石見銀山編 千早茜「ときどき わるい食べもの」
[不定期連載 はじめから読む]
illustration:北澤平祐
上空からでも、緑の鮮やかさがわかった。ああ、懐かしい色だ、と思った。
四月に石見銀山のある島根県大田市へ行った。戦国末期から江戸初期の石見銀山を舞台にした物語『しろがねの葉』を刊行してから初めてのことで、訪れるのは一年ぶりだった。大きな賞をいただいての嬉しい再訪だったが、一抹の不安とともに担当編集者と飛行機を降りた。
到着ゲートを出てすぐに大田市の方々が待っているのが見えた。私たちが遅かったので心配そうにしている。そう、今回はトークイベントのために大田市が招いてくれたのだ。大田市職員の方と『しろがねの葉』担当者が作った二泊三日の行程表は予定でびっしり埋まっていた。
これは取材旅行ではない。住んでいるわけでもないのに勝手に小説の舞台にした土地の人々に向けて、お礼の気持ちを示すための訪問なのだ。好き勝手できないのはわかっている。しかし、行程表を見れば見るほど不安になる。似ている。修学旅行のしおりに、すごく似ている。忌まわしき学生時代の思い出がよみがえる。
私は集団行動が苦手だ。おまけに、親しくない人と同室で過ごしたり寝たりするとたいてい腹痛を起こす。音や匂いが気になって眠れない。入院したときは、このままここにいたら睡眠不足で死ぬから退院させてくれと懇願したくらいだ。
決まったスケジュールがあるのも苦しい。マイペースといえば聞こえはいいが、私はとにかく自分の興味と食欲が赴くままに旅したいタイプなのだ。
集団行動が苦手な小説家は少なくないようで、とある方はこうした公式訪問中に泣きながら逃亡し「集団行動ができるなら作家になんてなっていない!」と絶叫したそうだ。ものすごく、わかる。
そんな私にとって修学旅行の唯一の愉しみは間食と寄り道だった。校内での間食は禁じられているが(食べていたけど)、校外なら治外法権、買い食いはして良し、と勝手に解釈していた。
故に、中学のときに訪れた長崎では、土産物屋で買ったカステラをうまい棒よろしく一本食いし、先生に「なに土産を食ってんだ!」と怒鳴られた。「自分のお金をどう使おうが私の自由です」と言い返してますます怒られた。高校のときは京都での自由研究の際に、嵐山をはじめとした観光スポットを通過するたびに買い食いをした。焦げた醤油の匂いがすれば足を止めて煎餅を齧り、バスを待つ間にそばの和菓子屋に入って大福や饅頭を頬張った。嵯峨野の竹林の青さに目を奪われ、みんなとはぐれた。グループの子に「寄り道ばっかりして」と叱られた。買い食いをしたからといって課題を疎かにしたわけではない。しかし、だいたいの私の自由行動は同行者の目には不真面目にうつり、怒りを買う。『わるい食べもの』の取材だったら途中でどんなに食べても怒られないのに。
大田市職員の方々はまず、名産の大あなご料理をだす店に連れていってくれた。昼食を、とのことだったが、明日のトークイベントの打ち合わせも兼ねていた。
個室に入ると、視界がひらけた。ガラス戸の向こうに海が見えた。まっすぐな灰色の水平線。ガラス戸の向こうにはサンダルがあり、テラス席に出られるようになっていた。「海」と私は呟き、外に出た。湿った重い風がワンピースをふくらます。海鳥が鳴きながら旋回している。テラスから砂浜へと続く階段を目にしたらもう止まらなかった。波打ち際まで駆けていった。波の響きを体に浸み込ませ、揺れる海藻や流れ着いたものを観察し、食事ができたころに戻った。大あなご丼は煮あなごと蒲焼あなごの両方が入っていて、大あなごの天麩羅もついていた。ふかふかと肉厚で、柔らかく、食べごたえのあるあなごだった。もりもりと食べていると、「いつもこうなんですか、急にいなくなられてびっくりしました」と役所の人が戸惑い気味に言い、「はい、なにか気になることがあると」と担当Yさんが微笑んだ。やってしまった、と思った。
大人しくしていようと心に誓い、その日は提案された施設をまわった。途中、おはぎや山女の塩焼きがあるという茶屋で休憩を請おうと目論んでいたが、その日は休みであった。昼過ぎから降りだした雨の中、宿に送られ、温泉に浸かり夜を明かした。
次の日は晴れていた。気分があがり、役所の方に頼んで、トークイベント前の空き時間に石見銀山地区に寄ってもらった。あちこちで日光浴する猫を眺め、大好きなパン屋でパンや菓子を買い、隣接するジェラート屋でトリプルのカップを求め、うきうきとイベント会場へ入ったら千人規模の大ホールで腰を抜かしそうになった。埋まらないと怯えていたが、七百人もの人が来てくれて、食べこぼしを袖につけた私に温かい拍手をたくさんくれた。肚の底から安堵した。
三日目の午前中だけ自由時間をもらっていた。パフェ先生こと斧屋さんも行ったことがない「群言堂」のパフェがどうしても食べたいのだとお願いしていたが、その前にやることがあった。早起きして宿を出て、ひと気のない道を歩いた。昔ながらの面影を残す大森の町を抜け、『しろがねの葉』の主人公のウメが住んでいた仙ノ山へ向かう。濡れた地面に陽がさして水蒸気がゆらめく。草葉は朝露で光り、鳥の声だけが響いている。男性の親指ほどもあるナメクジを眺め、葉の裏のカタツムリをつつき、昨日買ったドライフルーツやナッツがみっしり入ったパンを噛みちぎりながら進んだ。自分だけの自由な時間は手足や感覚を伸び伸びとさせた。ああ、こういう寄り道の果てで物語は生まれるんだった、と思いだした。
黙々と足を運び、緑の中に黒々と口をあける古い坑道・間歩の前に立った。昨日のイベントでの温かい拍手がよみがえった。ここだけはひとりで来たかった。
「ウメ、きたよ」と呟いた。「ありがとう」でも「お疲れさま」でもなく「きたよ」だった。私が作った存在しないはずの魂がまだここにいる気がしたし、そう思うことを土地の人に許されたようにも感じていた。
寄り道をしすぎて、朝食の時間に遅れてしまったが、Yさんはなにも言わなかった。
【ときどき わるい食べもの】
不定期更新
千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で09年に泉鏡花文学賞、13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞、22年『しろがねの葉』で直木賞を受賞。小説に『男ともだち』『犬も食わない』(共著・尾崎世界観)『ひきなみ』など。エッセイ集に『わるい食べもの』『しつこく わるい食べもの』『胃が合うふたり』(共著・新井見枝香)がある。
Twitter: @chihacenti