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斎藤文彦×プチ鹿島×堀江ガンツ「ブロディを考えることは、プロレスを考えることである」後編

斎藤文彦×プチ鹿島『プロレス社会学のススメ』刊行記念トーク

「プロレスを語ることは今の時代を語ることである」というキャッチコピーで『プロレス社会学のススメ コロナ時代を読み解くヒント』が、昨年末に刊行されました。本書の発売を記念し、共著者であるプロレスライターの斎藤文彦さん、時事芸人のプチ鹿島さん、そして本書の司会・構成者である堀江ガンツさんによるトークイベントが、年明けに開催されました。

社会の様々な事象を絡めてプロレスを語ってきた3人が、本書の内容を切り口にして改めてプロレスをディープに、そして縦横無尽に語り合いました。

トーク後半は、スペシャルゲストとしてお笑い芸人のハチミツ二郎さんが登場! 著者のプチ鹿島さんとは二十数年来の友人であり、芸能界有数のプロレスファンとして知られています。このスペシャルゲスト投入で、トークの濃さはさらにエスカレート!

※2022年1月14日、東京・ロフトプラスワンで行われたトークイベントの模様の一部を記事化したものです。

もしブロディが90年代まで生きていたら

鹿島 さあ、第一部の話も濃かったですけど、第二部はスペシャルゲストを招いております。僕とはお互い何もなかった20年前からずっと“喫茶店トーク”でプロレスの話ばかりしていた仲間、ハチミツ二郎です!

(※場内拍手)

鹿島 二郎、今日はありがとう! 二郎と一緒にこういうイベントができてうれしいよ。

二郎 呼んでもらってありがたいんですけど、俺、(有料ネット)配信がないと思ってたんですよ。会場のお客さんだけで、配信がなかったらもっとヤバいこと言えるのに(笑)。

鹿島 いや、大丈夫。観ている人はみんな配信をわざわざ買ってる人だから、ここで変な話が出てもたぶんタダではツイートしないと思うんで。みんな共犯関係だから。

二郎 ノーツイートってことなら、なんでも喋りますよ。

鹿島 いや~、楽しみだ。第一部ではブロディのタラレバ話で盛り上がったんだけど、二郎的にもプロレスのタラレバの妄想ってなんかあります?

二郎 ブロディの話で言うと、やっぱり大仁田時代のFMWに出るのが観たかったなって。ビクター・キニョネスは、W★INGやIジャ(IWAジャパン)の前にFMWに来てるんで。

斎藤 日本のインディーシーンはFMWがまずあって、そのスピンオフとしてW★INGやIWAジャパンが誕生したから、ブロディが生きていたら、そのどこかには絡んでいたんじゃないかなと思います。

二郎 もしブロディがIジャの川崎球場に出ていたらと考えると、ホントすごいよね。

鹿島 もう最高だよね。ワンナイトのデスマッチトーナメントにブロディが出ていたりしたら。

斎藤 ただ、ブロディがそこに出ていたとすると、“ハードコア・デスマッチ王”カクタス・ジャックというまったく新しいスターの出現はなくなってしまうんです。

ガンツ たしかに。ブロディが出ていたら、決勝はカクタス・ジャックvsテリー・ファンクではなく、ブロディvsテリーでしょうしね。

鹿島 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で身体が半分消えていくみたいな感じで、カクタス・ジャックが存在しない世界になってしまう(笑)。

ガンツ あとはブロディを呼んじゃったら予算の関係で、テリー・ゴディの参戦もなくなったり(笑)。

鹿島 意外なところに影響が出たりしてね(笑)。それにしても、このメンバーでこういう話ができるのは、最高の飲み会ですよ。

二郎 昔は楽屋でもプロレスの話ばっかりしてましたけど、令和になってからそれもなくなってきましたよ。90年代は鹿島さんとかユリオカ(超特Q)さんとよくしてましたけどね。

鹿島 俺はプロレスの話をしたいからお笑いをやったようなものだからね(笑)。

二郎 お笑いの話よりもプロレスの話の時間のほうが明らかに長かったから(笑)。

鹿島 プロレスの話が盛り上がりすぎて、「あっ、いけねー! 出番だからちょっと行ってくる!」みたいな感じだったからね。

二郎 今でもケンコバさんや(博多)大吉先生と一緒になればプロレスの話をしますけど、じゃあ、1・8横浜アリーナの新日本vsノアの話をするかと言えばそうでもなくて。やっぱりブロディの話をしちゃったりするわけですよ。

鹿島 ブロディのタラレバトークをそこでもしちゃってる(笑)。

二郎 フミさんに聞きたいんですけど、ブロディ&ジミー・スヌーカが、IWGPタッグリーグ戦(1985年)の決勝戦をボイコットしなかったら、決勝はブロディ&スヌーカvs藤波辰巳&木村健悟で、藤波組が優勝だったんですかね?

斎藤 それはわかりません。新日本側にそういう意向があると感じたことが、あの日、ブロディがボイコットした理由のひとつかもしれないけれど。

二郎 あれはミスター高橋さんがブロディに告げるのが早すぎたんじゃないかなって思うんですよ。仙台に向かう新幹線が出発してから言えば良かったのに(笑)。

鹿島 いったん牛タン弁当とかを食わせてね(笑)。

斎藤 でも、それだけではなく、シリーズ中のありとあらゆる局面でフラストレーションが溜まっていたこともたしかでしょうね。全日本だったら馬場さんにすべての決定権があることを外国人レスラーはみんな知っていますけれど、新日本という会社は誰に話をしたらいいのかわからないという不満が外国人選手サイドにはつねにあったんです。それはブロディに限ったことではなくて、「"俺がボスだ"って言う人がいったい何人いるんだ?」っていう不満は、ベイダー、バンバン・ビガロの時代までずっとそうでした。「トゥー・メニー・ボス」ってね。

鹿島 なるほどね。

斎藤 だから「話が通らない」「イノキのところまで話が行ってないだろ」っていう不満というか疑心暗鬼というか。

鹿島 ガバナンスがうまくいってなかったってことですよね。

斎藤 「俺はこれこれこういうリクエストを入れたのに、きっとボスのところまで話を持って行ってないぞ」という話をわりとよく耳にしました。だから、間に入った人が「あの件はダメでした」とブロディに伝えても、「ホントは聞いてもいねえだろ」ってことだったと思うんです。

写真左:プチ鹿島(ぷち・かしま)
1970年長野県生まれ。大阪芸術大学放送学科卒。「時事芸人」として各メディアで活動中。新聞14紙を購読しての読み比べが趣味。2019年に「ニュース時事能力検定」1級に合格。2021年より「朝日新聞デジタル」コメントプラスのコメンテーターを務める。コラム連載は月間17本で「読売中高生新聞」など10代向けも多数。「KAMINOGE」は第2号から連載。著書は『教養としてのプロレス』『プロレスを見れば世の中がわかる』『芸人式新聞の読み方』『芸人「幸福論」格差社会でゴキゲンに生きる!』他。ワタナベエンターテインメント所属。
Twitter:@pkashima

写真右:ハチミツ二郎(はちみつ・じろう)
1974年岡山県生まれ。1990年代中頃に、ハチミツ二郎と曽根卍(そねまんじ)で東京ダイナマイト結成。2001年に、二代目としてハチミツ二郎が松田大輔(まつだ だいすけ)と再結成した。2008年6月20日、オフィス北野を退社。2009年8月によしもとへ所属。
Twitter:@tokyodynamite

忘れじのアンドレ&レネ・グレイ組

ガンツ あのブロディ&スヌーカの決勝戦ボイコット以降、なぜか新日本のタッグリーグはずっと盛り上がりに欠けてますよね。90年代前半の新日本が絶好調の時もタッグリーグだけイマイチという。

斎藤 SGタッグリーグ戦とかですか。

二郎 あれも藤波&ベイダー組が唐突に組まれて優勝とか、よくわからなかったもんね。

ガンツ 新日本のタッグリーグは80年代前半のMSGタッグリーグ戦まではすごく盛り上がってたんですけど。

鹿島 アンドレ・ザ・ジャイアント&レネ・グレイ組の優勝とか最高でしたよ。

二郎 CSでやってる『ワールドプロレスリングクラシックス』で、その時のMSGタッグリーグ戦を観たんですけど、決勝が猪木&藤波vsアンドレ&グレイで、優勝してアンドレがグレイを抱えあげるんですけど、もう映画のワンシーンみたいなんですよ。

鹿島 そうそう。いいシーンですよ。

ガンツ 僕は子供の頃の記憶なんで、優勝してアンドレに抱き抱えられてたレネ・グレイって小柄なレスラーだと思ってたんですけど、アンドレがデカすぎるだけで、ちゃんと普通にデカいという(笑)。

鹿島 レネ・グレイって、あのアンドレと優勝した時のイメージくらいしかないんですけど、じつはアメリカで実績があるレスラーなんですよね?

斎藤 実力者だし、僕らが認識していた以上にビッグネームだったんです。1971年には、新日本プロレス旗揚げシリーズに参戦する直前のカール・ゴッチと組んでWWWF(現WWE)世界タッグ王者にもなっていますから。

鹿島 アンドレと仲がいいからタッグパートナーになったんだろうって思っちゃったんだけど、それは違うんですよね。

斎藤 レネ・グレイはフランス出身で、もともとの本拠地のカナダのモントリオールは英語とフランス語を両方しゃべる人たち、つまりフレンチ・カナディアンのテリトリーで、同じフランス出身のアンドレが信頼してタッグを組んでいたことはたしかだと思います。

鹿島 最強じゃないですか。それは優勝するでしょう。レネ・グレイは良かったなー。

斎藤 フレンチ読みでレネ・グレイ。国際プロレスに初来日した時は、同じスペルで英語読みのレーン・ゴルトというカタカナ表記でした。

ガンツ あのアンドレ&レネ・グレイが優勝したMSGタッグリーグ戦の直後、ハンセンが全日本に電撃移籍するんですよね。ハンセン&ディック・マードックが優勝候補の筆頭だったのに、アンドレ&グレイが優勝したのは、そういう理由もあったんじゃないかという。

二郎 猪木&藤波と決勝進出決定戦をやって負けてから、数日後移籍するんですよね。

斎藤 ハンセンはその試合が、新日本のファンへのさよならのメッセージだったわけですね。

二郎 しかも、その試合で衝撃的なのは、ハンセンのラリアットって一撃必殺のはずなのに、藤波さんが普通にカウント2で返してるんですよ。

ガンツ それもハンセンはこれを最後に新日本を去るっていう認識があってのことかもしれないですね。

鹿島 だからカウント2で返したと。なるほどね。それを藤波が返したっていうのがすごいですよね。

ガンツ だから藤波さんって、タッグリーグの重要なところにいるんですよね。ブロディがボイコットしたときは、ドラゴンスープレックスで初めて猪木さんからフォール勝ちしたり。

鹿島 いま藤波さんの自伝が出てますけど、そういう視点での話がぜんぜん出てこなかったので、今後インタビューがあったら聞いてほしいですよ。

写真左:斎藤文彦(さいとう・ふみひこ)
1962年東京都杉並区生まれ。プロレスライター、コラムニスト、大学講師。オーガスバーグ大学教養学部卒業、早稲田大学大学院スポーツ科学学術院スポーツ科学研究科修了、筑波大学大学院人間総合科学研究科体育科学専攻博士後期課程満期。在米中の1981年より『プロレス』誌の海外特派員をつとめ、『週刊プロレス』創刊時より同誌記者として活動。海外リポート、インタビュー、巻頭特集などを担当した。著書は『プロレス入門』『昭和プロレス正史 上下巻』『忘れじの外国人レスラー伝』ほか多数。
Twitter:@Fumihikodayo

写真右:堀江ガンツ(ほりえ・がんつ)
1973年栃木県生まれ。プロレス格闘技ライター。『紙のプロレスRADICAL』編集部を経て、2010年よりフリーで活動。書籍『玉袋筋太郎のプロレス取調室』シリーズ、『鈴木みのる ギラギラ幸福論』、ムック『昭和40年男総集編 燃える闘魂アントニオ猪木』、電子書籍『GO FOR BROKE “ザ・レスラー”マサ斎藤かく語りき』などを手がけるた。現在、『KAMINOGE』を中心に数多くの媒体に執筆し、『Number Web』ではコラムを連載中。WOWOW『究極格闘技-UFC-』、ABEMA『プロレスリング・ノア中継』で解説も務めている。
Twitter:@horie_gantz

ブロディvsスヌーカ“乱闘事件”の真相

二郎 ボイコットした時じゃないですけど、スヌーカが六本木でブロディをぶん殴ったことがあるって聞いたことがあるんですけど(笑)。

斎藤 それは六本木ではなくて、初期の五反田リベラ、先代のお店だと思います。

ガンツ すごく具体的な情報が来ましたね(笑)。

鹿島 フミさんはなんでもすぐに答えちゃうね(笑)。外国人レスラーが必ず行くという、あのステーキハウス・リベラでスヌーカvsブロディが行われていたという。

斎藤 全日本にブロディとスヌーカが一緒に来るようになってすぐの時ですね。ブロディはブロディで自分のポジションというものをすごく意識していて、スヌーカは自分のほうが年齢もキャリアも上だし、実績もある選手だから意見が衝突したことがあった。蛇足になりますが、リベラが外国人レスラーの御用達の店になったのは、品川のホテルに常駐していたブロディが散歩がてら五反田の街を歩いていて、たまたまリベラを発見して、食べに入ったことがはじまりです。それから、来日するたびにリベラをごひいきにするようになって、リベラのロゴのTシャツ、ジャンパー、ベースボールキャップなどのグッズが作られるようになった。それはすべてブロディのアイディアだった。だから、リベラの先代マスターは「ブロディはウチにとっては神様だ」と話しています。……ブロディとスヌーカのケンカの話でしたね。

鹿島 スヌーカはアメリカで大スターだからこそ、最初は両雄並び立たなかったわけですね。

斎藤 そういうこともあって全日本でタッグを組みはじめたころのふたりはあまり仲良くなかったと言われていますが、のちに新日本で再会したときはすごく親しかった。だから、その件に関しては、スヌーカがブロディを殴ったというよりは、口論からつかみ合いがあったということです。

鹿島 日本のファンからするとスヌーカはブロディの相棒っていう感じがしてましたけど、対等だったってことですよね。

斎藤 ブロディとスヌーカがケンカを始めたときリベラのマスターは困っちゃって、当時すぐ近所に住んでいたジャンボ(鶴田)さんに電話したらしいんです。それでジャンボさんが止めに来てくれた。

ガンツ ブロディとスヌーカが揉めて、仲裁役がジャンボ鶴田。リング上の立場とぜんぜん違う(笑)。

鹿島 鶴田はやっぱいい人(笑)。

ガンツ それにしても、第一部に続き第二部もブロディの話中心になっちゃいましたね(笑)。

鹿島 それだけ語りがいのあるレスラーなんでしょう。

斎藤 ブロディは亡くなって30年以上が経過しているのに、これだけ語れるわけです。

二郎 でも、このメンバーならどんなお題でもずっとしゃべれますけどね。ワンマン・ギャングについてとかでも。

鹿島 キングコング・バンディについてとか、なんでもいいよ(笑)。

ガンツ これからも「プロレス社会学のススメ」でいろいろと語っていきましょう。というわけで、二部もあっという間で終わりの時間です。

二郎 もう終わりかよー!

鹿島 まだまだいくらでも話せるよね。またやりましょう。二郎、今日はありがとう!

構成=堀江ガンツ/撮影=野本ゆか子

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【斎藤文彦×プチ鹿島×堀江ガンツ 後編】


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