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#6 大船軒と『「自然」という幻想』 宇野常寛「ラーメンと瞑想」

※このエッセイは、小説的な内容を含みます。登場する人物と団体は、基本的に架空のもので実在のものとは関係ありません。ただし、取り上げているお店はどこもとても、とてもおいしいのでオススメです。
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1.半島へ

 ゴールデンウィークは何をしようかと相談した結果、僕とTは三浦半島に出かけることにした。
 朝4時半に起きてJR高田馬場駅のホームで落ち合い、品川駅で京急線に乗り換えた。
 本当は品川駅の駅そばを食べて腹ごしらえをしたかった。それは品川駅の名物として知られる立ち食いそば屋で、冷やしかき揚げそばに温泉卵を載せるのがいつもの僕の注文だった。げんこつのように固く揚げられたかき揚げが、そばつゆを吸ってほんの少ししんなりする。それを少しずつかじりながら、黄身をたっぷり絡めた少し太めの蕎麦を啜る。その至福の時間は、僕が三浦に出かける前のちょっとした儀式のようなもので、こうして僕は心身を整えていたのだけれど、その日は京急線との乗り換え時間の関係でできなかった。
「代わりに現地でおいしい朝ご飯を食べましょう」
 Tはご機嫌だったが、僕は嫌な予感がした。何かこう、序盤からつまずいたように思えたのだ。
 京急線に乗り換えた僕たちは、その後1時間ほどかけて終点の三崎口駅に向かった。
 蒲田や大森といった東京の下町を映していた車窓は、やがて横浜の街並みに移り変わり、そして半島のそれに移り変わっていった。住宅地から畑と森にその主役が交代し、そしてときどき畑の向こうに海が見えるようになっていった。この山と海の近さが「半島」なのだと、いつも感じる時間だ。
 早朝だったので列車の乗客はもともと多くなかったのだけど、金沢文庫を過ぎたあたりからほとんどいなくなった。僕たちの乗っていた最後尾の車両には、僕たちの他に2名ほど、それぞれ青年と熟年の男性が乗っていて、どちらも風体から考えて――というか、竿を携えていたので――単独行動の釣り客だと思われた。
 僕たちはその間これからの行動計画について主に話し合っていたのだが、乗客が少なくなってきたのに気づいたTは、素晴らしいことを思いついたと言わんばかりに目を輝かせて提案してきた。
「そうだ、到着まで瞑想しませんか?」
「え、ここでですか?」
 さすがにビックリして、僕は聞き返した。
「そうです。電車の中での瞑想など、なかなかない機会ですから」
「た、たしかに……」
 今考えれば何か話の前提がおかしいような気もするのだけれど、僕は思わず納得してしまった。
 Tは僕の同意が得られたと判断すると、僕たち以外には他に誰もいない座席の上で結跏趺坐の姿勢を取った。そして、自分の師匠がいつも瞑想のときに唱えているという文句を唱え始めた。
「安禅必ずしも山水をもちいず」
 僕は明らかにいつもよりも高揚しているTに圧倒され、ぽかん、としてしまった。
「宇野さんも言ってください」
「え、僕もですか」
「そうです」
 僕は思わず周囲を見回した。車両の手前に陣取っている釣り客たちがビックリしてこちらを見ていた。さすがに彼らの視線が気になったが、こういう雑念を払うための瞑想なのだと僕は自分に言い聞かせ、Tの唱えた文句を反復した。
「安禅必ずしも山水を須いず」
 Tは続けて言った。
「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」
 そして僕も動揺する自分を鎮めるように反復した。
「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」
 
 しかし、いよいよ瞑想が始まろうとしたそのとき、車内のアナウンスが終点の三崎口が近いことを告げた。
「意外と早くついてしまいましたね。瞑想は道すがらにしましょう」
 Tは残念そうに述べ、足を崩した。
 
 京急線終点の三崎口駅で降りた僕とTは、駅前のロータリーに停まっていたタクシーに乗り、三崎港に向かった。ゴールデンウィークは三崎港がもっとも観光客で混む季節のはずだったのだけど、連休の最終日の早朝だったせいか、港にはほとんど人がいなかった。僕とTは磯の香りを吸い込みながら、タクシーの運転手が教えてくれた魚市場の食堂に向かった。そこは、市場で働く人々のための食堂で、競りのある日は早朝から開店していた。そして新鮮な魚を用いた刺し身やフライがおいしいと、観光客にも評判だった。僕とTが足を踏み入れると、そこに市場で働く人たちの姿はまばらで、釣り客とおぼしき男性たちと、この時間からなぜ出歩いているのか分からない家族連れやカップルでそれなりに賑わっていた。
 僕はマグロと地魚の載った海鮮丼を、Tは刺し身とフライのついた定食を頼んだ。この時点でまだ朝の7時半だったけれど、僕たちが高田馬場駅のホームに集合したのが朝の5時半で、起きたのは4時半だったのでそれなりにお腹が空いていた。僕とTは適当に、海鮮丼の具と魚フライを交換し、貪り食った。口に入れた魚たちはどれも新鮮で、身が厚くて、そして脂がのっていた。僕は地方の漁港やその近くの街を訪ねて、こうして地魚を食べるのが好きだった。名前の知らない地魚――それはたいてい、白身で見た目はあまり区別がつかないのだが、それぞれしっかり味が違う――を何も考えずに口に運んでいるときに、やっぱり島国に生きる贅沢とは、こういうことなのではないかと思うのだ。

2.小網代の森

 その日の僕とTの計画は、三崎港から三浦半島の西側を北上し鎌倉まで約30キロ強歩くことだった。
 腹ごしらえを終えた僕とTは、まずは三崎港と三崎口駅の中間にある小網代の森へと向かった。
 
 小網代の森については説明が必要だろう。
 ここは、神奈川県が保全する森で自然愛好家の中では知られた場所だ。なぜ有名なのかというと、この森には「流域」がまるまる保全されているからだ。バス通り近くの尾根を源流に約1.5キロの川の「流域」がそのまま保全されていて、これはかなりレアなケースだと言われている。そして源流の森から河口の干潟までの1.5キロ、高低差80メートルのエリアでは、南関東で観察できる生物のうち、相当数を確認することができると言われている。
 もともとはバブルの頃にゴルフ場になる予定だったこの森は、バブルの崩壊によって「放置」されていたのだけれど、そのポテンシャルに目をつけた環境保護団体が地主だった京急電鉄と神奈川県に働きかけ、「整備」を行った。「整備」と言っても公園的な開発をする……というのではなく、放っておくといわゆる「荒れた森」となり、単層林に近づいてしまうことが予測されるこの森に「手を入れ」、動植物の多様性が高い状態を維持する……という意味での整備だ。一般的なイメージとは異なり、生物の多様性の高い森というのは、自然状態では長続きしない。「自然の摂理」によって、ある場所はやがて単層林に近づき、そして最終的には荒れ地になる。そしてまた、徐々に動植物が集まる……というサイクルを繰り返す。同じエリアで長期に生物多様性の高い「豊かな森」を維持するためには、むしろ人間の介入によるメンテナンスが必要なのだ。
 
 アメリカの環境系ジャーナリストとして知られるエマ・マリスはこうした積極的な人間の自然環境への介入を支持する。そして旧来の「手つかずの自然」を崇拝する環境保護論を批判する。彼女の述べるところによれば、そもそも「手つかずの自然」という発想は、大きな矛盾を孕んでいる。人間の影響がゼロの「自然」を想定するのならば、それは人類発生以前の自然への回帰を考えなければいけなくなる。人類の発生から現在までには間に氷期を挟んでいるので、地球上の生物はかなり変化してしまっている。では、「手つかずの自然」を信奉する人々はその状態に戻せというのか、と。
 マリスは述べる。「手つかずの自然」とは20世紀アメリカの消費社会の中で成立したカルト的な信仰に過ぎない、と。消費社会のロマンチックな外部として、実際の地球環境の実情を考慮されずに求められた観念的なものにすぎない、と。
 では、どうすればいいのか?
 マリスの主張は、人間が人間にとって望ましいと考える状態に自然をガーデニングするしかない、というものだ。それは結果的にいま、そこに存在する自然を「保護」することになるかもしれないし、ならないかもしれない。しかし重要なのは、「手つかずの自然」という発想を捨て、自分たちが自然環境をどうしていくべきかを考えることだ――それが彼女の結論だ。もはや自然とは、人間が管理する「庭」でしかない。マリスは自然を「Rambunctious Garden」(ごちゃまぜの庭)と呼ぶ。
 
 一連の主張が展開されたマリスの著作『Rambunctious Garden: Saving Nature in a Post-Wild World(Bloomsbury)』は、2011年に刊行されたもので、日本でも2018年に翻訳出版されている。『「自然」という幻想』という邦題で出版された本書の翻訳を手掛けたのが、生態学者の岸由二だ。ドーキンスの『利己的な遺伝子』の翻訳者の一人としても知られる岸こそが、80年代にこの小網代の森のポテンシャルに気づき、30年以上かけての「保全」と「整備」を実現した環境保護団体のリーダーだ。
 つまり、この小網代の森こそが岸が「多自然ガーデン」と訳したマリスの「Rambunctious Garden」をつくる「ガーデニング」の実践なのだ。実際にこの小網代の森は岸の構想のもと、笹などの繁殖力の高い植物を刈り、森を明るくするなどの人間の介入を長期にわたって継続している。
 
 ちなみにこの岸の大学の教え子で、当時(80年代)からこの森の整備に参加しているのが前回触れた柳瀬博一であり、僕は柳瀬に勧められ、この森の整備がある程度進み、公式に「公開」された1年後の2015年から、この森によく足を運ぶようになった。
 
 普段僕は京急の三崎港駅から小網代の森に直接向かう。つまりバス通り近くの尾根から河口の干潟まで、川の流れに沿って歩いて下りていく。約1.5キロメートルの行程で80メートルほど下るので、少し歩くと風景がみるみる変わり、これが楽しい。暗い森に分け入り、少し歩くだけでどんどん生えている木や、草花が変化していく。手すりには僕の好きな虫の類が多く、これがまたバッタ、テントウムシ、カメムシ、トンボとバラエティに富んでいて飽きさせない。岩の隙間をよく見ると小さなカニが潜んでいることも多く、これも見逃せない。僕はこの森を訪れるたびに、これほど豊かな場所があるだろうかと思う。そして河口が近づき、干潟に入ると一気に視界が海へ開ける。最初に訪れたときは、そのダイナミックな視界の変化に感動したのを覚えている。
 
 その日は海側からこの森に入ったので、このコースとは逆……つまり河口から源流まで川を遡るように歩くことになった。河口近くにある神社に参拝した僕とTは、海側の入り口から設置されたボードウォークに入り、まずは干潟に向かった。この干潟では、干潮時にたくさんの海の生物が観察できる。特にこの時期はチゴガニという、美しいブルーの甲羅を持つ小さなカニのオスが、メスに求愛のダンスを踊るのを観察できる。せっかくこの時期に小網代に来たのだから、このダンスを見たいと僕は考えていたのだ。
 ちょうどよく、その時間帯はカニのダンスの真っ最中で、僕たちの他にも何組かのハイカー家族連れがカニを観察していた。僕は夢中でスマートフォン録画機能を使って、カニのダンスを録画した。いぜんから何度も僕はこのチゴガニのダンスを撮影していたが、いま僕の所有しているiPhone 14 Proと、ここ数年昆虫などの小動物を撮影し続けてきた技術があれば、過去最高の映像が撮影できるはずだった。僕は干潟に腰を下ろし、文字通り時間が経つのを忘れカメラを回した。カニのような小動物は、人間との意思の疎通ができない。カニたちはまったく人間と重なり合う部分がない独自の環世界(ユクスキュル)を生きている。その理解できなさが、人間に不気味さを与える。そしてその不気味さに僕は途方もなく惹かれる。この世界が自分の見えているものだけで構成されているのではないという確信を与えてくれる。その確信が、何か僕にある種の救いのような快楽を与えてくれるのだ。
 
 僕はこの感動を、少しでも共有したいと思ってTに呼びかけた。案の定、Tはまったく干潟のカニたちに関心を示さず、ハイカーや家族連れたちの視線をものともせずに合気道の「型」の練習に励んでいた。先月カワセミを見に行ったときと、まったく同じパターンだった。もうこの人には何を言っても無駄なのだと悟った僕は、Tのことは一旦忘れて、納得のいくまでカニたちのダンスに目を凝らし、カメラを回し続けた。

3.鳥の詩

 その後、僕とTは川を遡るように小網代の森の尾根を目指して上がっていった。ゴールデンウィーク中だったにもかかわらず、時間が早いせいかすれ違う人々は少なく、僕はゆっくりこの土地の自然を満喫できた。僕はボードウォーク沿いに美しい花を見かけるたびに、そして手すりに虫を見つけるたびに足を止め、写真を撮影した。特に虫については熱心に撮影した。しかし僕が目ざとくナナホシテントウを発見しても、ヒガシカワトンボを発見してシャッターチャンスを狙い足を止めているときも、Tはまったく関心を示すことがなく、どんどん森の奥へ進んでいってしまっていた。本当に自分にしか関心のないやつだなと、僕は心の中で悪態をついて彼の背中を追いかけていたそのときだった。
「カア」
 前方で、Tの声がした。
「カア」
 最初、何が起きたのかよく分からずに耳を疑った。
「カア、カア」
 徐々に、どうやらTが上空に出現したカラスとの呼応を試みて、鳴き真似をしていることに気づいた。
 そういえば数日前に、動物の真似をする忍術についての記事が送られてきていたのを、僕は思い出した。
 
〈是は忍の者、犬猫なとの様の真似をして忍ふ事也。闇の夜のくらき所、形の見えぬ所にてするわさ也。人の四足の真似をするとて、形の似るべきものならねば心得べき者也。〉
 
 その記事にはかつての忍者たちが、動物の動作を模倣することで、闇夜の中で自己の存在を獣に錯覚させていたことが記されていた。おそらくTは、その実践を思いついたのだろう。
「ホー、ホケキョ」
 そして森の中からウグイスの声がすると、今度はウグイスの鳴き真似を始めた。
「ホー、ホケキョ、ホー、ホケキョ」
 僕のすぐ後ろを歩いているハイカーの老夫婦が、おそらくは何が起きているのかまったく分からず、困惑気味に顔を見合わせていた。
「ホー、ホケキョ」
 森の奥から鳥の声が聞こえるたびに、Tは果敢に交信を試みた。
 明らかに老夫婦はあまりこの人たち(僕も含む)にかかわらないようにしよう、というコンセンサスを形成しつつあったが、僕はある意味で感心していた。
 Tはこのとき、自然と一体化していた。少なくともそう、試みていたのだ。
 このとき僕は思った。僕はこの小網代の森を訪れるたびに、カニや虫を「観察」している。それはカニや虫が、僕にはまったく理解できない異質な身体と環世界を所有する他者だからだ。絶対的に異質な存在がそこに生きていること、そしてその存在に触れることは、僕に、自分が感じ理解できる範囲が世界の全てではないと実感させてくれる。そして僕は世界に対する無限の興味と信頼を獲得する。
 しかしTは違うのだ。彼はおそらく、自己と自然を一体化している。少なくともその可能性を追求している。鳥を観察するのではなく、自らが鳥になる可能性を探求している。その果敢な姿は、僕にとって自分が求めていた観察の対象こそが、マリスの言う自然という「幻想」なのではないかと疑わせるに十分だった。
「ホー、ホケキョ、ホー、ホケキョ、ホケキョ、ホケキョ」
 森の中に、ウグイスとTの声が交互に響いていった。

4.鯵の押寿しとその酸味

 小網代の森を抜けた僕とTは、その後三浦半島の西岸に沿った――というほど海岸沿いではなく、かなり山道を含むのだが――バス通りを北上し、横須賀市から葉山、逗子を経由して鎌倉入りを目指した。時折、コンビニエンスストアで飲み物を買ってビーチを見つけると海岸に下り、休憩しながら歩いた。
 季節柄、ツバメがよく飛び交っていて僕は道沿いの軒先にその巣を見つけるたびにTにも見せようとしたが、彼は全く興味を示さなかった。
 
 その日の瞑想は、葉山の森戸海岸の近くにある人気ひとけのない砂浜で行われた。既に20キロほど歩いた僕たちは、そこで休憩がてら30分の瞑想を行うことにしたのだ。
 
獣の世界に物語はなく
神の世界に幻想はなく
獣と神の世界には、過去も未来も演劇性もなく
 
 その日の瞑想中に僕の意識に浮かび上がってきたのは、ここに至る道中でのTの議論だった。
 
「かつて、〈うんこキャプターつよし〉と呼ばれた男がいました。僕の高校の同級生です」
「一緒に高校の寮に入っていた人ですね?」
「はい。いまは札幌で医者をやってますが、彼は僕にとって、圧倒的な存在で、畏怖すら感じていました。彼は男子校の寮で異常な方向に発達した性欲を持て余して、さまざまな変態的な行動を取っていました」
「ほう。たとえばどのような?」
「彼は穿いているデニムのポケットに内側から穴を開けて、ポケットに手を入れることで直接自分の性器を触れるように改造していました。そしてビデオレンタルショップのアダルトコーナーに行き、その場で自慰行為にふけっていました。他にもいろいろ。公衆トイレの◯◯◯◯を◯◯したり、寮の浴槽で◯◯◯◯したり……」
「それを逸脱行為として自慢していた?」
「いいえ。そんなことはなく、むしろオススメの参考書やラーメン屋を勧めるように、これはすごくいいからお前も試してみたらいいと誘われました。彼はそれを、社会的に逸脱した行為だと考えていなかったはずですし、そもそも逸脱することに価値を置いていなかったと思います」
「宇野さんは、彼をどうとらえていたのですか?」
「当時の僕は彼の存在におののいていました。僕は中学生まで、自分は傑物で、選ばれた存在で、学校の俗人たちとは見えている世界が違うと思っていました。しかし、高校の寮で彼のような人間に何人か出会い、自分はとても凡庸な人間だと思い知りました。僕はあくまで、逸脱した存在を観察し、おののく側の人間だったのだと」
「その話で言うと、宇野さんが観察する側の人間で、僕は彼のように実践する側の人間なのだと思います。僕はその人のことが分かるような気がします。育った家庭環境なのか、ほかの問題なのかは分かりませんが、彼は自身を取り巻く状況の中でそうすることを抑えられなかったのだと思います」
「はい。ただ、僕は観察することでしかたどり着けないものもあるのだと考えています。決して、自分は同一化できないもの、つまり他者に、体内に取り込めないものに触れることでしか、得られない快楽があると考えるからです」
「人間は本来はラーメンと瞑想だけでは生きられない存在です。どこかで対幻想や共同幻想を求めてしまう。しかし、稀にそれができる状態になることがある。宇野さんのいう他者はその条件を満たすための鍵なのでしょうね」
「はい。それが、僕にとっての〈自然〉なのかもしれません」
 
 瞑想の終わりを告げるアプリケーションのハープが鳴った。僕はゆっくりと立ち上がるTを見ながら、この男もまた獣と同化する必然を抱えているのだと、そして彼もまた、僕にとっての「自然」なのだと思った。
 そして僕たちは再び歩き始めた。
 
 僕たちは葉山から逗子に抜け、鎌倉に向かった。逗子に入ると、砂浜にサーファーや磯遊びをするカップルや家族連れが目立ち始めた。Google Maps上では、海岸沿いを走る国道134号線を真っすぐ歩けばそのまま鎌倉の材木座のほうに抜けられることになっていたが、実際には途中のトンネルの中に歩道がないらしく、そのまま歩くのは危険だった。そこで僕とTは披露山に登り、大崎公園からリビエラ逗子マリーナに抜ける行程に変更した。国道134号線から披露山に登る道はちょっとした山道になっていて、既に30キロ以上歩いた足腰にはそれなりに堪えるものがあったのだけど、これが適度なアクシデントになって、結果的に楽しかった。三方を山に囲まれた鎌倉が攻めにくく、守りやすい土地として鎌倉幕府の拠点とされたという説を、僕たちはその足で感じていた。
 そして僕たちは夕暮れどきの材木座から由比ヶ浜に抜け、ゴールに設定した鎌倉駅まで歩いた。正確には計測していないが、おそらく35キロ前後の行程になったはずだ。
 帰りは湘南新宿ラインのグリーン席に並んで座った。僕とTは、駅のホームで名物で知られる大船軒の鯵の押寿しを買った。売店の熟年女性は昔ながらの味付けのものとイマドキの若い人にも食べやすいマイルドな味つけのバージョンと二つあるのだがどちらにするか、と尋ねてきた。僕は少し迷い、そしてTは即断で前者を選んだ。僕ははじめて食べる押し寿司だったけれど、Tは子供の頃に父親が土産物としてたまに買ってきていたのを覚えているが、味は記憶にないと言った。
 最初の一口は、さすがに酢が強すぎると閉口したが、噛んでいるとじわじわと口の中に旨みが広がってくるのを感じた。そしてこの強い旨みを迎え撃つには、強い酸味が必要なのだと、すぐに理解できた。そしてもちもちの米粒が、その強い旨みと酸味をやさしく包んでいた。僕の横では「これはうまいですね」とTが目を輝かせて寿司を頬張り、それをゴクゴクとビールで流し込んでいた。幸せそうなTを見て、僕はいい日だったな、と思った。

 (#7に続く)

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連載【ラーメンと瞑想】
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宇野常寛(うの・つねひろ)
評論家。1978年生まれ。批評誌〈PLANETS〉編集長。著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、『母性のディストピア』(集英社)、『遅いインターネット』(幻冬舎)、『水曜日は働かない』(ホーム社)、『砂漠と異人たち』(朝日新聞出版)、『ひとりあそびの教科書』(河出書房新社)、『チーム・オルタナティブの冒険』(ホーム社)など。立教大学社会学部兼任講師も務める。

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