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第21話 製本|ほしおさなえ「10年かけて本づくりについて考えてみた」

【140字小説集クラウドファンディング 目標達成!】
2022年の10月27日、「文字・活字文化の日」にスタートした140字小説集のクラウドファンディングは、無事最初の目標の100万円、そしてストレッチゴールの180万円を達成し、1月26日に募集を終了いたしました。
あたたかいご支援をいただき、ありがとうございました。
140字小説集「言葉の窓」の完成を楽しみにお待ちください!
https://motion-gallery.net/projects/kotobanomado

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活版印刷や和紙など古い技術を題材にした小説を手掛ける作家・ほしおさなえが、独自の活動として10年間ツイッターに発表し続けてきた140字小説。これをなんとか和紙と活字で本にできないか? 自主制作本刊行に向けての模索をリアルタイムで綴る記録エッセイ。
illustration/design 酒井草平(九ポ堂)

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1 最後の山場、製本

 本文の印刷がすべて終わり、クラウドファンディングも無事終了。
 企画をスタートしてから1年と少し経ちましたが、ほんとうにこの日を迎えることができるとは、はじめたときには思っていなかった気もします。
 もちろん、制作に携わってくださった皆さんには技術がありますし、考えながら進めていけばいつか終わる、と頭ではわかっていたのですが、内容をどうするかからはじまり、機械きの和紙にほんとうにきれいに印刷できるのか、どうやって製本するのか、などたくさんの心配事を前に、もしかしたら完全に納得のいく形にはできないかもしれない、どこか諦めなければならないところが出てくるかもしれない、という思いがありました。
 しかし、ここまでのところ、製本の仕方を袋じにするという点だけが想定外で、あとはおおむね、考えていた通りの形で進めることができましたし、心配していたクラウドファンディングでも良い結果を出すことができました。
 いったんほっと一息ついたものの、まだ最後の山場、「製本」が控えていました。製本の方法については、これまで何度も美篶堂みすずどうと相談して、形はすでに決まっています。しかし、実はわたしは製本という工程を見たことがありません。
 これまでも、印刷については何度も見学したり体験したりしてきましたが、製本については三日月堂シリーズの番外編小冊子『星と暗闇』の製本ワークショップで20ページの小冊子を糸綴じしたくらいで、実際の製本の現場を見たことはありませんでした。
 このときのワークショップでは、紙を揃え、目打ちで穴を開け、糸を通してかがる、というだけの作業だったのですが、やってみると目打ちで真っ直ぐ穴を開けたり、ゆるまないように糸を通したりすることさえ難しいものだと実感しました。
 以前から、美篶堂ではどのように製本をおこなっているのかが気になっていたので、上島かみじま明子さんにお願いして、長野県にある美篶堂の工場を訪ねることになりました。

 美篶堂は1983年創業。創業者の上島松男さんは、現在工場のある長野県伊那市の出身で、若いころに東京に出て、東京の製本所で働いていたのだそうです。手作業による製本の現場で修業し、工場をまかされるようになり、いったんはその東京の製本所を引き継ぎ、郷里の伊那市美篶にも製本所を作りましたが、その後東京の製本所はたたみ、東京は営業所のみ、製本作業はすべて伊那でおこなうようになったそうです。
 1960年代くらいまでは、職人の手作業による製本は一般的なことだったようです。わたしが子どものころに買ってもらった児童書は1970年代のものですが、いずれも糸でかがられた手製本の書籍でした。ハードカバーで、はこにはいっており、函から本を引き出すときの感触がとても好きでした。
 しかし、現在の製本業界では、全自動化された機械による大量生産が基本になっています。80年代は本や雑誌が大量に売れた時代です。手製本では生産が追いつかなかったでしょうし、印刷や製本もこの頃から機械が主流になっていきました。
 そのころは出版は花形産業でした。雑誌も数十万部、数百万部という売り上げがあり、たいへんな賑わいでした。父がその時代に本や雑誌で執筆していたので、その雰囲気は覚えていますし、わたしが出版社に就職した90年代もまだまだ出版業界に活気がありました。
 しかし同時に、どの製本所も機械化が進み、手製本を受けられる会社は少なくなっていったようです。そんななか、創業者の上島松男さんは、手製本を中心とした会社を起業したのです。
 誤解されやすいのですが、手製本といっても機械をまったく使わないわけではなく、人の手と機械の両方を使って、さまざまな様式で本を綴じています。全自動の機械は、作業は早いですが特殊な製本方法には対応できません。人の手でないとできない作業もあるのです。
 美篶堂で受けるのは1冊から5000冊程度の小部数の出版物。特装本や和装本のほか、学位記や証書のケース、記念アルバムなど、手でなければできない特殊な加工を請け負っているそうです。



2 いざ伊那へ!

 クラウドファンディングが終わって一段落ついたところで、Kさんといっしょに長野県にある美篶堂の工場に向かいました。今回は、新宿のバスタから出ている高速バスを利用します。
 実はわたしは、バスタからバスに乗るのははじめて。前回、身延みのぶの西島和紙工房を訪ねたときは、帰りはバスだったのですが、行きは特急あずさでした。
 バスタ……。
 そもそも最近はあまり新宿に行くことがなく、そこにあるのは知っていましたし、身延からの帰りに降りた場所ではあるのですが、はっきり思い出せません。
 しかも、出発が早いのです!
 朝、学校に行く娘のお弁当を作っていっしょに家を出てギリギリの時間。乗り遅れると次のバスは一時間後ですし、絶対に遅れるわけにはいかない! というわけで、前日に出かけた帰り、わざわざ新宿で途中下車して、新宿駅からバスタへの道順を確認しました。

 当日の朝はいつもより早起きして身支度を整えてからお弁当作り。娘といっしょに家を出て、小走りに駅まで向かいます。途中で娘と別れ、わたしは新宿へ。

バスタ新宿3階のバス乗り場

 ほどなくKさんも到着し、無事揃ってバスに乗車しました。もう今日一日の仕事の半分はこなした気分です。
 高速道路に入ってしばらくすると、だんだん山々が近づいてきて、旅行気分が盛り上がります。途中、休憩でパーキングエリアに寄るとおいしそうなものに目がいきますが、ここでは我慢してなにも買いません。なぜなら、伊那に着いたらさっそくランチで、伊那の名物ローメンかソースかつ丼を食べる、と決まっていたからです。
 高速道路を下りて、いよいよ伊那の町へ。アーケードつきの商店街が続いていて、いい感じの街並みです。伊那のバスターミナルに着くと、上島明子さんがすでに待っていました。

伊那市駅の駅前から続く商店街

 ちなみに、上島明子さんは創業者の上島松男さんの娘にあたり、現在の美篶堂の代表でもあります。東京の事務所と伊那の工場を行き来して、ワークショップを開催したり、オリジナルステーショナリーの企画販売を行ったりしているほか、「本づくり協会」の理事も務めています。一方、現地で伊那の工場を取り仕切っているのは、明子さんの従兄弟の上島真一さん。両方上島さんでややこしいので、このあとは明子さん、真一さんで統一します。
 明子さんの案内で、伊那の商店街のなかにある素敵な雑貨屋さんを見せていただいたりしながら、ローメンとソースカツ丼の両方が食べられるというお店へ。案内していただいたのは「門・やません」という、お茶の水や神保町の古い喫茶店にも似た、昭和の風情漂うお店でした。間口は狭いのですが、入ってみると中は細長く、段差があったりする複雑な造り。

「門・やません」外観

 明子さんとお話ししているうちに、真一さんも合流し、ランチを注文します。店内の雰囲気は喫茶店風なのですが、メニューは食堂と言ってもいいくらいの品揃え。洋食屋のランチのようなメニューもありますが、ここはやはり名物のローメンとソースカツ丼を頼みたいところ。
 どちらも美味しそうで、Kさんもわたしもかなり悩みつつ、結局ひとつずつ頼んで取り分けることになりました。
 注文後しばらくしてやってきたローメンは、焼きそばとラーメンの中間のような見た目です。でも、味はソース味でもラーメンのような味でもなく、上海焼きそばのような感じでしょうか。癖になりそうな不思議な味です。
 ソースカツ丼は小さめのカツがご飯の上にいくつものっていて、蓋が閉まらないほどのボリューム。ソースは甘く、衣はソースが染み込んでいながらもぱりっとした歯応えがあります。中のお肉もやわらかく、ローメンとともに美味しくいただきました。

伊那名物のソースカツ丼

 食レポのようになってしまいましたが、今回の目的はもちろんそこではありません。いよいよ美篶堂に向かいます!



3 美篶堂へ

 真一さんの車で、駅から少し離れたところにある美篶堂の製本所へ。起伏のある道を抜け、広々とした農地に囲まれた工場に到着しました。建物には美篶堂の看板が。

美篶堂入口

 なかは体育館のように仕切りのない造りで、作業台のまわりで女性がたくさん働いていました。みなエプロンをして、頭にはおそろいの美篶堂のバンダナを巻いています。

作業中の美篶堂の皆さん

 大きな作業台がいくつか並んでいるのですが、そのうちの数台には、上から「ほしおさなえ様」という札がぶらさがっていました。ほかの台の上にもそれぞれ別の名前の札がぶらさがっていて、どうやら作業台ごとに担当する仕事が分けられているようです。
 さらに、わたしの名前の札がかかった台も、紙をゆるく二つ折りにする台、二つ折りにした紙の折り目をきっちりさせる台、二つ折りにした紙をページの順に並べる台と、工程ごとに作業台が分かれています。
 たくさんの紙を扱うので、ページが混ざってしまうと大変なことになります。そうした間違いが起こらないよう、作業は慎重に行われていました。

 工程としては、まず前回の記事で紹介した検品の作業。その後、紙をゆるくふたつ折りにしていきます。まずは何枚か重ねた紙をふたつ折りにします。手で隅と隅を合わせて、ふたつ折りにする単純な作業ですが、ここであまりずれてしまうと、表と裏のページで文字の位置がずれてしまうので、注意が必要です。
 わたしも試しに一度作業をさせてもらいました。

 重なったまま折られた紙を一枚ずつにほぐし、次の工程に向かいます。
 次の工程では、いくつかの道具を用い、ふくらみが出ないように、折り目をしっかりつけます。手で作業したあと、最後に水寄せといって、折り目付近に水をつけ、さらにきっちりと折ります。

 水寄せはむかしまだプレス機などがなかった時代から、和綴じにする際に用いられていた方法だそうです。この工程により、折れ目のぶよぶよした感じはなくなり、一枚の紙の裏表のようにぴたっとします。
 完成したものは、ページを順に並べて置いた台へ。

折まで終わった本文が並べられている

 ここで端から順に一枚ずつ取って重ねていきます。紙をめくりやすいように指サックをつけ、小さなトレイのようなものに端から一枚ずつ紙を取っていきます。
 この作業もやってみました。

 紙は取りやすいように机の端に並べられていて、手早く作業ができるようになっています。このように作業用の環境を整えることで間違いも生じにくくなるのでしょう。
 作業台ごとにやることをしっかり分け、紙が混ざらないようにチェックしながら、各段階をていねいにおこなう。わたしの本のためにこれだけの人数の方がこれだけの段階を追って作業してくださっているということに驚きを感じつつ、これだけの過程を踏まないと間違いのない本作りはできないのだ、と実感しました。

 最初から最後までページが並んだら、綴じる前に断裁機で断裁をおこないます。通常は、綴じてから小口側を切り落とすのですが、今回は袋綴じになっているため、それはできません。袋の輪になっている部分が切れて、ばらばらになってしまいます。
 それで、この本では綴じる前に小口側を真っ直ぐ揃え、ノド側を断裁します。
 断裁機はとても大きく、なかなかの迫力です。しろが少なくても、すぱっときれいにそろえてくれます。

 断裁が終わったら、今度は糊付けです。ノドを揃え、糊を入れて、寒冷紗かんれいしゃという薄い布を貼ります。この糊も、ふつうのボンドのような外見ですが、製本専用のものなのだそうです。ふつうのボンドは乾くと固くなります。背がガチガチに固まっていると、本を開いたときに割れてしまいます。そうならないように、乾いても柔軟性のある製本専用の接着剤を使っているのだそうです。



4 本文

 一通りの作業を見学したあと、事務所の机の上で、ページのそろった本文を見せていただきました。
 まだ綴じられてはおらず、表紙もついていませんが、つるぎ堂で見た、大きな紙にお話が並んでいる状態とはちがって、限りなく本に近い形です。

本の扉にあたるページ

 言葉の窓 一四〇字小説集 ほしおさなえ

 いちばん上は、本の扉にあたる部分で、そう書かれています。
 めくっていくとお話が次々にあらわれます。文字が印刷された状態はこれまでにつるぎ堂でも目にしていたのですが、こうして本のような束になっていると、また違った感慨が湧いてきます。
 1年以上、本の完成を夢見て、作品の選定をおこない、デザインや印刷、製本について、たくさんの方にいろいろな相談をしてきました。それらがすべて結実し、本という形になろうとしている。なんだかすごいことだな、と思うと同時に、ここまでの10年間の自分の歩みが、もうすぐ完結を迎えようとしているのだな、と少しさびしくもなりました。

本の形に近い本文

 これまでも活版カードを作ったり、三日月堂グッズを作ったりしてきましたが、ここまでページのある「本」を活版印刷で作り上げる、そんなことははじめてでしたし、このあともそうそう作れるとは思えません。まさに一生に一度の作品です。
 活版カードからはじまって、本を作るとはどういうことか10年かけて考えてきましたが、ここに載せられた作品自体、10年の年月をかけて作ってきたものです。
 806編から120編を選んだものなので、作品番号は飛び飛びですが、作品は発表順に並んでいます。紙をめくりながらお話を読んでいくと、自分の10年の歩みが目の前を流れていくようでした。

 140字小説を書き始めたのは2012年。震災の翌年のことです。子どもは小学校にあがったばかり。お話番号の100番台くらいまでの作品には、娘の話がよく出てきます。200番台以降は仕事の上でも模索が続く苦しい時期で、400番台の半ばで父の余命宣告がありました。
 父が亡くなったのは520を書いたあと。実は、500の手前まできたとき、140字小説を書くのが怖くなり、止まってしまったことがありました。500を書いたら、父が亡くなってしまうような気がしたのです。
 そのころは父にいつなにがあってもおかしくない状態で、毎晩電話を枕元に置いて眠る生活でした。数字なんか関係ないはずなのに、500を踏むのが怖かった。父の体調が安定しているときに思い切って500を書き、501を書き、ああ、なんでもなかったじゃないか、と思っていましたが、520を書いた直後に亡くなりました。父の骨の話を書いたのが521。わたしの誕生日は5月21日なので、自分の誕生日と同じ番号になってしまいました。
 400番台の後半から500番台までの作品には、父の死の影が色濃く出ています。震災のあと、もう震災前の気持ちには戻れないと思い、2、3年間は心から笑うことができなかったように思います。父の死の後もそう思いました。もうその前には戻れない、と。
 そのころには活版印刷三日月堂シリーズも始まり、活版印刷との結びつきも以前より強くなっていきました。ほかのシリーズも始まり、仕事はだんだん忙しくなり、140字小説を書く時間も次第に取れなくなっていきました。
 40代から50代。これらの出来事は、すべてもう人生の後半にはいってからのことです。子どものころのわたしは、40や50になれば人間はそう変わらないと思っていました。
 でも、こうしてページをめくってみると、この10年で自分がどれだけ変化したのかがよくわかります。年をとってからでも、人は少しずつ変化し、決して元に戻ることはない。
 このように書くと、さびしいことのように聞こえますが、さびしいだけではない、ということもよく知っています。こうして140字小説が増えていったように、自分の中のページが増え、本は厚くなっていく。
 この本は、それを形にして見せてくれているような気がしました。



5 あと少し

 その日はちょうど通常版の表紙の用紙が、表紙の印刷担当のknotenの岡城さんのところに届いた日でもありました。表紙のデザインと活字はすでに岡城さんのもとにあり、あとは刷るだけです。明子さんとともに、電話で岡城さんと細かい相談をしました。
 いま準備できているのは通常版用の用紙だけですが、そろそろ西島和紙工房で特装版の表紙用の和紙の紙きがおこなわれ、岡城さんのところに届くことになります。
 岡城さんが通常版、特装版両方の紙に表紙を印刷しているあいだに、美篶堂では本文の糊付けが進むでしょう。印刷の終わった表紙が美篶堂に届き、糊付けの終わった本文と組み合わせれば、本は完成です。
 あと少しなのだな、と思いました。いろいろむずかしいこともあり、この本の制作のために去年から今年にかけては大忙しでした。でもとても楽しかった、と思いました。本を作るということがどういうことか、改めて考え直すことができました。そのお祭りも終わりに近づいている。そのことがさびしくもあり、完成が待ち遠しくもありました。

 見学を終えたあとは、明子さんと真一さんに、繭蔵まゆぐらを改装した素敵なお店「草の」に案内していただきました。かつて、伊那谷は養蚕、製糸で栄えていました。その名残りである築100年の繭蔵を改装して造った、花と古道具を扱うお店です。

「草の音」外観

 お店はとても素敵な場所でした。建物も素晴らしく、古い器や家具、菓子木型などの道具とともに、生花とドライフラワーが所狭しと並んでいて、いつまでもいたくなるような場所でした。わたしは縮緬ちりめん和紙という皺加工された和紙を買い、Kさんは悩みに悩んで可愛らしいドライフラワーを買っていました。
 そうした場所を訪れながら、明子さんから、美篶堂の手製本もいまはとても厳しい状況だというお話を聞きました。クラウドファンディングも検討中で、どういう形にすればいいのかプランを考えているとのこと。
 人の手によるものづくりが厳しい状況になっているのは、これまでわたしが調べてきた和紙でも漆でも、着物の業界でも同じです。
 いまはいろいろなものが安価に作れるようになりました。本でいちばん重要なのはそこに含まれている内容なのだと考えれば、本が安く作れることは良いことです。多くの人に内容を届けることができるからです。この先、本は本という形さえなくなり、電子の情報になっていくのかもしれません。
 いいところもある一方で、かつて本が持っていた手触り、人の手で作った痕跡はどんどん失われていっている。それはほんとうにいいことなんだろうか、とも思います。
 今回の本はたいへん規模の小さなものです。装画もデザインもシンプルですし、箔押しなどの派手な装飾もありません。大事にしたのは、紙と活字の手触り。
 本の命は形のない情報ですが、かつてはその情報を伝えるために、これだけの手間をかけていた。印刷された文字を見ると、その重みを感じるのです。
 1年間、この本を作るなかで、そうしたことを実感しました。完成まであと少し。本を手に取ってくれた方々とともに、その重みに思いを馳せることができたら、と思います。

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連載【10年かけて本づくりについて考えてみた】
毎月第4木曜日更新

ほしおさなえ
作家。1964年東京都生まれ。1995年「影をめくるとき」が群像新人文学賞小説部門優秀作に。
小説「活版印刷三日月堂」シリーズ(ポプラ文庫)、「菓子屋横丁月光荘」シリーズ(ハルキ文庫)、「紙屋ふじさき記念館」シリーズ(角川文庫)、『言葉の園のお菓子番』シリーズ(だいわ文庫)、『金継ぎの家 あたたかなしずくたち』(幻冬舎文庫)、『三ノ池植物園標本室(上・下)』(ちくま文庫)、『東京のぼる坂くだる坂』(筑摩書房)、児童書「ものだま探偵団」シリーズ(徳間書店)など。
Twitter:@hoshio_s

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