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せりの街 千早茜「なみまの わるい食べもの」#2

するどい言葉と繊細な視点で、食と人生の呪縛を解く。人気エッセイ「わるたべ」がHB連載に帰ってきました!

[第2・4水曜日更新 はじめから読む
illustration:北澤平祐


 冬に白いものにはまる傾向がある。カリフラワーばかり蒸したり、京都から豆腐を取り寄せて毎週のように湯豆腐をしたり。干し蕪の美味しさに感動し、東京の乾燥をいいことに部屋の至るところで蕪を干しまくったりした。
一昨年くらいからはせりにはまっている。せりのなにが白いのかと思われるかもしれないが、根だ。せりは根。それに気づいて、すっかり溺れてしまった。

 もともと、せりは好きだった。ちょっとすーすーするような香りがいい。せりに限らずセリ科の野菜は好きなものばかりだ。人参、セロリ、三つ葉、パセリ、パクチーなど、どれかは必ず冷蔵庫に入っている。いわゆるハーブと呼ばれる植物にもセリ科は多く、爽やかな香りの料理を好む私はお世話になりっぱなしである。

 せりは東京に来てから食べるようになった。京都にいた頃はあまり見かけなかった気がする。七草粥のときくらいしか積極的に食べた記憶がない。東京に住み、パフェの合間に蕎麦を食べるようになり、すると季節ものでせり蕎麦がある。三つ葉が好きで、汁物の上にわんさか三つ葉がのっていればいいなあ、三つ葉を出汁と共にじゃきじゃき嚙み締めてみたい、とつねづね思っていたので、せり蕎麦を食べたときは「これ!」と膝を打ちたい気分だった。セリ科、万歳。

 スーパーで見かけるせりを買うようになった。せり蕎麦を教えてくれた友人が「せりは根ごと食べるものだよ」と言っていたので、根も食べようとするが、いかんせん汚い。根元は泥にまみれているし、黒ずんだ根はどこまで洗えばいいのかわからない。一度、根本に包丁を入れたら小さな蛭がでてきて、ちるちるとまな板の上をのたくって気絶しそうになった。長い話になるので書かないが、蛭にはトラウマがある。
 せりから心が離れかけた。しかし、当時は恋人だった夫がせり好きだった。二人で買い物にいくと、「いいよ、いいよ、俺が洗うよ」と買ってしまう。食材をどれだけ洗うか、には個人の衛生観念と胃の丈夫さが反映されると思う。おおらかで胃が強い夫と、偏屈で神経質で腹を下しがちな私だったら、どちらが細かく洗うかは考えるまでもないだろう。「いやいや、私が」と冷たい水で指を痛くしながらせりを洗った。ああ、なぜせりを洗う水はいつも凍りつくように冷たいのか。それはせりの旬が冬だからである。せりは手間のかかる野菜という認識だった。

 そんなある日、SNS(まだXという名称が受け入れられない)で信じがたい光景を見た。鍋の横に置かれたざるに盛られたせりの画像。他の鍋材料もあったが、目に入らないくらいせりに釘づけになった。せりの根が白いのである。まるで漂白したような、神々しい白さだった。一瞬、違う野菜かと考えたが、あおあおとした葉や茎はやはりせりに見える。どう洗ったらあんな聖人のひげのごとく白く輝くのか。食い入るように眺め、拡大して、これはもともと根がきれいなせりなのだと思った。どうしても、どうしても欲しくなった。

 通常、私はSNSで人に声をかけることがない。よほど軽口が叩ける間柄でないと話しかけない。自分自身が突然、人に声をかけられることが苦手だから、どうもできないのだ。知らない人はもってのほかで、知人や仕事で知り合った人は返事を強制することにならないかと気を遣ってしまう。その麗しき白い根のせり画像をあげていたのは仕事関係の年上の人であった。
しばらく逡巡した結果、食欲に負けた。「手前のはせりですか? 根がすごくきれいです」と話しかけ、どこで入手したのかおそるおそる伺ってみた。「せりは根がおいしいですよね」と、たおやかな返事がきて、売っている場所も丁寧に教えてくれた。「通り過ぎにくいくらいの綺麗さですよ」と彼女は言った。

 すぐに銀座へ向かった。銀座三越の地下三階の「万弥」へと。エレベーターを降りると、すぐ目の前に白い根がふさふさとあった。感嘆の声がもれていたのだと思う。売り場の方が「三関みつせきのせりですよ」と教えてくれた。どうやらせりの根の白さは鮮度によるらしく、収穫して時間が経つと変色してしまうそうだ。そこは春菊も信じがたいほど美しく、私はせり二束に春菊も買い、同じフロアで京都の豆腐と豚肉も手に入れ、しゃぶしゃぶをした。肉はもちろん美味だったが、主役は完全にせりだった。葉はやわらかく、茎はしゃきしゃきと爽快で、水を流す程度の洗浄しか必要でなかった白い根はほんのりと甘く、ほくほくしていた。せりの根がほくほくすることを初めて知った晩だった。

 しゃきしゃきとほくほくの両方が楽しめる香り高い野菜だなんて最高では、と感動し、せりにかまけた。牛や鴨のすき焼きにもせりを入れ、煮びたしもして、きりたんぽも取り寄せた。銀座へ赴くたびにせりを求めるようになった。銀座の近くを通ると白い根がよぎって足を延ばしてしまう。銀座三越の店員さんはとても親切で、せりを三束も四束も籠に入れてレジへ持っていくと、「せりが傷みますね、紙袋にしましょうか」とせりを立てて入れられる大きめの紙袋を提案してくれる。商品への愛が深い。「はい、ありがとうございます」とせりを紙袋に入れて、ふと気づく。せっかく銀座へ来たのに食事をして帰れない。せりがのぞく袋を持って、服屋や資生堂パーラーやバーに行くのもちょっと恥ずかしい。なによりこの美しいせりたちを早く冷蔵庫に横たえたい。結果、せりを抱えて銀座を後にする。「通り過ぎにくいくらいの綺麗さですよ」という言葉の通り、白い根の魔力にとらわれてしまった。
 冬、銀座はせりの街になる。

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【なみまの わるい食べもの】
毎月第2・4水曜日更新

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千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で09年に泉鏡花文学賞、13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞、22年『しろがねの葉』で直木賞を受賞。小説に『さんかく』『赤い月の香り』『マリエ』など、エッセイ集に『わるい食べもの』『しつこく わるい食べもの』『こりずに わるい食べもの』などがある。
X: @chihacenti

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