炙りたい剥きたい 千早茜「ときどき わるい食べもの」
[奇数月更新 はじめから読む]
illustration:北澤平祐
私の台所には魚焼きグリルがない。クールなIHコンロにも、むらっ気の多いオーブンレンジにもずいぶんと慣れたが、魚焼きグリルの代わりにはならない。ときどき、無性に炙りたい欲に駆られて、恋人の家へ勇んでいく。恋人の台所には魚焼きグリルがあるのだ。おまけに、最寄り駅の近くには大きなスーパーが三つもある。炙れるものをうきうきと探す。
なにを炙りたいか。私は大の餅好きだが、魚焼きグリルに関しては餅ではない。餅はフライパンにクッキングシートを敷いて焼くほうが失敗がないことを知って、ここ数年はずっとそうしている。
魚焼きグリルなんだから魚だろう、と思われるかもしれない。もちろん魚も美味しいのだが、私が炙るのはもっぱら野菜である。
ちょっと前まではそら豆だった。莢ごとじりじりと炙る。両面に焦げ目のついたそら豆を皿に盛って、夕飯を食べながら親指で割く。湯気のたつ、ふかふかした莢の中で眠っている淡い緑の豆を取りだして、塩をちょんとつけて食べる。食卓に空になった莢の山ができていく。
夏場は茄子だった。何度も何度も焼き茄子を作った。黒焦げといっても過言ではないほどに茄子を焼き、さっと冷たい水に浸けてから皮を剥く。とても熱い。でも、熱いうちのほうがつるんと気持ちよく剥ける気がする。皮を剥かれた茄子はとろとろだ。
最近はヤングコーンだ。細いトウモロコシのような皮付きヤングコーンが売っているのだ。青い薪みたいに見える。見かけるたびに買ってしまう。茶ばんだヒゲを切り落とし、包丁の先ですっと切り目を入れて、皮付きのまま魚焼きグリルで炙る。
いままでヤングコーンはトウモロコシの失敗品だと思っていた。もしくは間引きトウモロコシか。どちらにしろ未熟な存在だという認識だった。とろみをつけた中華炒めに入っていた記憶がある。ぐにゃっとして、かすかに酸っぱく、水っぽく、子供の私は外れの具をひいたと思った。そもそも、トウモロコシ自体がそんなに好きではなかった。やはり噛んだときの微妙な歯ごたえと水っぽさが気味悪かった。
おそらく私が嫌いだったのは缶詰のコーン系で、ヤングコーンもトウモロコシも水煮が好みに合わなかったのだ。大人になり、トウモロコシを蒸して食べるようになったらにわかに好きになった。皮ごと蒸し器に入れる。甘くて、味が濃くなる。水っぽさはなく、粒も弾けるようだ。ヤングコーンも皮ごと炙ると、ほくほくと美味だ。中の薄緑色のヒゲもしゃきしゃきしておいしい。なにより、切り目に指を差し込んで「熱っ!」と言いながらめりめりと剥くときが楽しい。もわっと甘い緑の香りの湯気がたち、うっすら透明がかった小さな金色のつぶつぶが見えると宝物を掘り当てたような気分になる。
めりめりと剥く楽しさを知ったのは、春に友人宅で焼き筍をご馳走になったときだった。小ぶりの筍を皮のままアルミホイルに包んで焼き、ごろんと皿にだしてくれた。縦に入った切り目に親指を突っ込むと、十二単を脱がすように重なった皮が剥けた。気持ちが良かった。可食部分の筍はあくも抜け、ほくほくほろほろとしていた。おのれの皮に包まれているものはおいしい、と思った。純粋に味が濃くなるし、本来は食べられない皮の部分の旨みや香りも加味されている気がする。食卓で手遊びをしている背徳感もいい。
『こりずに わるい食べもの』にも書いたが、私は居酒屋の炒り銀杏が大好きだった。過去形になっているのは、東京にきてから注文する頻度が減っているからだ。西では殻つきのままでてくることが多かったそれは、東ではつるんと剥かれてでてくることが多い。偶然なのか、東西で提供の仕方に違いがあるのか、調べたわけではないからわからないが、東にきてからまだ殻つきの炒り銀杏に出会っていない。剥かれた銀杏は翡翠のようにきれいで、最初は食べやすいと喜んでいたが、ひょいひょいと楊枝で刺して口に運んでいると、どこか物足りなさを覚えてきた。ぱきっとやりたい。「あちちち」と言いながら爪の先で薄皮を剥きたい。剥きたい欲と食べたい欲が分かちがたく結びついている。銀杏は私の中でそういう食べものになってしまっていた。
このままではヤングコーンもその中に入ってしまう。もう剥かれたヤングコーンに対して積極的になれない自分が存在するのを感じる。おまけに、ヤングコーンに関しては「炙りたい」欲もセットになっている。その証拠に魚焼きグリルのない自宅にいるときは、どんなに青々とした皮つきヤングコーンに出会っても買おうとしない。茹でるとか、炒めるとかの食べ方もあるというのに。
ここのところ「引っ越そうかなあ」と口にすることが増えた。「どんなところがいいの?」と訊かれて、ついまっさきに「魚焼きグリルのあるとこ」と答えてしまうのはヤングコーンのせいである。
【ときどき わるい食べもの】
奇数月更新
千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で09年に泉鏡花文学賞、13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞、22年『しろがねの葉』で直木賞を受賞。小説に『男ともだち』『犬も食わない』(共著・尾崎世界観)『ひきなみ』など。エッセイ集に『わるい食べもの』『しつこく わるい食べもの』『胃が合うふたり』(共著・新井見枝香)がある。
Twitter: @chihacenti