吉田豪×豊崎由美「書評とは何か?」 祝『書評の星座 紙プロ編 吉田豪のプロレス&格闘技本メッタ斬り1995-2004』のプロレス本大賞2021技能賞受賞!
昨年2月刊の『書評の星座 紙プロ編 吉田豪のプロレス&格闘技本メッタ斬り1995-2004』が、プロレス本はじめ充実した品揃えで知られる書店・書泉(グランデ/ブックマート)制定「2021年度(第2回)プロレス本大賞」の技能賞を受賞しました。
これを祝し、著者の吉田豪さん、ゲストに書評家の豊崎由美さんを迎える世紀のビッグ・マッチが実現。意外にも初顔合わせのお二人が「書評とは何か?」をテーマとして、雑誌黄金時代の思い出からフリーライターの生き方までを切り口に、縦横無尽に語り合いました。
※2022年1月27日、東京・書泉グランデで行われたトークイベントの模様を記事化したものです。
書評家になるまでと、「TITLe」リニューアル事件
吉田 お互い、この業界は長いんですけど、実はちゃんと喋ったことないんですよね。
豊崎 けっこう仕事はかぶってたりしてたんですけどね。だから今日は楽しみに来ました。
吉田 ボクと豊崎社長の共通点は編プロ出身ということ。編プロにいると、どんな仕事でもやるしかないじゃないですか。仕事を振られてもNOはない。その結果、受けた仕事をどう楽しくするかという発想になっていくと思うんですよ。
豊崎 豪さんのところは、20人くらいの、大きな編プロでしたよね。うちなんかは、全員で10人くらいのすごくお金に困ってる編プロだったんです。だから私、いちばん最初のライター仕事は、アルバイトでやったポルノ雑誌。
吉田 ボクもそうでしたけど、最初はエロから始めるしかなかったんですよね。
豊崎 そうなんです。当時、蒼竜社の「COOL GUY(クールガイ)」という雑誌、一冊の半分くらいを私一人で書いてたんですよ。で、飲み屋で「お前らの世代なんてアニメの思い出だけでしかつながってねえじゃないか。俺らなんかはなあ云々」と絡んでくる、うざい団塊オヤジから名刺をもらっちゃあ、愛読者体験手記のスカトロ回とかに、そいつの会社と名前を使って登場させてやってました。
吉田 いやなヤツの名前を(笑)。
豊崎 いやなヤツはすべてペンで斬ってやる! って、そんな淫靡な復讐をしてたという。豪さんは、プロレスっていう、ポルノよりはだいぶましなジャンルだったけど。
吉田 ボクもエロ本から始まって、プロレスへ流れたんですよ。
豊崎 そうなんですか。私はよく「どうしたら書評家になれますか」って聞かれるんですけど、「とりあえずライターを目指したらどうですか」って答えるんです。豪さんとか私って、ライターが書評も書くようになった走りの存在ですよね。それまでは書評って大学教授とか評論家とか作家とか、そういう肩書きの人が担ってました。それが今は、女性誌で書評書いてる人の半分くらいは、ライター出身なんです。
吉田 ライターでいろいろやっていくうちに、自分がどのジャンルなら戦えるかを考えるようになって、ボクもその一つが書評だった。今はインタビューがメインになっちゃってるんですけど、自分でプロを名乗っているのはその2つで。
豊崎 私は、女性誌の華っていわれてた「旅」「グルメ」「エステ」「コスメ」は任されたことはないんですが、それ以外は、全部やりました。豪さんと一緒で、来た球は打つ。とりあえず、全部打つんだって。
吉田 ボクは「CUTiE」のショップ取材もグルメガイドの取材もやりましたけど、いろいろやってみないと向き不向きはわからないですからね。
豊崎 そうですそうです。自分が恵まれていたと思うのは、バブルの頃にはもう仕事をしてて、雑誌がいっぱいあったってことですね。その中で「クレア」(文藝春秋)の編集長から「本当は何がしたいの?」って聞かれて、かるーい気持ちで「本の紹介がしてみたいです」って答えたら、1ページの署名欄をもらえた。それがそもそもの始まりでした。
今回、『書評の星座 紙プロ編』を読ませていただいて、まず驚いたのは、1995年から2004年に、こんなにもたくさんのプロレスの本やムックが出ていたんだなということ。
吉田 プロレスバブルだったんですね。そしてプロレスの世界だけじゃなくて出版の世界も元気があって。
豊崎 で、それを豪さんが、日本でただ一人、全部読んで、書評しまくってたわけですよね。
吉田 25年以上、書評で定点観測し続けているのは確実にボクだけでしょうね。そして「紙プロ」時代は明らかに口が悪くて、ひどいことを書き続けている(笑)。
豊崎 でもね、私、痛快でしたよ。思ったことを思ったとおりに書ける場が健全だなあと思いました。怒られたり云々、ってエピソードも出てきますけど。
吉田 基本、こっちが批判するのはレスラーじゃなくてライターとかだったし、レスラーはあまり怒らないんですよ。だからこそ、のびのびやれたんだと思います。
豊崎 健全だと思いました。それに比べて今の文芸誌とか週刊誌とか雑誌はね、貶しちゃダメです、批判しちゃダメです、が多くて。
吉田 しがらみがあるんですよね、ウチの出版社で本出してる作家さんだから批判は困るとか。その点、プロレスは治外法権でしたね。
豊崎 私なんか、(芥川・直木の)選考委員の二人を貶める書き方をしたら、ある雑誌が全面リニューアルになりました。
吉田 それは、もしかして「TITLe(タイトル)」のことですか?
豊崎 そう。文藝春秋の「TITLe」。
吉田 ボクもそうなんですけど、「コアマガジン」出身のサブカルライター連中が、一時期「TITLe」で仕事してたんですよ。文藝春秋のビッグマネーをようやくつかんだって浮かれてた時期があったんだけど、それが突然のリニューアルで雑誌のサブカル要素がなくなって全員切られて。
豊崎 申し訳ない(笑)。
吉田 正直、あのときは豊崎さんのせいだって大勢怒ってましたよ(笑)。
豊崎 あれ、実はね、まずは思う存分毒舌をふるってやろうと思って書いたんですけど、読み返したらさすがにひどいと思って、編集者には「ご指示あれば直しますので」って言って渡したんです。それが、編集長が「これ面白いよ、このまま載せよう」って言って、あんなことになって。
吉田 怒ったのは石原慎太郎?
豊崎 って、「噂の真相」には書かれたんですけど、実は本当の“真相”はちがうんですよねえ。慎太郎はね、「誰だよ、こいつ」みたいな感じで鼻にもひっかけなかったそうです。私みたいな小者は相手にしないんです。あの人はいろいろ問題がある人物ではあるんですけど、そういう器の大きいところはあるんですよね。
吉田 今日のイベントが実現できて良かったですよ、ようやくこの話ができたということで(笑)。当時はボクもチキショーって思ってましたけど、どう考えたって、あんな雑誌が長続きするわけはなかったんですよね。異常だった。文藝春秋があんなにサブカル連中を拾ってくれて、ボクが浅野忠信にジョージ秋山の漫画を貸すだけでカラー5ページくらいくれるとか。
豊崎 アングラ雑誌でしたよね。私はゼロ号で、デビュー直前の椎名林檎インタビューをやらせてもらいました。大半の人たちには関係なかったかもしれないけど、一部の人たちは初期「TITLe」が大好きだった。そんな雑誌を終わらせてしまったという罪を背負った私はですね、その後、10年くらい、文藝春秋から仕事がこなかったんです。だからそれを禊とさせてください(笑)。
「引用」は批評であり、センスである
豊崎 豪さんと私は書評家ではあるんですが、豪さんは、プロレスとか格闘技とかアイドルとかの本を専門でやっていらっしゃって、私は小説をやっているわけです。
吉田 扱うジャンルがまったくかぶらない。
豊崎 守備範囲が全然違うからどうなんだろうと思って『書評の星座 紙プロ編』を読んだんですが、すごく似てるところがありました。まず、引用が大好きっていうところ。
吉田 大好きですね。下手したら、訴えられたら負けるレベルの文字数で引用してると思います(笑)。
豊崎 引用するという姿勢に対するプライドを感じました。私もね、本の中から面白いところをピックアップして、その引用の妙で、本を読みたくさせたいんです。そもそもその本自体に魅力があるわけだから。あと、引用も批評のうちだと思ってるんですよね。
吉田 どこを引用するかが重要なんですよね。
豊崎 そこはセンスが問われますよね。書評家によって拾ってくるところは違うわけで。この分厚い本を全部読んで、やっぱり豪さんはセンスがいいなあと思いました。読みたくなった本がいっぱいありました。
吉田 ありがとうございます。とにかく面白さを伝えたいからいろいろ引用して。ただ、つまんない本の場合は、読者が読まなくていいようにするのもテーマでした。
豊崎 そう。それなんですよ!
吉田 引用部分だけ読めば十分だよって。
豊崎 だからShow(大谷show)さんのところは引用が長いんですよね? ここだけ読めばいいですよって。Showさんの本の面白いところは全部ピックアップしてあげたから、ここを笑っておけばいいですよって。そうでしょ?
吉田 ダハハハ! 正解です!
豊崎 そこも似てるなあと思ったんです。私も渡辺淳一が本を出すたびに「TV Bros.」で書評して、『愛の流刑地』なんかは、前・後編に分けて丁寧にやったわけですけど、どこがヘンでどこが笑えるか、引用をいっぱいしたのね。それは豪さんと同じ意図です。これがこの本の面白いとこのすべてですから、もう皆さんは買って読まなくていいんですよって。なのにイベントとかに行くと、書評が面白かったから買っちゃいましたって言われて、がっかり(笑)。
吉田 ボクもよく言われたのが、引用が面白くて買ったから、それ以外、ぜんぜん面白くなかったですっていう苦情で。気づけよ! っていう(笑)。
豊崎 あと、引用部分に突っ込んでいくのは、私が「TV Bros.」でしかできなかったことです。
吉田 ああいうのって他の媒体だと難しいものなんですか?
豊崎 やっぱりね、文字数が足りないんです。豪さんは、この本にあるように長めの書評も書いてらっしゃるけど、普通は800字とか1,200字。短いと400字しかもらえないんですよ。その中で本をちゃんと紹介したいとなると、無駄口が叩けなくなってくる。
吉田 それよりもちゃんと本の情報を入れたい。
豊崎 そうですそうです。だから豪さんが、この本の中で、Showさんに怒ってますよね。書評で自分のこと言ってるヒマがあったら本のこと書けよって。それもわかるなあと思いました。「TV Bros.」は1,400字くれたから、けっこう遊ばせてもらったんですけど。
吉田 「TV Bros.」はまた特殊な雑誌でしたもんね。芸能的なしがらみもなければ文学的なしがらみもないから、なんでも好きに書いてくださいっていう。
豊崎 面白かったですよね。芸人さんがあそこに連載をもって文才を花開かせたりしてね。残念ですね。ああいうのがなくなっちゃうから。
吉田 いまは紙で出なくなりましたからね。
豊崎 それから豪さん、「許す」っていう言葉が多いなと。
吉田 お前、どの立場で言ってるんだよっていうね(笑)。まだ20代ですよ。
豊崎 それが痛快でした。私も20代の頃って生意気だったし、豪さんが書いてらっしゃるように、年上の書き手に、自分よりプロレスをいっぱい見てきているはずなのに、なんでこんな程度のことしか書けないんだという怒りが沸き起こるのも、わかるなあって。
吉田 そうなんですよ。今の年齢でそれをやったらパワハラというか、上からの圧に感じられるだろうからできないんですけど。
豊崎 それやると、ブーメランで返ってきたりもするからキツイんですよね。でも若い頃は、年上の人に牙向くくらいがちょうどいいと思います。しかも読んでいくとわかるんですけど、豪さんは、批判をした相手からも、ゆがんだ形で愛されているんですよね。反応があったりとかして。だから、このプロレス本書評自体が、プロレスになってるなあって思って。
吉田 そうなんでしょうね。八百長的な意味じゃなく、どう転ぶかわらないけど仕掛けるし、反応されたらちゃんと受け身はとるっていう、スリリングなプロレスで。
豊崎 そうそう。受け身をとる。もちろん今もそうなんだけど、自分が20代の頃にこれを読んだら、励まされるよねって思いました。
吉田 ボクは今これを読み直すのはつらかったです。
豊崎 えっ、どうしてですか?
吉田 ホントすみませんって。でも、本の書き下ろし部分でも書きましたけど、なるべく原稿は直さないってルールでやりました。なので、現時点でアウトな部分以外はほとんど直していない。
豊崎 そのほうがいいですよ。ご本人が思っているほど失礼じゃないですよ。
吉田 それは本格的に失礼な部分は削ったから(笑)。
豊崎 そっか(笑)。ただ、Showさんとか大沼孝次さんにも辛辣なことを言ってるんだけど、豪さんは、村松友視みたいな大物作家に対してだって、期待してたほどのもんじゃない、みたいなことを言ってるじゃないですか。まったく忖度しない、媚びない、若き日の豪さんの勇ましさ、みたいなのがあって。
吉田 「紙プロ」編集部はみんな村松さん大好きだったんですよ。そこに距離があるのはボクくらいだったんです。ただ、誌面にも何度も登場してくれた人に対して、明らかにひどい仕打ちだったんじゃないかという(笑)。
本に人生をおびやかされています
豊崎 この本、書評も面白かったんですがプロレスを見てた頃の記憶がよみがえりました。大学生の頃、私は新日本が一番好きで、蔵前国技館とか後楽園ホールに通ってたんです。初めて連れて行かれたときに、豪さんが好きなアントニオ猪木を見て、こんなに面白い存在が世の中に存在しているのか、と。それで魅了されて、長州力と藤波辰巳の名勝負数え歌はほとんど見てます。
吉田 そうだったんですか!
豊崎 第1回IWGP決勝戦も2階で見てました。この本の中に、新間寿さんが猪木の入院先に見舞いに行ったら病院を抜け出していたっていうエピソードが出てきますけど(『アントニオ猪木の伏魔殿』)。あのとき、最初のダメージでぼーっとなってた猪木がエプロンから顔を出してしまって、それを「まだいける」と受け取ったハルク・ホーガンの渾身のアックスボンバーをくらっちゃって、そのまま倒れたじゃないですか。双眼鏡でダウンした猪木の顔見たら、舌がね、牛の舌くらいの長さでベローンって出ちゃってたんですよ。これは死ぬなって思いましたよ。不謹慎だけど、自分は今、猪木の死という歴史的瞬間に立ち会ってるんだと思って興奮しました。でも、新間さんの本によれば、猪木、その日のうちに病院抜け出しちゃったという。化け者かよって思いました。
吉田 あのときのハルク・ホーガンの戸惑いがまた面白いんですよね。「俺は大変なことをやってしまった!」って感じの顔で。
豊崎 そうそうそう! レフェリーから腕を上げさせられたハルク・ホーガンが泣きそうで。新日で今後ヒールになってしまうかもしれないって思ったんでしょうかねえ。あと、ブローザー・ブロディが好きだったんですよ。だから全日にも足を運んでました。この本にはマサ斎藤さんとかダイナマイト・キッドとか、懐かしい名前がたくさん出てきて。ダイナマイト・キッドは強かったですよね。
吉田 攻めるのも受けるのもいつでも全力の、素晴らしい選手でした。
豊崎 ダイナマイト・キッドの自伝(『ピュア・ダイナマイト』)を豪さんが書評されているじゃないですか。これは読みたいと思いました。とんでもない人だったんだなと。
吉田 リング上だけじゃなく、リング外でもとんでもないんですよね。あまりにも面白くて、異常な文字数で引用したのを覚えてます。
豊崎 プロレス楽しかったなあと思いながら、読ませていただきました。豪さんは、今はどうなんですか?
吉田 いやー。プロレスコレクターとしては現役で大金を注ぎ込んでますけど、さすがにもうプロレスファンとは名乗れないですね。
豊崎 コレクション、どうしてるんですか? 部屋におさまります?
吉田 無理矢理おさめてはいますけど。無造作に、そこら中に、とんでもなく貴重なものが床に転がってたりで、ひどいことになってますよ。
豊崎 私、最近ね……、本が嫌いなんですよ。自分の人生をおびやかす存在だなって。
吉田 大好きなはずだけど、大嫌い。
豊崎 そう。怖い、本が。毎月、書評用にたくさん送ってくださるんだけど、読んで書評ができる本なんてごくわずかじゃないですか。あとは申し訳ないけど、全部とっておけるはずはないので、折に触れて人にあげたり、処分したりとかね。
吉田 捨ててはいるんですか?
豊崎 いるんだけど、それでもダメですね。
吉田 ボクは捨てない主義なので、さらに地獄なんですよ。送本してもらっている雑誌は捨てますけど、書籍はムリで、年々とんでもない状態になってきて……。
豊崎 えらいなあ。私は同じマンションに、仕事部屋と住居を借りてるんですけど、以前は一部屋だったんです。ローテーブルの横に私だけが入れるサイズの小さな空間がコックピットみたいにあって、その空間以外は、全部本が積んであったんです。地べたにね。あるとき旅行から帰ってきてその光景を玄関から見たら、これは近い将来自分の頭はおかしくなってしまうなと思って。
吉田 わかります。
豊崎 それで、住居用の部屋を借りたんです。引っ越して、まだ床に何もない部屋に寝転がったとき、泣けました。ああ、これが人の生活というものなのだなあって。
吉田 ボクも自宅が本とCDと服で埋まって自分の居場所がベッドの上4分の1ぐらいしかなくなって、ここに住んでいたら心を病むと思って、事務所で生活するようになりました。事務所は毎週、配信があって人が家に来るから掃除しなきゃいけなくて、なんとか生活できる最低限のスペースは確保できてるから。ボクがよく思うのは、ふつう人って、家でモノをなくさないんですよね。
豊崎 はいはい。
吉田 ボクらは、家でモノがなくなって当たり前じゃないですか。床に落ちたら最後、みたいな状態だったりもするんで。
豊崎 だから、本なんてありすぎるのに見つからなくて、また買ってしまうんです。
吉田 あるあるです。数時間前にも、持ってる本をkindleで買い直しました。
豊崎 今はkindleが出たから救われてるところがあるんですけど、生活空間として借りた部屋もいよいよ飽和状態になってきて、部屋がいっぱいになるたびに、新しい部屋に移る財力がほしいけど、もちろん無理なんです。どこかにまとめて引き取ってもらうしかないかなあって。今では手に入りにくい海外文学も多々有してますから、若い世代に渡したほうがいいんだろうなあとも思ってますね。
吉田 ボクの友人は本やグッズを大量に集めていたけれど、中野ブロードウェイに引っ越して、コレクションを手放したんですよ。家の下に、玩具も漫画もなんでもあるから、欲しいときはそこに行けばいい。同じ屋根の下にあるものが家にある必要はないと。
豊崎 それはそうですよね。浦安図書館がすごくいいから、浦安図書館の近くに住む手はあるなと思っています。でも豪さんは、まだまだ捨てないで頑張ると。
吉田 あと一部屋借りようかなと悩んだりはしますけどね。完全に生活用の部屋が欲しくて。床にもベッドの上にも何も置いてないような部屋を。
豊崎 でしょ。泣けますから。そこで大の字になったとき、泣けますから。
吉田 そうなんですよ、地方のイベントでホテルに行くたびに泣けます。うわ、床にもベッドにも何もないって。
豊崎 通販番組とかで、この壁にこの絵画がとか言ってるのを見ると、「壁はなあ、絵画なんか飾るところじゃねえんだよ!」って毒づきたくなりますね。うちは壁という壁が本棚なのに、って。
吉田 ポスターとかも貼りたいけど無理ですからね。最近、ZOOMの背景に本棚があるのはマウンティングだという話が出てるじゃないですか。でも、世の中にはどこの壁も本棚で埋め尽くされている人間もいるんだよって(笑)。
TikTok事件を反省。あの時、本当に言いたかったこと
豊崎 書評の話に戻りますと、去年、私がいちばん反省したのは、TikTokで本を紹介している人を批判しちゃったことです。酔っぱらって、ツイッターにすごく乱暴な書き方をしてしまって。
吉田 あの件ですね。まあ、カチンとくる気持ちはわかりますよ。
豊崎 本当に申し訳ないと思って謝りました。謝ってないという見方をする人たちもいたけど、ほんとに悪かったと反省しています。ただ、私がカチンときたのは、TikTokで本の紹介をしている人たちではなくて、あの人たちばかりをありがたがる出版社の人なんですよね。
吉田 あー。そっちだったんですか。ただでさえ本が売れなくなってるから、ちょっとでも売れるきっかけがあったら出版社は食いつくのも当然なんでしょうけど。
豊崎 それはわかるんです。だけど今、雑誌は減っていて、その雑誌から、著者インタビューのページはあっても、書評ページは減っている。書評のパイってどんどん小さくなっているんですよ。今、TikTokの人たちも素晴らしい仕事をされているんだけど、書評は19世紀からあった文化なんですね。私は「小説は大八車に載せられて運ばれていく説」を持っているんです。リアカーのような大八車に、小説が載っている。車の両輪は作家と批評家で、前で引っ張っているのが担当編集者とか版元の人たち。で、後ろから押してるのが書評家とか書店員さんとか読者。今だったらそこに、ティックトッカーのみなさんも加わるんですが、そうやって、ずーっと後ろから小説を押してきた私たちをね、こんなに……。
吉田 軽視してね。
豊崎 雑に扱ってね。私は書評って文芸の一つだと思っていて、書評家の数だけ書評があって、豪さんみたいな書評もあれば、鴻巣友季子さんが書いてるような書評もあるわけじゃないですか。こんなに豊かなジャンルを殺しにかかってることへの不満なんです、いちばんは。
吉田 最近、雑誌で書評書いてて思うのは、ネットにもアップされない限り、反響が本当に少なくなっちゃってる。紙の雑誌だけだと、世の中に存在しないに等しいくらいになってるなって。
豊崎 そうなんですよ。豪さんみたいに、私も何冊か書評をまとめた本を出してもらってますけど、そんなの出してもらえる人って少ないでしょ。もったいないことだなと思うんですね。ネットでは、私は1本だけ、QJWeb(クイック・ジャパン ウェブ)で書評を書いてるんですけど、ただの書評じゃダメなんです。
吉田 あれは冒頭で時事ネタを書いてから書評につなげてますよね。
豊崎 そういうことでもしない限り、Webに書評は要らないって感じです。PVが稼げないから。
吉田 ましてや豊崎さんがやってるような海外の小説の書評なんてハードルが高すぎて。ボクが卑怯なのは、やっぱりプロレスラーとか芸能人とか、とっかかりがいい本を書評してるから。知識がなくてもわかるようなジャンルを選んでるからなんとかなってます。
豊崎 卑怯じゃないですよ。あらゆる本の書評が出るのが、理想の世界だと私は思ってるんですね。あらゆるジャンルに豪さんみたいな人がいたらいいのにって。でも豪さんみたいな人気者って……この「人気」ってのも厄介でね。出版に限らずどんな業界でも、名前をつくるまでが大変ってところがあるでしょう? 逆に言うと、名前を成してしまえば、杜撰な仕事をしていてもなんとかなっちゃってる人がいるわけじゃないですか。名前を成す前って、たとえすごく良いものを書いていても、なかなか引っ張り上げてもらえなかったりする。だから私は、良いものを書いている人を見つけたら、必ずリツイートして広めるようにしているんですけど。
吉田 出版に元気があった頃に名前を売ったから、今、食べていけてるって思いもあるんです。この10年くらいのデビューだったら大変だっただろうなって。
豊崎 豪さんくらいの実力と、人好きのするところがあれば、ここ10年のデビューでも大丈夫だっただろうと思いますけど、私たちがデビューした頃よりは苦労したでしょうね。小さいパイを食い合ってる状態だから本当にたいへん。だから私は大手の出版社に対する文句がすごくあるんです。でも、そういうことを言うと当然嫌われる。それで仕事が来なくなる(笑)。
吉田 完全に悪循環ですね(笑)。
豊崎 あと、年齢もあるんですよ。
吉田 編集者がどんどん若くなって、頼みづらくなる。
豊崎 そりゃそうだよねとも思うんです。年上の人に頼むのはめんどくさいだろうし、気も遣うだろうから。
吉田 編集者としてもこの原稿料で、たとえばみうらじゅんさんとかに頼んでいいのかなって思うんでしょうね。
豊崎 確かにそれはありますね。でも、勝手に高く見積もってるところもありますよっていうことを、編集の人たちには言いたいですね。企画さえ面白ければ、みうらじゅんさん、きっと書きますよって。あまり勝手におびえないでいただきたい。
吉田 ボクも今でも1本5,000円の仕事やってたりしますよ。楽しそうな仕事ならギャラは度外視でやります。
豊崎 やりますよね。ただ私は、若手のことを考えると、戦う義務があるとは考えています。もちろん版元や編集部の事情によりますよ。編集者の人たちもカツカツでやってるところは別。原稿料についてもの申すのは大手出版社に対してだけです。
吉田 編集者はそれなりの収入を貰っているところですね。
豊崎 そうです。編集者はそれなりの収入あるのに、原稿用紙400字1枚5,000円を切る原稿料のときは、ちょっと戦います。それはやっぱり、私が言わなかったら若い人どうするのって。いいなりにさせられちゃうわけですから。1枚5,000円切ると、家賃払うの本当に大変なんですよ、っていうのは言っていきたいと思うんですけど、そういうことを言うからまた嫌われる。どうしても嫌われることになっちゃってるのが私です(笑)。
プロ書評家の「プロ」って何ですか? ~ライターが生き残るために
吉田 文藝春秋で10年書けなかったことは、金銭的に大きなダメージだったんですか?
豊崎 翌年がきつかったです。前年の収入を元に税金を払わなくちゃいけないから、翌年は地獄だったんですけど。ただ私は、文藝春秋でもかなり仕事してたんですけど、マガジンハウスや他の版元の雑誌でもたくさん仕事を引き受けてたんですよ。だから、なんとかしのぐことができました。もしかしたら「一人のライターが寄稿した雑誌数」ではギネスなんじゃないのって思うくらいたくさんの雑誌で仕事をしてました。そういうふうにやってたから、文春で干されても翌々年からは余裕しゃくしゃくでした。だから若いライターの人にいつも言ってるのが、一社だけで仕事しちゃダメだよってこと。
吉田 そうなんですよ。リスク分散は重要ですよね。
豊崎 すごく重要。雑誌なんて、いつリニューアルするかわからないし、自分の連載がいつまでも続くなんて思ったら大間違い。でも、分散させておけば、ギリギリのところで生きていけるから。頑張っていけるから。
吉田 ボクはリスク分散をジャンルでも考えていて、プロレスとかアイドルとかパンクとかおもちゃとかアニメとか、いろんなことをやる。そうすれば、あるジャンルでもし仕事を干されたとしても、他の仕事で食っていけるなら、妥協しないで攻めていけるなって。
豊崎 なるほどね。
吉田 好き勝手なこと言って、好き勝手な仕事しかしないっていうことを、いろんなところでやっていけばなんとかなる。
豊崎 ほんとにそうですね。私が失敗したなと思うのはその点で、ライター時代に、かなりの額まで収入はいったんです。ただ、断らないで何もかもやってたから、これを続けていくと体を壊すだろうと。で、だんだん書評にシフトしていって、あの人は書評の人と見られるようになっていったし、自分でも書評家と名乗るようになったんだけど、これはちょっと失敗だったかもしれないですね。インタビュー仕事の余地くらいは残しておくべきでした。
吉田 文字数換算でいえばインタビューのほうが稼げますからね。ボクも書評専業だったら大変だったと思いますよ。そしたら確実にもっと脅されてるし、地雷も踏んでます。
豊崎 そうですよね(笑)。今日、一つお聞きしたかったのは、豪さんは、プロ書評家とか、プロインタビュアーって名乗られてるじゃないですか。「プロ」をつけなくても、私なんかは豪さんをプロって思うわけだけど、なぜわざわざ肩書に「プロ」をつけてるのかなあと思って。
吉田 理由としてプロレスラーだけじゃなく、プロ空手家みたいな間抜けな響きを出したかったのと、いろいろ仕事をやってる中で、プロを名乗っていいのはこの2つくらいだと思ったというのはありますね。
豊崎 じゃ、もしコラムもプロだなと思ったら、プロコラムニストになる?
吉田 そうなんですけど、そこはやっぱり、まだプロじゃないかなと。
豊崎 この本(『書評の星座 紙プロ編』)の中ですごく好きなところがあったんです。この対談で何度も名前を出したShowさんをディスってるところなんですが、読みますね。
〈世の中には大きく分けて文章を書いていい人間とそうじゃない人間の2種類が存在する。ところが本来なら文章を通じて何かを発表するべき側なのにチャンスがないまま世間に埋もれている人がいるというのに、人様の前では決して文章なんか書いてはいけない側だと気付かずにのうのうと原稿で飯を喰ってる奴もいたりする。この作者・Show氏がどちら側なのかはわざわざ書く気もしないんだが、それが現実なのだ。まったくもって世知辛い世の中である。〉(P97)
吉田 ひどいこと書いてるなー(笑)。
豊崎 これ、いいなあと思って。私にもこう言ってやりたい人がいっぱいいるなあと思って。で、「そんなヤツと違うんだぜ」という意味の、「プロ」なのかなとも思ったんですね。
吉田 そうですね、それはあります。もっと言うと、Show氏はたしかボクの一つか二つ年上で、「紙プロ」編集部にもよく来ていて、普通に交流もあったんですよ。その上で、毎回こういうことを書くっていう戦いをやっていて。
豊崎 へー。Showさんも時々は、紙の上でバトルを仕掛けてきたりはしたんですか?
吉田 たまにカチンと来てるみたいなところはありましたけど、基本的には、豪ちゃんが書いてくれるだけでうれしいよーみたいな受け身を取ってましたね。
豊崎 この書評集には、以前書いた書評にこんな反応があったとか、こんなことが起きたという後日譚みたいな文章も書いてあるじゃないですか。それもすごく面白くって、そこにもShowさんはすごくよく出てきますよね。ほぼ愛しあってるくらいの頻度だよねって思って。
吉田 本を出したら必ず読み、必ず叩く、みたいな関係性でしたから(笑)。もう10年くらい会ってませんが、大谷Show氏の今の本業がセドリだという噂は聞きました。そんなに本への思い入れはなかったはずなのに(笑)。
豊崎 この本の中に出てくる人の中で、こうやって書評集を出してもらえるくらい生き残ってるのは豪さんくらいでしょ。
吉田 そうですね。Show氏の書評のベストセレクション出たらもちろん買うし、もちろん叩きますけどね(笑)。
豊崎 (笑)。私がマガジンハウスでたくさん仕事してたバブルの頃、タイアップページがたくさんあったんです。
吉田 ギャラがいいやつ。
豊崎 そう。クライアントが付いて予算が組まれているから、ライターも、ものすごくいいお金もらえるんですよ。でも私は、取材もインタビューもいっぱい仕事してるのに、タイアップの仕事はほとんどもらえなかったんです。それで編集者に「なんで、私にはタイアップみたいな美味しい仕事が来ないのかなあ」って訊いたんです。そしたら「できるの?」って。「クライアントの要求を1から10まで聞かないといけないんだよ。あんた、そういうことできないでしょ。だから頼まないんじゃないのよ」って詰め寄られて、「ああ、そうか」って納得したことがありました。
吉田 ボクも『宝島』で一本やっただけですね、タイアップは。VOWの担当編集だった薮下秀樹さんを絡めたアデランスの企画だったから気軽にやれましたけど、編プロ時代なのでギャラが高かったとしても会社員時代のボクには何の関係もなく(笑)。
豊崎 あの頃タイアップやってたライターの人たちは、今、ほとんど生き残ってないんです。書評家に厳しい時代ですけど、私たち、こうやってなんとか生き残ってこられましたということで、今日は初めてちゃんとお話ができて楽しかったです。改めまして、豪さん、「プロレス本大賞2021」の技能賞受賞おめでとうございました。
構成=砂田明子/撮影=野本ゆかこ
【吉田豪×豊崎由美「書評とは何か?」】