルを採用していることが一口齧ればすぐに理解できるはずだ。
話がそれてしまったが、僕が「とん太」についてただの足繁く通う客以上に詳しい理由を書こうと思う。
それはたぶん二〇一二年の終わりごろだったと思う。僕はいつものように「とん太」のカウンターで特ロースかつ定食を食べていた。時刻は当時の閉店間際の夜の二十時を過ぎたあたりだったと思う。当時はいまほど混んでいなくて、この時間なら並ばずに食べられることが多かった。僕は皿に残った最後のとんかつの一切れを最高の状態で口に入れようと、その直前に箸を伸ばすべきなのは同じくわずかに残ったキャベツと白米のどちらであるべきかを、本気で考えていた。そしてそのとき、それは起きたのだ。
「……あんた、ときどきテレビ出てるでしょ?」
それがカウンターの中から店主にかけられた声であることを把握するのに、ほんの少し時間が必要だった。ご主人の声は把握していた。カウンターの中からホールを仕切る奥さんや、同年代の女性スタッフに「はい特ロース」とか「特ヒレ」とか、仕上がった皿について指示する声を聞いていたからだ。しかしこのご主人が、客と雑談しているのを僕は見たことがなく、きっと気難しくて寡黙な、昔気質の職人さんなのだと想像していた。そのご主人が、まさか僕に向こうから話しかけてくるとは思っていなかったので、かなりビックリして……というか、ハッキリ言ってキョドってしまった。
「え……。あ、あまあ、はい。……出て……ます、けど。たまに……」
「なかなかおもしろいこと言うなと思って見ているよ」
ご主人は当時僕がたまに出ていた、NHKの討論番組の名前を挙げて感想を述べた。これが、僕と「とん太」のご主人、高橋有三さんとのとの交流のはじまりだった。
僕はこの日の短い会話をきっかけに「とん太」のご主人(高橋さん)と、店に行くたびに二言三言だけだが短く会話を交わすようになった。
そもそも、いま「とん太」で検索すると数年前に僕が聞き手を務めた高橋さんのロングインタビューがかなり上位に表示されるはずで、そちらもぜひ合わせて読んで欲しい。
一時期、僕は自分の事務所を「とん太」の近くに借りていたことがあり、その時期はお店の外で遭遇することも何度かあった。いちばん驚いたのは、夜の二十二時くらいに当時の事務所の近くのファミリーレストランで遭遇したときのことだ。深夜にスタッフと、遅い夕食がてら打ち合わせをしていて、ドリンクバーでコカ・コーラゼロを取りに行こうと店内を歩いていると「こんばんは」と高橋さんに話しかけられた。一瞬、誰か分からなかったのは店内で見かける割烹着ではなかったからだ。そこに座っていたのは黒のレザージャケットと、グリーンのキャップが印象的な、おしゃれな老紳士で、僕はそれが高橋さんだと理解するのに数秒の時間を要したのだ。向かいの席には、やはりいつもとは少し違った雰囲気の奥さんが座って微笑んでいた。
曰く、ときどきこの時間に店を閉めた後、ここでゆっくりしてから帰るのだという。
僕はこの日、お店では見られない高橋さんのカッコいい側面を垣間見た気がした。そしてFacebookなどで「つながる」ようになると、趣味のクラシック音楽鑑賞を通じた仲間たちとの交流が盛んなことも知ったし、お店で使っている器の多くが高橋さんが趣味で自分で焼いたものであることも聞き知った。僕にとって、高橋さんはこういうふうに歳を取りたいと思わせる、カッコいい人生の先輩の一人になっていった。
僕はこういった経緯で誰かと親しくなるという経験があまりなく、高橋さんとの関係を新鮮に、そして貴重なものとしてとらえていた。
ここまでは、あまり僕らしくないハートフルなエピソードの開陳になっていると思うのだが、安心してほしい。ここで例によって、一人の人物が今回も登場する。そう、あの「ラーメンと瞑想」思想を僕とともに追求し、店主とのハートフルなやりとりといった類の物語を軽蔑してやまない男――Tである。
3.閉じているけれど、開かれてもいる
僕とTがふたりで「とん太」を訪れたのは、その日が初めてではなかったと思う。かつてはTがこの近くに住んでいたこともあり、彼が渡仏する前にも訪れたことはあったはずだ。しかしいまは週に一度「朝活」として会っているので、この店にTと訪れたことはしばらくなかった。なぜならば、七十歳を過ぎた高橋さんの体力などの問題があり、「とん太」はいまは週に四日、夜のみの営業になっているからだ。
それでも僕たちが「とん太」に行くことにしたのには理由がある。この少し前に、先日亡くなられた福田和也さんの『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』を僕が読み、猛烈にとんかつが食べたくなったからだ。Tはどうせなら福田さんが取り上げているお店に行きたいと主張したけれど、僕は「とん太」がいいと譲らなかった。その理由は二つある。一つ目は福田さんのこのエッセイに込められたメッセージを誠実に受け取るのなら、彼の愛した店に足を運びエッセイの内容を追体験するのではなく、僕にとっての「保守」すべき「横丁の蕎麦屋」的な店に足を運ぶべきだと思ったからだ。そして二つ目は、僕はそれなりに都内のとんかつを食べ歩いてきたけれど、やっぱり低温揚げのとんかつでは「とん太」がいちばんおいしいと思ったからだ。
「でも宇野さん。福田さんは、決して「味」だけを食べていたのではないじゃないですか」
二人分の特ロースかつ定食が運ばれてくるのを待ちながら、僕とTは福田さんについて話していた。Tは苦笑しながら僕に反発した。しかし違うのだ。あえて「味」にこだわることが僕の批評家としての福田さんへの応答なのだ。
「福田さんは、その店の文脈を――その街やそこに生きる人たちの記憶から生まれるもの――も一緒に、いや、むしろそれを中心に「食べて」いたように思います。その豊かさを、僕は否定しません。しかし、僕はそういった福田さんのアプローチを吟味したうえで、「味」で店を選びたいと思ったんです」
「どういうことですか?」
「僕が福田和也の仕事で、もっとも影響を受けたのは『作家の値うち』でした。地方の呑気な、アニメとゲームに耽溺していた学生が、あの本を手にとってすっかり、いい意味で騙されたわけです。そうか、大江健三郎は『万延元年のフットボール』以外はダメなのかとか、村上龍に『テニスボーイの憂鬱』なんて小説があったのは知らなかったけれど読まないといけないとか、石原慎太郎の『我が人生の時の時』が96点なんて、これは読まないといけないとか……。今思うと、あれは福田さんの「文壇」への極めて業界政治的な殴り込みだったという側面も強かったのだと思います。しかしそれは同時に、僕のような田舎の無知な若者に、世界には「文壇」というものがあるのだという幻想を与える力を持っていました。
もっと言えばそれは小説というものについての、滅びかけていた幻想を再起動する試みだったとすら言えると思います。小説という行為が、人間が近代的な意識を用いて世界像を記述するもっとも総合的な試みとして機能した時代がかつて確かに存在した。しかしそれは福田和也がものを書き始めた頃には、確実に過去のものになろうとしていた。だからこそ、彼はその時代が終わっていないかのように振る舞うことで、その延命を図った。そうとらえることもできると思います。彼が『作家の値うち』で、純文学とエンターテイメント小説を同等に扱ったのは、高村薫や京極夏彦、桐野夏生といったエンターテイメントに分類される作家の「文学」的な価値を擁護するためでもあったはずですが、同時に日本語圏の小説をマッピングすることで、日本社会の「すべて」が抽象的なレベルで把握できるという「幻想」を維持、いや再起動するためだったようにも思います。それは特定の共同体に対する介入であると同時に、その外部にも開かれていたはずです」
「宇野さんは、その店の料理の「味」よりも「文脈」を重視した晩年の福田和也のエッセイの記述からは『作家の値うち』のような二面性が後退したと考えているのですね」
「後退は結果論で、それはある時期からの福田和也さんの戦略そのものの変化だったようにも思えます。特定の共同体に継承される「遊び方」を、振る舞い方を「保守」し、伝達していく。そうすることで彼は多くの人を育てたのだと思います。ただ、僕は彼のそういった振る舞いに、あまり関心が抱けなかった。僕はそういったものが機能しなくなっていく時代にものを書き始めた人間だからです。
僕はある時期の「書きすぎる」福田和也が結果的にかもしれないけれど帯びていた二面性こそが、もっとも魅力的だったと考えています。そこには「文脈」だけではなく、「味」もあった。そして「味」は特定の共同体を超えて人間を惹きつけます。今日のSNSプラットフォームの支配下においては、人間はより簡単に特定の文脈に接続することができます。誰もが褒めている作品を、誰もが褒めている切り口で褒める投稿がインプレッションを稼ぎます。逆にそのことで、作品の表現そのものを味わうことは難しくなっているように思います。同じことが、この問題にも言えるでしょう。いま失われているのは「文脈」ではなく「味」です。福田さんはもしかしたら「味」ばかりが情報化のなかでまかり通り、「文脈」が失われがちだと感じていたのかもしれません。それも一面の真実ではあるのでしょう。しかし、情報化がある程度進行すると、人間はインスタントに文脈ばかりを摂取するようになります。そのとき福田さんが愛した古きよき「文脈」は瞬間的に生成されるジャンクな文脈のなかに埋もれてしまう。しかしそれ以上に誰も「味」を気にしなくなる。僕は現代においては後者こそが問題だと思うのです」
「かつての福田さんと問題意識を共有するからこそ、宇野さんは今日においては「味」を重視したいと考えるのですね。例えば『孤独のグルメ』は人よりもモノに注目しています。少なくともドラマの構成は、人に疲れて食に向かうストーリーです。宇野さんの場合もそれに近いですね」
「現代の情報環境は「文脈」の機能を相対的に変えてしまっていると僕は考えます。なので、僕は「味」という回路を活かしたアプローチを試みたい、そう考えています。こう述べると、福田さんの古い読者には、宇野なんかに何が分かるのかと怒られるかもしれませんね。でも、僕が言いたいのはある時期の福田和也の「書きすぎる」と批判された戦略は、閉じつつ開いていたということで、その戦略のポテンシャルは今日の情報環境下でむしろ再評価されるべきなのではないかということです。文脈抜きにうまい、この店の特ロースかつ定食のとんかつのように『作家の値うち』の頃の福田和也の仕事は、ローカルな共同体の文脈に介入する力と同時に、僕のような怠惰で、無教養で、アニメばかり見ている田舎の若者を決定的にエンパワーメントしてくれる力があった。それは甘美な脂身のような仕事だったのではないかと僕は思います。僕は『孤独のグルメ』的な「味」に軸足を置いたアプローチを選び、福田さんのような方法は取らない。しかし、それが僕なりの彼の仕事への応答のつもりです」
「宇野さんは福田さんのよい読者ではなかった。しかしだからこそ見えてくる彼の仕事の美点もあるということかもしれませんね」
ほどなく、高橋さんが「はい、特ロース」といつもの調子で口にして奥さんが僕とTが向かい合う小上がりのテーブルに二人分の特ロース定食を並べてくれた(味噌汁は、ふたりとも豚汁を選択していた)。Tはその前から瓶ビールを開けていたが、なんとなく僕は自分のお冷のコップを手にして掲げた。Tも飲みかけのコップを掲げて僕のコップに触れた。そしてそれが、神聖な時間のはじまる合図だった。
4.ラーメンよりもとんかつを
僕たちはその後、夢中で食べた。あんな偉そうなことを言ってしまった以上、真剣に食べないと福田さんに申し訳ない……というのは嘘で、単にお腹が空いていたので全力で食べた。まずかけすぎないようにさっとレモンを搾り、あらかじめ小皿に出してあった岩塩をほんの少しつけて最初の一切れを口に運んだ。心地よい脂の甘みが口の中を満たして、やっぱり最高だ、と思った。フレンチドレッシングを、これも少しだけかけた千キャベツをまだカツの残る口に放り込んで、二つの食感が混ざり合う感覚を楽しんだ。そして少し迷って、豚汁を一口すすって白米をひとつまみした。次のカツに箸を伸ばす前に、ぬか漬けの皿からナスを選び、口に運んだ。きゅっと締まったナスの身から、旨味があふれでて幸福感でいっぱいになった。
たぶん、十五分くらいで僕たちの前の皿は空になった。ビールを飲んでいる分、Tのほうは少しペースが遅くて、僕のほうが先に食べ終わった。そう、僕は酒を飲まない。「飲めない」のではなく「飲まない」。それは以前述べたように、古い業界の「飲みニケーション」に象徴される、党派的な人間関係に対する反発からはじめたことだったけれど、今では違う理由が生まれている。それは「飲まない」ことによって、より「味」と直接的に向き合うためだ。僕は酒と「合わせる」ことで深まる「味」の存在を否定しない。しかしそれと同じくらい「飲まない」ことで純粋に向き合う「味」の繊細さと奥深さが存在することを知っている。だから、僕は誰かと酒を酌み交わし、会話を楽しみながら「食べる」ことを好まない。Tはそれをよく知っているので、夢中で食べているときは決して僕に話しかけようともしない。そして僕もまた、先に食べ終わってもTに話しかけようとしなかった。
満たされた気持ちで目を閉じると、僕の脳裏には、いつも瞑想のときに浮かぶ、獣と神の世界の詩が蘇ってきた。
獣の世界に物語はなく
神の世界に幻想はなく
獣と神の世界には、過去も未来も演劇性もなく
そう、この食事の時間は神の世界に接近する瞑想と同じレベルで、獣の世界に接近する神聖な時間なのだ。そこにはあらゆる文脈が侵入する余地がない。実際にこの間、僕とTは一言も会話を交わしていなかった。しかし、僕たちはこのとき、この場所で絶対的なものを共有していた。食べ終わったあと、他の店に行きたがっていたにもかかわらず、Tは「本当においしかったです」と満足気に述べ、「宇野さんはヒレのほうは食べたことがありますか?」と再訪する気満々の質問を口にしていた。
会計して、店を出るときに高橋さんと目が合った。ごちそうさまでした。今日もおいしかったですと僕が告げると、高橋さんはかすかに笑みを浮かべて言った。
「あんまりラーメンばかり食べていると、身体に悪いからとんかつも食べに来たらいいよ」
FacebookやInstagramをチェックされているな……と一瞬僕はドキッとした。それが、ラーメンもとんかつも脂っこさやカロリー面では大差のないことを意識した冗談であることを理解するのに、ほんの少し時間がかかった。でも、僕は高橋さんが声をかけてくれたことが嬉しかった。
「カウンターの客が白身魚フライを注文していましたが、あれは食べたことがありますか?」
僕と髙橋さんのやりとりにまったく関心を示さず、Tは引き続き他のメニューのことを尋ねてきた。
「この店は、何を食べても「おいしい」ですよ」
僕はそうTに返しながら、僕はこれが僕なりの「馴染みの店」との距離感なのだと思った。僕はこの店を愛している。ここに書いたように、いろいろ思い出もある。しかし、やっぱりいちばん大事なのは「おいしい」ことなのだ。「おいしい」からこそ、届くべき場所に届く。そのことを僕は信じている。信じることで、福田和也とは違う時代を生きる僕はものを書いていくのだ。
(#11に続く)
連載【ラーメンと瞑想】
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宇野常寛(うの・つねひろ)
評論家。1978年生まれ。批評誌〈PLANETS〉編集長。著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、『母性のディストピア』(集英社)、『遅いインターネット』(幻冬舎)、『水曜日は働かない』(ホーム社)、『砂漠と異人たち』(朝日新聞出版)、『ひとりあそびの教科書』(河出書房新社)、『チーム・オルタナティブの冒険』(ホーム社)など。立教大学社会学部兼任講師も務める。