#12(最終話) 野方ホープと「恐れと悲しみの中を生きる者」 宇野常寛「ラーメンと瞑想」
※このエッセイは、小説的な内容を含みます。登場する人物と団体は、基本的に架空のもので実在のものとは関係ありません。ただし、取り上げているお店はどこもとても、とてもおいしいのでオススメです。
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1.野方ホープと「宇野盛り」
今回は僕と野方ホープのささやかな関係について書くところからはじめたい。野方ホープは都内を中心に十店舗ほどが営業するラーメンチェーン店だ。僕は仕事仲間からその評判を聞いて、十年と少し前からときどきここのラーメンを食べに行くようになった。二〇一三年に高田馬場店ができてからは、たぶんいちばんよく足を運んでいるラーメン店だろう。
この「野方ホープ」のラーメンは、「背脂チャッチャ系」と呼ばれるものだ。豚骨をベースに、鶏ガラと野菜をブレンドした醤油味のスープに、好みで豚の背脂を浮かべる。これによって人類がラーメンに求めがちなこってりした充実感と後味の良さを両立させている。この創業から続くラーメンは「元(はじめ)」と呼ばれていて、現在では他にも魚介だしや辛みそを加えた(つまり、現代風にアレンジした)「濃(こく)」や、つけ麺や味噌ラーメンといったメニューが加わっている。しかし、僕が注文するのはいつもこの「元(はじめ)」だ。前述のスープの絶妙なバランスはもちろん、麺とスープの絡み方とその結果得られる食感、豊富なトッピングのバリエーションなど、それなりに食べ歩いているつもりだけれど、やっぱり定期的に食べたくなるのはこのラーメンなのだ。
そして、冒頭で述べた「ささやかな関係」についてだけれど、そもそものきっかけは二〇一三年に野方ホープが高田馬場にできたすぐあとに、当時僕の事務所でアルバイトをしていた大学生が、この店の常連になり、店員さんとも仲良くなったことだ。僕もそれなりの頻度で、ここに通っていたのだけれどその関係で僕もいつの間にか、店員さんと顔見知りになった。そのことを当時担当していた深夜ラジオの番組で話したことがあって、それが当時創業者の小栗冨美代さんから事業を引き継いだ二代目の小栗栄行さんの耳に入ったのだ(小栗さんは、とても喜んでくれた)。
こうして、いつの間にか僕と野方ホープの関係が樹立されていった。と、言っても当初はラジオやSNSで「絡む」以上のことは基本的になかったのだけれど、その流れで登場したのが高田馬場店限定メニュー「宇野盛り」だった。
きっかけは、僕のラジオのイベントだった。僕のラジオ番組のイベントで、高田馬場のシールラリーを行ったのだ。僕の事務所(PLANETS編集部)を起点に、高田馬場の僕の好きなお店――芳林堂書店高田馬場店、ゲームセンターの「ミカド」、映画館の「早稲田松竹」など――にシールを置かせてもらい、全てコンプリートするとオフ会に参加できる、という企画だ。そのシールを置いてもらったお店の一つが「野方ホープ 高田馬場店」だった。そして野方ホープさんはこの企画を大歓迎してくれて、そしてそこで生まれたメニューが「宇野盛り」だった。
「宇野盛り」――それは、野方ホープ 高田馬場店が、僕の「いつもの」注文を再現したメニューだ。まず、前提として僕は永遠のダイエッターなので、基本的に「半麺」を頼む。しかしラーメンに求めているのは、欲望を全開にして追求する快楽でもある。だからトッピングは「全部のせ」にするし、スープは「コテコテ」にする。「コテコテ」とは野方ホープ用語で、ラーメンの仕上げにいれる背脂を、「なし」から「コテコテ」まで、五段階に調整できる。そして僕は常にこのレベルを最高の「コテコテ」にする。こうして、「半麺」なのだけどトッピングは「全部のせ」――つまりチャーシュー二種に煮卵、ネギ、海苔といった当時のトッピングがすべてのっているもの――の、具だくさんで麺の見えない丼が現れる。それが「宇野盛り」の正体だ。当時僕はこの「宇野盛り」を、「麺を半分にしているから大丈夫」「炭水化物を大きくカットしているから大丈夫」「トッピングでお腹いっぱいにすることで麺を食べずに済んでいるから大丈夫」と心の中で言い訳しながら食べるのが好きだった。それも、夜中に。野方ホープは夜の遅い時間までやっていて、当時僕は夜型の生活だった。仕事に疲れて、深夜に事務所から自宅に帰る途中に、つい、うっかりと野方ホープに寄ってしまう。そして罪悪感といっしょに思いっきり麺とスープを啜る。そんな時間を、僕は愛していた。
その後野方ホープは何度かメニューの改変を繰り返し、高田馬場店の「宇野盛り」もいつの間にかなくなってしまった。しかし僕は未だにこの店によく足を運ぶ。「宇野盛り」も自主的にアップデートしている。僕はいつも元(はじめ)を頼むが、お腹の空いているときのオススメは、主要トッピングが一通りのった「特製」ラーメン――辛みそ・香油・チャーシュー・半熟味玉・ネギ・メンマ・刻みたまねぎ・もやし・のり三枚――を、創業からの味を踏襲している醤油とんこつのスープで頼むことだ。もちろん麺は半分、背脂は「コテコテ」だ。ポイントは刻みたまねぎで、これがジャクジャクしてうまい。背脂の甘さをうまく中和して、さっぱり食べられる。食べているうちに黒い香油は自然と溶けてスープに馴染み、自然と後半戦でささやかな味変として機能してくれる。
場合によっては、これに別皿で「野菜」を頼む。これはキャベツやもやしなど、いわゆる「二郎系」ラーメンのトッピングでよく使用される野菜を炒めたもので、結構なボリュームがある。別皿で頼むのは野菜の水分でスープが薄くならないようにするためだ。これを少しずつスープに浸して食べる。トッピングの辛みそは、この野菜を食べるときに絡めるのがうまい。「特製」にはチャーシューがたっぷりのっているので、箸休めにもこの野菜があるとバランスが取れる。これが、十年の時を経て進化した「宇野盛り2.0」なのだ。
ここで、一つお知らせがある。突然だがこの連載は今回で最終回だ。最後のエピソードは僕とTが、新しいステージへと足を進めることを決意した日のことを語ろうと思う。僕が冒頭から野方ホープの話題をしたのはそのためだ。その日――僕とTが決定的な一歩を踏み出したその日――僕たちが食べていたのは、この野方ホープの「宇野盛り2.0」だったのだ。
2.プーチンと『あいの里』
その水曜日の朝、僕たちは高田馬場の街を歩いていた。昼食を摂るために、早稲田通りの野方ホープを目指していた。僕たちは、高田馬場駅の戸山口近くの路上で、白人男性たちのグループとすれ違った。見るからに軽装でおそらく観光客ではなく、かといってカジュアルな服装なのでビジネスマンでもなく、いったい何をしている人たちなのだろうと思ったが、それ以上に気になったのはうち一人の「顔」だった。
「今の外国人、ゼレンスキーに似ていましたね」
そう、うち一人はウクライナのゼレンスキー大統領にソックリだったのだ。
「僕はプーチン派ですけどね」
隣を歩くTはすかさずそう付け加えた。Tは、旧来の日本の男性らしさを備えている柔道家のプーチンに一目置いていると以前から話していた。そして僕はプーチンのまさにそういうところが、とても苦手だった。
「そうですか? 昔ながらの権威主義で、ゴリゴリに自己演出しているのが僕は苦手ですが」
「それも分かります。しかし、人間としての透明度はむしろプーチンのほうが高いです」
「透明度? ゼレンスキーはノームコア的というか、飾らないスタイルで共感を集める戦略なのでは?」
二十世紀の独裁者のように、高級スーツに身を包みクレムリンから国民に呼びかけるプーチンよりも、Tシャツや迷彩服で、前線に赴きインターネットの動画配信で世界中の市民に支援を呼びかけるゼレンスキー――その差は歴然としていた。そしてどちらがつくり込みすぎた、透明度の低い存在かも明白のように思えた。しかしTは違うというのだ。
「ゼレンスキーは人に好かれようとしているので少なくとも『いい男』ではありません」
「僕たちもノームコア的な服装をしていると思いますが、それはファッション的な意識を高めた結果ではなく、単にこだわりがなくなっただけではないですか?」
以前述べたようにかつては全身をヨウジヤマモトに包んでいたTは、この数年でいつの間にかユニクロやZARAでも服を買うようになっていた(相変わらず黒系が多かったが……)。
「僕の場合はむしろ以前よりも美意識が高くなり、こだわるようになった結果がこの服装なのです。加えて時代の変化も大きいですね」
「ゼレンスキーがプロパガンダの一環としてノームコアという作意をしているということですね。そしてTさんの美意識は一見、ノームコアに近くとも実はその先にあり、むしろプーチンに通じると――」
僕とTはプーチンのことを話しながら、野方ホープ 高田馬場店に入っていった。そして、僕はいつも通り「宇野盛り2.0(と、勝手に僕が心の中で呼んでいる何か)」を、Tは「とまととんこつ」を注文した。
ものの五分で着丼した眼の前の一杯を、僕たちは夢中で喰らい尽くした。眼の前のラーメンに、全力で向き合うその時間に、僕たちは人間であることを忘れ、獣の世界に接続する。このとき僕たちは、ゼレンスキーのことも、プーチンのことも忘れた。さらに言えば、自分たちのことも忘れた。眼の前の一杯に食らいつき、貪り、そして満たされるまでの時間、僕たちは自己の社会的な評価とか、人間関係における承認の問題とか、そういったものはすべてどうでもよくなっていた。そして何度食べても思う。野方ホープの提供するその一杯は、その時間を演出することのできる力を持ったラーメンなのだ。
満腹による心地よい倦怠感に身を任せながら、僕たちは再び人間の顔を取り戻し、そして話題は、いつの間にか僕が最近ハマっている恋愛リアリティー・ショー『あいの里』のシーズン2のことに移っていった。『あいの里』はNetflixが全世界に配信する恋愛リアリティー・ショーで、新しいパートナーを求める三十五歳から六十歳の男女が田舎で共同生活を送り、その中で発生する恋愛模様をドキュメンタリー的に編集した番組だ。同じNetflixの『テラスハウス』や『ボーイフレンド』が、おしゃれな若者たちの若者が羨むようなおしゃれな住宅でのおしゃれな共同生活を舞台にしているのに対し、『あいの里』では必ずしも誰もが認める美男美女ばかりとは言えない、言ってしまえば地味なメンバーがあつめられ等身大の……もっと言えば泥臭い恋愛模様が展開されるのがその特徴だ。
僕が『あいの里』シーズン2について、とくに出演者のあやかん(三十五歳女性、秘書)とギタりん(五十二歳男性、音楽教室の先生)との関係について、見解を述べた。そして、僕はTに同番組を観るように勧めたのだけど、Tの反応は冷淡だった。
「ああいうのは生理的に無理です」
「『テラスハウス』や『ボーイフレンド』は面白がって観ていたじゃないですか」
僕はTが別の恋愛リアリティーショーを楽しんでいたことを思い出した。
「『あいの里』も少し観ましたが、『テラスハウス』や『ボーイフレンド』とは異なり、人間の醜さがそのまま露呈しているように感じました」
「だからこそ、『あいの里』には僕たち中年男性が向き合わないといけない、身も蓋もない現実が表出しているんじゃないんですか?」
「ああいうテレビ的共感みたいなものよりも、政治的ロマンの方がまだ好感が持てます」
「前者が後者を圧倒していったのが、この国の消費社会の展開です。だからこそ、僕たちは糸井重里的な『語り口』と『空気』の支配する、このボトムアップの全体主義的な世界を破壊しなくてはいけない。そのために、僕たちは『あいの里』的なものから目を逸らしてはいけないとは思いませんか?」
「僕の先生は、『名刀だけを見よ』と言いました。人間についても同じです。『あいの里』を観ると人生への緊張感が失われそうです」
「そんな大げさな……」
「もし仮にプーチンを監禁して、強制的に『あいの里』を全シリーズ観せ続けたらプーチンはプーチンではなくなってしまうでしょう」
たしかにそうかもしれないが、それはそれで戦争は終結するのでいいのではないかと僕は思った。
「でも自己の輪郭を確認するためにこそ、その真逆のものに触れることは重要なんじゃないですか?」
「人間は半分は霊的なものですから、精神が汚れると実体も変化してしまいます」
「変化は悪いこととはかぎらないのでは?」
「これは悪い変化です」
「変化したとしても、別にその触れたもののイデオロギーや性質に同化するとは限らないでしょう? Tさんほど、自己を確立している人ならば、むしろ異質なものに触れることがより柔軟な心身を獲得することにつながると思いますよ」
「自己破壊とは、自己イメージが定まった人がするものですが、僕はもう少しすべてを流動的に捉えています」
平行線だった。
埒が明かないと思ったのか、Tはここで話題を大きく変えてきた。
「僕の父親も同じタイプなのですが、そもそも僕は冗談とかあまり好きではありません」
「それはTさんが、恐れと悲しみの中を生きていると自認していることと関係しているのですか?」
僕がそう尋ねるとTは一瞬だけ目を伏せて、続けた。
「若いころ、アポロンの精神に触れるためにエーゲ海の島を訪れて岩山を登ったことがあるのですが」
「えっ」
さすがに動揺してしまった。なぜ、そのためにエーゲ海の島の岩山を登ろうと考えたのか、そもそもなぜアポロンの精神に触れようと思ったのか……疑問は尽きなかったが、まあ、Tならそれくらいのことはしていてもおかしくないと思い直して、黙って続きを聞くことにした。
「アテネからフェリーでサントリーニという島に渡りました。そこはビーチリゾートで有名な観光地なのですが、僕はそこから離れたところにある、人気のない岩山へと向かいました。その岩山にアポロンの神殿跡があると地図に記載されていたからです」
「……Tさんは、そこでアポロンに出会えたのですか?」
「その岩山は道もなく、本当に、誰もいない山で、四、五十分ほどでしょうか、しばらく登り続けていると草木もない岩山の下には、エーゲ海と遥か遠い街並みだけが見えるようになりました。ここで今、足を滑らせて滑落したり、蛇に噛まれたりしたら……という考えが脳裏をよぎり、急に恐怖を感じたのです。なにか、人間が一人で生きることの恐怖に初めて触れた瞬間でした。人間が孤独を嫌うのは、そういう傾向を持った人間ほど、生存競争で生き残ってきた結果なのだと聞いたことがあります。僕はあれからずっと、自分があのアポロンの島を孤独に歩いているように感じて生きてきました。宇野さんは茶化したように言いますが、僕は本当に恐れと悲しみの中を生きてきたんです」
「今は……違うんですか?」
「今は宇宙からより直接的に活力を得られるようになったと思います。だから以前のように恐れることはなくなりました。僕はこの日々と宇宙との関係を確立するために修行や仕事をしています」
僕は力強く語るTと、彼の眼の前にある空になった野方ホープのラーメンどんぶりを見比べながら、考えていた。出会ったころと異なり、十五年の年月を経てTはもはやヨウジヤマモトのロングコートではなく、ノースフェイスのダウンに身を包んでいた。記号から解放されたその身体は若さも老いも主張するものではなくそういった概念から自由になっているように感じられた。タバコをやめ、禁煙の店じゃないと入りたくないと僕がゴネて喧嘩することもなくなった。そして何より、かつては酒が飲めればどこでもいいと考えていたTが、僕と一緒に一食、一食を味わって、そして全力で食べるようになっていた。「宇野盛り」が「宇野盛り2.0」に変わっていったように、Tも、僕自身もゆっくりと変わっていったのだ。
3.想像力の必要な仕事
その日の瞑想は、新宿区の戸山公園で行われた。時間的にはそろそろ会社員たちの昼休みがはじまるので、うっかりしているとベンチがお弁当を広げる彼ら彼女らによって占領されてしまうのだけど、この日は運良く、広場のよく見える木陰のベンチが空いていた。僕とTはそこに並んで腰を下ろし、そしてTはスマートフォンを取り出して、いつも使用している瞑想サポートのアプリケーションを起動した。ブザーと鐘の音が辺りに響き、僕たちは目を閉じた。
獣の世界に物語はなく
神の世界に幻想はなく
獣と神の世界には、過去も未来も演劇性もなく
その日の瞑想時に、僕の脳裏に蘇ってきたのは、少し前にTと交わしたある議論だった。
「宇野さんは個人の上位に何があると思いますか?」
「宇宙です。家族でも国家でもなく」
「普遍にして宇宙ですね」
「作品を生むこと。それが僕にとってはいちばん大切なんです。市場からの評価や共同体からの承認は、もちろん獲得できるなら可能な限りしたいと考えます。しかし、書くこと、創ること自体が僕にはいちばん大切です。いちばん、生きているという感じがします。このとき、僕の上位には市場はもちろん家族も国家も存在しないように感じるんです」
「中年男性を救済するのは恋愛でも家族でもなく、世界や時代に貢献する『事業=作品』と『宇宙と直接繋がる技術』であると確信しています」
「ハンナアーレント的に言えばLaborの与える市場からの評価でも、Actionの与える共同体からの承認でもなく、Workの与える世界の改変こそが、人間を支える。少なくともその回路も必要である。僕もそう考えます。しかし、プラットフォーム化した資本主義はLaborをAIに代替可能な空疎な労働と、金融市場に最適化されたゲームプレイに二極分解し、ActionをSNS上の相互承認のゲームに変貌させています。今、Workの再評価を考えるのなら、この情報技術により変貌したLaborとActionとの関係の中で考えるべきなのだと僕は思います」
「Work、つまり仕事により作品を生むこと、そのことで世界を変えること自体の魅力を再発見するべきだと?」
「そうです。Workが世界をほんの少しでも変えることの快楽を、僕たちは再び思い出すべきです。情報技術はActionを、グローバル資本主義はLaborを大きく変貌させ、あるレベルでは破壊し、あるレベルではエンパワーメントしています。しかしWorkは相対的に置いていかれています」
「今こそ、Workを通じた世界へのアプローチが必要なのでしょう」
「そう、これは想像力の必要な仕事です。目に見えぬものを、かたちにすることです」
瞑想の終わりを告げるアラームが鳴り、僕たちは目を開いた。そして僕は世界がほんの少し、しかし確実に目を閉じる前と変化していることに気づいていた。その変化は、この短い時間に起きたことではなく、長い時間をかけて、ゆっくりと進行していたものだった。そしてそのゆっくりとした変化は今、ある域に達して、分水嶺を越えようとしていた。そのことが象徴的に、僕の愛する「宇野盛り」とTの美意識の変化に現れているように思えた。時が満ちつつあることを、僕は感じていた。おそらく、Tも同じようなことを感じていたのだろう。瞑想を終えたTはゆっくりと四肢を伸ばしながら、何かつきものが落ちたような表情をしていた。
「Tさん」
「はい」
「そろそろ僕たちも次のステージのことを考えるべきかもしれませんね」
Tは深く頷き、そしてある話を始めた。
4.運命の住職
「僕の知る合気道家の先生は、ある日庭で台所を作ろうとして、ノコギリや金槌を持って作業をしていると、隣に住むお寺の住職から『精が出ますね』と話しかけられたそうです。二人は意気投合し、やがてその先生は住職の寺の境内に合気道の道場を開くようになりました。行うべき仕事を行うことで、先生は運命の住職に出会い、道が開けたのです。そしてその道とは『道場』、つまり道を開くための場所だったのです」
僕はなんとなく、Tが言いたいこと自体はよく理解できた。
「僕はずっと恐れと悲しみの中を生きてきました。しかし、今はラーメンと瞑想の世界に生きています。それが、この数年の修行の成果なのでしょう」
僕は思った。今、僕たちは一歩前に進むべきなのだと。
「今こそ、僕たちの理念を世界に伝えるための回路が必要だということですね」
そしてラーメンと瞑想を極めた僕たちが、次のステージで行うべきこと。それは、この力を用いてもう一度、社会にコミットすること、想像力の必要な仕事(Work)によって、世界を変えることなのだ。
「はい。三島由紀夫は四十五歳で死にましたが、僕たちはこれからも生きなければいけません」
「アラビアのロレンスも四十六歳で死んでいます。しかし、僕たちはこれからも生きなければいけません」
「ラーメンと瞑想の往復によって、日々解像度を高めていく世界に対し、心身を鍛える場所を設けるべきだと感じています」
「僕たちはラーメンと瞑想を極めることで、他の人間を介すことなく孤独に、そして純粋に事物を受け止め、そのことで世界にかかわる術を身につけました。そしてこの教えを、世界に伝えるときが来たのだと思います。しかし、それは同じ目的を、物語を共有する共同体であってはならないということですね」
「はい。人間の個を維持したまま、世界に触れる手がかりを共有し、学び合う対象としての兄弟がいるだけです」
「そのための共同体未満のネットワークを形成する必要があります」
「共通の目的はありません。ただ、ルールが共有されているだけです。そして相互扶助を行います」
「共同体としての実体がないために、それを維持するための物語も必要なく、敵も必要ない」
「物語も幻想も演劇性も必要ありません」
「ルールを守らせるための強制力も必要ない」
「そうです。我々が立ち上がるべきときが来たのでしょう」
「分かりました。行きましょう」
「三島由紀夫は四十五歳で死んだが、我々は生きなければならない」
「アラビアのロレンスは四十六歳で死んだが、我々は生きなければならない」
ラーメンと瞑想を極めた二人の中年男性は静かに立ち上がり、そして新しい扉を開くためにその場から去っていった。
(完)
連載【ラーメンと瞑想】
毎月水曜日更新
宇野常寛(うの・つねひろ)
評論家。1978年生まれ。批評誌〈PLANETS〉編集長。著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、『母性のディストピア』(集英社)、『遅いインターネット』(幻冬舎)、『水曜日は働かない』(ホーム社)、『砂漠と異人たち』(朝日新聞出版)、『ひとりあそびの教科書』(河出書房新社)、『チーム・オルタナティブの冒険』(ホーム社)など。立教大学社会学部兼任講師も務める。