【試し読み】北朝鮮側から軍事境界線を見て考えたこと|『ぼくは挑戦人』
8月26日の刊行以来「思わず涙した」「知らなかったことを学べた」など、読者の方から続々熱い反響をいただいている『ぼくは挑戦人』。9月25日(金)より電子書籍の配信もはじまりました。
子ども時代の苛酷ないじめと愛情深い家族、中2でジャグリングに出会い、中3でアメリカのパフォーマンスコンテストで優勝した経緯、パフォーマーとして世界中を旅した経験から見えてきたことなどなど、現在は世界的ジャグリングパフォーマーとして活躍するちゃんへん.さんの、心揺さぶられるエピソード満載の半生記です。
電子書籍化を記念し、後半の第4章より抜粋してご紹介します。
【ここまでのお話】在日コリアンが集住する京都・ウトロ地区で生まれ育った僕(キム・チャンヘン=金昌幸)。小学生時代は根強い差別意識からの苛酷ないじめに苦しむが、ハイパーヨーヨー、そして中学2年生のときにジャグリングに出会い才能が開花。一目置かれるようになる。
中学3年生でアメリカのパフォーマンスコンテストで優勝。高校卒業後はプロパフォーマーとして世界で活動する。知名度が上がるにつれ、名前や国籍について聞かれることが多くなり、アイデンティティに悩むように。コリアンのルーツを持ち、日本で生まれ育った自分は何者なのか? 答えを探すため、ルーツを辿って韓国と北朝鮮を訪ねる旅に出る。
北朝鮮編
韓国から帰国して約2カ月後。人生初となる朝鮮民主主義人民共和国(以下・北朝鮮)行きを決行することにした。
ちなみに、本来は「北朝鮮」という国名はなく、「朝鮮」と呼ぶべきではあるが、本書において「朝鮮」は、南北分断以前の朝鮮を意味しているため、日本では通称となっている「北朝鮮」と表記する。
個人で北朝鮮に行く場合、北朝鮮旅行専門の旅行代理店に申し込みをするのが一般的だ。そうすれば、中国の北京(ペキン)から飛行機で北朝鮮・平壌(ピョンヤン)に行くことができるのだが、中国の丹東(タントン)から列車で平壌に行きたかったので、僕の場合は中国の旅行会社に北朝鮮旅行を申し込んだ。
列車で北朝鮮に行くことに特別な理由はなく、強いて言えば飛行機より列車で行くほうが面白そうだからだ。
関西国際空港から中国の大連(ダーリェン)に行き、大連からバスに乗って丹東に向かう。大連から丹東まではバスで4時間くらい。めちゃくちゃ遠く感じた。現在は高速鉄道が通っているので気軽に行けるようになっている。
夕方に到着し、丹東で1泊する。
丹東は、鴨緑江(おうりょくこう)を挟んで北朝鮮と接する街で、漢族や満洲族など、多くの民族が住んでいる。朝鮮族も多く住んでおり、街には至る所にハングルで表記された看板や標識が掲げられ、朝鮮料理(韓国料理)の店もたくさんある。また、朝鮮族の児童学校もあり、朝鮮文化は丹東の街を少し歩くだけでも感じ取ることができる。
せっかく丹東に来たので、鴨緑江沿いを散歩することにした。
国境沿いということもあり、北朝鮮の国旗やお土産屋さんもたくさん目にする。想像以上に朝鮮料理店があちこちにあり、僕は夜ご飯のお店選びに迷っていた。
しばらく探し歩いていると、朝鮮料理と日本料理の両方を提供している飲食店を発見。気になったので店に入った。
店は夫婦で営んでおり、店主は漢族の方で、奥さんは日本人だった。また、そこで働いている料理人は朝鮮族の方で、朝鮮料理と日本料理の他に、中華料理も提供しているなかなか面白い店だった。
こんな機会は滅多にないので、冷麺、天ぷら、炒飯(チャーハン)と、3カ国の各料理を1品ずつ頼んだ。
変則的な頼み方をした客が珍しかったらしく、恰幅(かっぷく)のいい坊主頭の王(ワン)さん(店主)が話しかけてきた。しかし、僕に中国語ができるはずもなく、かおりさん(王さんの奥さん)に助けを求めた。
王さんがかおりさんに伝え、かおりさんが僕に言う。
「1人でたくさん食べるんですね。観光で来たんですか?」
韓国から板門店(パンムンジョム)に行ったことを伝え、次は北朝鮮から板門店に行くことを伝えた。
机の上に置いていた書類の中に僕のパスポートを見た王さんは、不思議そうな表情を浮かべ、再度かおりさんに長々と何かを伝えた。
「日本語なので日本人だと思いました。韓国人なんですね。韓国人なのにどうやって朝鮮に入国するんですか?」
僕は、在日コリアンについて説明した。韓国生まれの韓国人は、原則として北朝鮮に行くことはできない。行けるとすれば、離散家族の再会事業の取り組みをしたり、民間レベルでの交流を希望したりすると、厳しい制限はあるものの、南北間の承認が下りれば、韓国人は北朝鮮に行くことができる。
在日コリアンの場合は日本で生まれているため、韓国国籍を取得しても、韓国政府が発行する住民登録番号がないので、北朝鮮は在日コリアンを在外同胞として受け入れ、入国することができる。
韓国生まれの韓国人が板門店に行くことは原則できないが、在日コリアンは在外同胞として、国連軍の招待客として行くことが可能であるのと似ている。
どちらにせよ、一般的に在日コリアンは、韓国国民でもなければ、北朝鮮国民でもないという扱いを受けるのだ。
すると、店の料理人である朝鮮族の李(リー)さんも興味を持ったようで、王さんと李さんは、そもそもなぜ板門店に行くのかを僕に問うた。
僕は、ウトロのことやいじめ(民族差別)を受けていたこと、そして現在、アイデンティティの葛藤に苦しんでいることを話し、その答えを探すためにルーツを巡っていることを伝えた。
王さんは真剣な眼差しで言った。
「素晴らしい。あなたが探し求める答えや居場所がこの旅で見つかるのかは分かりませんが、とにかく行動してみることは本当に素晴らしいことです。私の友達に朝鮮の人はたくさんいるし、朝鮮族もたくさんいます。丹東に戻ってきたら、もう1度この店に来て話を聞かせてください。歓迎します」
丹東に戻る日時を伝え、必ずまた店に来ることを約束し、その日はホテルに戻った。
翌日の朝。待ち合わせの場所である丹東駅で旅行会社の方とツアーの参加者と合流。北朝鮮のビザと列車のチケットを受け取り、丹東駅で出国審査を経て出発した。
10分ちょっとで新義州(シニジュ)駅に到着。ここで入国の手続きや荷物検査がある。
全ての国籍の人が同じなのかどうかは分からないが、僕が知る限りでは、日本人や韓国国籍の在日コリアンは、入国の際に北朝鮮ビザに入国のスタンプが押され、パスポート自体にはスタンプは押されない。なのでパスポートには北朝鮮に行った形跡は全く残らない。
全ての乗客の入国手続きを終え、列車は平壌に向けて再び走りだす。ちなみに、平壌までは約10時間だ。
車窓から北朝鮮の風景を眺める。
『これが朝鮮半島の北側なんか』
韓国では板門店に向けて高速バスに乗って北上したが、今回は列車に乗って南下している。南も北も、都市部から離れていると風景はあまり変わらない。
疲れが溜(た)まっているのか眠ってしまった。途中で目が覚めたが、そのまま二度寝、三度寝をしてしまい、しっかり起きた頃には平壌駅に着く目前だった。風景を見たかったのに勿体(もったい)ない。
平壌駅に到着した。
到着してまず驚いたことは、初めて韓国に行った時の気持ちが蘇(よみがえ)ったことだ。初めて来た気がしない。人は昔から知っている気がするし、文字も言葉もどこか懐かしさを感じる。
僕の曽(ひい)ばあちゃんは平壌出身だ。この平壌の地で、曽ばあちゃんは呼吸をしていたと思うだけで感慨深いものがある。
ここで北朝鮮のガイドさんと合流する。北朝鮮に行くと、基本的にはガイドさんと行動を共にする。そのため、希望の場所を事前に伝えておく必要がある。3日間かけて万景台(マンギョンデ)、金日成(キムイルソン)広場、 主体(チュチェ)思想塔、万寿台(マンスデ)大記念碑、祖国統一3大憲章記念塔、白頭山(ペクトゥサン)などを周り、4日目はいよいよ念願の板門店だ。
ホテルで朝食を済ませ、ロビーでガイドさんと合流し、他の希望者もバスに乗り込んで板門店に向かう。板門店までは平壌から約2時間。
板門店に到着すると、兵士が朝鮮戦争の歴史を教えてくれる。ちなみに、北朝鮮では朝鮮戦争のことを「祖国解放戦争」という。歴史の勉強を終えると再びバスに乗り、境界線付近まで移動する。DMZ(非武装地帯)は金網が張り巡らされており、南の国連軍が攻めてきた時のことを想定し、道を塞ぐための仕掛けがあちこちにある。これは南側にも同じようなものがあった。
さて、いよいよ板門店の境界線付近に着く。北側から見る境界線はどんな感じなんだろう。
南側と同様に兵士が案内をしてくれるのだが、南側とは違って兵士は笑顔で案内をしてくれる。南側で感じた緊張感は、北側ではあまり感じない。本当に戦争中なのだろうかと疑ってしまうほどだ。
北側から南側を眺めると『つい2カ月ほど前にあの場所にいたんやな』と不思議に思いながらも、『なんで同じ民族同士が睨み合ってるんやろ?』『なんで自由に行き来できひんのやろ?』と、ただただ疑問に思うしかなかった。
北側の板門店に来て最も印象深かったことは、南側の国連軍は「北は敵だ。敵の脅威から国を守らなければならない」というスタンスだったのに対し、北側の人民軍は「南の同胞のために、自主的に統一しなければならない」というスタンスだったことだ。
南側の韓国人に対しては「敵」というよりは「同じ民族」という認識なのだろう。ただ、アメリカに対してははっきりと「敵」だと言っており、「朝鮮半島から悪魔の思想である資本主義を駆逐することが、朝鮮半島の平和に繋がる」という考えが垣間見えた。
このあたりは、米ソの冷戦が朝鮮半島にもたらした歴史の重さと現在の複雑さを感じる。
開城(ケソン)で観光をしてから、また平壌に戻る。この日は1泊し、次の日に列車で丹東に戻る。
丹東に向かう列車。車窓から北の大地を眺めながら『いつか北朝鮮で公演をしたい』という気持ちが芽生えた。
予定通り丹東に到着し、その夜、王さんに会いに行く。王さんは僕を歓迎してくれた。王さんの朝鮮族の友達も駆けつけてくれて、お酒を飲みながら旅の話で盛り上がる。
意外といえば意外だし、当たり前といえば当たり前の話なんだが、みんなは北朝鮮の話より、韓国の話に興味を持っていた。
丹東は北朝鮮との国境沿いだ。北朝鮮からも人が当たり前に丹東に来るので、この丹東の街では韓国人のほうが珍しいのだろう。
旅の話が終わると、次の話題は在日コリアンについてだった。「名前がなぜ2つあるのか?」「国籍はどうなっているのか?」など。そんな質問に答えていると、王さんが言う。「せっかく南も北も両方行って、この丹東の朝鮮族にも会ったんですから、サハリンの朝鮮人にも会いに行ってみてはどうですか?」
僕は、サハリンの場所すら分からなかった。
サハリンに住む朝鮮人の存在を教えてもらったので、イレギュラーではあるが、サハリンに行くことにした。
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