村山由佳 猫がいなけりゃ息もできない 第5話「生まれて初めて見送る命」
何しろ、ものごころつく頃には、家に猫がいた。
私にとって最初の1匹は、チーコという名前の茶色のトラ猫だ。
毛色まで覚えているのは写真が残っているからで、当時住んでいた家の大家の息子さんが大学の課題か何かで撮って現像し、パネルに引き伸ばしてくれたのだった。3歳の私と、まだ幼さの残るチーコの写真。今でも私の部屋に飾ってある。
猫は、死期をさとると自分から姿を消すという。それでかどうかはわからないけれど、チーコも、ある日を境にいなくなってしまった。
そのあと、私が5歳の時に拾われてきたのが白地に鯖トラぶちのチコだ。
末っ子の私は彼を自分の「弟」に任命して、綿入り半纏の背中におぶってはあやし、毎晩必ず一緒に寝て本を読み聞かせてやり、幼いなりの悩みを彼にだけは打ち明けて慰めてもらった。
しかし、何しろ時代が時代である。当時は東京にもネズミがたくさんいて、保健所から各家庭に駆除の薬が配られることがあった。
ピンク色をした粒々の毒薬は、さぞかし美味しそうな匂いがしたのだろう。チコは、近所の誰かがまいたその毒を食べ、苦しんで、吐くだけ吐いて、私たち家族の前で動かなくなった。
生まれて初めて見送る命だった。
次にやってきたのは、アンズ。
続いて、リンゴとミカン。
外猫たちがたくさんと、そして20歳になるまで一緒だったのに猫白血病にかかってあっという間に亡くなってしまったヒメ……。
今現在、我が家にいる5匹にたどりつくまで、たくさんの猫たちが家族に加わり、いつしか姿を消していった。いなくなるたびにどれほど泣いても、次の猫との出会いがあれば、また迎え入れることに躊躇はなかった。
別れは、辛い。受け容れるだけで苦しい。亡くした子を想えば想うほど、別の子を可愛がるなんて無理だ、と感じてしまう。また愛して、また亡くすなんて、もう二度と耐えられない、とも。
でも、新しくやってきた子をできる限り可愛がることは、決して、前の子への裏切りなんかじゃない。
ふとした仕草や表情。やんちゃないたずらや愛おしい寝姿。
日々更新されてゆく小さな出来事がきっかけとなって、以前の記憶が悲しみとともにではなく懐かしさとともによみがえり、前の子と今の子、どちらに対してもなおさら愛しさが増す──それはきっと、飼い主にとってだけでなく、その家にやってきた新しい命にとっても幸せなことに違いないと思うのだ。
※本連載は2018年10月に『猫がいなけりゃ息もできない』として書籍化されました。
※この記事は、2017年9月5日にホーム社の読み物サイトHBで公開したものです。