第十話 立夏 早川光「目で味わう二十四節気〜歴史的名器と至高の料理 奇跡の出会い〜」
器・料理に精通した早川光が蒐集した樂吉左衛門、尾形乾山、北大路魯山人などの歴史的名器に、茶懐石の最高峰「懐石辻留」が旬の料理を盛り込む。
「料理を盛ってこそ完成する食の器」
二十四節気を色鮮やかに映し出した“至高の一皿”が織りなす唯一無二の世界を、写真とともに早川光の文章で読み解くフォトエッセイ!
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Photo:岡田敬造、高野長英
第十話「立夏」
2024年5月5日〜2024年5月19日
「立夏」とは夏の兆しが見える日のこと。立春、立秋、立冬とともに四季の始まりを意味する「四立」のひとつで、暦の上ではこの日から立秋の前日までが「夏」です。
立夏を迎えると、野山の新緑が日ごとに鮮やかになっていきます。夏の季語である「薫風」は、この新緑の間を通り抜ける風を表す言葉。本格的な夏はまだ先ですが、爽やかな風と夏めく日差しに、心が浮き立つ頃です。
そして立夏の時期に食べる和菓子に「柏餅」があります。餡を入れた餅を柏の葉で巻いたもので、もとは5月5日の「端午の節句」の行事食のひとつでしたが、今は季節の菓子として、広く定着しています。
柏は落葉樹でありながら、新芽が出るまで古い葉が落ちずに残ることから「子孫繁栄」の縁起物とされ、器のモチーフとしても使われてきました。
そんな「立夏」の器は、樂吉左衛門家十二代・弘入(1857~1932)の『赤楽柏皿』です。
柏の葉を象った「柏皿」は樂家の向付の定番のひとつ。歴代の手で作られていますが、弘入の皿は薄削りで、中心に葉脈をひと筋通した、瀟洒なデザインになっています。
目を引くのは火変わり(窯変)の美しさ。赤楽の淡い朱色と、火変わりの暗灰色のコントラストが、器に幽遠な趣と重厚感を与えています。
そして、器に盛る『懐石辻留』の立夏の料理は『かれい 胡瓜けん 防風 寿のり』。
さまざまな種類があるかれいの中で、『懐石辻留』が選んだのは、初夏に旬を迎える「マコガレイ」。
ほどよい厚さに切った身には心地よい弾力があり、噛むほどに上品な旨みが舌に広がります。
器の中心に高く盛ったマコガレイは、火変わりの暗灰色を背景にして、その白さが際立って見えます。そして添えられた防風(セリ科の葉野菜)の鮮やかな若緑色は、野山の新緑を思わせます。まさに「立夏」にふさわしい一品です。
もうひとつの器は、古伊万里・古九谷様式『青磁稜花皿』。
青磁とは、鉄分を含んだ釉薬が青緑色に発色した磁器、または炻器(陶器と磁器の中間的な性質を持つやきもの)のことで、清涼感のある見た目から、夏の器としてよく用いられます。
そして稜花皿とは、花を模した輪花皿の中で、花弁の先端を尖らせた形のものを言います。
青磁の起源は、紀元前14世紀の中国(殷)まで遡るとされ、日本では17世紀前半の「初期伊万里」の時代(1610~1640年代)に焼成が始まりました。
この器は、その後の「古九谷様式」の時代(1640〜1670年代)に作られたもの。まだまだ技術が不安定な頃ですが、それでも丁寧な焼成によって、美しい水色に発色しています。
器に盛る『懐石辻留』の料理は『焚合 焼豆腐 生利節 ふき おろし生姜』。
生利節(生節)は、生のカツオを捌いた後に、蒸す、茹でるなどの処理を施した加工食品。カツオの旨みが凝縮されていることから、煮物や焚合の食材として使われます。
『懐石辻留』では、カツオと相性のいい蕗と焼豆腐を、別々に調味してから合わせます。
生利節は日本酒、濃口醤油とみりんで、蕗はゆでてアクを抜いた後に皮をむいて、薄口醬油とだしで炊き、そこに別のつゆで炊いた焼豆腐を加えて、最後にひとつにします。こうすることで、それぞれの旨みが口の中で重なり合い、味の相乗効果が生まれるのです。
澄んだ水色の器の中で、生利節の黒い皮目、豆腐の焼き色、そして蕗の青緑色がくっきりと浮かび上がります。風薫る頃にぴったりの、涼やかな盛りつけです。
プロフィール
早川 光(はやかわ・ひかり)
著述家、マンガ原作者。『早川光の最高に旨い寿司』(BS12)の番組ナビゲーターを担当。『鮨水谷の悦楽』『新時代の江戸前鮨がわかる本』など寿司に関する著書多数。現在は『月刊オフィスユー』(集英社クリエイティブ)で『1,000円のしあわせ』を連載中。
ブログ:「早川光の旨い鮨」
懐石辻留料理長・藤本竜美
初代・辻留次郎が裏千家の家元から手ほどきを受け、1902年に京都で創業した『懐石辻留』。その後、現在に至るまでその名を輝かせ続け、懐石料理の“名門”と呼ぶに相応しい風格を纏う。北大路魯山人のもとで修業した3代目店主・辻義一氏から赤坂の暖簾を託されたのが、料理長の藤本竜美氏。「食は上薬」を肝に銘じて、名門の味をさらなる高みへと導いていく。
HP:http://www.tsujitome.com
注釈/樂吉左衛門
千利休の求めで茶碗を焼いた樂長次郎(生年不詳〜1589)を初代として、現在十六代を数える樂吉左衛門家。
茶碗の窯として創始したため初代から三代道入(1599〜1656)までの作品に食器は少ないが、四代一入(1640〜1696)以降は菊皿、膾皿、蛤皿など、様々な茶懐石用の器を手掛けてきた。
樂家の食器はすべて樂焼と呼ばれる軟質施釉陶器だが、同じ形の器でも釉薬の微妙な違いによって趣が変わる。とりわけ赤樂の食器は各代ごとに赤の発色や窯変が異なり、それが見どころとなっている。
歴代の中で多くの食器を残しているのは四代一入、六代左入(1685〜1739)、九代了入(1756〜1834)、十二代弘入(1857〜1932)で、中でも「樂家中興の祖」と呼ばれる了入は、皿や鉢、向付を得意とし、箆使いの技巧を施した名品も伝世している。
注釈/古伊万里
古伊万里は有田、三川内、波佐見などの肥前国(現在の佐賀県および長崎県)で、江戸時代に生産された歴史的価値の高い磁器の総称。伊万里の名がついているのは、江戸時代にこれらの磁器が伊万里港から出荷されていたためである。
古伊万里はその制作年代によって焼成や絵付の技術、釉薬などに違いがあるため、研究者によって細かく分類されている。
肥前国で磁器製造が始まった1610年代から1630年代頃までの器を「初期伊万里」、続く1640年代から1670年代頃の器を「古九谷様式」、1670年代から1680年代頃の器を「柿右衛門(延宝)様式」などと呼ぶ。
古伊万里が技術的に成熟し、最も充実していたとされるのは、芸術や文芸が花開いた元禄年間(1688〜1704)で、この頃に生まれた「金襴手様式」の器はヨーロッパへの輸出品としても人気を博した。
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