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第9回 レイクサイド 佐藤友哉「妻を殺したくなった夜に」

北国の地方都市を舞台に、少女連続殺人事件をめぐる中学生男女の冒険を描く、佐藤友哉による青春ミステリー。
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illustration Takahashi Koya


 緑に包まれた峠道を、3台のバスが走っている。きついカーブに差しかかるたび、タイヤは甲高いうなり声を上げ、それは峠の奥に吸いこまれた。
 木々が鬱然うつぜんと生い茂るこの苑腹おんばら峠では、去年11月、2人の小学生がメッタ刺しにされた状態で見つかった。
 バスが通過したばかりの道路脇には、殺された少女たちのために献花が置かれていたが、運転手も、バスに乗った生徒たちも気づいていない。
 3台のバスは、大尻湖おおじりこに向かっていた。
 1泊2日の宿泊学習を行うためだった。
 さとるは先頭のバスに乗っていた。
 ジャージ姿のクラスメイトは、仲のいいグループで集まっていて、話し相手のいない悟は、車内の様子を見るともなく見ていた。
 前方には上野原涼子うえのはらりょうこが座っていて、駄菓子を食べながら、いつもと変わらぬ笑みを浮かべていた。
 そして上野原の隣には、見船美和みふねみわが座っていた。
 上野原と見船は、まるで100年前から仲良しだったような調子で、なにかを話し合っていた。
 悟は揺れるバスの中、まさかこんなことになるなんてと、2ヶ月前のできごとを思い返した。

「ここでなにをしているの?」
 倉橋詩織くらはししおりの部屋に入ってきた上野原は、悟と見船をにらみつけた。
 唐突すぎる展開に、悟はどうすればいいのかわからなくなった。
 さすがの見船もおどろいているらしく、あまり見たことのないタイプの表情を浮かべている。2人とも完全に混乱していた。
「なんで詩織の部屋にいるの?」
 言えるわけがなかった。
 無視という事態に慣れていないのか、上野原のほうがかえってこまったように、「ねえ、だれか返事してよ」と文句を言ってから、
「詩織のおばあちゃんは、ペンフレンドがきてるって言ってたけど……浅葉あさばくんがそうなの?」
「私です。私が、詩織ちゃんの文通相手です」
 見船が小さく手を挙げた。
「あなたはクラスの……見船さん」
「よくごぞんじで。くひひ」
「っていうか見船さん、浅葉くんとお友だちなの?」
「ええ。私、こう見えて友だちが多いの。浅葉くんとはずっと前から仲良しで、詩織ちゃんとも文通仲間でした。それで今日は、詩織ちゃんに貸していた本を返してもらいにきたんです」
 そういえばそんな設定だった気がするが、もちろんすべてブラフだ。
「ふーん。どんな本」
「こんな本」
 見船はふところから、1冊の文庫本を取り出すと、
久生十蘭ひさおじゅうらんの『昆虫図』です。昭和51年の現代教養文庫。あなた、詩織ちゃんがホラー映画をたしなんでいたことを、ごぞんじ?」
「知らない……」
「詩織ちゃんはホラー映画、とくにアルジェントなんていう、めちゃくちゃに最悪な監督がお気に入りということだったので、『フェノミナ』みたいにうじゃうじゃ虫が出てきて、さくっと読める本を貸してあげたんです。これはべつに稀覯きこう本じゃないけど、ちょっと返してもらおうと思いまして」
 どうやら見船はこの本を、事前に用意してきたらしい。悟は感心するよりもあきれた。
「ホラー映画が好きだなんて、それ本当? 詩織に、そんな趣味があったなんて知らないけど」
 上野原はまだ警戒を緩めず、疑わしそうな視線を見船に注いでいる。
「まわりには話さなかったそうですよ。ホラー趣味なんて公言したら、ちょうどあなたが私に向けているような顔をされますからね」
「なのに、ペンフレンドには話すわけ?」
「親にも友だちにも話せない秘密を打ち明けるのが、文通の本質です。文通相手とはいわば、『王様の耳はロバの耳』に出てくる、穴のようなものですからね。『ザ・ピット』の穴じゃありませんよ。くひひ」
「ねえ、どうして笑うの」
「お気になさらず。私なりの処世術みたいなものですから……ではさようなら」
 見船は文庫本をしまうと、話を打ち切るように部屋を出た。
 悟と上野原の2人だけになった。
 置いて行かないでくれと思った。
 上野原の注意は必然的に、悟に向けられることになった。
「浅葉くん」
「な、なに」
「今の話、本当?」
「えっと……たぶん」
「本当に見船さんと友だちなの?」
「ええと、僕は、あの、ごめん……」
 悟もあわてて部屋を出た。

 大尻湖に到着した。
 バスから吐き出された悟たちは、荷物を手に砂利道を歩かせられた。
「えー、みなさん、荷物をテントに置いたら、まっすぐビジターセンターに向かってください! 寄り道したらだめですよ! 荷物をテントに置いたら、えー、まっすぐビジターセンターに……」
 その道中では、引率の教師が、壊れたスピーカーのように大声で叫んでいた。
 しばらく歩いていると、大尻湖が姿を現した。
 青みがかった山々にかこまれた大尻湖は、その名前のとおりに広い面積を有していて、湖面は風もないのに揺れていた。
 まだ幼いころ、父親の車に乗って家族で遊びにきたことはあったが、最近は足を運ぶ機会もなくなっていた。ひさしぶりに見た大尻湖を前にしても、悟はなんの感慨もわかなかった。
 あれだけ楽しみにしていて、ひさしぶりに大型の「期待」を抱いていた宿泊学習は、もはや悟の心をなんら刺激しなかった。すっかりくさくさして、早く帰りたかった。
 ……いや。
 それは嘘だ。
 家にも帰りたくなかった。
 湖畔に作られたキャンプ場には、すでにテントが設置されていた。地味な色のテントがおなじ方角を向いて、びっしりとならぶ様子は異様だった。それを目にした悟は、テレビのニュースで流れていた、自衛隊の渡河訓練を思い出した。そっくりの光景がそこにはあった。
 悟はリュックサックから「宿泊学習のしおり」を取り出すと、自分の番号を確認した。側面にマジックで「12」と書かれたテントがあった。それが悟たちの班だった。
 テントに入ると班のメンバーがいて、彼らはだらしなく寝そべっていた。
「ビジターセンター、行かないの?」
 べつに興味もなかったが、悟は一応たずねた。
「少し休んでから……」
「バスに酔っちゃって」
「なんかもう眠いよね」
 彼らはジャージの上から尻をかきながら、動物園にいる草食獣のようにだらけていた。見るからにぱっとしない班だった。そしてこのようにぱっとしない班を構成する1人が自分だった。
 今までの悟は、そのようなことを気にしなかったが、これからもそうであるとはかぎらない。
 悟はこのような連中と同ランクにいることが耐えられなくなり、荷物をやや乱暴に放り投げると、1人でビジターセンターに向かった。
 湖畔の奥に建つビジターセンターは、しゃれたログハウスのような外見だったが、内部は行政の施設といった味気のない感じで、「大尻湖のなりたち」と書かれたパネルや、引き伸ばされたつまらない風景写真などが展示されていた。
 集合場所の会議室にはゴザが敷かれていて、ジャージ姿の生徒たちが、思い思いの格好で休んでいた。
 上野原はジャージ姿でもきちんと正座していて、そんな上野原の隣で、見船は本を読んでいた。
 教師がやってきて、「はい、静かにしてください。こっちに注目してー」と言っても、本から顔を上げなかった。
 すると上野原が見船をのぞきこみ、
「見船さん、先生がきたよ」
「…………」
「ほら、本はあとにしましょうね」
 するとまわりの女子が一斉に笑って、見船っちはすぐ1人の世界に入るんだからーとか、なんでそんなに本ばっかり読むのさーとか、見船にちょっかいをかけた。
 悟としてはここで見船にブチギレてほしかったが、しかし現実の見船は、不満足そうな顔つきではあるものの、だまって本を閉じた。最近の見船は、すっかりクラスのマスコットだった。悟にはそれが不満だった。
「はい、ぶじに大尻湖に到着しました。それではこれから宿泊学習をはじめます。まずはこれからお世話になるビジターセンターの館長さんからお話があります。そのあとはみんなで映画を……」
 教師がなにかしゃべり、つづいてビジターセンターの館長がなにかをしゃべったが、悟は上の空だった。もはやすべてが気に入らなかった。
 そのうちに大きなスクリーンが天井から降りてきて、会議室の明かりが落とされた。
 最初のプログラム、映画鑑賞がはじまる。
 どうして宿泊学習で映画を見なければならないのか、悟にはまったく意味がわからなかった。
 映画がはじまった。
 スクリーンに映ったそれは、『スタンド・バイ・ミー』だった。
 田舎の少年たちが死体をさがすという、自分の人生とよく似た内容に、悟はぞっとした。自分の罪を指摘でもするような映画だったので、悟はずっと、気が気でなかった。
 こんなにもぞっとしたのは、上野原があの一言を口にしたとき以来だった。

 上野原の追及をのがれて『倉橋商店』を出ると、外はすっかり日が暮れていた。
 見船は店の脇にある空き地に立っていた。
 自分を待ってくれていると思った悟は、いそいで自転車をひっぱってきたが、見船は目もくれなかった。
「逃げないの?」
「なぜ逃げるの?」
 見船はそこから動かず、『倉橋商店』を見つめている。
 悟は困惑したが、1人で逃げる勇気もなく、結局、チカチカと点滅する街灯の下で、見船とならんで立った。
 まもなく上野原が『倉橋商店』から出てきて、悟たちを見つけると、「あら、逃げたんじゃなかったのね」と言った。
「どうしてみんな、私が逃げると思っているのか、よくわかりませんが……」
 見船は小さく息を吐きながら、上野原の前まで歩いて、
「あなたに確認したいことがあって、ここで待っていました」
「なるほど」
「泣き虫のおばあさんがいるお店じゃ、あんまり話せないことなので」
「あっそう。ちょうどよかった。私も聞きたいことがあるの。ねえ見船さん、あなた本当に、詩織のペンフレンドなの?」
 単刀直入だった。
 すると見船は、退屈な質問に失笑でもするように、くひひと笑って、
「すぐにバレる嘘をつらぬく気はないので、ずばり答えてしまいますが、倉橋詩織と文通なんてするわけないでしょう。そんな人間、会ったこともありません」
「ってことは、詩織のおばあちゃんをだまして、部屋に侵入したわけね」
「だれが文通なんてするものですか」
「私の話、聞いてる?」
「見知らぬ他人に期待するなんて馬鹿みたい。私を理解できるのは私だけ……」
「もしもし? 私の声が聞こえてるなら反応してほしいんだけど、じゃあ目的はなに? どうして会ったこともない詩織の部屋に入ったの?」
「私と浅葉くんは、少女連続殺人事件についてしらべています」
「…………」
「くひひ、反応がありませんね。ではあなたのセリフを使わせてもらいましょうか。もしもし? 私の声が聞こえてるなら反応してほしいんだけど」
「少女連続殺人事件って、あの……」
 街灯から降り注ぐ光の角度によるものか、上野原の顔は陰惨に見えた。
「そうです。去年からこの町をにぎわせて、4人の少女を殺して、倉橋詩織も被害者になった、あの少女連続殺人事件です」
「詩織のことを、嗅ぎ回っているわけ?」
「おかしなことを言いますね。私たちが嗅ぎ回っているのは死人ではなく、犯人のほうですが」
「犯人って……」
「私たちは事件の犯人を追っています。じつはですね、なにを隠そう、こちらの浅葉悟くんは、犯人を目撃しているかもしれないんです」
「ち、ちょっと!」
 悟は思わず叫んだ。まさか父親のことを、上野原にバラすつもりだろうか。
 見船はなに食わぬ顔で、
「浅葉くんは去年、ある光景を目撃しました。鶏荷とりに駅で、1人の女子が、大人の男となにかをひそひそ話しているのです。親子というわけでもなさそうだったし、おかしな距離感だったし、なによりその女子に見覚えがあったので、浅葉くんはそのことが印象に残りました」
「…………」
「そしてれいの事件がはじまって、3人目の被害者である倉橋詩織の写真がテレビに映ったとき、浅葉くんはおどろきました。それは、鶏荷駅で見たあの女子だったからです。浅葉くんは『倉橋商店』の近所に暮らしているし、小学校はおなじだったので、倉橋詩織の顔をなんとなく記憶していたわけです。ここまでで、なにか質問は?」
「……つづけてちょうだい」
 上野原は批評でもするように腕を組んだ。
「浅葉くんはいくじなしなので、目撃証言をだれにも言えずに、悶々とした日々をすごしました。そんなとき、家にたまたまあった映画雑誌を読んでいると、そこに載っていた文通コーナーで、倉橋詩織の名前を見つけました。その瞬間、名探偵浅葉くんは、ある発想を宿しました。少女連続殺人事件の犯人は、雑誌の文通コーナーを使って被害者をさがしているのではないかと……」
「なるほどね。そういうことね。で、見船さんはいつ登場するわけ?」
「ここで登場するわけです。私は浅葉くんのお友だちだったので、相談を受けました。ちなみに、私の家、古本屋なんです」
「あー、なんかわかる。見船さん、そういう顔してるもの」
「私たちは店にある雑誌のバックナンバーをあさって、被害者の名前をさがしました。でも思うような結果が出なかったので、こうなったら倉橋詩織の部屋に乗りこんで、彼女が文通していたハガキから、犯人を見つけてしまおうと思い、今回の暴挙に出たというわけです」
 見船はこれで話はおしまいというふうに、両手をぱっと広げた。
 悟は安堵するとともに、見船のよく回る頭に感心した。
 このように言えば、悟の父親と倉橋詩織が文通していたこと、見船と親密になったきっかけが、父親の隠していた血のついたコートを燃やす現場を押さえられたことであるのを伝えずにすむ。
 話を聞いた上野原は、組んでいた腕をほどいて、長い髪に手をやりながら、なにごとかを考えている様子だった。
「……たしかに詩織は、いろんな雑誌でペンフレンドを募集していたみたい」
 上野原は小さくうなずいて、
「そういうのってさ、あぶない気がして、やめたほうがいいって言ったんだけども……」
「まったく同感ですね。アドバイスを聞かなかった倉橋詩織は、犯罪に巻きこまれてしまいました」
「犯罪といえば、あなたたちのやったことも犯罪だと思うけどな。不法侵入だと思うけどな」
「まったく同感ですね」
 見船はくり返した。
 上野原はそんな見船に、きびしい視線を送って、
「で、詩織のハガキは見つけた?」
「いいえ。ちょうどそのとき、あなたが入ってきたので、回収できませんでした」
「それはそれは、間が悪かったみたいでごめんなさいね」
「べつに、そうでもないですよ」
「どういうこと」
「あなたさえよければ、私たちといっしょに、倉橋詩織の仇討ちをしません?」
「詩織の……仇討ち」
「あなた、倉橋詩織とは仲良しだったんでしょう?」
「まあ……ずっと前から友だちだったよ。小学校も、あと、プール教室もいっしょだったから。でも、だからって仇討ちなんて、そんな、私たちだけでやるの?」
「ええ。私たち3人だけで」
 見船はうなずく。
 上野原はそんな見船と、その横であわあわしている悟を交互に見ながら、
「でも、探偵ごっこなんてあぶないよ。詩織の文通のこと、警察に話せばよくない?」
 それは悟の望む展開ではなかった。
 悟の父親と倉橋詩織が文通していたのは、少なくとも事実だった。もし警察が、この情報をまだつかんでいないのであれば、こちらだけで処理しておきたかった。
「くひひ、警察に情報をわたす? 名案とは言えませんね」
 見船は暗い目を、どういうつもりかうれしそうに細めて、
「こどもだけで見つけた、こんな曖昧な情報を、警察がまともに受け取るとは考えられません。どうせ数あるくだらない『情報提供』に埋もれて、きちんとした捜査もされずに終わるでしょう」
「そうかな」
「そうですとも。警察は頼りになりません」
「そうかな」
「そうですとも。事件が発生してから、いったい何ヶ月たったと思っているんですか」
「うーん……それじゃあ、詩織のハガキは私が回収しておくから、こんど3人でそれを確認しましょう。で、もしそこに犯人が書いたっぽいハガキがあったら、探偵ごっこをやめて警察に連絡する。それでもいいなら、協力してもいいよ」
「どうしますか」
 見船がこちらを見る。
「えっ、僕? あの、僕はその……」
「きまりですね」
 見船は勝手に話を進めて、
「では私たちは、今日から運命共同体です。ええと、あなたのお名前は……」
「上野原涼子だよ。クラスメイトなんだから、おぼえてね」
「上野原涼子さん、事件解決のために仲良くしましょう。握手でもしておきますか」
 そう宣言して、白い手を伸ばした。
 上野原は差し出されたその手を、長いこと見つめていたが、やがて握手をして、
「あなたたちが、どんなつもりでやっているのかは知らないけど、私は本気だよ」
「ええ」
「詩織は、本当に仲のいい友だちだったの。だからこんなふうに殺されて、私……犯人がゆるせないの」
「わかります。じつは私も、知り合いが犠牲になりました」
「え」
大島雫おおしましずく。今のところ最新の被害者です。最近、生首が見つかった……」
「本当なの? 嘘だったら、私、怒るよ」
「どうして私が、そんな意味のない嘘を吐かなきゃいけないんですか。本当のことにきまっているでしょう」
「見船さんって、コミュニケーションが下手だよね」
 上野原はぽつりと言った。
「どうしてそう思うんですか? まあ、コミュニケーションをほめられた経験はありませんが……」
「つらかったんだね」
 上野原はにぎった手の上に、もう片方の手をかさねた。
 見船は釣り上げられた魚のように、じたばたした。
 上野原は手をにぎったまま、
「詩織は家庭でいろいろあって、おばあちゃんと二人暮らしだったの。それもあって私、詩織のことをずっと心配していて……まさか自分の友だちが、こんなふうに殺されるなんて思ってもみなかった」
「人生とは、そういうものです。あと、そろそろ、手を放してもらえませんか?」
「誤解しないでほしいけど、私はべつに、義侠心だけで詩織と仲良くなったんじゃないからね」
「義侠心とは、よくそんなことばが出てきますね。『ねじ式』でも読みましたか」
「つげ義春よしはる?」
「おや、よくごぞんじで」
「私の家だって、べつに環境よくないよ。表面的にはふつうだけど、私としては不幸な家に生まれたって思ってるよ」
「不幸とはそんなものです。トルストイもそう書いています」
「それは、『アンナ・カレーニナ』?」
「よくごぞんじで」
 見船はくり返した。
「本を読まないと、馬鹿になっちゃうから」
「まったく同感ですね」
「見船さん、あなたって、よくしゃべるのね」
 上野原はようやく見船の手を解放すると、いつもの人懐っこい笑顔になって、
「ふうん、学校じゃ全然話さないくせに、本当はおしゃべりなんだ? それに、お話もたのしいよ」
「それはどうも」
 見船はポーカーフェイスで返したが、あきらかに心を乱しているのが悟にはすぐわかった。
 上野原はぐいぐいと話しかけて、
「ねね、せっかくだから私たち、そんな運命共同体なんかじゃなくて、お友だちになろうよ」
「お友だち?」
「どうしてそんな顔をするわけ。クラスメイトなんだから、お友だちになってもべつにいいでしょ? ね?」
「…………」
 おそらく見船は、この手のまっすぐ陽気な相手に対する免疫がないのだろう。どうすればいいのかわかっていない様子だった。
 それでもなんとか返事をしようと、見船が口を開いたそのとき、けたたましいエンジン音が聞こえた。
 闇の中でも目立つ赤いスポーツカーが、『倉橋商店』の前に止まった。
 いやな予感がした。
 外国車なのか、左側の窓が開いて、そこから顔を出したのは、悟の予想したとおり、あの男だった。
「先生!」
 上野原の顔が明るくなった。
「よお」
 そいつは言った。「よお」だけで、こんなにも人を腹立たしい気持ちにさせるのだから、ずいぶんな才能の持ち主だと悟は思った。
 この男は以前、上野原の実家とおぼしき、『上野原メンタルクリニック』で見たことがあった。
 おかしなジャケットを羽織り、馴れ馴れしい調子で上野原と話し、「先生」などと呼ばれていた。
 なぜそんなやつが、タイミングよくここに?
 上野原が『倉橋商店』の前にいたところを、目ざとく見つけたのか?
 なんにせよ悟は、安いケーキを食べすぎたときのようにげんなりした。
「なにやってんだ? 送ってくか?」
 車窓から顔を出した男は、気障っぽく髪をなでつけながら言った。それだけでも腹が立つのに、この男は、上野原しか見ていなかった。悟や見船など存在していないような態度だった。
「えー、いいんですか? 助かりますぅ」
 上野原はそんなことを言って車に近づき、思い出したようにこちらを振り返った。
「あの、もう遅いから、帰るね。ハガキのことは私にまかせて。それじゃ……」
「まって」
 見船が別れの挨拶をさえぎって、
「そういえばあなた、倉橋詩織の家になんの用があったの?」
「あー……うん。詩織に貸していたものを、返してもらおうかと思って」
「なにを貸したの?」
「コートだよ」

 あのときは本当にぞっとしたものだと、悟は炊事場でニンジンを切りながら思った。
 上野原がスポーツカーに乗って去ったあと、悟が家に帰ると、心配した母親にこっぴどく叱られて、どこにいたのかをしつこく問い詰められた。
 悟は素直に、『倉橋商店』にいたことを白状したが、内心、それどころではなかった。
 父親がリビングにいたからだ。
 仕事から帰ってきた父親は、缶ビールを飲みながら、悟が説教される様子を見るともなく見ていた。
 父親と文通していた倉橋詩織が、何者かに殺害された。
 倉橋詩織は生前、上野原からコートを借りていた。
 そして父親の机から、血のついたコートが出てきた。
 結論は出ている。
 答えはきまりきっている。
 悟は怖いというよりも、なんというか、気持ち悪くなった。
「おい悟、あんまり母さんに心配をかけるなよ」
 説教が終わったあと、父親がこっそり言ってきて、悟は吐きそうになった。
 なのでその日は、具合が悪いと言って部屋に逃げてすぐに寝た。倉橋詩織の部屋から回収した父親のハガキを読むのがいやで、寝逃げしたいというのもあった。
 ベッドに入っても、カレーのにおいが鼻の奥にねばっこくこびりつき、なかなか眠れなかった。そういえば怒られているあいだ、キッチンからカレーのにおいがただよっていた。夕飯はカレーだったのだろう。
 悟はあの日のことを思い返しながら炊事場を離れ、焚き火の炎でぐらぐらと湯気の立つ大鍋に、切ったばかりのニンジンを入れた。宿泊学習の夕飯もまたカレーライスで、各班に分かれて作っていた。
 夕陽がゆっくりと西に沈む中、大尻湖のキャンプ場にはスパイスの香りが充満していた。生徒たちは楽しそうに薪をくべ、肉や野菜を刻み、カレーライスをテンション高く作っていたが、悟の心は死んでいた。
 大きな鍋をかきまぜて、その中に入りこんだ灰をていねいに取り除く悟はしかし、なにも考えていなかった。悟の班員たちは、なにが楽しいのかゲラゲラ笑いながら鍋に具材を突っこんでいたが、いっしょになって笑い合うつもりもなかった。
 まわりのクラスメイトは、大尻湖から吹く風と、焚き火から起こる熱気を浴びて大騒ぎをしている。悟はそこに参加しながら、心はそこになかった。
 父親の書斎で血のついたコートを見つけ、さらには大島雫の生首まで見てしまった悟は、退屈な日常がいかに大切なものかを知っていた。このように一般的な暮らしの貴重性を、だれよりも知っていた。
 しかし、宿泊学習のようにだれもが楽しめるはずのイベントで、いわゆる「日常の幸福」を感じられなかったら、それはもう、自分だけが損をしているような気持ちにしかならなかった。そうしてそれは耐えられないものだった。
 このときの悟が大尻湖にいたのは、家に帰らなくてもいいからという理由だけだった。
 悟は鍋をかきまぜながら、倉橋詩織の部屋から持ち出した父親のハガキを思い出す。
 そこには、このようなことが書かれていた。
 
 拝啓
 倉橋詩織さま
 お手紙拝読しました
 ぜひおねがいします
 念のため、これからのハガキはすべて捨ててください
 浅葉圭介
 
 内容はこれだけだったし、ハガキもこれ1枚だけだった。
 これ以外のハガキは、言いつけを守った倉橋詩織が処分したのかもしれないが、父親と倉橋詩織の文通は、このあともつづいていたにちがいない。
 問題は、いったい2人がなにを話していたかということだが……。
「あっ」
 ぼんやりしていたら、手からお玉がすべり落ちてしまった。それは地面に落ちて土でよごれた。
 班員たちが笑いながら、その不手際を糾弾した。悟は彼らといっしょに冗談の輪に入ってはしゃぐ気力もなかったので、お玉を拾い上げると、洗ってくるとだけ言った。
 炊事場に戻る。
 そのとちゅう、見船と鉢合わせした。
 ジャージ姿の見船は、闇に溶けゆく大尻湖を見つめてたたずんでいた。
 声をかけようと思ったが、言うべきことばが見つからなかったので、だまってその脇を通過しようとすると、
「浅葉くん、死んだような顔をしていますね」
 話しかけられた。
 人恋しくなっていた悟には、そこに食いつくほか選択肢はなかった。
「きみは楽しそうだけど」
 とはいえ、皮肉で返すことはわすれなかった。
「私が、楽しそう……ですか。ほう、浅葉くんにはそう見えますか。べつにそうでもないですけど。まったく、みんな私に話しかけてきて、本を読むひまもありません」
「読まなきゃいいじゃないか。きみはバスに乗ってるとき、上野原さんと楽しそうにしゃべっていたじゃないか」
「見ていたんですね」
「…………」
「逆に聞きますが、楽しいって、どんなこと?」
 見船は悟に背を向けたままつぶやき、
「友だちが100人できること? 100万円を手に入れること? 100年くらい生きること?」
「わからないけど、100時間を退屈しないですごすのは、楽しんでいる証拠じゃないかな」
「浅葉くんもずいぶん、気取った皮肉を言えるようになりましたね」
「べつに、そんなつもりじゃ……」
「この宿泊学習は1泊2日だから、せいぜい30時間の辛抱です。100時間もかかりませんよ。それともホームシックになりましたか?」
「家には帰りたくない」
「あらあら、なんでもかんでも否定してきますね」
「うるさいな。きみは新しい友だちと遊んでいればいいんだ。事件に本気で向き合ってるのは僕だけなんだ」
「いじけて、くさって、浅ましい。どうやら浅葉くんは、つらい立場に立たされているようですね」
 見船は振り返った。
 にやついた表情が、腹立たしかった。
 悟としてはなにか言ってやりたかったが、やはり言うべきことばが見つからなかった。なにを言っても負け惜しみか、それこそ皮肉にしかならないような気がした。
 悟は無言でその場を去った。
 見船もなにも言わなかった。
 そのとき、炊事場の奥から視線を感じた。
 上野原がいた。
 なんだか勝ちほこったようなその視線に耐えられなくて、悟は早足で炊事場に向かった。そして悟は、こんな自分にはじめてかまってくれた女子が見船だったこと、そんな見船を完全にうばわれたことを知った。

(つづく)

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連載【妻を殺したくなった夜に】
毎月最終火曜日更新

佐藤友哉(さとう・ゆうや)
1980年北海道生まれ。2001年『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』でメフィスト賞受賞。2007年『1000の小説とバックベアード』で三島由紀夫賞を最年少で受賞。他の著書に『クリスマス・テロル invisible×inventor』『世界の終わりの終わり』『デンデラ』『ナイン・ストーリーズ』『転生! 太宰治 転生して、すみません』『青春とシリアルキラー』等がある。
Twitter:@yuyatan_sato

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