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No.16『リプレイ』ケン・グリムウッド/杉山 高之訳 石田衣良「小説家・石田衣良を育てた50冊」

子供の頃から無類の本好きだった小説家・石田衣良。小説家になり、ついには直木賞作家へと駆け上がった彼がこれまで読んできた中で特に影響を受けた作品50冊を、人生の思い出とともに紹介する書評エッセイ。
[毎週金曜日更新]

photo:大塚佳男


 作家には自分好みの小説スタイルがある。
 問題なのは自分が書く(書ける)作品と、好みの作品が異なることで、プロの作家でもなかなか自分の好きな小説は書けないものだ。ほぼすべての作家が、書きたい小説と書ける小説の間にある広大なトワイライトゾーンで、作品ごとに成功したり失敗したりしながら、なんとか戦っているといってもさしつかえない。
 今回はぼくの好きな小説の型について、手の内を明かすつもりで、ざっくばらんに記していこう。

 まず、映画の脚本と同じで、ひとつの作品におおきな嘘(フィクション)はひとつだけが理想的だ。興味をそそる非現実的な虚構の周辺を、小説のリアリズムで丁寧に埋めていく。最初からなんでもありのファンタジーがあまり得意でないのは、小説の醍醐味であるリアルな描写がゆるんでいるように、ぼくが感じるからかもしれない。
 続いて、あまり人が死なないことが望ましい。登場人物の死はたとえ脇役やただの死体役であっても容易にクライマックスをつくれる。すぐに人が死ぬというお決まりの流れが苦手なのだ。開き直って連続猟奇殺人という反則技に走るのもいいけれど、あまり刺激策を多用すると小説自体が痩せてしまう。最近の米ミステリーが振るわないのは、レクター博士のデッドコピーを量産し過ぎたせいではないだろうか。あまりにサイコパスが多すぎる。『池袋ウエストゲートパーク』シリーズはミステリー連作だけれど、ほとんど人を殺さないようにプロットをつくっている。ぼくは単純に残酷シーンを読むのも書くのも苦手なのだ。
 ついで、起承転結のストーリーラインがはっきりしていて、かつ読者を驚かせるものであって欲しい。20世紀には各種の芸術に革新運動が起こった。音楽では調性とメロディの排除がおこなわれ、ホラー映画の劇伴のような不気味な現代音楽が登場した。小説と映画でやり玉にあがったのは物語だった。70年代にはドキュメンタリータッチのストーリーのない作品が無数につくられたのである。結果的に「新しい芸術」の傑作は、容易に指を折れるほど希少なものに終わった。どれほど保守的、退行的といわれようが、小説はストーリーを手放さないほうがいいと、ぼくは確信している。
 さらに、できることなら文章に味があって、すこし洒落ていて、素朴な勧善懲悪ではない大人の視点があるとなおいい。甘いといわれるかもしれないが、現実の厳しさを存分に味わったうえでのタフな理想主義や楽天主義が好ましい。

 この4つの条件を満たす、ぼくが秘かに理想的と評価する小説をブックガイド的に挙げておこう。どの本もはずれはないので、お近くの書店で探してみて欲しい。書棚の間を歩くブックハンティングの時間は、実に楽しいものだ。

『何かが道をやってくる』     レイ・ブラッドベリ
『カクテル』           ヘイウッド・グールド
『香水』             パトリック・ジュースキント
『風の影』            カルロス・ルイス・サフォン
『リプレイ』           ケン・グリムウッド

 欧米圏の文学の主流からすこし外れたポジションにいる、力量のある作家の代表作が5本並んでしまった。洋画と海外ポップス、翻訳小説好きな1960年生まれの出自があからさまで、すこし恥ずかしいくらいである。
 さて、この5冊のなかから、今回はどれをとりあげようか。読んだときに、こんな小説を書いてみたいともっとも強烈に願った作品にしてみよう。『リプレイ』はタイムループものの走りとなるファンタジーで、1988年の世界幻想文学大賞をキングの『ミザリー』(これも傑作)を抑えて受賞している(この賞は本好きには狙い目だ、日本では村上春樹が『海辺のカフカ』で長編賞を、宮崎駿が生涯功労賞を受賞している)。

 ニューヨークのラジオ局ディレクター、ジェフ・ウィンストンは43歳のとき、心臓麻痺で死亡する。1963年に目覚めたときには18歳の大学生に戻っていた。肉体や社会は変わらずに、意識だけがループするというおおきな虚構がまず設定される。後は43歳になるたびに、心臓の病気で過去の自分に意識が転生していくのだ。四半世紀を飛び越えた青春時代の音楽や学生生活の細部がセンチメンタルで実に読ませる。ラジオからはビーチ・ボーイズの『サーフィン・USA』が流れ、親に買ってもらったV8のシボレーでアトランタの街を駆けまわる。
 最初のリプレイで、ジェフは金融王国をつくりあげる。愛車を売り、貯金をすべておろして、記憶にあるケンタッキー・ダービーの勝ち馬に賭けるのだ。そこからは野球や大統領選の賭けで勝ち続け、60年代半ばにはぱっとしなかったデニーズ、ケンタッキー・フライド・チキン、マクドナルドの株を買い、しまいにはガレージでコンピュータをつくるヒッピーのような二人組に妻に反対されながら投資する。片方の若者の名はスティーブ・ジョブズだ。

 二度目のリプレイでは、豊かになり過ぎないように慎重に投資をする。ジェフは上流階級の暮らしがさして好きではなく、愛情のない結婚にこりごりしていた。今度の妻は大学時代のガールフレンドで、子どもはできなかったが養子をふたりもらい幸福に暮らす。だが、申し分のない人生にも、胸を殴られるような心臓麻痺がやってくる。
 三度目のリプレイで、すべてが嫌になったジェフは、パリの高級アパルトマンでドラッグと女に溺れて過ごす。しかしアメリカに帰る飛行機が事故で緊急着陸をして、危うく死にかけると改心し、北カリフォルニアに農園を買い、土とともに暮らすようになる。そこでとある映画を観て、この制作者は自分と同じリプレイをしているのではないかと疑うのだ。ルーカスとスピルバーグを組ませて、『スターウォーズ』でも『ジョーズ』でもないSF映画をつくらせた女性プロデューサーがいたのである。
 もうひとりのリプレイヤー、パメラと出会い、四度目の転生では繰り返しやってくるリプレイの真実を世界に伝えようとする。未来のイベントを予告する全面広告を世界中の200を超える新聞に出稿するのだ(日本では朝日と読売!)。マーティン・ルーサー・キング牧師の暗殺犯逮捕、ソビエトによるチェコ・スロバキア侵攻、イランの大震災、ペルーとパナマで発生する軍事クーデター等々を予見する衝撃的な未来広告だ。けれど、あまりに正確過ぎる予知能力により、政府機関に目をつけられ軟禁状態に置かれてしまう。

 この調子で毎回読み手の予想を超えてくる10回近い転生を重ねていくという、タイムループのストーリーである。ジェフは人生をやり直すたびに、よりよい生き方とはなにかを探すことになるのだが、ここに物語の鍵がある。最初は記憶を元に大金持ちになり投資会社を起こすが、二度目のリプレイではガールフレンドとの平凡な人生を選ぶ。その他、ジェフが就く職業は農家、ノンフィクション作家、映画プロデューサー、米政府のアドバイザーと様々だ。金が最優先事項でなくなった人生では、アメリカ人らしく幸福な結婚生活と家族づくり、そして社会貢献の要素が強くなっていく。

 さて、ここで最初にあげた4つの条件を、確認してみよう。
『リプレイ』では心臓麻痺によるタイムループという大きな嘘がひとつあるだけで、あとはアメリカの現代史をリアルに再現している。サイコパスの不気味なリプレイヤーが一瞬顔を出すが、殺人の場面は登場しない。ストーリーラインはくっきりと明確だし、スポーツベッティングに大金を賭けるシーンでは、結果がわかっていても手に汗を握ってしまう。文章は可もなく不可もなくなのだが、アメリカ人作家特有の好ましい誠実さにあふれている。大学生に戻ったとき、ジェフが体感する音楽の懐かしさやドライブの爽快感は、その手の何気ない生活描写において文句なしの最高峰、スティーブン・キングに迫るほどだ。これほどきれいにぼく好みの4条件を満たす作品は、ありそうで実はなかなかないのである。

 10回近い転生を繰り返した末にやってくる最後の死の後に、何がジェフを待ち受けるか。結末はぜひ、自分で確かめてみてもらいたい。ぼくはこの文章を書くために、『リプレイ』をもう一度読み直したが、最後のページを覚えているのに、また心を揺さぶられた。今では日本の失われた30年を繰り返すループものを、いつか自分でも書いてみたいと、真剣に設定を考えるようになった。『リプレイ』は現在、青春時代のただなかを生きている人、青春から遠く離れてしまった人のどちらにもお勧めできるタイムループの傑作である。

作品番号(16)
『リプレイ』
ケン・グリムウッド/杉山 高之訳
新潮文庫 1990年7月刊

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【小説家・石田衣良を育てた50冊】
毎週金曜日更新

石田衣良(いしだ・いら)
1960年、東京生まれ。1997年「池袋ウエストゲートパーク」でオール讀物推理小説新人賞を受賞し、続編3編を加えた『池袋ウエストゲートパーク』でデビュー。2003年『4TEEN』で直木賞、2006年『眠れぬ真珠』で島清恋愛文学賞、2013年『北斗 ある殺人者の回心』で中央公論文芸賞を受賞。著書に『娼年』『夜の桃』『水を抱く』『禁猟区』などがある。
Twitter: @ishida_ira

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