このまま定年まで会社にいるのはないな|井上理津子/協力 安村正也『夢の猫本屋ができるまで Cat’s Meow Books』(3)
東京・三軒茶屋の猫本専門書店が開店するまでを追った『夢の猫本屋ができるまで Cat's Meow Books』からご紹介する第3回。
会社員でもある店主の安村正也さんが、『Cat's Meow Books』を始めたのは49歳のとき。勤め先の仕事は順調、趣味も充実していたけれど、何かが足りない「もやもや」を抱えていた──。多くの人が人生後半戦について考え始める時期、未知のパラレルキャリアに踏み切った心境に、ノンフィクションライター・井上理津子さんが迫ります。
井上理津子/協力 安村正也
『夢の猫本屋ができるまで Cat’s Meow Books』
(第1章「キャッツミャウブックスができるまで[プラン完成編]」より)
五〇歳を前にパラレルキャリアを選んだ理由 ──年齢的「もやもや」
「どう説明したらいいかな……。五〇歳になるのが見えてきて、もやもやしていたことが、開業する下敷きにありました」
しかし、よく思い切りましたね、と水を向けると、安村さんはゆっくりと話し出した。いつもは早口なのに。「もやもや」って?
「人生この先どうしようかなあ、みたいな。今勤めている会社は勤続一四年になるんですね。そこそこのポジションにいて、そこそこの報酬をもらっているから辞められないけど、かといってこのまま定年まで会社にいるのはないな。そんなふうな、もやもやが心の底に渦巻いていたんです」
五〇歳をすぎて、早々と退職金の計算を始めた自分が情けない──と、出版社に勤める知人が、杯を重ねながらこぼしていたが、雇用形態も多様化した今、思いも行動も人それぞれだろう。
安村さんの経歴をかいつまむと、こうだ。
大学卒業後、最初の就職先はリクルートだったが、シンクタンクなどいくつかの業界を転々とした後、三〇歳を目前にしてITの会社に職を得て、システムエンジニアとして働いた。半端なく残業が多く、ある程度のキャリアを積むと転職する人が多い業界だ。安村さんもその後に、マーケティングの業界へと方向転換をする。目下、勤続一四年になるのは、アメリカのマーケティングリサーチ会社の日本法人だ。さまざまな分野のリサーチ結果を分析し、それをまとめる業務は「自分に合っていると思う」。パソコンのスキルがめっぽう高く、英語も堪能で、日々インド人やアメリカ人と電話で議論する。シンガポールに一年近く赴任していたこともある。
いい意味で、アカデミックスマートだ。一方で、四〇歳過ぎから趣味で始めたビブリオバトルを生活の一部とする。社会人大会の初代「チャンプ本」獲得者に輝くなど、ビブリオバトル界でも覇者だ。
妻の真澄さんとは、結婚して二〇年余りになる。夫婦に子どもはいない。札幌で二年半暮らした後、東京に戻り、西荻窪のアパートに住んでいたときに保護猫の三郎を迎え、「ペット可」の用賀のマンションに移った。真澄さんは派遣社員で、都内の図書館に勤めていた。
「Jリーグとプロ野球を生で観戦するのが好きだったので、夫婦であちこちに“観戦の旅”をしたし、映画も二人でよく観に行きました」
仕事にもプライベートにも、さしたる不満はないが、ふと気づくと、心が乾いている。「もやもや」は、ビブリオバトルに熱中しても解消されないから、やっかいだったのだ。
仲のいいご夫婦だから、そんな心情を、真澄さんに語っていたのだろうと思いきや、「いえ、妻が、猫本屋を開くプランを知ったのは二〇一六年の三月下旬。新宿の鳥料理の店で、でした。家では、もやもやも猫本屋のことも、まったく口にしていませんでしたから。その日も、実際には妻に告げたのではなく、夫婦共通の友人の前田さんと三人で食事をすることになり、そのお店で、ぼくが前田さんに猫本屋のアイデアを相談したんですね。それを、妻が横で聞いていた、という形でした」
ずいぶんですね、びっくりしたでしょう、と真澄さんに言うと、
「最初は、この人何を言っているんだろうと、ぽかんとしてしまいました」
しかし、真澄さんは良き理解者である。「そりゃあ、そういうことが本当にできるなら、できるに越したことはない。彼は計算が得意で、損をするようなことは絶対にしない人なので、反対する要素はないなと思いました」
夫婦共通の友人の前田さんとは、幻冬舎の編集者、前田香織さんだ。二〇一二年に、紀伊國屋書店新宿南店で開催されたビブリオバトルに、主催者から「編集者も参加して」と頼まれて、他社の編集者と共にバトラーになったのがきっかけで、安村さん夫妻と知り合った。その後も時折、ビブリオバトルに参加しているそうだ。
その前田さんが言う。
「普段、編集者同士では、著者の情報や販売数などを交えた本の話をしますから、純粋に本の中身だけを言い合えるビブリオバトルは新鮮です。私は、ビブリオバトルから、編集のネタをもらっています」
「編集のネタ」の一例を挙げてもらうと、東大大学院生のバトラーが紹介した『サイエンスジョーク』(亜紀書房)を読んだことを端緒に、その著者の物理学者・小谷太郎さんにアプローチし、『理系あるある』『言ってはいけない宇宙論』(共に幻冬舎新書)の二冊を作ったという。
同じように、あるとき安村さんがビブリオバトルで熱く紹介した『盆踊り─乱交の民俗学』(作品社)を読んだことをきっかけに、著者の下川耿史さんに声をかけ、『エロティック日本史』(幻冬舎新書)ができあがった。二〇一六年三月の会食は、そのお礼に、夫妻を食事に招待した場だったそうだ。安村さんにとっては、プランを口にする最初の機会。まだ 企画書は一枚も書いていなかった。
「猫がリアルにいて、お茶とビールが飲める猫本屋。新刊も古本も置いて──と、輪郭をお話しになったのですが、安村さん、すごいな、ビブリオバトルの王者がとうとう本屋さんになるんだと感動しました。本屋は厳しい状況だけど、安村さんは用意周到な方だから、きっと成功させると思いましたよ」
前田さんがそう話したと言うと、安村さんは、「ぼく、計算高いところと、天然ボケなところが半々ですから」と照れた。
なお、このときに前田さんが、「猫の匂いが本につくのを気にするお客さんもいるだろうから、猫のいないコーナーも作るほうがいいのでは」とアドバイスしたことにより、安村さんは、新刊と古本のスペースを分けようと思い立った。
この日から、「もやもや」どころでなくなっていったのは言うまでもないが、安村さんは「パラレルキャリア」を選んだ。継続して会社に勤めながら、キャッツミャウブックスを開く。冒頭、「本屋だけで食べていくのは大変だし、しばらくは会社員としての収入があってこそ、精神的な余裕をもってやりたいことがやれるから」と言っていた。究極のところ、経済のリスク回避だとわたしは理解したが、そればかりではないと安村さんは言う。また、パラレルキャリアとは、昔からいわれる「二足の草鞋を履く」「ダブルワーク」とも、意味合いが違うらしい。
「旧来的なワードは“どっちつかず”の印象があり、一方が本業で、もう一方が副業とはっきりしていると思えるんです。対して、パラレルキャリアは、両方の仕事が、精神的な意味を含めて互いに補完しあっていて、主従がない」
元は、P・F・ドラッカーが、一九九九年に『明日を支配するもの─ 21世紀のマネジメント革命』(ダイヤモンド社)で、「パラレル・キャリア(第二の仕事)、すなわちもうひとつの世界をもつこと」として採用した言葉だが、安村さんが著者のナカムラクニオさんにサインをもらったという、そのものずばりのタイトル『パラレルキャリア─新しい働き方を考えるヒント 100』(晶文社)には、こう説明されている。
〈自分が幸せになる『福業(HAPPY WORK)』を日常に取り込む働き方〉
(第1章「キャッツミャウブックスができるまで[プラン完成編]」より)
※ビブリオバトル……発表者(ビブリオバトラー)が、一人5分の持ち時間でおすすめの本を紹介し、参加者の支持を一番多く集めた本を「チャンプ本」とするゲーム。学生から社会人まで愛好者は多く、全国大会も行われている。
『夢の猫本屋ができるまで』もくじ
パラレルキャリアの参考にも。普通の会社員が一念発起、リアルな猫本書店開業奮闘記。
【ホーム社の本棚から】
次回の更新は8月5日(木)です。