なみまの原木 千早茜「なみまの わるい食べもの」#1
するどい言葉と繊細な視点で、食と人生の呪縛を解く。人気エッセイ「わるたべ」がHB連載に帰ってきました!
[第2・4水曜日更新 はじめから読む]
illustration:北澤平祐
去年の暮れに大量のどんこ椎茸をいただいた。生ではなく干したものだったが、乾ききっているにもかかわらず立派な大きさだった。乾物は戻すところからもう大好きである。これをしっかり時間をかけて戻したら、さぞ肉厚で、むっちりと重いどんこ椎茸になるだろう、とにやにや想像し、開けようとして、パッケージの文言で手が止まった。
――くぬぎ原木から発生したどんこを時間をかけて干しあげた椎茸です
発生。
茸って発生するものなのか、と凍りつく。なにか、発生、という感じは嫌だ。ぞわっとする。茸は生態として興味深く、図鑑や南方熊楠が描いた菌類の絵のグッズなどたくさん持っているが、食品としての茸に「発生」という言葉はなんだかそぐわない気がする。野菜の類は「栽培」ではないだろうか。コロナ禍のさなかに暇を持て余した友人が原木を取り寄せて椎茸を育てていたが、確かそれも「椎茸栽培キット」といったネーミングで売られていたはずだ。私の中で発生は、感染症とか病原菌とか事故とか、アウトオブコントロールな雰囲気が満ち満ちている。
台所に立ったまま、発生の意味を調べてみた。
①物事が起こること。生じること。
②受精卵や胞子から、多細胞の高次な状態へ不可逆的に変化・発展すること。
この場合、②だろう。意味は合っている。不可逆的に、という説明はいい。起きてしまったら、もう前の状態には戻らない、という諦念を感じさせる。とはいえ、発生に対するイメージは特によくはならない。
見なかったことにして、水に浸した。どんこ椎茸はふくふくと戻り、金針菜と揚げと煮物にしたり、豚塊肉と中華煮にしたりした。正月は甘辛く炊いて雑煮に入れた。よく汁を含むし、炊き込みご飯や中華粥の出汁としても有能に働いてくれた。発生、という文言以外は文句のないどんこ椎茸であった。
どんこ椎茸はさておき、思えばこういった小さなことが気にかかるのはひさしぶりだった。去年は直木賞にはじまり、結婚、引っ越しと人生のイベントが続いた。それらを原木として予想外の出来事が茸のようにぽこぽこと発生した。まさにアウトオブコントロール。おかげで日常のささいなことまで気がまわらなかった気がする。「なんだか大波に翻弄されているみたいな年でした」と担当T嬢に告げ、そのせいか新連載のタイトルが「なみまの」になったが、「原木の」のほうが良かったかもしれない。
もちろん原木は自分で設置している。刊行を決めたのも、賞を「お受けします」と言ったのも私だ。ありがたいこともたくさんあった。ただ、「受賞とか結婚とか、めでたいことばかりじゃないですか」と言われても、原木から発生するものは食べてみないと毒か薬かはわからない。この上なく美味な毒だってあるだろう。友人の椎茸栽培キットは放置していたらサルノコシカケらしき茸が生えたらしい。急な上がりも下がりも苦手で、なだらかな平穏が好きな私にとっては疲れる年で、何度か原因不明の蕁麻疹に悩まされた。
とはいえ、茸狩りか、はたまた波乗りの一年は、過ぎてみると経験として面白かったとも思う。普段だったら断っていた仕事もたくさんしたし、予定では京都に戻っているはずなのに東京で夫になった恋人と暮らし、おまけに生涯縁がないだろうと思っていた猫という生きものが原稿を書く私の膝の上で爆睡している。人生はわからないものだ。
去年の余波はまだ続き、今年もまた揺られるのだろう。でも、今はどんこ椎茸の説明書きといった小さなことに目くじらをたてるようになっていて、それはとても私らしい。また、偏屈爺のような「わるたべ」にお付き合いいただけると、とても嬉しい。
ちなみに、今は朝食にほうれん草の胡麻和えを作ったとき、すり胡麻の袋に「伝承乾物」と書かれていたのが気になっている。
【なみまの わるい食べもの】
毎月第2・4水曜日更新
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千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で09年に泉鏡花文学賞、13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞、22年『しろがねの葉』で直木賞を受賞。小説に『さんかく』『赤い月の香り』『マリエ』など、エッセイ集に『わるい食べもの』『しつこく わるい食べもの』『こりずに わるい食べもの』などがある。
X: @chihacenti