修学旅行|賽助「今日もぼっちです。」第23話
※本連載が書籍化しました。賽助『今日もぼっちです。』2002年10月26日発売
僕はあまり『修学旅行』との相性が良くありません。
小学校、中学校、高校と修学旅行に出掛ける機会がありましたが、いい思い出が殆(ほとん)どないのです。
今回はそんな中から一つ、いい思い出を皆様にご紹介したいと思います。
中学2年生の頃、修学旅行で京都へ行くことになりました。
修学旅行に際し、まず生徒たちだけで5~6人の『班』を作らねばなりません。その班のメンバーとは、旅行中に宿泊するホテルの部屋が同じになりますし、班ごとに目的地を決め自由に行動できる日も設けられているため、誰と同じ班になるのかが修学旅行においてかなり重要な要素であることは誰しも理解していました。
教師の合図の後、皆、我先にと仲の良い生徒たちと班を作り始めます。
僕はこの当時、テレビ埼玉で夕方に再放送されていた『宇宙戦艦ヤマト』にはまっており、同じ番組を見ているクラスメイトと共に感想を言いあい、授業中にノートを回しては、彼とそのアニメの漫画を描いていたのです。そんな彼とは仲良くしているという自覚があったため、「同じ班になろう」なんて声を掛けてくれるのではないかなと思っていました。
しかし、いざ班決めの段階になり、彼の席へと視線を送ってみると、彼はすでに他のクラスメイトと集まっていて、その人たちと班を組む様子でした。
(あっ、なるほど)
僕はその時、彼の中で僕はさして重要な存在ではないのだなと気付きました。
彼は僕以外にも沢山(たくさん)の仲間がいて、僕はその中でもそこまで上の位置にはいないのだと。
さて、こうなると焦る気持ちが膨(ふく)らんでいきます。
他に仲がいいと思っていた生徒は、以前この連載にも登場したY君がいるのですが、彼は別のクラスですし、他に一緒の班になってくれそうな人は誰も思い浮かびませんでした。
となると、必然的に僕は余ってしまいます。
そうこうしているうちに、クラス内の人気者たちは誰も彼もすでにメンバーを決定している模様です。
しかし、そんな人気者たちの班からあぶれてしまった人もちらほらと見えました。
人気者たちの班を一軍と考えるならば、一軍に入ることが出来なかった彼らは二軍ということになるのでしょうか。
こうなったら、二軍の班に入れてもらえないものか――僕は意を決して席を立ち、途々に出来始めた二軍の集団に近寄りました。
しかし、そんな僕とほぼ同じタイミングで彼ら二軍に近づく人たちがいました。
それはどうにか自分も二軍に混ぜてもらおうと願う人々たち――つまり三軍です。
僕も含めた三軍は、ゆっくりと二軍の集団に近づき、そして彼らを取り囲みました。
しかし、折角(せつかく)近寄ったにもかかわらず、三軍の面々は誰一人として自ら切り出そうとはしません。『一緒の班を作る』という目的は明確なのですから、率先して声を掛ければいいものの、周囲の様子を窺(うかが)うばかりでそれ以上動こうとしないのです。
この時の、それぞれが互いを探り合う様(さま)は、今思い返してみてもあまり気持ちのいいものではありません。
「あ、まだ決まってないの?」
「じゃあ一緒の班になる?」
やがて、その輪の中心にいる二軍の生徒同士で班を組み始めました。
どうしても足りないメンツは、周囲にいる三軍の群れの中から任意に選ばれます。見事に選出され、三軍から脱却することになった彼らの顔はみるみる生気に満ち溢(あふ)れ、軽(かろ)やかな足取りで二軍の輪の中へ入って行きます。
僕はいつまでも三軍として輪の外にいました。
少し前までは、ひょっとすると一大勢力になりえたかもしれない三軍も、気が付けばその数を減らし、僅(わず)かに一つの班が組めるくらいの人数になっていました。
かくして、三軍だけで構成されたクラスいち人気のない班の出来上がりです。
そしていよいよ、修学旅行当日。
決して会話がないわけではないのですが、いまいち盛り上がらない、そもそも誰一人盛り上げる気のない我が班が京都の町を歩き回ります。
本来ならば好きな人の話などで大興奮状態になる宿の夜でも、三軍たちだけだと静かなものでした。
ただ、僕は他の連中とは少し違います。
僕には別のクラスにいる人気者Y君とのコネクションがあるからです。
Y君は修学旅行の夜に女子生徒の部屋へ遊びに行くという約束を取り付けていました。
そしてそこに、なんと僕も参加させてもらえることになったのです。
修学旅行、女子生徒の部屋……この単語が並んだ時、果たしてどんなマジックが起こるのか――僕は期待で胸を膨らませていました。
結果から言えば、Y君を含めた他のイケイケな男子生徒が、敷かれた布団の上で女子生徒とキャッキャと会話をしている中、僕は部屋の隅(すみ)の畳の上で小さくなっていて、特に女子生徒とお話をした記憶もないのですが、それでもドキドキして楽しかったことを覚えています。
これは僕にとっては分不相応な、とてもいい思い出となりました。
しかし、因果応報(いんがおうほう)。
その後にしっかりと報(むく)いを受けることになります。
夜も大分更(ふ)けた頃、ひとしきり会話を終えた僕らはそれぞれの部屋へ戻ることになりました。
いそいそと非常階段を下り、廊下の扉を開けた途端、自分の班が泊まっている部屋の前で、腕組みをして胡坐(あぐら)をかいている担任の姿が飛び込んできました。
どうやら、早々に僕が部屋を抜け出していることがバレてしまっていたようで、担任は今か今かと待ち構えていたのです。
「何やってんだ!」
時間も時間ですので、周囲には配慮しているのでしょうが、それでも怒りに満ちた担任の声が静かに廊下に響きます。
僕やY君たちは廊下に立たされました。
そうしている間に、Y君の担任や学年主任などがぞろぞろと集まります。
ここでしっかりと謝っておけば、ことさら問題にはならなかったのかもしれませんが、僕は『女子生徒の部屋に行った』ということで、男としてのランクが上がったと増長していたのかもしれません。
また隣にY君たちがいる、というのもそれに拍車(はくしや)をかけたことでしょう。
かなり不貞腐(ふてくさ)れた、不遜(ふそん)な態度を取ったことを覚えています。
それはY君たちも同じで、取り囲む教師たちに対して反抗的な視線を送っていました。
そんな態度に、特に学年主任の先生などは怒り心頭に発していたようで、僕の両肩を掴(つか)むと、そのまま膝蹴(ひざげ)りをお見舞いしてきました。
強い衝撃が僕のお腹(なか)に突き刺さります。
おそらくは手加減されていると思うのですが、体が小さく、衝撃に弱い僕にはそれでも十分な威力があり、僕はそのまま廊下に膝をつきました。
(Y君たちもやられているのかな……Y君なんて結構不良っぽいところがあるから、手を出したら大変なことになるぞ……)
廊下に膝をついたまま、彼らの方を見ます。
しかし驚いたことに、Y君を含めたイケイケ男子たちに、他の教師たちは指一本触れていないのです。
(あれ? 僕だけ……?)
その事実に膝蹴りを食らったことよりも驚きました。
Y君なんかは今もなお鋭い眼光で教師を睨(にら)み付けているのです。
前例に倣(なら)うのならば、僕と同様に何かしら攻撃をされていてもおかしくはありません。
しかし、それ以上何も起こりませんでした。
この時、教師たちが何を考えていたのかは分かりません。
体罰は良くないと考えていたのかもしれませんし、あるいはY君たちが怖いと思っていたのかもしれません。
ただ、僕はこの時『人は平等ではない』ということを理解しました。
その後、夜に自室を抜け出した生徒たちは別室へと集められ、担任の先生からお説教を受けることになります。
僕のクラスからは僕だけでした。
担任の先生とマンツーマンでこってりと絞られ、その後部屋で待つ三軍の連中たちにも白い目で見られ、散々な修学旅行は幕を閉じました。
ともあれ『修学旅行で女子生徒の部屋に遊びに行った』という、得難(えがた)い経験をすることが出来ましたし、『人は平等ではない』ということを修学した、という点においても、成果のある旅行であったと言えるかもしれません。
ちなみに他の修学旅行では、例えば小学校で行われた林間学校。
初級グループでスキーを滑っていたのですが、思い切り転んでしまい、外れたスキー板を追いかけているうちにグループとはぐれてしまいました。どうしたものかと考えた結果、一人で宿に戻ることにし、部屋でじっとしていたのですが、その間にインストラクターや教師の方が必死に僕を探していたようで、どうやら軽く遭難扱いされていたようです。
また、高校の修学旅行では、同部屋のやんちゃな生徒たちが枕投げやプロレスなどで暴れまわった結果、喘息(ぜんそく)の発作(ほつさ)が起きてしまい、呼吸が落ちつくまで、僕は一人で薄暗い廊下に出てじっと座っていました。
僕の修学旅行は廊下やら部屋やらでじっとしていることが多い、という共通点を見出(みいだ)しましたが……余計に哀(かな)しくなるだけでした。
【教訓】修学旅行では、他では得難い経験が得られる──賽助
賽助(さいすけ)
東京都出身、埼玉県さいたま市育ち。大学にて演劇を専攻。ゲーム実況グループ「三人称」のひとり、「鉄塔」名義でも活動中。また、和太鼓パフォーマンスグループ「暁天」に所属し、国内外で演奏活動を行っている。著書に『はるなつふゆと七福神』(第1回本のサナギ賞優秀賞)『君と夏が、鉄塔の上』がある。
●「三人称」チャンネル
ニコニコ動画 https://ch.nicovideo.jp/sanninshow
YouTube https://www.youtube.com/channel/UCtmXnwe5EYXUc52pq-S2RAg
●和太鼓グループ「暁天」
公式HP https://peraichi.com/landing_pages/view/gyo-ten
山本さほ(やまもと・さほ)
1985年岩手県生まれ。漫画家。2014年、幼馴染みとの思い出を綴った漫画『岡崎に捧ぐ』(ウェブサイト「note」掲載)が評判となり、会社を退職し漫画家に。同作(リニューアル版)は『ビッグコミックスペリオール』での連載後、単行本が2018年に全5巻で完結した。その他の著書に『無慈悲な8bit』『いつもぼくをみてる』等。Twitter上でも1頁エッセイ漫画『ひまつぶしまんが』を不定期に掲載。
※この記事は、2020年2月11日にホーム社の読み物サイトHBで公開したものです。