【試し読み】いじめの首謀者も校長先生も黙らせた、おかんの一言|『ぼくは挑戦人』
2020年8月26日(水)にホーム社単行本『ぼくは挑戦人』(ちゃんへん.著 木村元彦 構成)が刊行されました。世界的ジャグリングパフォーマーとして活躍するちゃんへん.さんが、子ども時代の体験、人生を変えたジャグリングとの出会い、プロパフォーマーとして世界を回って考えたことなどを綴った、リアルで勇気がもらえる半生記です。第1章より抜粋してご紹介します。
おかん、校長室に登場
病院に運ばれた。保健室での適切な応急処置の甲斐あって、結果的には重傷とまではならなかった。病院にはおかんも駆けつけた。
結局、いじめられている事実は言うことができず、「6年生と彫刻刀でふざけて遊んでたら刺さってしまった」と伝えた。
僕が嘘をついていることくらいは分かっていたと思うが、おかんは様子を見たいと考えたのか、それ以上は追及されなかった。
次の日。さすがにクラスメートは心配したのか、「大丈夫?」と何人かが声をかけてくれた。
放課後。関わった堤のグループ全員とそれぞれの担任の先生を交えて、多目的室で昨日の件について話し合いの場が設けられた。
「何があったか説明してくれる?」
とにかく6年生、特に堤の目が怖かったので、病院で言ったことをそのまま言った。
先生は「岡本君の言ってることは間違いないの?」と6年生に聞くと、堤は「はい。ほんまにふざけすぎたと反省してます」とそんな感じで話は進み、堤たちからの謝罪を受けた。
「岡本君もこれで許してあげてくれる?」
先生の言葉に、コクリと頭を縦に振った。
しかし、いじめの厄介さはここからだ。
次の日の朝。堤のグループの2人がロッカーの前で待っていた。僕を見るなり言う。
「はい朝鮮人来たー!」
髪の毛を力いっぱいに鷲掴(わしづか)みにされ、そのまま引っ張られた状態で体育館の裏まで連れて行かれた。
堤を含めたいつものメンバー6人に加え、さらにもう2人いた。総勢8人。もう絶望だ。
堤が目の前まで来て、鋭く睨みながら言う。
「お前なに先生にチクってんねん!」
そのまま僕の左顎を思いっきり右の拳で殴った。膝が崩れ落ちたところを8人がかりで殴る蹴るの嵐に遭う。
6年生が去った後、木を背もたれにしてぐったりした。
『こんなに惨めな学校生活を送っているなんて、オモニ、ハラボジ、ハンメには絶対にばれたくない』
この期に及んでも、小学生になった僕を喜んでくれたおかんを絶対に悩ませたくなかった。小学生になった僕を心から祝福してくれたおじいちゃんとおばあちゃんを絶対に悲しませたくなかった。
だから今まで、ケガをした際は、家に入る前におかんの車があるかどうかを確かめに行った。休日は、おかんとなるべく顔を合わさないようにするため「友達と遊んでくる」と存在しない友達を作り上げて、1人で1日中ボールを蹴って遊んでいた。
おじいちゃんとおばあちゃんにも体のアザがばれないように「もう1人でお風呂に入れる」と言って、1人で入浴した。
1人でお風呂に入ると言った時、おじいちゃんとおばあちゃんは少し寂しそうな表情だった。でも、学校でいじめられていることを知って悲しむくらいなら、一緒にお風呂に入ることを犠牲にしたほうがいいと思った。
家族にとっての僕チャンヘンは、学校では友達と一緒に楽しい学校生活を送っていなければ絶対にダメなのだ。
だから、何としてもばれるわけにはいかなかった。そのために今まで、楽しい日常を送っているように演出していた。でも、もう無理かもしれない。
家族にばれるかもしれないという不安、ばれた時に悲しんでしまう家族の姿、何より、弱い僕に家族は失望するんじゃないかという恐怖で頭の中がいっぱいだった。
とりあえず教室に向かった。途中、廊下で遭遇した先生は、口や鼻から流血している僕を見て驚いて言った。
「岡本君! どうしたんや!」
「何でもないです……」
「一緒に保健室に行こ!」
先生に連れられて保健室へ行った。
「あの6年生か? 岡本君、ほんまはいじめられてるんちゃうんか?」
「ほんまに何でもないんです」
「何でもないワケないやろ! ちゃんと説明しなさい!」
問い詰められれば問い詰められるほど萎縮してしまい、黙り込んでしまった。
先生は不安そうな表情を浮かべながら言う。
「とりあえず落ち着いたらまた話そう」
手当てを終えて教室に行った。
『首吊(つ)り……飛び降り……』
授業中、気がつけば自殺の方法を考えていた。
『どの死に方が1番楽に死ねるんやろ?』
学校でのいじめが原因で自殺してしまう生徒の報道をよく見る。無視が始まった頃は、『なんで僕がこんな目に遭わなあかんねん!』と気持ちのどこかではまだ反発するモチベーションがあった。きっとこの初期段階ならば、いじめを傍観している周りが勇気を出してNOと言うことができれば、どんな被害者でも救えるだろう。僕はそう信じている。
しかし、人間は不思議な生物で、毎日いじめを繰り返されると考え方が変わる。
『自分は生きていたらあかん人間なんや』
『自分は生きているだけで人に迷惑をかけてしまうんや』
なぜかそう思えてくる。いや、むしろそう思うほうが楽なのかもしれない。いじめられる理由を自分で作って納得してしまえば、少しでも楽になった気がするのだ。こうなってしまうと、いじめられっ子を救うことは難しい。
なので、もしも周りでいじめを目撃したら、是が非でも人はそこでNOと言うべきなんだ。
6時間目のチャイムが鳴り、先生が僕を職員室に呼び出した。
「岡本君、ほんまに大丈夫なんか? 辛いことがあったら何でも先生に言っていいんやで」
「ほんまに大丈夫です」
親身になってくれることは嬉しいはずなのに、先生の優しさ自体が辛くなってしまって、勢いで職員室を飛び出した。
正門から帰ると、堤たちが待ち伏せをしていることがあったので、少し遠回りにはなるが、ここ最近は正門ではなく校舎の裏の門から帰っていた。
校舎の裏を歩いていると、後ろから先生の声が聞こえた。
「危ない!」
先生の叫び声が聞こえた直後だった。
バーン! 凄く大きな音が響いた。
驚いて振り返ると、石がたくさん入ったアルミのバケツが落ちていた。
『何やこれ……』
見上げると、堤たちが笑っていた。浜口が校舎4階から僕を目掛けてバケツを投げ落としたのだった。
堤が楽しそうに言う。
「めっちゃ惜しいやん!」
「もうすぐ朝鮮人退治できたのに!」
最悪の場合、当たっていたら死んでいたかもしれない。僕はその場を立ち去ろうとした。
「待ちなさい!」
担任の先生が呼び止めた。
「そこの6年生も全員職員室に来なさい!」
先生は、僕を心配して後をついて来たのだ。そして、たまたま6年生が4階からバケツを僕目掛けて投げ落とす瞬間を目撃したのだ。
校長室に集められた。
彫刻刀の件を含め、担任の先生は校長先生に一部始終を説明し、校長先生の説教が始まった。
校長先生は、6年生に声を荒らげて言う。
「お前ら! いじめは最低やぞ!」
すると、堤は校長先生に言う。
「だってこいつ朝鮮人なんやで! 母さんが朝鮮人は敵やから成敗しなあかんって言うてたし、やられる前にやらなあかんやん!」
耳を塞ぎたくなるような言い合いが続く。
堤の話だけではなく、クラスでも似たような理由を言われた。「クラスに朝鮮の人がいる」と親に言うと、一部の親が「朝鮮人とは喋るな」「朝鮮人とは遊ぶな」「朝鮮人とは関わるな」と指図したり、中には「病気が移るから近づくな」「朝鮮人は日本人の敵やからやっつけろ」とたきつける過激な親もいたということだった。
この時、あることを思い出していた。
小学1年生の運動会の「こんなところで負けてたら、わしらはこれからの日本社会で生きていけへんのや!」というおばあちゃんの発言だ。
この時、初めて分かった。
『自分は周りの人とは同じ人間やないんや』と。
『もうこれ以上、辛い思いをしたくない。十分頑張った。死のう……』
そんな時だった。
ガチャ、バーン!
学校からの連絡を受けて、おかんが校長室に登場した。
「こんちわ〜!!!」
派手な登場シーンだった。
おかんは校長先生のほうに向かって歩いていく。校長先生の机に軽く乗り出して、目は睨みつけながらも、少し微笑みながら言う。
「なんかあったん!?」
校長先生はおかんの勢いに圧倒された様子だったが、一部始終を説明した。聞き終わるとおかんは大笑いしながら言う。
「ハッハッハ。それは景気のええ話やな!」
おかんと校長先生のやりとりが少し面白かったので、僕は笑いを堪えながらその光景を観察していた。
『オモニは堤たちに何て言うんやろ?』と注目していると、おかんは校長先生に言う。
「ところでさ、なんでいじめってやったらあかんの?」
僕を含め、堤たちや校長先生も驚きの表情を浮かべた。おかんは続ける。
「あんた、ほんまにいじめなくなると思ってんの?」
校長先生は怒り気味に言う。
「いや、あなたのお子さんがいじめに遭ってるんですよ! そもそもいじめというのは最低な行為で……」
校長先生が話している最中におかんは割り込んだ。
「黙れ! 子どもにとってあんなおもろいもん、なくなるわけないやろ!」
それを聞いた校長室にいる全員が凍りついた。校長先生は少し間を置いて怒りながら言う。
「今の何なんですか! 問題発言ですよ!」
おかんは動じることなく言い返す。
「わしな、なんでこの学校でいじめがなくならへんのか知ってるんやけど、教えたろか?」
僕は、おかんが何を言うのか注目した。
「それはな、この学校で、子どもたちにとっていじめよりおもろいもんがないからや! お前、学校のトップやったら子どもたちにいじめよりおもろいもん教えたれ! じゃ、わし帰るわ」
そう言っておかんは校長室を後にしようとした。部屋を出る前に堤たちに言う。
「素敵な夢持ってる子はな、いじめなんてせえへんのや。お前らのやってることはただの弱いもんいじめや。強さを自慢したかったらルールのある世界で勝負せえ!」
そう言い捨てて、おかんは僕の手を取って校長室を後にした。
胸に刺さる衝撃的で魅力的な言葉だった。
帰り道。おかんが言う。
「わしらはな、朝鮮人でおまけに母子家庭や。あんたは朝鮮人であることをマイナスやと思ってるかも知れんけど、むしろプラスなんや。周りにハンデあげてると思えばええねん」
おかんはさらに続けた。
「朝鮮人とか母子家庭とかで今まで散々ナメられてきたけど、わしは絶対負けへんで。でもな、お前に母親以上のことはできても、父親以上のことはできひんねん。だからお前は父親がいいひん分、頑張らなあかん。そやから一緒に頑張ろな」
その日の夜。僕は京都の西院(さいいん)に住む母方の曽(ひい)ばあちゃんの家に行った。曽ばあちゃんは在日コリアンでは珍しい平壌(ピョンヤン)出身だ。曽ばあちゃんは、皿に盛った切り立ての林檎を持ってきた。林檎をフォークで刺し、僕の口元に差し出す。
「モゴ(食え)」
ひと口食べると、曽ばあちゃんは言う。
「オマエ、ガッコウでイジメられたらしいね」
早々こっ恥ずかしかった。
続けてこんな言葉を贈られた。
「ナニジンとかはカンケイないんやで。ヒトはな、イジメられたくなかったら、ヒトよりドリョクせなアカン。
だから、いつかジブンがガンバれるもんにデアったら、それをイッショウケンメイガンバってイチバンになりなさい。
イチバンになったらな、イジメられるどころか、オマエをマモってくれるヒトがタクサンアツまってくるんや。だからそういうジンセイアユみなさい」
この時はまだ響かなかったが、この言葉は後の僕に多大な影響を与えることになる。
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